side⑫ - 7

二見の家族は、生まれた時から母親だけだった。

女が身体を売って金を稼いだ代償とでも言うように、【二見 亜蓮】はこの世に生まれ落ちた。若い女の望まれない妊娠。二見の父親は誰かすらもわからない。二見は、己のために身を削って働く母親の後ろ姿を、日の目を浴びない京都の町の、陽の当たらない小さなアパートで毎朝眺めていた。


それでも、二見は母親に愛されて育った。

二見の母親は、子供の前ではいつも気丈に振る舞い、決してその苦労を見せることはなかった。二見は幼い頃から、母親の仕事をなんとなく理解していた。同級生からの心無い言葉、嘲笑、同情の目、そんなものを浴びて毎日を生きていた。


しかし、何を言われても母親のことを恥じたことはかった。なにより、優しく抱き締めてくれる母親が大好きだった。


とある日、二見の母親は珍しく夜に家に帰ってきた。扉の閉じる音で目が覚めた二見は、眠い目をこすりながら布団から這い出し母親の方へと向かった。


その時、二見の目に映ったのは、母親と見知らぬ男の深い口付け。突然の光景に思わず後ずさった反動で後ろに尻もちをついてしまう。深夜の静かな部屋の中に、その音が大きく響いた。


「なんだっ!?」男が明かりをつけに部屋に足を踏み入れる。パチリという音ともに、二見は明かりに照らされた。


「亜蓮......!」


二見の母親はあまりにも悲しい顔で二見の名を呼んだ。男は「お前!騙してたのか??」と怒鳴り、二見の母親を外へ連れて行ってしまった。


次の日、二見の母親は身体中に痛々しい痣をつくって帰ってきた。二見が泣きながら駆け寄ると、二見の母親は、持っていたレジ袋から包装された菓子パンを差し出した。


「お腹すいてんちゃう? これ、食べよか」


乱れた髪、泣き腫らした目元。それなのに、ほほ笑みかけてくる母親の姿。二見はその菓子パンを受け取ることが出来なかった。


「おかあ....さん」


不安そうな顔をする二見を見て、母親はまた悲しい顔をした。二見の手をそっと握り、その手にパンを持たせた。


「あの人な、優しい人やってんけど......亜蓮がうちにおるの知らんくてな、びっくりしたんやって......」


「ちょっとケンカしただけや。なんも心配いらんよ、亜蓮。」そう言って、二見を強く抱きしめた。


二見の母親は強い人だった。しかし、堪えていた感情が一粒ポロリと零れたように、「わたしはほんまに好きやってんけどなぁ」と言った。


それを聞いたとき、二見は気づいてしまった。

己の存在が母親を苦しめていたのだと。そして、己がここに居る限り母親は幸せにはなれないのだと。


それから、二見の母親はさらに多くの時間を仕事に費やすようになった。二見の母親の身体から、痣が消えることはなかった。消えたかと思えば、また新しい痣ができている。中学、高校と成長が進むにつれて二見にもその意味がわかるようになり、より二見の中に罪の意識が募っていった。


俺の事なんか早く棄てて。俺を大切にせんで。

俺の事なんか気にせんと幸せになってや。


そんな思いが膨らみ、二見は高校に上がってから家に帰らなくなった。


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