第10話 もっともましな終わりに

 陛下もとい高貴郷公の葬儀に、おれと曹青は列席した。曹鈺と曹維は公の柩を乗せた車に随行する役目を仰せつかり、おれたちより先に進んでいる。この役目のために曹維は正式に文官として採用された。

 洛陽の西北にある水べりをめざして車は進む。都の城門を出るその時まで、道には人々が集まり、公の柩を見送った。

「ありゃあ天子さまかい」

「あれまあ、どうして急に」

「ご病気でもなさったかねえ」

「気の毒にねえ」

 そんな話し声が聞こえてくる。むろん、宮殿の周りで戦いがあったことも、賈充の命令を受けた歩兵が公を刺し殺したことも、洛陽の人たちは知らない。この件に関しては一切他言するなとおれたちはきつく口封じされているからだ。

 夏五月だが曇り空で、今にも雨が降りそうだ。柩は深く掘った穴に納められた。人足たちが無造作に土をかけ、その穴を埋めてゆく。

 郭皇太后と荀節、司馬昭と賈充が見守る。

 徐覇は大斧をたずさえて、皇太后と荀節の背後に立つ。

 おれたちが立っていたのは徐覇の真後ろだ。荀節をおれは見る。彼女は疲れきった様子で血色がよくない。

 荀節が目を急に閉じ、ふらついた。徐覇がすぐさま抱き止める。

 郭皇太后が振り返り、荀節に声をかけた。

「いかがいたした。顔が真っ白ではないか」

「申し訳ございません。立ちくらみがして……」

 苦しみに眉目をゆがめていてさえ荀節は美しい。

 郭皇太后がきっぱりと荀節に命じた。

「そなた、曹竜の宅に戻って休め。そこならば楊紅も張潤もおるゆえ、おなご同士、相談もしやすいであろう。体の具合がもとに戻るまで出仕はあいならぬ。これは命令である」

 荀節は悔しそうに紅の唇を引き結んだが、観念したように頭を垂れた。

「お言葉にしたがいまする」

 郭皇太后は荀節の細い両肩を両手のひらで包むとお顔を荀節の顔に寄せ、声をひそめた。

「そなたの苦しみ、わらわが知らぬと思うてか。しかしこれから新たな帝が都においでになればまた、そなたの力が必要となる。今はこらえよ。ただこらえるしかないのじゃ」

 荀節の背中を徐覇がたくましい胸で優しく支えている。荀節の肩が震え、泣き声が漏れ聞こえた。

 郭皇太后は徐覇にもお顔を向ける。

「徐覇。そなたもまことにご苦労であった。そなたが不眠不休でわらわたちを守護したればこそ、荀節は詔書の草案をしたためることができたのじゃ。荀節はわらわの片腕。そなたに預けるゆえ、送り届けてやってたもれ」

 徐覇が力強く答えた。

「承知いたしました」

 荀節が袖でまぶたを押さえる。徐覇がやわらかく言った。

「さ、荀節どの、拙者の馬へ。少し揺れまするが、拙者が支えてさしあげますからご安心を」

「ありがとうございます。申し訳ございません、義道さまもお疲れですのに」

 徐覇が明るくほほえむ。

「拙者は武人でございます。鍛えておりますからこれしきのことではつぶれませぬ」

 荀節が少しだけ笑顔になった。徐覇が荀節を支えて馬へ向かう。

 曹鈺が徐覇に言った。

「それがしが将軍のお持ち物をお運びします」

 徐覇が笑って答える。

「それは助かる。頼んだぞ」

 曹鈺が徐覇から大斧を受け取る。そして徐覇のあとを追う前におれの所に来た。その力強い両目をおれに当て、小声で言った。

「司馬炎のやつ、おれを無視しました。あんなにおれたち、一緒に稽古したり遊んだりしたのに。おれの周りの連中とも目を合わせることすらしませんでした。父親の司馬昭も同じです。それはそうと小耳に挟んだのですが、司馬炎はこのあと新たな帝となるお方を迎えにゆくそうです」

 司馬炎あざな安世。気持ちがよい若者でおれも好感をもっていたのに。親父が親父なら息子も息子だ。おれは曹鈺を慰める。

「縁がなかったということだ。気に病むな。それより帝のこと、知らせてくれてありがとう」

「今度の帝も若いそうですよ。先が思いやられますね」

 言って曹鈺は徐覇と荀節を追いかけた。

 葬儀は淡々と進み、そして終わった。洛陽に戻り、家に向かいながらおれは隣を歩く曹青に言った。

「司馬昭のやつ、今度は蜀を征討しに行くのだとさ。おまえらをこき使ってくれると、おれたちに言い放ったよな」

 曹青が嫌な顔をした。

「どうせ自分は安全な洛陽に居残るのだろうな」

「蜀には諸葛瞻がいる。あいつと戦うかもしれないのか」

「仲権のおじ上もいるぜ。おれの父上と同い年、生きていればの話だけどな」

「こんなに領土を広げてどうするんだよ」

「姜維が毎年のように攻め込んでくるから征討する理由はある。現に鄧士載将軍がいつも司馬昭に蜀征討を進言しているじゃないか」

 鄧艾あざな士載。背丈は高くないけどがっちりした体をもつ将軍だ。姜維を破った功績でこのところ軍議でも積極的に蜀を討てと言いつのっている。

 おれは家の扉を開けながら曹青に言う。

「司馬昭はその進言をいつも苦い顔つきで聞いていたよな。しかし今、司馬昭は自らを武祖曹操になぞらえて行動している。だから武祖が取れなかった蜀を、何としてもものにしたいのだろう」

「軍も強くないし君主も好戦的ではない。簡単に攻略できるだろうな」

 入るなりおれの娘がおれたちをにらみつける。名前は曹灌。彼女は自分の口の前に人差し指をぴっと立てた。

「お静かになさいませ。荀節さまと徐将軍がお休みなのですから」

 おれと曹青は驚いて同時に叫んだ。

「何だって?」

 曹灌は小声で鋭くおれたちを叱りつける。

「ですからお静かにと申しましたでしょ!」

 曹青は声も体も震えている。

「だ、だって、節と徐覇が、ね、寝てるって」

 曹灌はかわいい顔を思い切りしかめた。

「子宇のおじさまったら、何を想像してらっしゃいますの? 別々のお部屋に決まってるじゃありませんか」

 曹青がぼやく。

「まったく、若い娘はこれだから。まあうちの曹絢はもっときついけど」

 すると曹絢がひょいっと顔を出した。長いまつげがふちどる切れ長の大きな目がいたずらっぽく笑う。

「聞こえましてよ、父上。おほめのお言葉と受け取っておきますね」

 ぐうの音も出ない曹青におれは笑った。

 気を取り直しておれは曹灌に聞く。

「二人ともよく寝ているのか」

「ええ。ぐっすりお休みです。もうそろそろお夕食の準備ができますけど、お二人は起こさずにいようとお母さまとお話ししてあります」

「それがいいな。灌、ありがとう」

「お父さまと子宇のおじさまがお帰りだと、お母さまと張潤さまにお伝えして参りますね。あ、おじい様たちはご用があるとかで外出なさいました。詳しいことはまたあとでとおっしゃいましたからあたし、深くはお尋ねしませんでしたけど、よろしいですよね」

「いいよ」

 父上と飛将のおじ上は新たな帝となる数えで十五歳の男の子、そしてその子の父親と一緒に洛陽に戻ってきた。先の帝が亡くなってからおよそひと月が経ち、今は六月である。

 その子の名は曹璜。しかし帝の位を継ぐに当たって曹奐と名を変えた。彼は郭皇太后にまみえると、その日のうちに即位した。

 甘露五(二六〇)は景元元年に改められた。

 即位の儀が済むと父上はおれを呼んだ。宮殿の一画にある小部屋に二人で入る。

 そこには一人の男性が座っていた。背が高い。目は切れ長で鼻筋が通っている。彼は立ち上がり、拱手して名乗った。

「初めてお目にかかりまする。それがし曹宇そううと申しまして、あざなは彭祖ほうそでございまする」

 新たな帝の父親とは、この人、燕王曹宇だった。

 飛将のおじ上と曹青が現れた。飛将のおじ上がにこりと笑う。

「やあ、お待たせしました」

 そして振り返って優しく声をかけた。

「さあどうぞお入りになってくださいませ。お疲れ様でございました」

 十二旒の冠、重々しい衣装をつけた男の子が入ってきた。

「父上、ただ今戻りましてございまする」

 彭祖どのが立ち上がる。

「おお、こう――おっと、今は違ったな。かん、だったな。大儀であったぞ」

「どうにか、やりおおせました」

 頬を上気させているこの子が、この曹奐そうかんが、新たな帝なのだ。

 彭祖どのがおれたちに頭を下げる。

「お世話をおかけし、父として恐縮至極に存じまする。まさかこの子が帝の位を継ぐなどとは寝耳に水でありまして――急ぎ必要と思われることどもは叩き込みましたものの、なにぶん年若いもので、至らぬ点も多かろうと存じまする」

 曹奐も背筋をいったん伸ばす。切れ長の目、通った鼻筋、すらりと背が高い。曹氏の男に共通する凛々しい風貌だ。彼はおれたちに深々と一礼し、述べた。

「改めまして、皆様がた、曹奐と申しまする。今年数えで十五になりまする。まだまだわからぬことばかりですが、何とぞご教示賜りますよう、お願い申し上げまする」

 おれ、曹青、父上、飛将のおじ上も拱手したのち頭を垂れる。

 父上がおれたちに向き直った。

「彭祖どのと曹奐に会いに行った。これはおれの独断でしたことだ」

 飛将のおじ上がにやりと笑う。

「その暁雲について行ったのはぼくの独断。暁雲はよせと言ったのだけど、心配だからね」

 父上が飛将のおじ上に微苦笑を向ける。

「誰を心配していたんだか」

 飛将のおじ上は相変わらず笑顔だ。

「もちろん全員さ。彭祖どの、奐、そして君」

 居ずまいを正し、父上は改めて話し出した。

「間もなく曹魏は終わる。司馬昭か、やつの息子司馬炎が、子桓のように禅譲という形でこの国を奪うことになるだろう。それなら曹氏にとってもっともましな終わりにできるようにするしかないと考えた。曹氏の人々が一人でも多く生き残れるようにする。それができるのはおれと、おれの弟にあたる彭祖どのだけだと思ったのだ」

 彭祖どのがあとを引き取る。

「それがしと暁雲どのは、武祖の――曹操の息子なのです」

 おれのほんとうのじい様である曹操には十三人の妻と二十五人の息子がいた。妻の内訳は一人の皇后、五人の夫人、一人の昭儀、六人の姫である。昭儀というのは地位の呼び名で、本来、皇帝の側室を指す。

 父上が以前言ったように、曹操が助平親父だったからではないだろう。おれたち中原の男は家柄を問わず、一族を存続させるために一人でも多くの子を残さねばならない。曹操は真面目にそれをしたというだけだとおれは思っている。

 彭祖どのは続けた。

「それがしも暁雲どのと同じように考えております。と申しますのも、それがしには取り返せない後悔があるからなのです。元仲をご存じですか。明帝のことです。それがしは彼と仲が良く、彼の死に際に大将軍の地位につかないかと打診されておりました。なれど、なにぶん、それがしには荷が重く感じられ、務まりそうもないと判断いたしまして、断りました。そうしたらば曹爽が専横を始めたではありませぬか。その曹爽も仲達どのが討ち果たしてくださいましたが、息子たちがいけません。司馬師は帝をすげ替え、司馬昭に至ってはこたびの暴挙に及んだではありませぬか。あの時、たとえ荷が重かろうと、なぜ引き受けておかなかったかと、おのれに問わない日はございませんでした。それゆえこのたび暁雲どのからお話をうかがいまして、今立ち上がらないでいつ立つのかと一念発起いたしたのでございまする」

 曹奐が目を見開く。

「父上、そのような強いご決意をなされておいでだったとは。そして――あなたが、私のおじ上」

 父上が優しくほほえみ、うなずいて見せる。

「そうだ。しかしおれの母さんは、夫人でも側室でもないけどな」

 曹奐が今度はぱかっと口を開けた。

「えっ……では」

「これ、奐」

 彭祖どのが曹奐の袖を強く引っ張ってたしなめる。そしてまた父上に頭を下げた。

「暁雲どの、非礼お許しくださいませ」

「いや。いいのです」

 彭祖どのに笑って応じ、父上は曹奐に説明する。

「おれの母さんは、父さんの侍女のままでいたかったのさ。だからあえて夫人としての立場を望まなかったんだ」

 曹奐は若いが、人情の機微にさといようだ。すぐさま真面目な顔つきになって謝った。

「さようでございましたか。不用意な発言をお詫び申し上げます」

「いいんだ。これからは身内として、遠慮なく頼りにしてほしい」

 曹奐が初めて少年らしい素直な笑顔を見せた。

「はい。お願い申し上げまする」

 飛将のおじ上が笑いを消し、卓の上に両手の拳を乗せた。

「ぼくも曹氏の男だ。ぼくの父上が孟徳のおじ上の命を救ったから曹氏の今日がある。だからこの件にはぼくも関わらせてもらっているんだ。まずは司馬昭のことだけど、今、やつは晋公に位を進めないかと打診されている。荀節から聞いたんだ。命令はすべて郭皇太后から出ているし、皇太后が出す詔書の下書きをすべて書いているのは荀節だからね。司馬昭は固辞しているそうだけど、そのうちにどうせ晋王になるだろう。ほんとに形だけは孟徳のおじ上とおんなじだ」

 いったん言葉を切り、飛将のおじ上はおれたちの目を一人一人順番に見る。

「だからもしこの曹魏をやつに譲り渡すとしたら、やつが王となった時だね。ぼくはそう思っている」

 父上がうなずく。

「おれもそこしかないと思う」

 彭祖どのもおれたちに言う。

「それがしも同意見です」

「お待ちください」

 おれは声を上げた。

 父上が目をおれの目に合わせる。

「どうした、竜」

「その前にひとつ、越えなければならない山があります」

 五丈原で別れた、数えで八つの諸葛瞻が眼裏に浮かぶ。それを見ながらおれは言った。

「我々が蜀の征討をできるかどうかです」

 その場にいる全員の視線がおれに刺さる。

「おれは虎豹騎に属しております。だから軍の様子はよくわかります。もしこの先蜀征討の軍を組織するとすれば、任されるのは鄧艾と鍾会になるのは間違いないと思います」

 曹青がおれの言葉を受けて言う。

「鄧艾はこれまでの言動を見るに、独断専行が目立ちます。鍾会は先の帝と関わりが深かったために司馬昭を恨んでいる様子が見られます。現に今も司馬昭を避けているのを見ました。我々ならば蜀軍そのものには勝てます。しかしこの二人が先鋒となるなら、征討したあとが問題だ。確かに竜の心配は当たっていると私も思います」

 飛将のおじ上があごに指を当てる。

「それに蜀には仲権がいる。生きていればの話だけどね」

 曹奐が首をひねる。

「仲権とは」

 丁寧に父上が答える。

「夏侯覇。夏侯淵の息子で飛将の従兄弟だ。曹爽が殺された際に挙兵した。おれと飛将が思いとどまるように説得したが聞き入れなかった。しかし魏軍に敗れ、蜀に亡命したんだ」

 納得した様子で再び曹奐が父上に尋ねる。

「定軍山で戦死なされたあの妙才将軍のご子息なのですね。夏侯仲権どのは、ご存命なのですか」

 父上は言い切った。

「生きている」

 飛将のおじ上が黒目がちの切れ長の目をいっぱいに開く。

「ほんとかい、暁雲」

「ほんとうだ、馥。仲権は生きている。おれは今でも魏軍の間者だ。蜀にも仲間はひそんでいるから知らせは上がってくる。その中に仲権の話もあった。今、車騎将軍の地位についている」

「じゃあ――仲権がもし体が動けばいくさに出るかもしれないということかい」

「妙才将軍のかたき黄忠は七十を過ぎてからも馬に乗り槍を振り回した。年寄りだから合戦場に出てはならぬという決まりはない」

「それならぼくも行くよ」

 飛将のおじ上がきっぱりと言った。

「司馬昭はぼくたちを、蜀征討にこき使うと言っていたよね。それならこき使われてやろうじゃないか。暁雲、君も行くだろ」

「馥、おまえが行くならおれも行くしかない。心配だからな」

「またそうやって苦笑いする」

 おれは曹青と顔を見合わせ、父上に確かめる。

「間者としてゆかれるのですか」

「その通りだ」

 強いまなざしに、おれはそれ以上何も言えなくなった。

 曹青も飛将のおじ上に真正面から向き合う。

「父上、騎射などはまだおできになりますか」

「先帝をあやめた二人を、ぼくが暗い中で射貫くのを見ただろう、青?」

「確かに見ておりました。お見事としか言いようがありません。しかし父上はおん年数えで六十六になられるのですよ。若い者と同じように行軍なさるのは無理がありはしませんか」

「つい先日も暁雲と二人で、彭祖どのと奐を迎えに行って、洛陽まで無事に戻ってきたけどね」

 父上が目を細め口の片端を上げて曹青に言う。

「おれは数えで七十だぞ、青」

 曹青も何も言えなくなり、ななめ上を目だけで見上げた。

「どうぞ勝手になさってください」

 飛将のおじ上が笑って曹青の背中を叩く。

「話がわかるなあ」

 彭祖どのと曹奐がくすくす笑った。


 曹奐が即位してから二年が経った。

 今は景元三年(二六二)である。この年、また魏の領土に侵入した姜維を鄧艾が敗走させた。軍議の場でこの知らせを聞き、司馬昭は愉快でたまらないといった感じで笑った。

「この分なら蜀は簡単に落とせるだろう」

 そこで軍議は終わり、退出しようと腰を上げたおれのところに、司馬昭がにやにや笑いながらやって来た。

「よう、元気か」

 嫌な時に嫌なやつにつかまった。おれは自分の運の悪さを呪う。仕方なく答えた。

「おかげさまで」

「おまえの父親とおじが、蜀征討に出ると聞いているのだが、正気なのか」

 おれは返答に困る。ほんとうのことを言えば二人とも行く気まんまんだ。しかし正直に答えてよいやら迷う。だからこう返した。

「どこからお耳に入ったのでしょうか」

「公閭からさ」

「それがしの父とお話になられたのでしょうか」

「まあ、そこはそれ、いろいろな所からあいつは話を聞いてくるからな」

 これでわかったぞ。司馬昭と賈充は、父上と飛将のおじ上の本心を今おれから聞き出そうとしているのだ。おれは作り笑いで答える。

「以前大将軍からそれがしや曹青らに、蜀征討の際にはおまえたちを使うつもりでいるとうかがいました。その場にはそれがしの父と曹青の父もいたと記憶しております」

 司馬昭の目が一瞬左右に揺れた。

「――ああ、そんなこともあったなあ」

「お召しがあればいつでも我々馳せ参じまする」

 おれは愛想よく答えて背を向けた。

「待て」

 打って変わってとげとげしい司馬昭の声がする。

「まさか武将として参加したいなどとのたまっているのではなかろうな」

 おれは顔を半分だけ向けた。

「誰のことでございますか」

「とぼけるな。李暁雲と曹飛将のことだ」

「我らの父は二人とも武将として、武祖、文帝、明帝のもとで戦いましたが」

「李暁雲は間者ではないか」

「ええ。昔は」

 司馬昭が目を怒らせ、歯を食い縛る。

「もうよい。おまえら親子をこき使うと言ったのは確かにこのおれだ。李暁雲は間者として、曹飛将は父上が作った弓騎兵として、使い倒してくれる」

 司馬昭の父上、司馬懿あざな仲達。最後は国家転覆を企てたやからに対処するため軍を率いた。その後、亡くなった。おれ、曹青、徐覇に、ずいぶん仕事を任せてくれたことを思い出す。

 司馬師も司馬昭も、仲達どのの何を見ていたのだろう。そして今仲達どのが司馬昭を眺めていたとしたら、何を思うのだろう。

 息を切らす司馬昭から、おれは無言で立ち去った。


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