8.繋がる

第13話く

「なぁ…桜叶。世間って、狭過ぎじゃね?」


愛弓が菊斗宅を訪問した翌日、教室で愛弓はゲッソリした顔をさせながら桜叶に呟く。


「まぁ…そうね」

桜叶はポツリと呟く。


「実は世間ってさ、四畳半ぐらいの狭さなんじゃねーかって思ったわ…」

愛弓は目を見開きながら言う。


「え?四畳半?」

桜叶は目を丸くする。


「そう、四畳半。四畳半の部屋の中を、みんな外側向きながら歩いてて普段は気づかねーけど…四畳半の曲がり角に差し掛かった時、弾みで誰かと顔の向きが合っちまう。部屋が狭いからそれを何回も繰り返しちゃって気まずくなる…みたいなさッ!!」


愛弓、謎の自論を展開する。


するとそこへ、将矢と菊斗がやって来た。


「何の話してんの?四畳半とかなんとか」

将矢がキョトンとする。


「残酷な世間の狭さの話だよ…」

愛弓は眉間に皺を寄せる。


「アハハッ!そうそう!ウチの母さんが勤めてる動物病院に、愛弓が行ってたとはな!世間って狭いよなーッ」

菊斗が嬉しそうに笑う。


「笑い事じゃねぇよ!」

愛弓は険しい顔する。


「でも、世間の狭さで言えば俺も思ったわ。桜叶の母親が俺の父親の再婚相手って知った時」

将矢は感慨深い様子で遠くを見る。


「確かにな」

菊斗も目を丸くする。


すると桜叶がゆっくり口を開いた。


「世間が狭いからとかじゃなくて…ご縁があるから、巡り合うんじゃないかしら」


将矢と菊斗、愛弓は目を丸くさせながら桜叶を見た。


桜叶は続ける。


「偶然と呼ばれるものって、意外と必然だったりするんじゃない?私と将矢も、縁があったから親同士も縁があった…。あっちゃんと朝井くんだって縁があったから、あっちゃんは朝井くんのお母さんとも縁があったのよ。縁があるってことは、始めから決まってた…つまり必然的な事なんじゃない?」


桜叶は将矢達の顔を見回す。


「それって…つまり…」

将矢がゆっくりと口を開く。


「運命ってこと!?」

将矢は目を輝かせながら桜叶を見る。


「…っっ!」

菊斗と愛弓は互いに顔を見合わせ赤くなった。


桜叶は微笑みながら言う。


「嬉しい巡り合わせとか結果的に良かったって思える偶然は、そうやって解釈した方がロマンチックじゃない?」

桜叶はそう言うと、フッと笑った。


「嬉しい…巡り合わせ…」

将矢はそう呟くと、頬をピンクに染めウットリとした目で桜叶に見惚れた。


「確かに」


愛弓と菊斗は同時に呟いた。

すると驚いたようにパッと顔を見合わせ、互いに照れ笑いした。


そんな周りの様子をよそに、桜叶は付け加えた。


「お伽話だって、ご縁を彷彿させるような展開があるじゃない?"あの時助けていただいた僕です"とか、"あの時助けて頂いた私です"とか・・」


「・・っ」

桜叶のザックリとした表現に言葉を詰まらす、将矢、愛弓、菊斗。


「あれもご縁よねー・・きっと。ロマンチックだわ…」

桜叶は目を細め、遠くを見た。


「・・・」


将矢と愛弓と菊斗は、ロマンチックに大雑把な表現をする桜叶を呆然と見つめた。


--


ある日、桜叶達の学校は創立記念日の為、授業は昼までであった。


桜叶と将矢、愛弓と菊斗は、駅前のカフェに立ち寄ろうと四人揃って歩いていた。


すると桜叶は、大通りに面している大福専門店の前で足を停めた。


「ちょっとここ寄って行っていい?」

桜叶はそう言うと、大福専門店の中に入って行った。


将矢と愛弓と菊斗は互いに顔を見合わせ、桜叶の後に続いた。


「うちの母さん、ここの苺大福好きなの。今日…母さんの誕生日だから…」


桜叶はそう言うと、ある白い丸い餅を指さした。


「あ、そうだったんだ!・・ってかこの餅、苺入ってたんだな」

将矢は目を丸くしながら言うと、苺大福に目をやった。


「ここの苺大福、見た目はシンプルなのに、中身がすごいの。増し増しホイップクリームと甘ーい苺がぎっしり凝縮されてるのよ」


桜叶はそう説明すると、店主に苺大福を注文する。


「へぇー…見た目は何て事ない普通の大福みたいなのにな」

愛弓は目を丸くしながら苺大福を見つめた。


「うん、美味しいものは見た目じゃないのよ」

桜叶はそう言うと、フッと笑った。


将矢と愛弓、菊斗は一様にゴクリと喉を鳴らした。


しばらくして桜叶が購入した苺大福を店員から受け取っていると、店内にいた観光客と思われる同じ世代の女子数人が桜叶達を見ながら何やら話していた。


「ねぇ見てー、場違いなヤンキーがいるよ…」


「本当だ…何で美男美女の中にあんなガラの悪い子がいるのー?」


「何か一人だけ浮いてて笑える…」


客もまばらな店内で話す女子達の話し声は、桜叶達の耳に届くには容易い事だった。



愛弓「…っ」


愛弓は俯き肩を縮こませた。


菊斗「アイツら…」

将矢「チッ…」


菊斗と将矢はギロリと陰口女子達を睨んだ。


すると、桜叶が口を開いた。


「外側しか見てないのに全部分かったように言う…」


桜叶は大きめの声でそう言うと、陰口女子達の方を見た。


「…っ!!」

その女性達は驚きながら桜叶を見つめ固まった。


すると、桜叶は静かに陰口女子達の方へ近づいて行った。


「…っっ」

女子達は顔が強張る。


「桜叶…」

将矢や愛弓、菊斗は驚きながら桜叶を見守った。


桜叶は先ほど購入した苺大福を袋から出して見せ陰口女子達に向かって言った。


「今のあなた達を例えるなら…この苺大福の外側の餅だけをかじって、その大福に向かって"あんた、つまらない食べ物ね"って偉そうに言っているようなもんだよ?」


桜叶のその言葉に、その場にいた誰もが目を丸くさせた。


すると、桜叶は続けた。


「そんな事言ってる人って、この大福の中身を知っている人からしたら滑稽でしょ?まさに、今の私がそれ」



桜叶「あなた達を見て滑稽に思うわ」


陰口女子「…っっ!」


桜叶「中身も素性も何もかも分からない人の事について、言わなくてもいいのにわざわざ悪口言って自分自身の価値を下げる…。それって損じゃない?」


桜叶はジロリと陰口女子達の顔を覗いた。


「・・っ」

桜叶の強いオーラに陰口女子達は一斉にたじろいだ。


すると、桜叶は冷めた眼差しを女子達に注ぎながら言う。


「なんか、当たり屋が自分だけダメージ食らってるみたい」


陰口女子達「・・っ!!」


桜叶「笑えるわね」


桜叶は女子達に不適な笑みを浮かべた。


「…っっ」

陰口女子達は、恥ずかしそうに俯いた。


「…っ」

桜叶を見ていた愛弓は、じんわり目を潤ませ唇に力を入れた。


桜叶は愛弓に目を向けると、優しい表情を浮かべながら言った。


「さ、カフェ行きましょ」


桜叶は涼しげに店を後にした。


将矢と菊斗も、陰口女子達に不適な笑みを溢しながら愛弓と共に店を後にした。


「・・・」

陰口女子達は、何も言えずただただ呆然としながら桜叶達を見送った。



「はい、これ二人に」


店の外に出ると、桜叶は愛弓と菊斗に苺大福の入った小袋をそれぞれ手渡した。


「え…」

愛弓と菊斗は目を丸くしながら苺大福を受け取った。


「将矢の分は帰ったらね」

桜叶はそう言うと、苺大福の入った紙袋を将矢に手渡した。


「やった!」

将矢は満面の笑みを浮かべて苺大福を見る。


「え…いいのかよ…、私たちにまで…」

愛弓は申し訳なさそうに桜叶を見る。


すると、桜叶が愛弓に言った。


「美味しいものは、記憶を濾過させる」


「…!」

愛弓は目を見開く。


「さっきのゴミみたいな記憶は、美味しいもの食べれば流れ落ちて消えるわ」


桜叶はそう言ってフッと笑った。


愛弓「ゴミじゃないよ」


桜叶「え?」


愛弓「桜叶が…アイツらに言ってくれた記憶は、ゴミじゃない。綺麗に残る」


愛弓はそう言うと、照れながらも嬉しそうに微笑んだ。


そんな愛弓の言葉と表情に、桜叶も小さく笑った。



「さすがだな…」

菊斗は桜叶と愛弓の二人を見ながら呟いた。


「だろぉ?あれ俺の彼女」

将矢は照れながら桜叶を見て言う。


「知ってるわ」

菊斗はジロリと将矢を見た。


菊斗「つーか、俺も見習わなきゃな…。じゃないと大事な恋人も守れねぇよ」


将矢「それは俺も」


菊斗と将矢は互いに見合うと、気の抜けた表情をさせながら笑った。


--


四人が揃ってカフェに向かい歩いてると、桜叶の母である倖加にバッタリと会った。


倖加「あら。皆さんお揃いで」


愛弓「お!桜叶の母ちゃん!久しぶり!」


倖加「久しぶりね、愛弓ちゃん。元気そうで何よりだわ」


すると、愛弓の隣にいた菊斗が倖加へ挨拶した。


「どうも、はじめまして。俺は将矢と桜叶さんの友人で、愛弓と付き合ってる朝井菊斗です」


菊斗の隣にいた愛弓が顔を赤くする。


「あらそうなの!よろしくね、菊斗くん・・ってことはー…愛弓ちゃんも桜叶と同じで一段階段を上ったってわけね!良かったわね!愛弓ちゃん」

倖加は柔かな笑顔で愛弓と桜叶を見た。


桜叶「・・・」

愛弓「…っっ!」


桜叶はポーカーフェイスを保ち、愛弓は顔を真っ赤にさせ狼狽える。


将矢と菊斗は二人してニヤけていた。


「ところで母さん、どうしたの?こんな所で」

桜叶はすかさず倖加に話を振る。


「あぁ…さっきまで裁判所にいて、これから事務所に戻るところなのよ。あなた達は確か…創立記念日で早かったのよね」


倖加は目を丸くさせた。


「うん。これから四人で、すぐそこのカフェに寄って行くつもり」


桜叶は冷静な表情で淡々と話す。


「そう。あまり遅くならないようにね」

倖加はそう言うと愛弓達に笑顔で手を振った。


愛弓は笑顔で手を振り、菊斗と将矢も笑顔で会釈した。


倖加は、桜叶達とは反対側へ歩き出す。


「あ、そうだ…」

桜叶は苺大福の事を言おうと、振り返り倖加の方に顔を向けた。

すると桜叶は、向こうの方から男が走って来ることに気がついた。


男は怒りの表情で母である倖加を目掛けて走って来るようだった。


「このヤローッ!!」

男は怒鳴りながら拳を高く振り上げ倖加に向かって来る。


桜叶「母さんッ!」


桜叶は咄嗟に倖加を押し退けた。


「…っっ!!」

突然桜叶に押されよろけた倖加は、その場で尻もちをついた。


「…っっ!!」

将矢達も驚き桜叶に目を向けた。


「皆、離れて!!」


桜叶はそう言うと、走って来た男に向け自身の鞄を思いっきりフルスイングさせた。


それはまるで、陸上競技であるハンマー投げでスイングをするかの如く、力漲る大きなスイングであった。


ちなみに…桜叶の鞄の中身は、辞書2冊、ハードカバーの小説本2冊、コミック本3冊、教科書1冊、ノート2冊、パンパンの筆箱1つ…その他諸々であった。


重量オーバー気味の鞄が直撃した男は、砲丸の如く一瞬で吹っ飛ばされた。


「…っ!!」


将矢と愛弓は、すかさず男の元へ走って行き、男を取り押さえた。

そして、将矢は慌てて110番した。


「テメェ…よくも桜叶の母ちゃんに…」

愛弓は力強く男の背中の方へ腕を捻り上げる。


「大丈夫ですか?」

菊斗は倖加へ駆け寄り介抱した。


「・・・」

桜叶は、バッグを地面に落とし呆然と男を見つめていた。


しばらくして警察官が駆けつけ、男の身柄は愛弓から警察官に引き渡された。


「チキショーッ!お前がアイツの弁護なんかしなきゃ、俺の息子は捕まらずに済んだのによ!俺がどんな思いで息子の為に…っっ、苦労して隠した帳簿まで見つけてきやがってッ!!」


男は、弁護士である倖加に逆恨みしているようだった。 


母の倖加は立ち上がり真っ直ぐな眼差しで男に向け言った。


「往生際が悪いですね。あなたのした事は、子どもの為ではなく自分の為。これからは子どもに対する親の愛と、単なる自己愛を履き違えないよう…厳しく訓練なさることをお勧めします」


「チッ…」

男は両肩を警察官に抱えられながら連れていかれた。


すると、桜叶と将矢は犯人の男を見ながら妙な感覚を覚えた。


"あれ、この男…どっかで見たことあるような…"


「・・・」


将矢「電車で吠えてたじじい!」

桜叶「電車で吠えてた人!」


そう…その男は、以前電車の中で将矢に怒鳴り散らし桜叶から豪快に散らされた男であった。


まさか…またも同じ人間とこんな形で再会するとは…。


すると将矢は、以前桜叶が話してた大雑把なお伽話を思い出す。


"あの時助けられた僕です"


「いやいや、これじゃ…あの時やっつけられた僕です…じゃねぇかよ!!」

将矢は思わずツッコむ。


「・・・」

桜叶は、ロマンチックのかけらもないこの展開に絶望した。


すると、将矢は連行される犯人の男を見ながら思った。


"待てよ…?こいつ…わざと桜叶の攻撃を喰らいに?まさか…あの時の電車で、何かに目覚めてMになったんじゃ…"


将矢は、あさっての方向に考え始め震えていた。


--


桜叶達一同は警察署で事情を説明し、警察署を後にした。


「母さん、今日はもう帰宅したら?」

桜叶は倖加を見る。


「私、今物凄くやる気がみなぎってるの。私のやる気スイッチって、きっと尻にあったのね」


倖加は、先程の事などどこ吹く風と明るい表情で話す。


「…っっ」

愛弓と将矢と菊斗は、そんな倖加に目を丸くさせた。


「・・・」

桜叶は俯く。


倖加は、心配そうにする桜叶を見ると口を開いた。


「大丈夫。8時には帰るわ。純さんのハンバーグ、早く食べたいし」


倖加はそう言うとニッコリ笑った。


「今日ハンバーグなの?」

将矢が目を丸くする。


「私にはね、いつも純さんからの当選メールが来るのよ。これ見ると楽しみで仕事がはかどるの。今日は私の大好物」


倖加はそう言うとニッコリ笑った。


将矢と愛弓と菊斗は力の抜けた顔をさせ小さく笑みを溢す。


桜叶は真っ直ぐ倖加を見つめた。


「皆、今日は本当にありがとう。あの時間、あの場所で…あなた達に会えて良かったわ。きっと、私を守ってくれたのね」


倖加はそう言うと、空を見上げた。


「・・・」

将矢と桜叶は、つられて空を見上げる。


愛弓と菊斗は、互いに顔を合わせると安堵した表情をさせた。


「それじゃね」

倖加はそう言うと、軽く手を挙げ事務所の方へ歩いて行く。


「母さん!」


桜叶は倖加に向かって叫んだ。


倖加は驚いたように振り返る。


桜叶は真っ直ぐ倖加を見て言った。


「苺大福、あるから。誕生日…おめでとう」


桜叶は照れくさそうに目を逸らした。


倖加はフッと口元を緩め小さく笑うと言った。


「ありがとう。やったぁ!その苺大福でさっきの男の記憶は濾過できるわね!この先も私は、毎年誕生日が来たら…きっと今日の勇敢なあなた達の姿だけを思い出すわ」


倖加は弾けるような笑顔で桜叶達に手を振り、事務所に戻って行った。


将矢達は互いに顔を見合わせ微笑んだ。


すると、桜叶がポツリと呟いた。


「まさか…カフェに行くつもりが警察署に行くことになるなんてね」


「それにしても…桜叶の鞄、良い所に当たってたなぁ…」

愛弓は苦笑いする。


「あれ、本物の球だったら間違いなくホームランだったな」

将矢も苦笑いした。


「まぁでも…アイツ自身の玉は、ホームランどころか…あの世に…」

菊斗は身震いしながら言う。


「おぃ、変な想像すんな!下品だぞ!」

愛弓は菊斗を小突く。


将矢と桜叶は小さく笑った。



「じゃ、おつかれ」

「じゃあね」


桜叶と将矢、愛弓と菊斗の二組はそれぞれ別れた。


家までの道のり、桜叶は少々浮かない表情をさせていた。


そんな桜叶の様子を察して、将矢が声をかけた


「ちょっと、そこ寄ってこうぜ」


将矢は、通りかかった公園のベンチを指差した。


桜叶は目を丸くさせ将矢を見ると、将矢は優しい眼差しで桜叶を見ていた。


ベンチに座ると、将矢が桜叶の顔を覗きながらたずねた。


「大丈夫か?」


すると、桜叶は重い口を開いた。


「私の父さんもね、今日と同じような感じだったみたいなの…。走って来たひったくり犯に殴られて…打ちどころが悪かったみたいで…そのまま…会えなくなっちゃって…」


「・・っ!」

将矢は初めて聞く話に目を丸くし桜叶を見つめた。


桜叶は続けた。


「私の父さん建築士だったの…。父さんが初めて手がけたお店を、父さんと母さんが二人で見に行った帰り道のことだった…」


「…っ!!」

将矢は言葉に詰まった。


桜叶は俯きながら続ける。


「私はその時、友達の誕生日会にお呼ばれしてて一緒にいなかったの…。後で私も父さんの手がけたお店に連れて行ってくれるって…約束してたのに…二度と父さんと一緒に行けなくなってしまった…」


「・・っ」

将矢はあまりの衝撃的な事実に固まる。


桜叶は力なく話す。


「さっきので、あの時現場にいた母さんの気持ちが少し分かった気がした。今回は無事だったけど、あの時は違ったんだって思ったら…胸が苦しくなった」


将矢は桜叶の言葉を聞き、ハッとした表情で桜叶を見た。


桜叶は呆然と遠くを見ながら言う。


「さっき母さんはあんな風に明るく振る舞ってたけど、きっとあの時の事思い出しちゃうから仕事で気持ちを紛らわせに行ったんだと思う」


「・・・」

将矢は呆然としながら桜叶の横顔を見ている。


すると桜叶は、必死で何かを堪えるように言葉を振り絞った。


「あの時の母さんは…どんなんだったんだろう。どんな気持ちだったんだろう…。そう思ったら、息出来なくなるほど…苦しい…」


桜叶の目には、たくさんの涙を溜まっていた。


すかさず将矢は桜叶を抱き寄せた。


「泣けよ」


将矢は続ける。


「我慢しないで、泣いたらいいよ。泣くのは普通の事だろ?」


将矢の言葉を聞いた桜叶は、一気に涙を溢れさせた。


私たちは感情と向き合うのが不器用だ。

だからこそ、その不器用に付き合ってくれる人は貴重である。


桜叶はそう思うと、先程気丈に振る舞いながら仕事へ戻って行く母、倖加の姿を思い浮かべた後に、エプロン姿で夕食を作る義父の純之介を思い浮かべた。

その後、隣で自身に寄り添ってくれている将矢の温もりを噛み締め、さらに涙を流した。


桜叶は将矢の胸に顔を埋めながら、自身の気持ちが落ち着くまで、心に収まりきらない感情と共に涙を解放させた。


--


チーン…


「・・・」


ある日曜日、桜叶は一人、ある人物の仏壇に向かい手を合わせていた。


その人物とは、桜叶の実父である倉地くらち 時央ときおであった。


「珍しいねぇ、今日は命日じゃないのに」


桜叶を見ながら不思議そうに話すのは、桜叶の祖母であり時央の母である倉地くらち 貴子たかこである。

貴子は、現在は桜叶の祖父である一太朗いちたろうと共に過ごしている。

祖父の一太朗は、近所のゲートボール仲間と共に汗を流しに行っているようであった。


この倉地家は、桜叶が住んでる一富士家から八駅ほどの所にあり、電車で三十分圏内の場所である。


「変わりない?」

桜叶は貴子にたずねる。


「えぇ、元気よ。最近のテレビって凄いわね!ボタン一つでたくさん映画が観れるのよ!」


貴子はそう言うと、白い小さなリモコンを桜叶に見せた。

それは、グルグルクロームキャストのリモコンであった。定額制で楽しめるインターネットのストリーミングサービスがテレビ画面でも楽しめるというものである。


「おばあちゃんのとこ、ネッツフレックス入ってるんだ」

桜叶は目をぱちくりさせた。


「えぇ。おじいちゃんが入ってくれたの」

貴子は嬉しそうに笑った。


桜叶は小さく笑みを溢した。


「もう九年経つのね…」

貴子はそう言うと、桜叶の実父である時央の写真を眺めた。


「そうだね…。私が8歳の時だから…」

桜叶も時央の写真に目を移す。


「私はね…今のあなた達が幸せそうにしている事が何より嬉しいのよ。きっと、時央もそう思ってるに違いないわ」

貴子はそう言って、桜叶に微笑んだ。


時央が旅立ってしまったあの時、ひたすら途方に暮れていた倖加と桜叶に、祖母の貴子と祖父の一太朗は言ったのだ。


--


一太朗 「倖加さん…。時央がもういない今、倖加さん達がこれからも生き続けて行く為には、もっと自由である事が必要だと思うんだ…」


貴子 「私たち倉地家と姻族関係を終了しましょう。それで新しく…桜叶ちゃんにとって、新しい父親となってくれるような良い人を見つけなさい。私たちの事は、心配しなくて良いから」


一太朗 「もちろん、これからだって僕らが支えられる事は何でもするさ。でも、僕らが倖加さん達の重荷になる事だけは避けたいんだ…」


貴子 「あなた達にはまだ、これからの未来がある。もっと身軽になってほしいのよ」


--


それからまもなくして、倖加と桜叶は倉地姓から倖加の旧姓である夜明姓を名乗るようになり、祖父母の家とは別の場所に住み始めた。


それでも倖加と桜叶は、時央の命日やお盆などには必ずお墓参りと仏壇に手を合わせに祖父母の家へと立ち寄り、ついでに近況報告などの話をしながら祖父母達と四人で夕食を共にするというのが毎年の恒例であった。


桜叶は少し老いた祖母を見ながら、静かに口を開いた。


「ありがとう、おばあちゃん。私は今、とっても幸せだよ。いつか…恩返しが出来たらいいな」


桜叶はそう言うと、時央の写真に目を移した。


貴子は桜叶の言葉を聞き、小さく笑みを溢した。


「・・・」

桜叶は何かを考えるように、ずっと時央の写真を見つめていた。

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