:第4章 「エリアスの初陣」
・4-1 第25話:「陣容」
イスラ・エン・エル・リオ城を立ったリンセ伯爵家の手勢は、一路、南へ、フェルナンド三世の居城であるハルディン・デル・トレイ城へと向かった。
その陣容は、騎兵二百名、その従者が二百名、盾持ち槍兵千二百名、弓・弩を装備した投射兵四百名、旗持五十名、労務者四百名の、合計二千四百五十名。
これに、軍馬二百五十頭、駄馬四百頭の、計六百五十頭の動物たちが加わっている。
これらの軍勢が、それぞれ二百名ほどの集団、中隊を形成して、街道を進んでいく。
先頭を行くのはリンセ伯爵家の騎士長、ガスパル・アルコンに率いられた一手で、これに、勇猛さで知られる騎士長、ディエゴ・ハバリーが加わる。
その後方からは、伯爵家に合流してその指揮下に入って戦う四人の男爵たち、ゴンサロ・シエルボ男爵、エメリコ・カブラ男爵、ライムンド・グルリャ男爵、イバン・トルトゥガ男爵の手勢が続く。
リンセ伯爵・エリアスの軍勢がこの後で、筆頭騎士長のニコラス・エスパダの中隊、騎士長ベアトリス・アギラがさらに追従し、最後尾を騎士長ドロテオ・リノセロンテの隊が固めている。
隊列は五ベスミッレ(およそ五キロメートルに相当)もの長さに及んでいた。
これは、街道の幅に前後の部隊がすれ違って移動できるだけの余裕を持たせておくために、細長い縦隊を形作って進んでいるためだ。
馬は横一列、徒歩の兵は横二列となり、ぞろぞろと歩んでいく。
こうするのは、不意に敵襲を受けた場合にも、迅速に前後の部隊で連絡を取り合い、連携を取るためだった。
情報を共有するために伝令の使者を走らせるのだが、その際にいちいち味方の人波をかき分けて進んでいては、手間がかかって仕方がない。
それに、街道を利用するのはエリアスたちだけではなく、旅人や商人もいる。
場合によっては道幅が狭く、馬車などが路肩に避けられないことも考えられるから、すれ違えるように道をあけている。
進んでいくのは、[英雄街道]と呼ばれている石畳の道路だった。
その名からも分かる通り、聖王マニュスの時代、シアリーズ大陸が統一されていた頃に大陸全土を行き来するための経路として作られたもので、平らに加工した石がびっしりと並べられている。
建設されてから一千年以上も経ち、痛んだところも見られているが、この英雄街道はもっとも通行のしやすい主要幹線として利用されていた。
というのは、聖王マニュス亡き後、大陸は諸国家に分裂してしまったため、これほどの大規模な土木工事を実現できる勢力が消失してしまったからだ。
過去の世界の貴重な遺産を踏みしめ、兵士たちは進んでいく。
リンセ伯爵家の軍勢は、整然とした様子だった。
兵士たちは均一の間をあけて並んで歩き、どの中隊が進む速度も一定で、途中で立ち止まって詰まったり、逆に置いて行かれてしまったりすることもない。
十分に熟練した軍隊である証だった。
訓練が不足し、規律が乱れている部隊では往々にして隊列が乱れ、歩くペースもまちまちになる。
こうなると、後から来た部隊が前の部隊に追いついてしまって立ち往生することとなったり、隊列が間延びして千切れ、統率がとれなくなったりしてしまうことがあり、非効率であるだけでなく危険でさえあった。
そんな状態で敵の襲撃を受けたら、満足の行く反撃などできるはずがない。
兵士たちは混乱し、指揮官は状況の把握もままならないまま、攻め手に
この点、リンセ伯爵家は問題がなかった。
異常事態が起こったとしても各隊は冷静に対応し、乱れることなく互いに連携をしながら戦うことができる。
(ニコラス筆頭騎士長や、他の騎士長たちのおかげだ)
この辺りはソラーナ王国のただ中であり、まだ敵に襲われる心配はない。
山賊たちがいる可能性は否定できなかったが、数人から、せいぜい数十人の集団に過ぎないごろつきが、完全武装した二千の軍勢に手を出してくるはずもないだろう。
彼が心配していたのは、直近ですぐに戦闘になるかも、ということではなかった。
二十年ぶりに発生した[大噴火]に対して、兵士たちが動揺してはいないか、という点だ。
火の民の脅威は、ソラーナ王国の人々にとっては常に身近なところにあった。
だが、この二十年というもの、大きな攻撃は起こっておらず、あっても部族単位の小規模で散発的なものばかり。
そうした小康状態と呼べる中で、誰もが安心し、少なからず油断していた側面があった。
昨年のインスレクト伯爵領での騒動に際し、詳細な状況把握を待たずにエリアスがリンセ伯爵家の軍勢を動員して出陣してしまったのも、こうしたところに遠因がある。
簡単に言うと、「びっくり」してしまったのだ。
すっかり大人しくなっていた火の民が攻めて来たと聞き、過剰反応をした。
嵐の前の静けさ、ということわざもある。
人々は平穏を楽しみながらも、心のどこかで、いつか大きな出来事が起きるのではないかと警戒していた。
エリアスもその一人だし、他の者たちも一緒だっただろう。
いよいよ、本当の[大噴火]が起こった。
数万の火の民が、シアリーズ大陸の人々にとって理解し難い習俗と、馴染めない外観を持った[
平和の終焉の予感と、これまでになかったような大事になるのではないかという、不安。
兵士たちがそれに動揺し、これから始まる戦闘に、恐れを抱いているのではないか。
もしもそうであるのならば、満足の行く戦いはできないかもしれない———。
エリアスはその心配をしていたのだが、どうやら
(必ず、生きて帰ろう。
できれば、
若きリンセ伯爵は、出発する前に目の当たりにした、リアーヌの心細そうな顔を思い出していた。
彼女はこの一年余り、ずいぶんと頑張ってくれた。
エリアスを始め、元からこの地で暮らしていた人々にはなかった発想を持ち、養蜂産業を起こし、蕎麦の栽培を普及させた。
その行為は、確実に良い方に作用していると思う。
人々の暮らしは豊かになり、より安定するだろうし、伯爵家の懐も
すべては、妻として、認められたいから。
そして、夫であるエリアスに、喜んでもらいたいから。
リアーヌの行動の根底にはいつもそれがある。
だからこそ、———エリアスも、彼女に喜んでもらいたかった。
そうなれば自分も嬉しいからだ。
そのためには、手柄が要る。
これから始まる戦いで見事に敵を打ち破り、王国中にリンセ伯爵家の名を
そうなれば、国王であるフェルナンド三世から、然るべき
栄誉と、実利。
これらを持ち帰ればきっと、リアーヌはエリアスのことを
もちろん、すべては自身が生きて帰る、という前提があってのことだったが。
思わず、手綱を握る手に力がこもった。
身体が強張り、小刻みな震えが走り抜けていく。
初陣の恐怖からではない。
いわゆる、武者震いという奴だ。
それを察知したのか、これまでは大人しく進んでいたヴェンダヴァルが、筋骨隆々とした馬首を大きく激しく振り、猛ったように
「ふふっ。
よろしく頼むね、ヴェンダヴァル」
エリアスは微笑むと、愛おしむ手つきでこの頼れる相棒の身体をなでてやる。
栗毛のヴェンダヴァル。
矢を思わせる流星を鼻筋に持つデストリエ(軍用馬)で、体高五ヴェスティージャ(約百六十センチメートル)にもなる、グレートホース(軍用場の中でも特に立派な体格を持つもの)。
四肢は頑健でたくましく、体幹ががっしりとしていて、重厚な馬鎧を全身に着込んでいるのにも関わらずよく走り、飼い葉を豪快に
なかなかの
乗り手を選ぶタイプで、不思議なことにエリアス以外が背中にまたがろうとすると暴れ回るし、振り落とそうとさえする。
主人には懐いているのは、仔馬の時から手塩にかけて育てたからだろう。
気性難の牡馬だったが、主人にだけは気を許していて、それ以外の人間のことは認めていないらしい。
ただ、エリアスが「お願い」と言って頼み込むと、渋々、我慢して他の人を乗せてくれることもあるから、賢いというか、慈悲深い一面もある。
出陣を前にして。
彼が落ち着いた態度を見せることができていたのは、不安そうな妻をこれ以上心配させたくないから、という思いもあったが、なにより、この相棒が一緒にいてくれる、ということが大きかった。
たとえどんな苦境であっても、ヴェンダヴァルと一緒であれば、生き残れるだろう。
そんな確信がある。
(火の民の軍勢……。
どんなだろうか)
波乱を前に高ぶる愛馬をなでてなだめながら、エリアスはまだ見ぬ敵に思いを巡らせていた。
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※作者注
本作で登場する
現存している軍用馬の系譜から「どんな馬だったのか」は推測されているようですが、歴史の中で品種改良などが進んだ結果、中世に存在した、「デストリエ」と呼ばれていた馬の原種そのものの姿がわからなくなってしまったのだとか。
本作では、現代まで続く軍用馬の以前のもの、ということで、一回り小型(といっても馬の中ではかなり大柄ですが)のものを想定して書かせていただいております。
(*- -)(*_ _)ペコリ
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