1-4


「あっよかった、帰ってきた」


 あの少女の声が聞こえて我に返った。


 なんだか、ずっと前からここでぼーっと突っ立っていた気がするのにさっき来たばかりだという感覚もする。


「見えるのか、俺のこと」


「安心してください、ちゃんと見えてますよ」


「生きてる?死んでない?俺」


「ええ、大丈夫ですよ」


「〜〜〜〜うおおおおっ!!!!」


 大丈夫、という彼女の言葉に俺は柄にもなく大声を上げた。


 心の底から出た叫びだった。


 俺は死んでなかった。


 俺は生きている。



 心臓が強く早く胸を叩いているのを感じてなおさら生きている実感が湧いた。


 事故に遭ったあと病院のベッドで目覚めた時ですらこんな感情は抱かなかった。


「うわああああよかったああああああ!!!!」


「他人から自分を認識されなくなって死んだと思ったんですか」


 空を仰いでガッツポーズを取る俺に少女が言った。


「えっ、うん」


「おもしろいですね」


 おもしろいですね?


「他人から認知されなくなって自分が死んだんじゃないかと思うことの何がおもしろいんだ?」


 ちょっとイラッときて語調が強くなった。そもそもこの少女に押されたせいで俺はあの状況に至ったのだ。


「だって普通は自分が透明人間になったんじゃないかって思いますよ」


 ……確かにその通りかもしれない。俺には医者に言われた言葉があったから、その先入観で死んでしまったと思ったのだ。普通の人間なら自分が透明になったと思う……のだろう。


 というか透明人間になるってなんなんだ。そもそもそれもおかしいだろ。

 件の机の方を見るとやはり机の中に空がある。


「なんなんだこれ。さっき試してみます?って言ったよな」


「実はわたしにもよくわかりません」


「え、よくわからないものを人に試させたのか?」


「百聞は一見にしかずと言いますし、説明しても信じられない事象じゃないですか」


「一見の前に一聞くらいはあってもよかったんじゃないか?」


 だってあんな……誰からも認知されず体が壁や床をすり抜けるようになるなんて。せめてなにか説明してくれれば死んだような思いしなくて済んだ。


「よくわからないといってもどんなことが起きるかは知ってたんだろ?」


「うぅ……それについてはすみませんでした」


「で、どうして俺にこいつを試させたんだ?」


「……初めて屋上で人と会ったからです。多分この机に気づいたの、この学校でわたしだけで、わたしも訳わかんなくて、頭おかしくなっちゃったのかなって思ってそれで誰か他の人にも試してもらおうと思ったけどこんなこと話せる友達いなくって……」


 彼女は俯きがちに言った。


 この机についてよくわからないということは彼女も被害者なのだ。彼女はたった1人でこの事象に遭遇した。それも1年生の5月に。その心細さは想像に難くない。俺は一時の憤りで説教するような言葉を投げかけてしまったことを後悔した。


「……まぁ事情はわかった。問い詰めるようなこと言って悪かった」


「いえ……わたしが説明不足だったのは事実ですから」


「……じゃあ俺は帰るから。机のことは教師にでも報告しなー」


 この机にはあまり関わらない方がいい気がする。


「待ってください!」


「な、なに」


「手伝って欲しいことがあるんです」


 どうして俺に?と聞き返そうと思ったが彼女が言った「こんなこと話せる友達いなくって」という言葉を思い出して聞き返さないことにした。初対面の俺を頼ろうとするくらいなのだから、事情も聞かずに帰るのはいくらなんでも冷たすぎる。


「何を手伝ってほしいんだ?」


 彼女は一息置いてから意を決したように言った。


「ある、事件についての調査を手伝って欲しいんです」





 てっきりこの机がなんなのか解き明かすのを手伝えと言われるかと思った。


「ある事件?」


「はい、事件です」


 そう言って彼女は探偵に依頼するみたいに事件の概要を説明し始めた。


 昨日、その事件は起きました。この学校の焼却炉が無断使用されたんです。それはご存じですよね。その件についてです。何が燃やされたか教師は説明しなかったと思うんですが燃やされたのは新聞部が作った新聞です。昨日から職員室の前の机に何枚も重ねて置かれていた新聞部の新聞が昨日のうちに全て持ち去られて校舎裏の焼却炉で燃やされたんです。その事件について調査を手伝ってほしいんです。


「……どうして燃えたのが新聞だとわかったんだ?」


「おっと、いきなり『犯人は依頼主だったパターン』を攻めてきましたね」


 なんだそれ。普通にそんな説明教師はしなかったから聞いたんだが。


「たしかに新聞は燃えてしまうともう新聞だったかどうかもわからなくなってしまいます。燃やされたものを知っているのは犯人だけなのでは?と思うのも当然です。展開としてはおもしろそうです。ではなぜ、わたしは燃やされたのが新聞だと知っているのか」


 急に饒舌になった。推理小説とか好きなのかもしれない。他の生徒は知らない燃やされた物を知っているこの少女は推理小説ならキーパーソンといったところか。


「それは職員室で先生たちが話してるのを聞いただけです」


「あ、そう」


 拍子抜け。偶然耳にしただけだった。


「教師たちはどうしてその情報を公開しなかったんだろうな」


「それはその行為に悪意があるからだと思います。そしてそれはわたしが調査をしよういう考えに至った理由でもあります」


「悪意……」


 悪意と決めつけていいのかはわからないが新聞部の新聞を燃やすという行為は少なくともなにかしら意思あっての行動だろう。


 新聞を焼却炉で燃やすためには計画的にわざわざ火をつける道具を用意する必要がある。犯人にとっては新聞を持ち去るだけではダメだったのだ。その場で破くとかでもダメだった。「新聞部の新聞」を「焼却炉で燃やす」のが犯人の目的だった。そう考えるとどうやら単なる愉快犯ではないようだ。


「じゃあ君はその悪意を暴きたいのか」


「その通りです」


 正義の味方ってわけだ。


「事情はわかった。が……」


 確かに気になる事件だ。校内にそんな奴がいるってのも少し気味が悪い。だが……それは一介の生徒が暴いていいものなのだろうか?


「一晩、考えさせてくれ」


「……わかりました」


「明日の放課後にここで、いいか?」


「はい」


「名前を聞いてなかったな」


「すみれ、と読んでください」


「村瀬仁志だ」


 漫画みたいな会話だ、と思った。


 空はいつの間にかさっき西に見えた灰色がかった雲が半分以上を覆われていた。夕日は西の遠くに見える名も知らぬ山の向こうに沈もうとしていた。

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