2.平な世界
第3話
翌日-
「ねぇ…手、離してくれない?」
登校中、桜叶は手を繋いで歩く将矢に声をかける。
「恋約してるんだから良いだろ?まずは手を繋ぐところからお互いを知ってこうぜ」
将矢がサラリと言う。
「いや、本が読めない」
桜叶は真面目な表情で将矢を見る。
「お前さァ…前から思ってたけど、歩きながら本読むのやめろよ。危ねーからッ」
将矢がジロリと桜叶を見る。
「あら、あなたもあっちゃんと同じ事言うのね」
桜叶は目を丸くしながら将矢を見た。
「誰だって言うわッ」
すかさずツッコむ将矢。
「お、お、お前ら…い、一体どう言う事だよ」
するとそこへ、愛弓がやって来て驚愕した表情をさせている。
同時に将矢の親友である菊斗もやって来て声を上げた。
「えぇっ!!な、何?お前、失恋したとか言ってたのに…どうしたんだよ!?」
「あぁ、何か義理の兄妹でも血繋がってなければ大丈夫なんだって。だから失恋じゃなかったわ」
将矢がけろりとした表情で話す。
「ちょ…ちょっと待てッ!それでお前ら…何でいきなり手繋いでんだよッ!」
愛弓が険しい顔をさせる。
「昨日この人に愛の告白をされたんだけど、急に恋人になるには私の頭と気持ちがまだ追いつかないから、とりあえず恋約を結ぶ事にしたのよ。それで手を繋ぐところからお互いを知って行こうって、この人が言うから」
桜叶はポーカーフェイスで話す。
「この人じゃない!将矢!」
将矢はムスッとしながら桜叶に言う。
「あぁ…将矢…」
桜叶が若干照れながら言う。
「…っっ」
将矢はキュンとする気持ちを抑え、桜叶と繋ぐ手に力を入れた。
「ちょっ…」
桜叶は将矢が握る手を凝視した。
「・・は?恋…約?」
桜叶と将矢のやり取りをよそに、愛弓と菊斗がぽかんとしながらたずねる。
「あぁ…恋人の前段階だな。結婚で言うと婚約みたいなもん」
将矢が照れながら話している。
「・・・」
愛弓と菊斗は思わずお互いに顔を見合わせた。
「オィ、お前…ツッコんでやれよ」
愛弓が真顔で菊斗に言う。
「いや、あんたに譲るわ…」
菊斗も真顔で愛弓に呟いた。
「・・・」
愛弓と菊斗はジロリと桜叶と将矢を見て思った。
"恋約も恋人も一緒じゃねぇか…"
「そーいえば一年前のあの時、何で足怪我してたの?」
桜叶は思い出したように将矢にたずねた。
「チャリでこけた」
将矢がポツリと呟く。
「え?」
桜叶がキョトンとしながら将矢を見た。
「学校からチャリで帰ってる時、急に猫が飛び出して来て慌てて避けたら、チャリも俺の足も折れた…」
将矢は恥ずかしそうに顔を逸らす。
「一体どんな避け方したらどっちも折れるのよ」
桜叶は真顔で将矢を見た。
「まぁな…」
将矢は苦笑いすると、続けた。
「あの時、チャリは壊れちまうし歩くのもやっとで、しかたなく近くの駅から電車で帰ったんだよ。帰ったらすっげぇ足腫れてて病院に行ったさ、案の定折れてて…。だから電車ではマジで助かったわ。実はあの時、かなり痛かったんだよね…足」
将矢が照れながら桜叶を見つめた。
「そっか…。じゃあ猫助けて私に助けられたってわけだ…」
桜叶はそう言うと、フッ…と優しい笑みを浮かべながら将矢を見た。
「…っっ!!!」
ドキッ…
将矢は初めて自分に向けられた桜叶の優しい笑顔に、顔を赤くさせガクッと腰を抜かしてしゃがみ込んだ。
「え…」
桜叶は、突然視界から消えた将矢に地味に驚いていた。
「俺…こんなに綺麗に膝から崩れ落ちてく奴、初めて見たわ…」
菊斗が真顔で将矢を見た。
「びっくりした…。落とし穴にでも落ちたのかと思った」
桜叶は将矢をまじまじと見下ろしている。
「…っっ、大丈夫かよッ!この二人!」
愛弓は眉間に皺を寄せながら、将矢と桜叶を交互に見た。
「・・っ」
菊斗は愛弓の言葉に苦笑いした。
ピラミッドの上層部でさえも手の届かぬ存在であった桜叶に陽キャグループの将矢が手を伸ばし掴んだ。これを機に、一気に距離を縮める事になった桜叶達四人なのであった…。
ーーー
キーンコーンカーンコーン…
「おいッ!将矢!どういう事だよッ!!」
「何がどうなって夜明さんとぉーッ!?」
「兄妹になったうえに恋人ッ!?」
「ちょっと…頭が追いつかない…」
「ちょっと将矢。この前は夜明さんとそこまで関わりたいと思わないとか言ってたのに、どうしちゃったのよ!」
将矢のグループメンバーは、一様に騒いでいた。
クラスでは、将矢のグループ以外の生徒達も口々に話し出した。
「何であの夜明さんが…あんな陽キャなチャラ男なんかと…」
「一富士くんと夜明さんなんて、意外な組み合わせだよね」
その日の朝、早速クラスメイトのみならず、他のクラスの生徒達までもが桜叶と将矢の関係を追求した。
「・・・」
周りの尋常ではない騒ぎように、さすがの将矢もたじろいだ。
そして改めて、桜叶が高嶺の存在であった事を思い知る。
自分もそれなりにモテる人間だと認識していた将矢であったが、桜叶に接近した事で途端に不安が増幅し自信が減少していった。
休み時間-
将矢と桜叶にお構いなしで、クラスの生徒達は口々に陰口を再開させた。
「ほんとなのかよ…あの夜明さんが、まさか一富士と付き合い出したなんて信じらねぇ…」
「いくら一富士でも、あの夜明さんが相手してくれるとは思えないよな…」
「しかも義理の兄妹だろ?一体どうなってんだよ…」
「夜明さんもやっぱり一富士くんのチャラさに絆されちゃったのかな?夜明さんも同じ女の子だったってことね…」
「兄妹で恋愛なんて…ましてやあんな一富士みたいなチャラ男となんて…夜明さんも成り下がっちまったなぁ…」
「やっぱり新藤みたいなヤンキーと連んでる時点で、実は夜明さんって落ちぶれた子だったのかも…」
「…っっ」
周りの言葉が徐々に桜叶を下げるような言葉に変わって行き、将矢は自分が堂々と桜叶に関わってしまった事を、今更ながら後悔し始めた。
将矢は何も言えずに俯く。
「・・・」
菊斗は、そんな将矢を心配そうに見つめた。
「チッ…」
愛弓はまたかとばかりに踏ん反り返った。
そんな中、桜叶が静かに口を開いた。
「ねぇ…さっきから私が下がっただの、落ちただのって…一体どこの高さからの話をしてるの?私は今まで、どの高さにいたっていうのよ?」
桜叶は、オープンに陰口を言っていた生徒達を真っ直ぐ見つめた。
「…っっ!!」
将矢は驚きながら桜叶を見た。
将矢の友人である菊斗も呆然と桜叶を見ている。
「えっ…」
陰口の生徒達は桜叶の鋭い眼差しに狼狽える。
「あなた達は今、どのぐらいの高さにいるの?」
桜叶は表情崩さずに一番陰口を言っていた男子生徒にゆっくりと近づいて行く。
「…っっ」
男子生徒は、桜叶の気迫に狼狽えながら後退りをした。
ドンッ!!
桜叶は、男子生徒を壁際に追い込むと力強い壁ドンをした。
「…っっ!!!」
その男子生徒は硬直する。
将矢や周りの生徒達も桜叶の行動に目を丸くする。
「私もあなたも…ずっと同じ地面に立ってるわよね?これ以上、どこに落ちるっていうの?」
「…っっ」
周りの生徒達は驚き固まっている。
すると桜叶は、すかさず大きな声で言った。
「私がどんな状況になろうが、誰と付き合おうが…人間下がったり上がったり、落ちたり昇ったりなんかしないよ。人の事何だと思ってんの?私、売り物じゃないんだけど」
桜叶は周りの騒ぎ立てる生徒達を冷たい眼差しで一瞥した。
クラス内は一気に静まり返った。
「…っっ!」
将矢は、以前に電車で助けてくれた桜叶を思い出し顔を赤くした。
桜叶は涼しげな様子で静かに自身の席へ戻って行った。
「分かったろ?」
すると、愛弓が将矢の横に来てこっそりと声をかけた。
「え…」
将矢は驚き愛弓を見た。
「あたしが桜叶と連んでる理由」
愛弓はそう言うと、フッと笑いながら将矢を見た。
「…あぁ…」
将矢も顔を綻ばせ小さく頷いた。
「・・・」
そんな愛弓と将矢の様子を菊斗が呆然と見つめていた。
ーーー
昼休み-
「一富士、ちょっとツラ貸せよ」
桜叶の居ない教室に一人現れた愛弓が、キリッとした眼差しで将矢に声をかけた。
「・・っ」
将矢は愛弓の殺気にたじろぎながら席を立った。
「・・・」
菊斗は目を丸くしながら将矢と愛弓を見送る。
「オィオィ…将矢の奴、ついに新藤にシメられるんじゃないか…?」
「夜明さんに近づいたから…」
「えー!将矢くん大丈夫かなー?夜明さんなんかに手出しちゃうからぁ」
「おぃッ!お前ら…」
菊斗は周りの生徒を制止すると、二人が出て行った入り口を見つめた。
ーー
愛弓と将矢は人目のつかない場所までやって来た。
するとすかさず愛弓が口を開いた。
「一富士、お前…さっきので分かったろ?桜叶はさ、あたしらみたいなのを守る為だったら戦うんだよ」
「・・!」
将矢は驚いて愛弓を見た。
「でもアイツは、自分に向けられる攻撃に関しては戦わねぇ。ウチらみたいな奴が悪者にされるのは黙ってないくせにさ…自分に矛先が向かう時は黙ってんだよ。自分が悪く言われるのは良いって…アイツは思ってる」
愛弓はいつになく真面目な口調で話す。
「…っっ!」
将矢は驚きの表情をしたまま、黙って愛弓の話を聞いていた。
すると、愛弓は真っ直ぐと将矢を見て言った。
「あたしは桜叶の親友としてお前に言うよ。お前が桜叶と付き合って行くっていう覚悟を見せろ」
「…っっ!!」
将矢は愛弓の言葉にハッとし硬直した。
「お前だって、アイツに助けられてばかりじゃ嫌だろ?あたしもそうだよ。だから今まで、あたしはアイツに向けられる刃をへし折って来たつもりだよ。お前にもその覚悟があるか?」
愛弓はギロリと将矢を睨む。
「・・っ」
将矢はたじろいだ。
「お前はさ、自分で自覚してるかどうかは知らんけど…結構モテんだろ?」
愛弓はため息混じりに言いながらジロリと将矢を見た。
「・・っっ、まぁ…」
将矢は気まずそうに呟く。
「チッ…。それで、詳しくは聞いてねぇから改めて聞くけどよ、今までお前が付き合って来た女と桜叶に対するお前の態度が違いすぎるのは何でだよ」
愛弓な腕組みをしながら将矢を見上げる。
すると、将矢は俯きながら静かに口を開いた。
「・・それは…本当は、ずっと桜叶の事が好きだったからだよ…」
「は?」
「俺が…桜叶に告白しようって決めた時、ちょうど桜叶と義理の兄妹になるってのを知った。だから、気持ちを切り替えようと…必死だった…」
将矢は俯いたまま手に力を入れた。
「だから、来るもの拒まずで好きでもねぇ奴と取っ替え引っ替え付き合ってたのか」
愛弓はジロリと将矢を見た。
「・・・」
将矢は黙って俯いている。
すると、力が抜けた愛弓はやれやれとばかりに言った。
「ハァー…。確かに気持ちは分からなくもねぇがなぁ…。でも、気持ちなんてそう簡単に変わるもんじゃなかっただろ?」
「・・うん…」
将矢は力なく呟いた。
すると愛弓は、将矢に喝を入れるかのように強い口調で言った。
「最初から自分の気持ちが他を向いたままなのに相手に期待させるだけさせといて、最終的にやっぱ無理でした…なんて、相手からしたら残酷だろ!今回は事前にお前が前の彼女と別れてたから良かったにしても…もし別れてなかったらどうするつもりだったんだよッ!悩みが解消されたってなったら、付き合ってる彼女がいたってお前、すぐに桜叶の方に行ってただろ?」
「・・・っ」
将矢はズバリと言われ言葉にならない。
すると、さらに続けて力強い口調で愛弓が言った。
「無謀なんだよ!自分の気持ちを人で試すなんてさ。この先どんな状況になるかわからねぇのに、お前のやり方は浅はか過ぎんだよッ!相手の気持ちになって考えてみろよ。もしお前が、桜叶に同じ事されたらどう思うんだよ」
「・・ヤダ…」
将矢はシュン…となりながら呟く。
愛弓「だろぉ?その女達の中には、お前に本気で告白して来た奴だっていたかもしれねぇじゃん。そう言う奴の気持ちと、お前の桜叶に対する今までの気持ちは何が違うんだよ」
将矢「・・・」
愛弓「ケジメつけて来いよ。この先本気で桜叶と付き合って行く覚悟があるなら、身辺整理ちゃんとしとけ。フられたから良いとか、もう別れてるから大丈夫とか…そういう問題じゃねぇッ。恨みの種になるような根っこを、しっかり狩って来い」
将矢「…っっ!!」
愛弓「その事で、この先どんな形で桜叶に刃が向かうか分からねぇだろ?自分で蒔いた種…きっちりと回収して来いよ。それで…ちゃんと誠意ってもんを見せろ。お前が本当にチャラくねぇってのを証明しろ」
将矢「・・・っ」
愛弓にズバリと言われた将矢は、考えるように俯き固い拳を作った。
ーー
「一富士ッ!大丈夫だったか?新藤」
教室に戻って来た将矢に友人達が声をかける。
「あぁ…大丈夫」
将矢は笑顔で答えた。
「・・・」
菊斗は、将矢がいつもする偽りの笑顔を見逃さなかった。
菊斗は黙って将矢を見つめた。
ーー
休み時間-
「あれ、将矢…。顔どうした?何か赤くね?つーか、腫れてね?」
将矢の周りの友人達は、将矢の顔を見るなり不思議そうに声をかけた。
「そう?別に何ともねぇけど」
将矢はクールな表情で呟く。
「あれ、よく見たら手の跡じゃない?どうしたの?」
「…っっ、ほんと何でもないから…」
将矢は苦笑いした。
「・・・」
桜叶は将矢の様子を不思議に思いながら見ていた。
すると、前の席のイスに座っていた愛弓が桜叶に声をかけた。
「なぁ、紙とペンある?」
「うん、どうしたの?」
桜叶はキョトンとしながら愛弓にペンとメモ用紙を渡した。
「サンキュ」
愛弓はそう言いながら何やらを書き始めた。
キュ…キュ…
「あっちゃん…それ…」
桜叶が目を丸くする。
愛弓は桜叶にニッと笑った。
「おい、一富士」
愛弓はその紙を持ちながら将矢に声をかけた。
「…っっ!」
周りの生徒達は驚きの表情で愛弓と将矢を見つめる。
「認めてやるよ」
愛弓はそう言うと、手に持っていた紙を将矢に差し出した。
「え…」
将矢は呆然としながら差し出された紙を受け取る。
それは、小さいメモ用紙に描かれた愛弓の愛犬である黒柴、コタローの絵だった。
「・・・っ!!」
将矢に差し出された愛弓の絵を見て、その場にいる一同目を丸くした。
「これは友情の証だ」
愛弓が将矢を見ながら言った。
「え…」
将矢は驚きながら愛弓を見た後、チラッと少し離れた席に座る桜叶の方に目を移した。
「…っっ!!」
すると、将矢が目を見開いた。
桜叶が微笑みながら、同じ絵を将矢に見せていた。
「…っっ」
優しく微笑んでいる桜叶と目が合った将矢は、一気に顔を紅潮させる。
「もし街中で絡まれても、それ持ってりゃ大概何とかなるからなッ」
愛弓はそう言ってニカッと笑うと、桜叶の席の方へ戻って行った。
「・・・」
その場にいた者達は皆、愛弓の描く最強カードを少し羨ましいと思うのであった…。
そして、その中にいた将矢の友人である菊斗は、静かに愛弓の後ろ姿を眺めた後、将矢が手にしている愛弓の絵を見つめていた。
ーー
放課後-
「ねぇ、一富士くんって本当に夜明さんと付き合ってんのかな?」
「だって今までの一富士くんだったら、誰かと付き合ってもクールな感じだったじゃん」
「そうそう、夜明さんに対しては全然違うよねー」
「あの夜明さんに何か弱みでも握られてたりして」
「今日の夜明さん、怖かったもんね…」
「もしかして一富士くん、無理矢理付き合わされて夜明さんのご機嫌取ってんじゃない…?義理の兄妹になったからって…」
「確かに!あの新藤さんと連んでるぐらいだもんね!夜明さんも実は陰では悪い事してたりして…」
廊下では、女子達が将矢と桜叶の噂話をしていた。
「おぃッ」
すると、後ろから将矢が声をかけた。
「…っっ!!い、一富士くん…」
女子達はばつが悪そうにする。
「お前ら、そうやって妄想突散らかすのやめろよ?」
将矢はいつになく冷たい表情で女子達を見る。
「え…」
女子達は呆然と将矢を見つめる。
すると、将矢が力強い口調で言った。
「俺が桜叶を付き合わせてんだよッ」
「…っっ!」
女子達は驚いた表情で将矢を見た。
すると、将矢が続けた。
「桜叶にずっと片想いしてた俺の方がベタ惚れなんだよ」
「え…だって、一富士くん今まで付き合ってた子いたじゃんッ!夜明さんにずっと片想いって…」
「だから一人ずつ謝りに行ったよ。桜叶の事を吹っ切る為に、ただ付き合ってただけだったから…」
「えっっ!!」
「俺の事はいくらでも悪く言って良いよ。それぐらい酷い事して来たし。でも、桜叶の事で変な噂流すんじゃねぇよ?俺と桜叶という人間は別だからな」
将矢は厳しい口調で女子達にそう言い放つと、その場を去って行った。
女子達は、何も言えず呆然と将矢を見送った。
「・・・」
将矢達の一部始終のやり取りを、ちょうど目の前にあった女子トイレから出るに出られずにいた桜叶は、静かに聞いていた。
ーー
その日、桜叶と将矢は二人揃って帰宅すると、家にはまだ誰も帰っていなかった。
「ハァー・・…今日は最高に疲れた…」
将矢はソファーに腰を下ろし天を仰いだ。
「・・・」
桜叶はそんな将矢を静かに見つめると、キッチンの方へ歩いて行った。
しばらくして、桜叶がソファーで寝る将矢にぎこちなく声をかけた。
「ま…ま…将矢…」
「・・?」
将矢はキョトンとしながら桜叶を見た。
すると桜叶は、キンキンに冷やした自身の手で将矢の両頬を包んだ。
「…っっ!!冷た…」
将矢は驚きながら桜叶を見つめた。
桜叶は静かに口を開いた。
「今日…歴代彼女達の謝罪参りに行ってたんでしょ?」
「…っっ」
将矢は気まずそうに目を逸らした。
桜叶「痛かった?」
将矢「…いや…。俺が今までしてきた事に比べたら…こんなん…別に」
桜叶「不器用だよね。人間ってさ」
将矢「え…」
桜叶「でも、こうやって…進化していくんだね」
桜叶は優しい眼差しで将矢を見つめた。
「お…桜叶…」
将矢は桜叶に見惚れる。
「何か…その…ありがとう…」
桜叶は恥ずかしそうに目を逸らしながら呟いた。
「え…」
将矢は目を見開いた。
「将矢の誠意は、ちゃんと伝わってるから…」
桜叶は俯きながら言った。
「…っっ!」
将矢は桜叶の言葉に驚いた。
ギュッ…
すると、将矢は思わず桜叶を抱きしめた。
「…っっ!!」
桜叶は驚き固まる。
将矢「ごめん…。まだ恋約ってだけの関係なのに…俺、嬉しすぎて…。俺が浮かれ過ぎたせいで、あんな騒ぎに…」
桜叶「…」
将矢「俺、自分がどれだけ軽率だったか…気づいた。気持ちの抑えが効かなさ過ぎたせいで、結果…桜叶がいろいろ言われて…」
桜叶「…っっ」
将矢「新藤が教えてくれた。桜叶は自分の事に関しては無頓着だって」
桜叶「…っ!あっちゃんが…?」
将矢「俺にも守らせて…桜叶の事」
桜叶「…っっ」
将矢「新藤みたいに、俺もちゃんと桜叶を守るから。だから…ずっと俺のそばに…いてください…」
桜叶「将矢…」
桜叶は、初めて見る将矢の弱々しい姿に驚いていた。
「俺…恋約解消するつもりないから」
将矢が桜叶の肩におでこを付けながら静かに言う。
すると、桜叶はそっと将矢の背中をさすりながら呟いた。
「うん…期待してる」
「…っっ!!」
将矢は目を見開き桜叶を見た。
桜叶は優しく微笑みながら将矢を見た。
「…っっ」
将矢は若干目を潤ませ安堵の表情を浮かべた。
将矢は今にも桜叶と唇を合わせたくなる衝動をグッと堪えると、唇に力を入れ理性に喝を入れる。
「あ…」
すると将矢は、突然ある場面が頭をよぎり思い出したように声を上げた。
「?」
桜叶は将矢の顔を覗いた。
「ねぇ、男に壁ドンはやめて?」
将矢は冷静になり真顔で桜叶を見た。
「え?」
桜叶はキョトンとする。
「今日桜叶に壁ドンされてたアイツ、あの後すっげぇウットリした目してやがった…」
将矢は、あの時の光景を思い出しながら苛立たせている。
「え…」
桜叶は拍子抜けしている。
「桜叶が壁ドンするのも俺だけにして」
将矢はムスッとしながら、桜叶に顔を近づける。
「…っっ!!わ…分かったから…」
桜叶は未だ全く慣れない至近距離での将矢の顔に狼狽える。
「…っ」
将矢は、自分しか知らないであろう桜叶の狼狽える姿に胸を弾ませた。
お互いにドキドキし合う将矢と桜叶は、同居の恋約生活の第一歩を歩み出した。
ーー
「よう、お前ら」
翌朝、愛弓が桜叶と将矢に声をかける。
「おはよう」
桜叶は穏やかな眼差しで愛弓を見た。
「うすッ!姉貴ッ」
将矢が元気に挨拶する。
「…っっ!姉貴って…あたしまでおめぇの
愛弓は険しい顔をさせる。
すると、将矢が愛弓に近寄りこっそり話す。
「姉貴のアドバイスのおかげで…桜叶にも誠意が伝わったみたいだからさ…」
将矢が照れ臭そうにする。
「あそ。そりゃめでてぇな」
愛弓が冷たくあしらう。
将矢「ちょ…もっと喜んでよッ!桜叶の親衛隊としてッ」
愛弓「おまっ…親衛隊って…。よくそんな恥ずかしいこと堂々と言えるなッ!」
桜叶は目の前で繰り広げられている愛弓と将矢のやり取りに目を細めた。
「おはよう…」
すると、桜叶に菊斗が声をかけて来た。
「あぁ、おはよう」
桜叶が菊斗に目を移す。
すると、菊斗が静かに口を開いた。
「何か…良かったのか?俺らみたいなチャラついたイメージの奴が、夜明さんに近づいちゃってさ…」
「え?良かったも何も、別に誰が誰に近づこうと自由じゃない?イメージなんて…ただ誰かの勝手なイメージってだけだし」
桜叶はキョトンとしながら菊斗を見た。
「え…」
菊斗は驚いたように桜叶を見た。
意外とあっさりしている桜叶に菊斗は目を丸くする。
すると桜叶が続ける。
「あぁ、アレか。よく皆が喋ってるカーストってやつ?そもそもあんなのって思い込みの図よね。実際に話してみれば、意外とみんな平な世界にいるのに、勝手に上の階の住民にしたり下の階の住民にしたりして…そうやって思い込んでるだけじゃん。それこそ本当にイメージってだけよね」
桜叶は涼しそうな顔をしながら珍しくよくしゃべる。
「・・・」
菊斗は呆然としながら桜叶を見つめた。
「だからね、今まで何も接点なかっただけなのに関わる事で迷惑だとか…申し訳ないとか、一体誰に気を使ってんの?って話なのよ。周りにいる誰かの為に、私達は存在しているわけじゃないんだからさ…そうでしょ?」
桜叶はそう言うと、菊斗を見た。
「…っ!・・確かに」
渓太は驚いた後、表情を緩めフッと笑った。
「夜明さんって…話せば普通に喋ってくれたんだな…」
菊斗は少々照れながらチラッと桜叶を見た。
「まぁ、私があっちゃんしか話しかけてこなかったから…そう思われるのは無理もないよね」
桜叶は真っ直ぐ前を見ながら話す。
「確かに、だいぶ話しかけづらかったわ…」
菊斗は苦笑いした。
「それは失礼したわね。でも特に意味は無いから気にしないで。別に嫌ってたとかそう言うんじゃないから」
桜叶はクールな表情で菊斗を見た。
「あぁ、うん。それは理解した…」
菊斗は顔を綻ばせながら呟く。
「そう?なら良かった。私ってだいぶ人見知りなんだけど…でも基本的に私は、去る者追わず、来る者拒まずだから」
桜叶がさらりと言う。
「へぇー。それって…新藤も?」
菊斗は目の前で将矢とヤイヤイ言い合っている愛弓を見ながら思わずたずねた。
「あっちゃんも私と同じかもね。でも…私よりも警戒心強めかも」
桜叶は優しい眼差しを愛弓に向けた。
「ふーん…」
菊斗は桜叶をチラッと見た後、愛弓に目を戻した。
「朝井くん…だっけ?あっちゃんとも仲良くしてあげてよ。あぁ見えてあの子、純情派だから」
桜叶はそう言うと、小さく微笑みながら菊斗を見た。
「…っっ」
初めて自身に向けられる桜叶の微笑んだ顔に、菊斗は一瞬ドキッとさせた。
「おいッ!!何話してんだよ、二人で!」
するとすかさず桜叶と菊斗の間を割って入る将矢。
将矢はムスッとした顔をさせている。
「お前って…そんなキャラだったっけ?」
菊斗が冷めた眼差しで将矢を見た。
「何がだよッ」
将矢が苛立ちながら菊斗を見た。
菊斗と桜叶は互いに目を合わせると、小さく笑った。
「ちょ…え、何そのアイコンタクトッ!お前までいきなり桜叶との距離縮めてんじゃねぇよッ」
将矢は菊斗ににじり寄る。
慌てふためいてる将矢に、桜叶は目を細めた。
「やれやれ…。アイツ、陽気なキャラ増し増しだな」
愛弓が将矢を見ながら苦笑いした。
「あっちゃん、ありがとね」
桜叶は優しい眼差しで愛弓を見た。
「はッ?!な、何の事だよ…」
愛弓がたじろぐ。
桜叶「伝わってるよ」
愛弓「え…」
桜叶「あっちゃんの誠意も」
愛弓「…っっ」
愛弓は、桜叶の言葉に胸をギュンとさせられた。
「ハァー・・、お前が男だったらな…」
愛弓が深いため息と共に呟いた。
そんな桜叶と愛弓、将矢と菊斗の四人での登校風景を、周りの生徒達は呆然と眺めていた。
かつて桜叶と愛弓は、生徒の近くを通る度に静まり返る二人であったが、将矢と菊斗が加わる事により、ザワつく四人へと変化を遂げた。
高低差の無い平な世界の中で、高嶺と呼ばれる桜叶に手を伸ばした将矢と、差し出された手を掴んだ桜叶が化学反応を起こし、人間模様に新たな色を作り出したのだった…。
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