・4-2 第26話:「ハルディン・デル・トレイ城」

 リンセ伯爵家の軍勢は、太陽暦(マニュス暦)千百九十七年の八月四日の早朝にイスラ・エン・エル・リオ城を出発し、八月十一日には王城・ハルディン・デル・トレイ城の近くへと到着していた。

 手前でいったん立ち止まったのは、王城に入る前に旅塵で汚れた軍装を整える時間を設けるためで、翌十二日、エリアスたちは入城を果たすこととなった。


 ソラーナ王国のほぼ中央に位置するこの城は、王の住まいとなる王宮を兼ねた城塞部分と、そこに付随ふずいする城下町から成り、灰色の石灰岩で作られた城壁と防御塔を持つ。

 リンセ伯爵領では青く着色した瓦屋根が用いられていたが、ここでは、柑橘類を思わせる鮮やかなオレンジ色の瓦が用いられ、日差しを浴びて明るく輝いている。

 人口は二万人ほど。

 王国でもっとも繁栄している都市でもあった。


 [王の庭](ハルディン・デル・トレイ)という名前の由来は、城塞の内部に設けられた大きな中庭だった。

 時の王によって整備されたその庭の見事さからこの名がついたという伝説があり、このためにソラーナ王国の諸侯の多くはこれに習って、自身の住処に中庭を設けるようにしている。

 一種の流行がそのまま定着した形だ。

 以前は別の名があったそうなのだが、今ではすっかり忘れ去られ、一部の歴史学者たちが覚えているのに過ぎなかった。


 王のおひざ元だから、荘厳な都市を想像するかもしれない。

 しかし、ハルディン・デル・トレイ城は、華麗というよりは、武骨な印象を持っていた。

 城壁の堅牢さの方が象徴的であり、都市には装飾はあまりなく、その繁栄ぶりを誇示するようなところが少ない。


 これは、ソラーナ王国が武を重んじてきた結果だった。

 シアリーズ大陸のもっとも辺境に位置する王国であり、火の民とのいさかいが絶えなかったことから、その抑えとしての役割を自認し、華美な装飾よりも、防御の固さという実が選ばれて来たのだ。


「相変わらず、立派な城だ」


 エリアスはその王国の象徴的な城を眺め、思い出を懐かしむように双眸そうぼうを細める。

 堅固な城壁の上には王家を象徴する太陽の紋章が描かれた黄色い軍旗がいくつもはためいており、日差しを浴びて輝き、城全体が勇壮な雰囲気をまとっているように思える。


 彼がこの城を訪れるのは、初めてのことではなかった。

 伯爵位を正式に引き継いだ際、国王に対してその挨拶をするためにやって来たことがある。

 その時にも城の大きさ、そして威容に感心させられたが、今回もまったく同じ感慨を抱いていた。


 ただひとつ、以前と異なっているのは、城が平時の体制ではない、ということだ。

 臨戦態勢を整えるために、人々が慌ただしく動き回っている。


 シアリーズ大陸の城塞には多くの場合、円形や、四角形をした防御塔が設けられている。

 これには城壁に取りつこうとする敵に矢などを浴びせて撃退するための防衛拠点としての機能があったが、他にも用途があった。


 それは、投石器カタパルト弩砲バリスタといった防御兵器をすえつけるための、強固な土台としての役割だ。


 城のもっとも基礎的な防衛設備は城壁だったが、シアリーズ大陸のそれは、高さがあっても厚みはそれほどないことがほとんどであった。

 街並み全体を囲う城壁を構築するためには多額の費用と長い時間がかかり、そういったコストを支払うことができる場合は、限られていたからだ。


 こういった城壁は敵の侵入を防ぎ、防御側にとって高所という絶好の射撃拠点を与えてくれたが、弱点もある。

 城を包囲した攻囲軍が用意した攻城兵器からの攻撃には脆いのだ。

 たとえば、投石器カタパルトやトレビュシェットから勢いよく放たれる岩石が命中すると、大抵の城壁は耐えられず、打ち崩されてしまう。

 そうなれば敵の侵入を妨げるという機能を失うことになる。


 では、どうするのか。

 こちらも同様の投射兵器を準備し、反撃して、相手の攻城兵器を破壊してしまうのだ。


 城壁部分では厚みがなく設置するためのスペースも強度も不足しているから、防御塔を築いて砲台として活用する。

 平時は維持管理の手間を惜しんでこうした攻城兵器は解体されているが、戦時ともなれば、多くの職人を集め、一気に兵器が組み上げられていく。


 また、防御塔には攻城兵器以外のものが作られることもあった。

 弓や弩による射撃能力を強化するため、防御塔の上に仮設のやぐらが設けられることがあるのだ。

 多くの場合、こういった建造物は土台となる塔の部分から張り出すように作られ、城壁に取りついた敵の真上から矢を浴びせたり、落石を食らわせたりできるように作られる。

 また、厚い木の板を組み合わせて作られたやぐらの壁と屋根は、内部の兵員を敵からの射撃から守るだけでなく、風雨からも遠ざけるという役割を果たす。


 こういった戦争の準備が進んでいる、ということは。

 ———今回の事態の深刻さを物語っていた。


 フェルナンド三世を始め、王国の中枢にいる人々は、敵が、火の民が、ここまで攻め寄せて来る可能性がある、と考えているのだ。

 そうでなければ、多額の費用がかかるこのような備えを作っているわけがない。


 それに、人の出入りも激しくなっている。

 王国中から集まって来た諸侯の手勢が続々と城門をくぐって城内に入って行っている他、戦争のために必要な物資を王家が買い集めているのか、荷物を満載した商人たちの馬車がいかにも重そうに車体をきしませ、馬をあえがせながら進んで行く。


 エリアスはその慌ただしい光景を見つめながら、表情を険しくする。


「閣下。急ぎ、国王陛下に拝謁はいえつして、状況をお教えいただきましょう」


 ほどなくして、後ろから追いついて来た筆頭騎士長のニコラウスが馬首を並べて、そう提案して来る。

 彼も、主君と同様、王城で進む籠城の支度を目の当たりにして、事態の深刻さを再認識したのに違いない。


「そうだね。

 急ごう」


 王から命じられた期日にはまだ十分に時間はあったが、火の民に対する対策を考える時間は、多くあればあるほどに良い。

 少しでも早く王の下にたどり着くため、エリアスは各部隊に行軍する速度をあげるように命令する。


 戦争は、すでに始まっていた。

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