1ー2 婚約者の変更(エレオノール)
『女神の思し召し』。それは、バルバストル王国の国教が主神として崇めている女神になぞらえた慣用句である。誰もが当たり前のように口にする言葉だった。
良いことがあれば、「女神さまからのお恵みだ」という意味で。悪いことがあれば、「女神さまがお望みでないのだ」という意味で。
今回の場合は、後者であろう。王太子妃として、次期王妃として、女神はエレオノールを認めていない。国王が言いたいのは、そういうことだった。
(王太子妃となれない……。では、わたくしが今までやってきたことは……)
王太子妃となるべき人間として、耐え抜いてきたこれまでの日々は、一体何だったのだろう。その日だけを夢見て、生きて来たのに。
両親が亡くなり、居場所のなくなった公爵家で一人、新たな家族を得ることだけを望んでいたのに。
それさえも、あっけなく奪われてしまうなんて。
「やっぱり、お姉さまには王太子妃なんて荷が重かったかもしれないわね。女神さまが判断してくださって良かったわ」
ひそひそと、背後で囁き合う声が聞こえて思わず眉を寄せた。派手な身形の夫婦と、煌びやかな衣装の娘。両親がいなくなって、新しく公爵となった叔父と、その家族だった。
叔父はもともと、兄であるエレオノールの父を嫌っていた。知識も、魔法も、人となりも、全てを備えていた父と比較されて育ったらしい。そのため、父の娘であるエレオノールに対しての態度も冷たい物だった。その妻と娘は、王太子の婚約者である自分が疎ましかったようで。侮蔑の言葉を投げかけられ、母の形見となってしまった宝石類も、隠しておいた一つを除いて、全て奪われてしまった。現公爵夫人は自分なのだから、当然だ、と言って。幼いエレオノールの抵抗など、何の意味もなかった。
養子として引き取られたエレオノールは、待遇こそ公爵家の令嬢であったけれど。美しい公爵邸からは追い出され、離れで過ごすことを余儀なくされた。もちろん、婚約者である王太子が訪問する際は、さも当たり前のように公爵邸に呼び出されたわけだが。
それでも、少なくはあったが使用人もいて、衣食住に困ることもなかった。どれほど嫌っていようと、王太子妃となることが決まっていたため、あまりにもおかしなことは出来なかったのだろう。
屋敷の者たちは、両親が生きていた頃の者たちと全て入れ替えられ、叔父に従う者ばかり。使用人たちも、仕事はしても、誰も話しかけてはこなかった。話しかけても、最低限の言葉を交わすことしかしなかった。
(まるで、人形の相手をしているみたいで……)
淋しかったのだ。ずっと。世界にただ一人であるようで。
だから、結婚して、伴侶を得て、家族を得ることを楽しみにしていた。王太子妃という重荷であっても背負えるように、努力を重ねていた。
だというのに。
「父上、発言をお許しください」
ふと、俯く視界に影が走った。しつらえの良い靴を履いた足元から辿るように、ゆっくりと視線を上げる。見慣れた、銀色のさらさらした髪が揺れる背中が、エレオノールを庇うようにして、目の前に立っていた。
「先程の発言は、流石に急すぎるのでは? ブロンデル公爵令嬢の髪も、何か一時的なものかもしれませんし。そのことを差し引いても、彼女は王太子妃として申し分ない女性です。お考え直しください」
「ベルナールさま……」
静かな声音で国王に告げたのは、ベルナール・ナタン・カリエール=バルバストル。この国の王太子であり、エレオノールの四つ年上の婚約者であった。
ベルナールは、「それに、結婚式は明日です。今更中止など……」と、更に毅然とした声で言い募る。兄のように慕う彼の頼もしさに、エレオノールの思考も少しだけ浮上した。けれど。
「其方は黙っていろ」
そう、国王は冷たく一蹴した。
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