・4-5 第29話:「遭遇戦:1」

 ベルトラン伯爵の独断専行に近い形で編成されたソラーナ王国の先鋒軍が、火の民の先鋒と最初に遭遇したのは、太陽暦千百九十七年の八月十六日のことであった。


「うむ!

 敵はやはり、複数の村々に兵力を分割し、占領を推し進めながらこちらへ向かっておるのだな?

 よぅし! 」


 偵察に出向き、戻って来た斥候からの報告を聞き、セルビエンテ(昼前)の軽食を道中で見つけた木陰で取っていたベルトランは、愉快そうに膝を叩いて立ち上がった。


 こちらは、ボルカン伯爵家の三千、リンセ伯爵家の二千の、合計五千。

 敵の先鋒も同数の五千。

 兵力としては拮抗している。


 だが、———分散していた。

 火の民はピエド・クラヴィ城からハルディン・デル・トレイ城に向かい途上の村々を占領しながら進むために部隊を一千ほどに五分割し、各地に差し向けている。


 つまりは、各個に撃破できる状態だ。


 数が多い方が勝ちやすい、というのは、多くの人々が感覚的に理解できることだった。

 少数の側が劇的に勝利する、という事例もあるが、それは、[歴史に特筆される]レベルの出来事、すなわち奇跡などに近いものであって、多くの条件が絶妙に噛み合って初めて成立することだ。


 五千のソラーナ王国軍の先鋒部隊が、各地に散らばっている火の民の勢力を襲えば、一般論として勝率は非常に高いものとなるだろう。


 そして重要なのは、双方の損害率は、兵力を集中できるこちら側が圧倒的に小さくなるだろう、ということだった。


 たとえば、一千の敵を排除するために、こちらも一千の損害を出していてはまったくなんの意味もない。

 それではただの痛み分けであり、戦況が王国側にとって優位になったとは言えなかった。


 まして、現在得ている報告では、上陸して来た火の民の戦力は四万以上にも膨らんでおり、これはフェルナンド三世が動員できる総兵力を上回る。

 相手よりも少ない損害でより多くの被害を与えなければ、彼我の兵力差はほとんど縮まることはなく、それではとても、勝ったとは主張できない。

 フェルナンド三世からは「とんだ不手際である」と責められてしまうだろう。


 そう言う面でも、各個撃破できる状況は利用するべきだった。

 多くの場合、兵力差が大きい戦いでは、双方の戦力が同質であり、指揮官の能力が近似する場合、数で上回っている側がより少ない損耗で勝利することができるためだ。


 ボルカン伯爵は歴戦の猛者であり、経験的にそういった事柄を把握していた。

 だからこそ、敵があちこちに分散していることが確実であると判明した瞬間、喜びをあらわにし、———即決した。


「敵が我が方に気づき、兵力を結集する前に叩く!

 皆の者、準備ができた者から、ワシについて参れっ!!! 」


 野太い声を張り上げ、猛った熊が吠えるようにそう命じるや否や、ベルトラン伯爵は兜を身につけると愛馬にまたがり、巨大な諸刃を持つ戦斧バトルアックスを手に駆け出していた。


 共に食事をしていたエリアスのことなど、まったくお構いもなし。

 意見のひとつも聞いてはもらえない。


(まだ、一人前と見ていただけていないのだな)


 その扱いの軽さに軽く失望し、悔しさを覚えながらも、エリアスも立ち上がってヴェンダヴァルにまたがっていた。


「我々、リンセ伯爵家も、ベルトラン殿に加勢いたす!

 角笛を吹き鳴らせ!

 侵略者を追い散らそうぞっ! 」


 そしてそう叫ぶと、騎槍ランスを手に、先駆けて行ったベルトランを追って走り出していた。


 背後で、全軍に出陣を知らせる角笛が高らかに鳴り響く。

 それを耳にし、主君がすでに率先して敵に向かって行ったことを知った将兵は大慌てで戦闘準備を整え、なにかを考える暇もなく前進を開始した。


 こうして始まったソラーナ王国軍と火の民の遭遇戦は、———エリアスたちの圧勝であった。


 ベルトラン伯爵が突っ込んで行った先には村があり、そこには、火の民の一千ほどの集団が駐留していた。

 だが、まだ王国軍との接触は先であると決めつけ、油断していたのかだろう。

 食事をとるためにさらに少数に分散し、焚火を起こして煮炊きし、武器を置いてのんきに談笑したりしていたのだ。


 元々その村に暮らしていた村人たちの姿は、どこにもなかった。

 火の民になにかをされた、というわけではなく、危険を避けるために村の外に避難し、隠れているらしい。


(村人を巻き込む恐れはない……。

 これなら! )


 その状況は、エリアスたちにとって非常に好都合だった。

 騎士として保護するべき村人たちを誤射する心配をせずに、弓を使用することができるからだ。


 真っ先に飛び出して行ったボルカン伯爵だったが、さすがに、単身で敵中に飛び込むという無茶な真似はしていなかった。

 すべて計算しての行動であったらしい。

 彼は兵士たちにできるだけ迅速に戦闘準備を整えさせるため、主君である自らが先陣を切り、部下を急かしたのだった。


「村の一方だけをあけて、包囲せよ!

 弓兵は矢の雨を浴びせよ!

 歩兵は戦列を組み、火の民を押し包めっ!!! 」


 自然な成り行きで、ソラーナ王国軍の先鋒五千はボルカン伯爵の指揮に統一されていた。

 彼に命じられるままに動いた各隊は三方から村にいる火の民を包囲し、盾持ち槍兵の密集隊形を組んで迫りながら、弓・弩を装備した弓兵たちが次々と矢を放ち、雨のように浴びせかける。


 たちまち、火の民の部隊は大混乱に陥った。

 彼らは表面の錆びた鉄製の鎧などを身に着けていたが、略奪で得たものを使いまわしていたり、技術的に未成熟なのか質が悪かったりして、質が悪く防御力で劣っていた。

 加えて、ソラーナ王国軍が用いている弓や弩の中には薄い鉄板であれば容易に貫通できる威力のものが多く装備されており、兜ごと、あるいは胸甲ごと貫かれ、倒れる者が続出する。


 まったく攻撃を予期していなかったところを襲われ、反撃の体制を整えることもままならないまま、次々と味方が倒れて行く。


 そんな明白な劣勢を目にしたからだろう。

 火の民は包囲網に穴があり、脱出経路があると知ると、我先にとそこへ殺到した。


 命がけで戦うと決心している者であっても、誰だって、無駄死にはしたくない。

 このままでは矢に貫かれるか、周囲からじわじわと迫って来る歩兵隊に押し包まれて討ち取られるだけだと思えば、いったん後退して他の味方と合流し、態勢を立て直して戦おうと考えるのは、自然なことだった。


 だが、彼らが最後の望みと思った脱出口は、———罠だった。

 こういった心理が働くことを計算して、わざとベルトランが用意したものだったのだ。


「さぁ、敵は背を見せ、逃げ出したぞ!

 馬を出せ!

 なで切りにしろッ!!! 」


 そう叫ぶと、ベルトランは戦斧バトルアックスを振りあげ、騎乗した騎士たちを率いて突進していく。


 一方的な戦いになった。

 すでに戦う意欲を失い、我先にと脱出口へ向かう火の民の集団は烏合の衆でしかなく、そこへ満を持して襲いかかったソラーナ王国の騎士たちが冷徹に槍を突き出し、剣を振るう。


 相手は、騎士ではない。

 [同じ人間]でさえない。


 古くから根づいて来た火の民への負の感情があるから、正々堂々、公正な戦いを重んじる騎士たちも、戦意を喪失して逃げる敵を討ち取ることにまったく躊躇ちゅうちょを持たなかった。


 ———そうして、戦いは短時間で終わった。

 一千の火の民の軍勢はなす術もなく瓦解し、その多くがこの地で戦死した。

 生き延びた者も四散してしまい、もはや戦力としてはまったく意味のないものとなってしまっている。


 それに対し、ソラーナ王国軍の側に、ほとんど損害はない。


「完勝だ……」


 自身ではほとんどなにもできないままに初陣を果たしてしまったエリアスは、目の前で起きたあまりにも一方的な勝利を、半ば呆然としながら噛みしめていた。

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