第4話 階段は滑り台ではございません

 それから数日。

 王宮はてんやわんやの騒ぎになっていた。


 なにしろ、隣国ヴェルセラ王国のアンリ・ド・ロッシュ侯爵一家が遊びにいらっしゃるそうなのだ。

 隣国のロッシュ侯爵と言えば「猛獣」との呼び声高く、武勇に優れたお方。そんな方の気分を害してはいけないのは、まあ、分かる。

 そもそも隣国とは争いが絶えない関係で、こちらに聖女がいるからこそ国交が保たれている部分も少なくない。それを考えるとピリピリしてしまうのも仕方ないだろう。


 床も窓もピカピカに磨き、厨房には季節の美味が集められた。

 季節は実りの秋、家畜も肥えている。


「アデリーヌ、殿下に悪戯させないように、しっかり見張っていてね」


 そう言うあなたもレイモン殿下付きのメイドじゃありませんか。

 なに花瓶に花を活けてるんでしょう?


「ああ、忙しい、忙しい……」


 別の一人は布切れを手に、廊下に並べられた石像のホコリを払う。いつもやっている作業だけれど、特に念入りに。


「アデリーヌ! 殿下は?」

「ご心配なく。勉学に励んでいらっしゃいます」

「あっ、そう。ならいいけど」


 王妃様付きメイドのクララは同い年で、私の出自を気にかけないでくれるし、私も気をおかずに話ができる。

 今も作業の手を休めてひそひそ声で、


「ねえ、侯爵御令息の噂、聞いた?」

「いいえ。どうかなさったの?」

「王妃様に教えていただいたんですけど、マルク様は、それはもうお美しい方なんですって」

「え、御令息よね?」


 クララは大げさに胸で手を組んだ。

 艶のある栗色のボブがかわいい。


「まあっ、アデリーヌったら頭が硬いんだから。美男子でいらっしゃるの。俗に言う、イ、ケ、メ、ン」


 クスッと笑う。


「ご自身も男爵の位をお持ちなんだけれど、お兄様が二人もいらっしゃるので、侯爵の位は継げそうにないんですって。おかわいそう!」


 侍女からメイド、その下働きまで張り切っている訳が分かった。


「あー、その男爵様に気に入られたくて一生懸命なのね……」


 クララは私の足を軽く蹴った。


「なんてことを! 仮にも男爵様がメイドなんて……あ、でもアデリーヌは伯爵令嬢だから、可能性はあるわね」


 私は苦笑いした。

 ないない。

 そんな大貴族にお嫁入りしたって、苦労が目に見えているわよ。

 逆に平民のクララの方が、あれこれ考えずに夢見心地になれるわ。


「ってわけだから、くれぐれも殿下に悪戯させないでね」

「今日の調子が続けば、大丈夫よ」

「そう、良かった。頑張ってね、アデリーヌ」

「あなたもね、クララ」


 御主人様の部屋に戻り、背中でパタンとドアを閉めた。


 そう、今日の調子が続けば、御主人様は悪戯で邪魔をしない。


「御主人様……」


 レイモン殿下は、勉強机にうつ伏せになって、すやすや眠っていた。


「御主人様!」

「ううん……」


 開いた窓からそよ風が入ってくる。

 御主人様の金の髪がさやさやと揺れた。


 蝋板の縁に押し付けられていた、ふくふくした頬に筋が残り、まだ七歳なんだなと再確認する。


「遊びたい盛り……」


 今日も勉強を嫌がって逃げ回り、やっと捕まえて勉強机に向かわせる。

 そこまでは良かったのだけれど、おとなしいと思えば私の授業を無視して寝てる。


 このまま、しばらく起きそうにないわね。

 ほっぺたをツンツンしたい衝動と戦いながら寝顔を見守っていると、控え目なノックの音がした。クララだ。


「アデリーヌ、悪いけどお掃除手伝ってくれない? もう侯爵御一行は到着したというのに、小廊下の歴代王女の肖像画の下のところのシミが……」


 私は御主人様をもう一度見た。

 すやすやと寝息を立てている。

 この様子なら少し目を離しても大丈夫だろう。


 私は柄付きブラシを受け取って最後の仕上げに参加しようとした。


 その瞬間!


「僕もお目見えに行く!」

「御主人様! 起きていらしたのですか!」

「ご挨拶は正面の螺旋階段のところだな。行くぞ!」


 御主人様は廊下の中央まで走ると、螺旋階段の手すりにまたがり後ろ向きに滑り始めた。

 階段を走っていては間に合わない。


「えいっ!」


 私も柄付きブラシを持ったまま手すりに腰掛け、乗馬の横乗りの要領でバランスを取って滑り始めた。


 あっ、面会を待つ貴族の皆様……。


 すいー。


 御免あそばせ……。


 すいー。


 何か信じられないものを見る目付きの高貴な方々の前を、私たちは滑っていく。


 すいー。


 護衛の騎士の皆様、ご苦労様です……。


 すいー。


 螺旋階段は一階に着いた。


 ぴょんと御主人様は飛び降りて、お尻で着地する。

 その勢いのまま、ぼん、ぼんとはずんで、国賓のアンリ・ド・ロッシュ侯爵様たちの前へ……。


 私も滑ってきた勢いで、とっとっとと御主人様の後を追って前へ……。

 ちょうど、国王夫妻と侯爵御一行の間に飛び出した。


 しまった。

 侯爵夫人は重々しいカーテシーの途中で頭を下げたまま固まっている。 


「これは……」


 「猛獣」侯爵の口から疑問がこぼれる。

 噂通りのいかめしい顔に真っ赤な軍服。勲章がジャラジャラ付いている。私はライオンの絵を思い出した。

 沈黙が痛い。


 侯爵様の護衛が剣を抜いて私たちを取り囲んだ。

 絶体絶命のピンチ。


「……いえ、元気な子息の姿を見せて驚いていただくのが我が国の最上のおもてなしでしてな。そうであろう?」


 さすが国王、この場をうまくつくろう。


「さようでございます!」


 家宰のノルルが、締められた鶏のような声で同意する。


「これは元気な王子様でいらっしゃる。御歳は?」


 よく響くバリトンに顔をあげると、もう一人、くすんだ赤の上着を着た主賓と目が合った。


 吸い込まれそうな黒い目。

 髪も軽くウエーブのかかった漆黒で、眉はキリッとして、軽く結んだ唇には軽く笑みをたたえて……。

 一言で言えば美形だ。

 それもすごく魅力的な。


「七歳!」


 怖いもの知らずのレイモン殿下が、ピシッと返事をする。


「歳は違うけれど、息子という立場は同じだね。僕はマルク。正式の名乗りは後でするよ」

「僕も」

「よろしく。ここで会えて嬉しいよ」


 マルク男爵は私に目をえたまま、御主人様とやり取りしている。

 すわ、無礼討ちか。


 私は柄付きブラシを構えた。存分に戦って、フレールサクレ伯爵家の意地を見せてやりましょう。


「お嬢さん、そのブラシは何?」


 からかうようなマルク男爵の声。


「いえ、この、それは……」


 ノルルが再び声を張り上げた。


「これは、魔を払う呪具でございます。このような姿をしておりますが、こちらはアデリーヌ・ド・フレールサクレ伯爵令嬢でございます」


 キラッとロッシュ侯爵の茶色い目が光ったような気がした。


「……フレールサクレ家の令嬢と言われますと、聖なる力並びなき、この国の聖女の姉妹でいらっしゃるかな」


 野太い侯爵様の威圧的な声に、思わずキュッと唇を噛む。

 クレアの聖女としての名声は、隣国まで伝わっているのね。


「答えなさい、アデリーヌ」


 国王の言葉に、


「はい、さようでございます」

「これは奇縁。聖女に我が妻の病をいやしてもらおうと遠路来たかいがあった。血続きの令嬢に真っ先にお会いできるとは。あなたも力が使えるのかな?」

「いいえ、聖女に比べれば全く無いも同然」


 いや、事実、無いんですけれど。

 良かった。

 ロッシュ侯爵様の御機嫌を損ねてはいない。


「両陛下、ご来賓の皆様、私どもはここで失礼いたします。御主人様、こちらへ……」


 私は柄付きブラシをベルトに差し込むと、御主人様を抱えて大階段へと遠回りし、王宮の建物の中に戻った。


 胸の中で心臓が踊っている。

 

 走ったせい?

 難所を切り抜けたせい?

 クレアのことを思い出したせい?


 それとも……マルク男爵に見つめられたせい?


 ピタピタと頬を叩かれた。


「顔が赤いぞ、アデリーヌ」

「……御主人様のせいです! 階段はすべり台ではございません!」


 レイモン殿下はケロリとして、


「ついて来いと言った覚えは無い」


 このーっ。


「御主人様、英雄伝の詩を暗唱するお時間です」

「あんなもの、眠い」

「分かりました。私が暗唱しますので、御主人様はお休みください」


 私はこの国を建てた勇者ルベールはじめ、英雄たちの勇気と愛の物語を暗唱し始めた。

 御主人様は椅子に斜めによりかかり、両目を閉じてすっかり眠る体制だ。


 それにしても今日は冷や汗をかいた。 


 この御主人様に付いていくしかないのでしょうか。

 命がいくつあっても足りません。

 神様、やっぱりあんまりです。

 

 

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