生徒会塔の屋上から見下ろす学園は、夕日を浴びて燃えるような色に染まっていた。

「やあ、連れてきてくれたか。下がってよろしい」

 生徒会塔の屋上、ガラス張りの温室の中に置かれたカフェチェアに腰を下ろした生徒会長が軽く手を振ると、生徒会の役員は恭しく一礼して温室から出ていった。温室の中の暖かな空気に夕刻の冷え冷えとした空気が一瞬混ざり、そしてすぐに希釈される。

「それで、いったいどんな用件なんです」

 向かい側の腰を下ろしながら輝星が尋ねると星燃は婉然と微笑んで、テーブルにひじをついた。温室のガラス張りの壁越しに投げかけられる夕陽が、星燃を真っ赤に染め上げる。

 ――「美しい」な。

 その仕草だけで、思考が麻痺しそうになる。入学式の壇上、新入生の集団の頭越しに見たときとは比べ物にならないほどの近くで見ると、その「美しさ」は暴力的でさえあった。

「さて、キミを呼び出させてもらった訳だが……キミ、入学式で私のことをスケッチしていたね?」

 そして彼女は、声までもあまりに「美しかった」。脳の芯がじんと熱くなり、とろけるような気持ちで頷くと、星燃の口元がつり上がった。頬がわずかに盛り上がり、口元が影に沈む。

「――生徒会に入りなさい」

 それは、入学したばかりの一年生に与えられるには、あまりにも大きな栄誉。生徒会の地位が極めて高いこの学校においては、積める経験も、進学先も、生徒会の末席に加わるだけで段違いのものになるのだ。

 高揚感に胸が躍る。自分が、そのような栄誉を受けて――そしてこれほどに「美しい」人物を間近から見ることができる。それは、入学式で初めてこの人の「美しさ」を目にしたとき以来の願いであるようにさえ感じられた。

 思わず喉から漏れた「いいのでしょうか」という言葉に、星燃は笑みを深めた。

 地平線の向こうに没しつつある夕日を浴びて燃える炎のような色に染まった、一見すると有望な生徒を口説き落とそうとする熱心さと、それが成就しつつあることを感じて喜びの色が隠しきれない、そう見える表情。

「入学式でキミが目に留まってな。ぜひとも生徒会に欲しい人材だと思ったんだ」

 だがその目の奥には――なにか、深い諦観の色が淀んでいるような気がした。

「聞くところによると、君は美しいものを愛していると聞く。ならば、私のもとで働かないか? ――少なくとも、毎日近くから美しいものを見れることは保証しよう」

 その姿はあまりにも美しく――

「キミさえ頷いてくれれば、明日にでも生徒会に席を用意できる。どうかな?」 

 ――一瞬、その姿のスケッチを取りたいと思った。

 思わず片手が、懐のスケッチ帳に伸びる。

 どうやってこの美しさを描こうか、そう考えた瞬間、すっと熱がひいた。生徒会に加わることができるという高揚と、星燃の美によって麻痺した思考が再び回転し始める。

 生徒会に入るということは否応なしにその業務に、その組織に巻き込まれるということである。そうなれば、様々な雑務と人間関係のわずらわしさが襲いかかってくるだろう。

 その代償に得られるものは、学園内のステータスと進学時に活用できる実績、そしてこの生徒会長の「美しさ」を間近で目にし続ける立場。

「お誘いいただきありがとうございます」

 ――割に合わない。

 心の中の天秤の傾きを観察するまでもなかった。面倒な立場の代わりに得られるものが、ステータスと、スケッチするほどの興味も持てない「美しさ」では、写し取りたい美しさを探すための自由の身とは釣り合うはずもない。

 断りの言葉はあっさりと口から出た。

「ですが、浅学非才の身ゆえ――辞退させていただけないでしょうか」

「ほう?」

 輝星の答えに、星燃は一瞬だけ眉をしかめたあと、いかにも意外なものを見たように眉をわずかに持ち上げた。

「生徒会に入るメリットは、俗世に興味の薄いキミでも十分承知のことだろう。それに――こういってはなんだが、この学園の中において、最も近くから私のことを写し取れる立場だぞ」

「それでも、です。私にはあまりにも割に合わない。お誘いいただいたことは感謝しますがお受けすることはできません」

 そう言うと、輝星は腰を上げた。用事は済んだのなら、ここにとどまっている理由はない。

 それに、一瞬だけ目にしたあの表情をここで写し取ることを、この生徒会長は許さないだろう。そんな直感もあった。一礼して、温室の扉を開ける。外から流れ込んだ冷え冷えとした空気が、まとわりつくような暖かさを拭い去る。

「ああ、心変わりしたらいつでも声をかけてくれ。私の生徒会は、キミのような人間にいつでも扉を開けている」

 背後からかけられた声には応えず、温室の扉を閉めた。

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