「――会長、あなたは何を求めているのですか」
生徒会塔の屋上の温室は、一度目の来訪のときと同じように夕焼けの色に染まっていた。
「やあ、キミか。生徒会に入る決心はついたかな?」
「いえ。ですが、一つ尋ねたいことがありまして」
婉然と微笑む星燃に対し輝星は首を振りながら、小さなティーテーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろすと夜の色に染まりつつある天頂を見上げた。至近距離から星燃の顔を見たら、また前のように彼女の美しさに呑まれかねない。
「――会長、あなたは何を求めているのですか」
星燃からの返答はなかった。ただ、気配で話の先を促されているのはわかった。
「会長からお誘いを受けたあと、いろいろと聞き込みをしてまわりました。なるほど確かに全生徒、それどころか職員からの敬意を勝ち取るだけのものがある」
聞き取りに応じてくれた生徒や教員は、たしかに星燃に心酔しきっている様子だった。だが、語られる内容を聞く限り、正常な判断能力を奪い去るほどの美貌を抜きにしても彼女の積み上げた実績はそれだけの敬意を勝ち取るに足るものに思えた。
「そして、その実績はすべて貴方自身が直接関わったものだ」
だが、それらはすべて星燃本人が交渉を行い、あるいは懐柔し、声をかけて取り込んで生み出したものだった。どれ一つとして、後輩や生徒会の他の人間を動かしたりして実現させたものではない。
「――ですが、そのためには相当の負担がかかるはずだ。こうやって生徒会長室を屋上に置いているのも、それを悟らせないためなのではないですか?」
そうなれば、相当の仕事量を抱えているはずである。生徒会長がどれだけ優秀な人間だったとしても、幼なじみが口にしたように満足な睡眠時間を取れるようには思えない。
しかし、そのことについて口にした人間はいなかった。だとすれば、徹底して情報を隠してそのことを悟らせていないという推理もできる。
初夏の日没時刻ともなれば生徒の強制下校時刻までそれほどの時間もない。現に、ここまで来る途中に覗いた生徒会室はすでにもぬけの殻となっていた。それなのに、輝星が訪れたとき、星燃は当然のように屋上の生徒会長室で執務をしていた。
「それだけならまだ敬意に足る、仕事熱心な生徒会長だというだけかもしれません。――ですが、相当の手間をかけて敵対者を取り込むところまで行くと、それだけでは説明ができない」
不良を鎮圧することはまだ理解できる。因縁をつけられて返り討ちにしたのか、あるいは校内が荒れているのはいろいと不都合だったのか。どちらにしても不思議なことではない。
だが、生徒会長選挙の対立候補を取り込むことについてはいくら話を聞いてみても解せないものがあった。選挙戦を繰り広げたといっても、事実上星燃が一方的に蹂躙したようなものであり、仮に放置したとしても彼女の権勢を僅かなりとも脅かせるような要素があるとは思えなかった。そしてその割に、副会長を取り込むために相当の手間がかけていたらしいことが、生徒会役員たちの話から伺えた。
「ですので、こうやって聞きに来たのです。あなたが、何を求めているのか、いや――あなたがしてきたこと、していくこと、その先に何が残るのですか」
輝星の問いに対する星燃の答えは簡潔だった。
「平和な世界さ」
「では、そのとき貴方はどうなるんですか」
輝星が重ねた問いに、星燃は明らかにとぼけた口調で応じた。
「さあね」
「とぼけるようなら言ってしまいましょう」
数分のうちにすっかり夜の色に塗り替えられた空から視線を外し、星燃に目を向ける。
「そこに至る過程で燃え尽きて、貴方自身は何も残らない――違いますか?」
輝星の問いに、星燃は微笑みを浮かべた。「美しく」はあるが、仮面をかぶったような笑みではない、前に顔を合わせたときにもその片鱗を見せた、相手を見定めるような笑み。
おそらくは、彼女の素の部分が――あるいは本性がわずかに覗いた笑み。
「そうだとして、キミはどうする?」
「……別に、どうもしません」
その表情を今すぐスケッチしたい気持ちを抑えながら輝星は首を振った。実のところ、こうやって生徒会長室に来たことに答え合わせのためであって、何かを要求するために来たわけではなかった。推測を投げつけたときの星燃の反応が目的であった。
「ふぅん。ここまでたどり着いたのはキミが初めてだからね。いくらかの褒美くらい与えるにやぶさかじゃないんだがね」
星燃の反応に、輝星はわずかに目を伏せた。求めるものはないわけではない。遠くから見ているだけでは、彼女の本性が覗く瞬間をそう何度は捉えられない。できるならば、角度を変えて何度もその瞬間を写し取りたかった。
「……強いて言えば、特等席からその様を見ていたい、というくらいでしょうか」
「なるほど。つまりこれから先ずっと、私の隣に立っていたい、と」
「……仮に特等席がそこならば、そうなりますね」
輝星の答えに星燃は笑みを深め、大きく上体を乗り出した。二人の間に置かれたティーテーブルは小さく、それだけで星燃が輝星の耳元でささやくような姿勢になる。
「ふぅん――つまりキミは、私の恋人になりたいというのかな」
予想もしていなかった言葉に、輝星の動きが止まった。
「あ、いや、そういうわけでは……」
「別にかまわないさ。、ご褒美に、恋人にしかできないことだって喜んでしてやろう」
するりともとの席に腰を下ろした星燃は、狐のような笑みを浮かべた。
「――だから生徒会に入らないか? キミの推測したとおりさ、私は敵対しそうな者、あるいは私の美になかなか呑まれないものは目の届くところに置いておきたいのさ」
真正面から顔を覗き込んでくるその姿は、黄昏時の暗がりの中でも魅力的で――
――「美しさ」とは違う、何物をもの飲み込んでしまいそうな妖しさをまとっていた。
温室の中にいるにも関わらず、ぞくりと寒気を感じて輝星は腕をさすった。しかし、頭だけは溶けるように熱い。一度目に勧誘を受けたときに感じたものと似た熱だった。気を抜けば、熱にうかされるままに頷いてしまいそうになる。反射的に目をそらし、蹴るようにして席を立つ。
とっさに目についたホースを己の顔に向け、水道の蛇口を捻った。冷たい水の奔流が叩きつけられる。寒気も、溶けるような熱も消え去る。
「――いいえ。入りません」
「……なかなか面白い奴だな、キミは」
正面から顔を見据えながら断ると、星燃はあっけにとられたような表情を浮かべた。
「自分で言うのもなんだが、世界一の美女のお誘いで、性別問わず美しさだけで相手を屈服させられる人間にここまで迫られておいて流されないとは相当のものだぞ。まあ、ここまで奥の手を出したのは初めてだから、私が不慣れだったというだけかもしれないが」
「いえ、たしかに魅力的ではありました。こうでもしないと正気を保てないほどに」
そう応じながら軽く首を振ると、ぽたぽたと水が滴る。星燃は苦笑しながら、どこからか取り出したタオルを差し出した。
「それで正気を保ててるのも十分特殊だよ。何がキミをそこまで駆り立てる?」
「ただ、美しいものを写し取りたいだけです」
わずかにためらってから、タオルを受け取ると輝星は答えた。
「貴方ほどの人が燃え尽きていくのは、燃え尽きながら美しい仮面から本性が覗く瞬間は美しいでしょうから。――いえ、燃え尽きなかったとしても美しいでしょうね」
そう言ってタオルで頭を拭くと、輝星は頭を振る。すぐ返してしまうべきか、わずかに迷ってからタオルを差し出す。
「ですが、こうして話してみて、少し考えが変わりました。燃え尽きるのは少々惜しい。本性が覗く瞬間を写し取れればいい――ですが、多少なりともマシな末路になるよう手を貸したくなりました」
星燃はタオルを受け取りながら、ニコリと笑みを浮かべた。
「そうか、じゃあつきあってくれ」
「え?」
――つまりキミは、私の恋人になりたいというのかな
耳元で囁かれたばかりの言葉が蘇り、輝星は思わず硬直した。それを見て取ったのか、星燃はくすくすと笑う。
「キミの言う末路までの話のことだ。隣に立ち、手伝いたいのだろう。だが別に生徒会には入らなくていいさ」
「ああ、そういうことですか」
それならば、否やはない。輝星が頷くと、星燃は「しかしそうだ、そうとなると表向きの立場がいるな……」と顎に手を当てた。
「副会長だったら手頃だったが、あれはもう与えてしまったし、かといって書記程度の役職では度々キミを呼び出してはあちこちの不和のもとになるし、変な誤解を招きかねない、それにキミは生徒会には入りたくないようだしな――ああ、そうか」
良いことを思いついた、と言わんばかりに手を打った輝星が、口角をつり上げる。
「恋人、というのはどうだろう。それがいい、変な誤解を招くくらいなら、初めからそう言い切ってしまったほうがよほど平穏だろう」「これからは、何かあって関係を聞かれたら恋人だということにしよう」
「は? ……は?」
「なに、私の末路まで付き合ってくれるのだろう? それなら私と付き合ってるのと変わらんし、説明も楽だ」
星燃はそう言うと、ずい、と体を乗り出した。
「もちろん、表向きのものだけだがな。さっき言ったご褒美みたいなことなんてなーんもしてあげないぞ」
「それで構いません」
思わず後じさりしながら輝星が頷くと、星燃がいたずらが成功した子供のような笑みが浮かべた。
「なら、これからよろしくな、彼氏クン」
その身を焼くであろう美しき炎 ターレットファイター @BoultonpaulP92
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