はぐれ農家は片田舎で幼馴染を憂う
音喜多子平
第1話
「それじゃ行ってくるね。ザウル」
片田舎に似合わぬ上質な聖職の衣に身を包んだ少女は告げる。
「ああ…気を付けてな。リーザレフ」
片田舎しか似合わない泥だらけの作業服を着た少年は、そう返事をした。
◆
ここは王都アリナミド。
大陸最強と謳われる軍と兵士と魔術師を有する軍事国家である。
アリナミドの城下町はかつてないほどの賑やかさを見せていた。年に一度行われる祝祭でもここまで盛り上がることはない。それでも人々は熱気を持ち、現在闘技場で行われている、ある一つの大会の結果に注目していた。
それは魔王討伐のために、勇者一行に加わる最後の一人を決めるという、由緒ある大会であった。アリナミドに住まう、あらゆる猛者が集い鎬を削る。興奮しない方がどうかしているというほどの大会なのであった。
闘技場には入れぬほどの人が駆けつけて、最早隣にいる者の声すら聞こえない。
そんな中にあって、闘技場の中にある王室関係者しか入れぬ部屋で静かに憤る男がいた。その部屋の中で唯一似つかわしくない恰好をしている。服には所々が泥で汚れ、片田舎で土を耕している者のにおいが染み付いていた。
「ロナリバ大臣。なんでダメなんですか? せっかく無理を押してまでトーナメントにまで来たのに出場すらさせてくれないなんて」
「わかってくれ、ザウル。其方にはやるべきことがあるはず。国を出て行かれては困るのだ」
「魔王を討伐するよりも、土を耕してろっていうんですか?」
「…其方は実に素晴らしい人材だというのはワシが一番よく分かっている。けれども、いや、だからこそ其方を魔王討伐のパーティに入れる訳にはいかん。わかってくれ」
「…」
ザウルと呼ばれた青年は押し黙ってしまった。しかし、それが話を納得した上で黙っている訳ない事は誰の目にも明白だ。
その時。
部屋の中にいた兵士たちがにわかに騒めいた。見れば魔王討伐の任を受けた勇者一行が部屋へ入ってきていた。王家の紋章が刻まれた装備を輝かせた一行は、真っすぐにザウルと大臣を目指して歩いてきた。その一行の中にはザウルの二人の幼馴染の姿があり、先程の大会で優勝したボリヴァーの姿もあった。
そして先頭にいた勇者ラジェードが徐に口を開いた。
「ザウル君…」
「…」
ラジェードはザウルに向かって何かを言おうとした。けれどもそれは後ろにいた連中の笑い声に掻き消されてしまった。
「ははは。やっぱり駄目だっただろう。農民風情がいくら頼み込んだって名誉あるこのパーティに入れるわけないって」
「そもそもこの大会は古の掟に従って、貴い血筋を持つものにのみ参加資格があんのよ?」
「やめてくださいクリスティアナさん…農民の出身って事なら私だって同じです」
そう言ってザウルを庇ったのは勇者ともう一人の幼馴染である、リーザレフだった。
「そんな事はない。神官が夢で女神直々の神託を得て選ばれた聖女だ。君はある意味、ここにいる勇者よりも大切な要なんだよ。そこにいる落ちこぼれ…失礼、ザウル君とは訳が違う」
ラジェードとリーザレフを除いた五人は、蔑み誹る態度を微塵も隠すことなくザウルにぶつけてきた。彼らは由緒正しい貴族の生まれであり、その上さらに才能に恵まれて各々が魔術や武芸の使い手だ。幼い頃から積み上げてきた実績は自信を通り越して傲慢さとなり、片田舎出身の地位も名誉もない癖に幼馴染という理由でラジェードとリーザレフに付きまとうザウルは、さぞ疎ましく見えるのだった。
「止めろ皆…ザウル君。リーザレフ君のことを大切に思う気持ちはよく分かる。魔王討伐が終わるまで、彼女には決して傷一つつけることなく、無事にリアトレイ村に帰ることを誓う。僕たちを信頼してくれ」
リーザレフの事が心配で、一緒に旅について行きたいというザウルの本心は筒抜けだったようだ。そんなに正直に言われてしまうと、ザウルは反論すらできない。
「あーあ、言い包められてやんの」
「だっさ」
再び嘲笑が響いた。
が、それはすぐに収まった。国王が現れたのである。
「国王陛下」
一行の一番後ろにいた大会の優勝者であるボリヴァーがそう言うと、その場の全員がひれ伏した。
「うむ。ボリヴァーよ、先程の闘いは実に見事であった。後に表彰と共に貴殿に正式な魔王討伐の任を与え、勇者一行に同行することを許可しよう」
「有難き幸せでございます」
「ん? そこの平民はなんだ? 誰の許可を得てここに来ている?」
部屋の中にいた者の目がザウルに集中した。それを察すると大臣がいち早く陛下に弁明を入れる。
「恐れ入ります、陛下。この者は勇者ラジェードと聖女リーザレフの幼き頃からの友でございます。別れを惜しみ、ここまで駆けつけましたところ、この二人の請願もあったので私めが特別に許可をいたしました」
「そうか、ならばよい。勇者たちよ。世界の為、国の為、そしてそこな友の為にも自らの役目を果たすのだぞ」
「はい」
そう言って国王は去った。
するとリーザレフがザウルの傍によって、毅然とした態度で告げた。
「リーザレフ…」
「私は平気。だから安心して」
ザウルは何も言えなかった。ただただこの場に居たくないという気持ちだけが込み上げて、足を動かした。
ザウルは彼らをキッと一瞥すると、そのまま黙って部屋を出て帰路へとついた。リーザレフが後ろから呼ぶ声が聞こえたのだが、どうしても振り返ることも足を止めることも出来なかった。
◆
数日後。
変わって、ここはミデカー村。
王都からはるか西へと行った片田舎だ。畑と牧場しかないこの村では過疎化が進んでいて、人の数よりも牛の数の方が多くなっている。
この辺りはザウルの家とすぐ隣にリーザレフの家があるばかりで人はいない。どちらも両親を亡くしてしまっているので、この近所には実質ザウルしかいなくなってしまったのだ。
ラジェードの家はもう少しだけ町よりのところにあるが、そこだってここと状況が劇的に変わるわけではない。
今日も今日とて畑と動物たちの世話をする。気が付けばもうとっぷり日が暮れていた。
野良仕事や力仕事なら大抵の事はこなせる自信はあるが、料理となると勝手が分からない。いつもならリーザレフが頃合いよく支度をして待っていてくれるのに、こうなってしまってはくたびれた体に鞭を打って慣れない包丁を持つ他ない。
「んー。やっぱりアイツみたいな味にならないなぁ」
食卓の皿に盛られたシチューのようなものを啜りながら、ザウルは呟いた。傍らには新聞が置いてあり、見出しには勇者一行の旅路が順調であること。各地で魔物を次々と討伐し成果を上げている事などが大々的に報じられている。
「かつてのどの勇者パーティよりも強く勇ましいか。もう寝よう、明日も早いんだ」
夕食も早々に切り上げると、湯を沸かす手間を惜しんで水を被って一日の汗を流す。
部屋の火を消して寝床に横になり、窓から外を見た。
一段と輝く星空が見える。この間王都の夜空を見て帰ってきたザウルには星々の美しさは目に入らず、それよりも周りに星以外の何の明かりもないことが悲しくなった。余計に自分の故郷が田舎臭く見えてしまったからだ。
ラジェードの家はなぜ農家をしているのか分からないほど、元々の由緒が正しい家だ。歴代の優秀な戦士や騎士の名前を挙げだしたら枚挙に暇がない。ラジェードの血筋と才能は誰しもが認めることだ。勇者として選ばれ、魔王討伐を任命されたというのは同じく幼馴染として心配だが、それは強さを憂いての事ではない。
むしろ、ザウルが気が気でないのはリーザレフの方だった。
畑仕事をしているせいで、町娘に比べれば体力はあるだろうが、それでも強力な魔物にしてみれば大した差じゃない。裁縫や料理、詩を書いたりする才能はあってもそれが魔王との戦いに役立つところは想像できない。
ただ、神のきまぐれな祝福を受け、聖女として祀り上げられた。
それを除けば、どこにでもいるような普通の女の子だった。
「リーザレフ…無茶するなよ」
ザウルはリーザレフと明日の仕事の手順を考えながら、眠りについたのだった。
◆
それから時は流れて凡そ一年後。
勇者一行が見事に魔王を討伐し、無事に王都に帰還したという話は新聞に載りミデカー村のザウルの元にまで届いていた。
「勇者一行の凱旋パレードか。おかえりを言いに行きたいけど…」
嬉しい報せであったが、ザウルには手放しで喜ぶ時間がなかった。勇者たちの帰還で王都は予想外のお祭り騒ぎになってしまったからだ。酒は湯水のように飲まれ、それに伴って宮殿でも酒場でも一市民の家ででも連日のようにご馳走が作られており、食料を今まで以上に王都に送らなければならなくなっていたのだ。
◆
ところ再び変わって。王都アリナミドの王宮。
帰還した勇者たちが貴賓室で王との接見を待っていた。
他の連中が浮かれ気分で酒や料理を楽しんでいる最中、勇者はじっと窓の外を見ていた。その顔は険しく、とても魔王を倒し安堵している様には見えなかった。
「勇者様」
「…リーザレフ」
「浮かない顔をされてますね」
「ああ。どうも引っかかる心配事が二つあってね」
「二つ?」
ラジェードは念のために周りに気を配ってから、リーザレフにしか聞こえない声で自分の胸の内を吐露し始めた。
「一つは魔王の事さ。確かに僕の剣には魔王を貫いた感触が伝わって来た。奴が君の祈りによって封じ込められる様も見た…けれど、どうにも納得できないんだ」
「実は私も…辛勝しておいて言うのも変だけど、あっけなさ過ぎるような気がしてて」
「ああ。僕も妙な胸騒ぎがする」
二人は沈黙した。けれど何の確証もないことだった。
リーザレフは勇者の気掛かりのもう一つを尋ねることにした。
「それで? もう一つの心配事は?」
「…ザウル君の事だ」
「え?」
その声に反応するかのようにラジェードは、ここで初めてリーザレフの顔をしっかりと見つめた。
「魔王討伐の旅の間、何度も話をしたけれどもう一度言うよ。彼の事は諦めてくれはしないか?」
「それは…」
リーザレフはたじろいだ。焦っているのか、手足がまるで定まっていない。そしてラジェードは追い打ちをかけるように言葉を続けてきた。
「僕は君の事もザウル君のことも同じくらい大切に思っている。諍い合いにはなりたくない…けれども男女の事だ。好きという気持ちに嘘は付けない」
「勇者様…」
「そんな堅苦しい呼び方はいいよ、またラジェードって呼んでもらいたい…僕は正直な気持ちを君に伝えた。だからもう一度、君も考えてみてくれ」
「…はい」
「すまない。今すべき話じゃなかったな。一先ずは久しぶりの帰郷と皆の歓迎を有難く受けよう」
それで二人の秘密の会話は終わった。
ラジェードはすぐに料理を皿に取って他のメンバーの輪に交ざっていったが、リーザレフはしばらくその場に佇んで、ぼんやりと窓の外の景色を見ていた。
それからもう少し時間が経つと、ようやく接見の支度が整ったようで勇者一行が王の間に呼ばれた。中には各大臣、名だたる貴族、上級騎士たちが恭しく控えていた。その荘厳な雰囲気に、勇者たちも緊張と高揚感が込み上げてきていた。
だが、それは長続きしなかった。
王から直々の勲章を授与されている最中、王都全体を不穏な魔力の気配が支配したのである。魔法に聡い者たちはすぐにざわついた。
「なんだ、この魔力は!?」
その中にあって、勇者パーティたちだけがいち早く魔力の正体に気が付く。忘れようとしても忘れることなどできない。この魔力の持ち主は、それほどまで記憶に焼き付いている。
「お、おい、勇者。この気配って…まさか」
「魔王の魔力だ…」
ラジェードが呟いた刹那、王の間の扉が乱暴に開かれた。かつてこれほどまで横暴にこの扉が開かれることはなかったはずだ。
「ほ、報告いたしますっ!」
「何事であるか。陛下と勇者様の謁見の最中であるぞっ」
そう言って駆けこんできた下級兵の顔は蒼白であった。それだけで良い知らせでない事は、その場の全員が理解した。
「国境警備隊及びその伝書魔導士からの急報でありますっ! リアトレイ地区を中心にその周辺において夥しい数の魔物の群れが突如現れたとの事! 魔物たちは一団となりこの王都を目指して進行中。率いているのは…魔王タムグウェイである、と」
「馬鹿な。魔王は確かにオレ達が討伐したはずだぞ」
「そうよ。リーザレフが封印だってしたはずなのに」
「今はそんなことどうでもいい。リアトレイ地区の人たちの避難状況は?」
リアトレイ地区、という単語にラジェードとリーザレフは嫌な予感を感じていた。そしてそれは的中する。
「それが幸いにも、ミデカー村辺りとの事で、畑や牧場はありますが住民はほとんどおりません」
「ミデカー村だって!?」
「勇者様っ!! ザウルが…!」
ラジェードたち勇者一行は、王宮で報告を受けた後すぐさま兵と共に王都を出発し、リアトレイ村を目指していた。
魔王討伐の要であることを考慮され、魔動車輪という乗り物に乗せられ移動している。天馬や翼竜、馬などに比べると少々遅いが、運転をする魔導士の魔力を消費するだけなので、余計な体力を使わなくて済むのだ。
車内に押し込まれた勇者たちは、魔王軍と衝突するまで出来ることは何一つない。だから、誰となく何故魔王が復活し、何故アリナミドに現れたのかを考察し合っていた。
「一体どうなってんだよ」
ラジェードはパーティの仲間だけになら構わないだろうと思い、自分の中で纏まっていた仮説を唱えてみた。
「恐らくだが、僕たちが倒したのは肉体だけの魔王だったんだ。リーザレフの封印の力を逆に利用して思念だけの存在になるために、わざわざ派手な演出までつけてやられたふりをした」
「何の為に?」
その問いには、リーザレフが毅然と答える。
「魔王はあの城から出ることが出来ないから…そうですよね? 勇者様」
流石だな、と言わんばかりの表情でラジェードは思わせぶりに頷いた。
「ああ。あの地に湧き出る膨大な魔力の受け皿として自分の体を使っていたからね。そもそも魔王があの実力を持っているのなら、わざわざ魔王城に籠っている理由はないんだ。自分から出向いていって人間たちを滅ぼせばいい…それができないからこそ、魔物を作って間接的に侵略を繰り返していたんだから」
「思念だけで私たちについてきて、聖都アリナミドに溢れているエネルギーを使って復活した、という訳ですか?」
「何千年かぶりに外に出た記念と俺達への見せしめのために、この国を滅ぼそうって算段か。ふざけやがって」
その時、青い顔をしてテイトクが呟くように聞いた。
「なあ、ということはこれから戦う魔王の実力は…」
「あの時の魔王は僕たちにわざと倒された、そして今まで貯めていた魔力を加算している、そう仮定するならば…あの時の魔王よりもはるか強いということになる」
全員が言葉を失った。
それは無理からぬことである。魔王城での戦いで全霊を尽くさなかった者など一人もいない。全員が持てる力を全て出し切っていたのだ。それさえも魔王が芝居を打つためだけに利用されたとなると、全力の魔王と戦って勝てるヴィジョンなど浮かぶはずもなかった。
その沈黙は、まるで無限に続くかと思われた。
だが、それは案外あっさりと終わってしまった。クリスティーナが静寂を破ったのだ。
「ねえ、なんか妙じゃない?」
「何が?」
「魔王の一団が首都を目指して進行してるんだとしたら、とっくにかち合ってもおかしくないでしょ? このまま行ったらミデカー村に着いちゃうわよ?」
「確かに」
全員がはっとした。
警備隊や先行した王都の兵士たちがそこまで善戦をしているのか、と頭に過ぎったが、多少の善戦で食い止められる道理がない。魔王だけならいざ知らず、軍団を率いてやってきたと報告にあったはずだ。
そうこうしているうちに魔動車が止まった。森の中に入る道が狭すぎて、これ以上進むことが難しいらしかった。
「構わない。もう目と鼻の先だ、自分たちの足で行く」
ラジェードのその言葉にパーティ全員の表情が引き締まった。
いくら弱気になろうとも、どれだけ恐ろしかろうとも自分たちしか勝ち目のある戦いを出来る者などいないのだと、それぞれが口にこそしないが、そうやって自分を鼓舞していた。
(ザウルッ! お願いだから無事でいて)
そう願いながら、リーザレフは真っ先に駆け出したのだった。
森に魔物が潜んでいるかも知れないと、勇者たちは警戒しつつも全力で森を抜けた。
先頭に立つラジェードとリーザレフにとっては自分たちの庭のようなものだ。道がなくとも大体の地形はわかった。
森を抜けた先に、騎士団が固まっているのを目視した。先発した王宮騎士団だ。万が一の可能性にかけて軍事交渉を行おうと、騎士団に同行していた国王と大臣の姿も確認できた。少なくとも命を奪われる事態になっていない事に安心した。
「国王様、ラジェード一行到着いたしました! 戦況はどのような…」
勇者たちはすぐに国王に駆け寄り、戦況を確認しつつ、防衛線を張ろうとした。
だが、あまりにも驚くべき光景を目の当たりにして、全員が全員ともその場に固まって言葉を失ってしまった。
「なんだこれは?」
ミデカー村へと続く原野や牧草地には、無数の魔物の亡骸が死屍累々と転がっていた。
正しく戦場と飛ぶに相応しい光景であるが、王宮側の騎士たちは死人はおろか怪我人さえ出ていない。その上、皆で呆けたようにただ突っ立っているばかりである。
そして国王軍たちが皆で一様に、同じ方向を見ている事に気が付いた。
勇者たちが目をやると、正真正銘の魔王が恐ろしい形相を浮かべこちらに向かってきている。
「見て」
「魔王っ…!」
ラジェードを先頭に全員が武器を構え、迎撃態勢を取った。
しかし、魔王と衝突することはなかった。
すでに魔王は別の者と戦っている最中だったのだ。
「行かせるかぁっ!」
「ぬぉぉぉ!!!」
魔王は勇者たちを苦しめた、魔王だけが使える黒炎の火球を放った。紛れもなく魔王のとっておきの魔法だったのだが、その奥義を使ったのではなく、焦りから使わされたという事に衝撃を受けたのは勇者のパーティだけだった。
けれども勇者たちは更に驚く。
その黒炎の火球を風船を割るかのようにいとも容易く打ち消して、なお魔王に飛び掛かる男がいたからだ。
「な、何なのだ貴様は!?」
息を切らせながら、心底焦った顔の魔王がそんな事を尋ねる姿は、かつての魔王城で会った時のそれと比べると、あり得ない程に滑稽だ。
男は農作業用の鍬をまるで槍のように構えて名乗りを上げた。
「ミデカー村のザウルだ」
◆
結局、遅れてきた勇者たちも先に来ていた国王軍と同様に言葉を失い、ただザウルと魔王の闘いの様子を傍観するしかできなかった。
その内に国王が寝惚けた様な声で近くにいたラジェードに尋ねてきた。
「勇者よ。あれは本当に魔王なのか」
「…はい。確かに魔王です」
「その魔王が、まるで子ども扱いではないか…」
事実、魔王はまるで手も足も出ていない。だが漂ってくる魔力の大きさは、勇者たちの予想通り、魔王城で戦った時よりもはるかに大きく強くなっている。ただ、それが霞んで見える程ザウルの潜在している力の威圧の方が上だ。
「ま、ザウル君ならば当然でしょうな」
誰もが理解が追い付いていない中、大臣だけがさも当然である、というような態度でそんな事を言い出した。
それには国王もかつて誰にも見せたことのないような顔で反論した。
「だ、大臣よ。貴様、あの者の実力を知っておったのか!?」
「勿論でございます」
「そ、そ、それではなぜ、あれ程の実力のある者を始めから魔王討伐に行かせんのだっ」
国王の尤もすぎる意見に、大臣は激昂して言い返す。
「陛下! お言葉ですが、無理を言わないでくださいませっ! 我が国の農作物と畜産物の自給率の実に95%は彼の強靭かつ底なしの体力、卓越した生命魔術による自然管理能力、動植物の品種改良を実現できる知識と発想、家畜や作物を狙う害獣や魔物を撃退できる戦闘スキルとによって賄われているのですよっ。魔王討伐という名分があるとは言え、彼にこの国を出て行かれてしまっては、我がアリナミド三百余万の民は三月も経たぬうちに飢え死にしてしまいます!」
鬼気迫る物言いに、国王はおろか勇者たちも騎士たちも圧倒されてしまった。
「な、なぜ…そこまで農産に人手がない? 由々しき事態ではないか」
「第一次産業の人手不足については、再三にわたって申し上げていたではないですか。それなのに陛下と来たら、魔王討伐に執着するあまり武芸魔導の人材育成ばかりにご執心され、他の方面においては満足な予算をくださらないばかりか、挙句の果てに貴重な人材すら奪っていったではないですか」
「だって、どうしても魔王討伐したかったんだもん…」
国王はしょんぼりと小さくなってしまった。
それを尻目に大臣は鼻高々にザウルの方を見て言った。
「しかし彼をここから離すことが出来ぬのに、魔王の方からやってきてくれるとは…願ったり叶ったりとはこの事ですな」
大臣は得意げに笑う。その間にザウルの鍬での一撃は魔法を切り裂き、魔王の胸に見事に決まったのである。
「ぐわぁぁぁ!」
「あ、魔王やられた」
こうして世界に平和が訪れた。
暗雲は消え去り、再び晴れ晴れとした青い空が世界を包んだ。
ザウルは首に巻いていたタオルで汗を拭うと、
「ふう。やっと片付いた」
と、呟く。
すると休む間もなく自分が倒した魔物たちの片付けを始めたのだった。
こうなっても尚、動けない国王軍であったがザウルのもとに駆け寄る者が二人いた。ラジェードとリーザレフだ。
「ザウル」
「え、リーザレフ!? それにラジェードも」
そこでザウルは少し離れたところに国王軍たちがやってきている事に初めて気が付いた。国王や大臣の姿が目に入ったので、少し焦った様子でペコリと一礼した。
「あれ? 凱旋パレードは? 終わったの?」
「魔王がリアトレイ村近くに出たって言うから心配になってね」
「そっか。ありがとう」
ザウルは久しぶりに帰ってきてくれた幼馴染二人の顔を見ると、少し照れくさそうに笑ったのだった。話したい事は山積みだったのだが、何となく恥ずかしくて魔物の片付けをしてそれを誤魔化そうとしている。
「魔物の後片付け、僕も手伝うよ」
「わ、私も」
「いいよいいよ。長旅で疲れてるだろし、また王都に戻るんだろ? パレードだってまだみたいだし、泥だらけになっちゃうよ」
「僕が手伝いたいって言ってるからいいんだ。けど、確かに汚す訳にはいかないから、そこの君の替えの作業着を貸してくれ」
仕切り用の木杭に掛けてあったザウルの予備の作業着を勝手にとると、ラジェードは鎧を外して服を脱いだ。
その様子を見ていた騎士たちはどよめきたった。キルトの下着を付けて肝心なところは隠れているとはいえ、うら若き乙女が目の前で肌を出しているのだから仕方がない。
「え…ラジェードって女だったの?」
ボリヴァーは唖然としながらぼそりと声を漏らした。
「…あんた、一年近くも一緒に旅してて気が付かなかったの?」
「…ぜんぜん」
「だっさ」
勇者と聖女は元より、事実上、国と世界とを救ったザウルがせっせと戦いの後始末をしているのにばつの悪さを感じたのか、騎士団の騎士たちは一人また一人と魔物や荒らされた畑の手入れなどを手伝い始めた。
そうすると、ザウルの手際の良さと常人離れした体力とに再び感嘆の息が漏れるのであった。
「おい、リーザレフ。力仕事むいてないんだから、無理するなって」
「そうそう。僕とザウル君に任せておきなよ」
「二人きりにさせられない…」
ひいひいと肩で息をしながらリーザレフはニタニタ顔のラジェードを睨みつけた。けれどもラジェードはどこ吹く風で、ザウルの傍にくっついている。
「それよりも本当に王都にすぐ戻らないなら、ご飯作ってもらいたいんだけど。やっぱりリーザレフの作った料理食わないと、オレ本調子が出ないよ」
(((アレで本調子じゃなかったのか…)))
ザウルの声が聞こえた連中は皆でそう思っていた。
その言葉を聞いたリーザレフは曇っていた顔が一気に明るくなり、溌剌として言う。
「任せといてっ。とびっきり美味しいの作るから」
「そ、それなら僕も…」
何やら得も言われぬ危機感を覚えたラジェードは、リーザレフについて行こうとしたが、ザウルに呆れたように止められる。
「…いや、お前の料理はいいや」
「くっ」
試合に勝って勝負に負けた様な気になったラジェードは悔しそうにリーザレフを見た。そこにはとても聖女とは思えないような黒い笑顔のリーザレフがいた。
それでもツカツカと歩み寄って、小声で耳打ちする。
「リーザレフ。何度も言うけど、僕は諦めないからね」
「! 私だってっ」
何を話しているのかはよく分からなかったが、無事に幼馴染二人が帰ってきてくれたことがザウルはこの上なく嬉しかった。そんな二人のやりとりをほんの少しだけ笑顔で見ていた。
はぐれ農家は片田舎で幼馴染を憂う 音喜多子平 @otokita-shihei
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