・3-9 第24話 「出陣」

 ソラーナ王国の国王、フェルナンド三世の招集に応えるため、リンセ伯爵家では慌ただしく出陣の準備が進められていった。


 [大噴火]。

 二十年ぶりに、火の民が大挙して侵略して来ているのだ。


 昨年のインスレクト伯爵領での事件は誤報のようなものだったが、今回はそうではない。

 国中の戦力を結集しなければならない事態だ。


 万を数える軍勢同士がぶつかる、大きな戦いになるのに違いない。

 騎士も兵士もみなそれぞれの支度に余念がなく、イスラ・エン・エル・リオ城は喧騒けんそうに包み込まれていた。


 実際に戦場に向かわない、送り出す側の人々も忙しい。

 なにしろ、ここから王城までは百六十ペスミッレ(およそ百五十四キロメートル)もあり、二千四百名のリンセ伯爵勢がこれを踏破するためには、無理のないペースでは八日、急いで向かっても六日程度はかかってしまう。

 つまり、その間に必要となる食料などの物資や、同行する馬たちのためのエサ、野営に必要な品々など、諸々を支度してやらなければならない。

 携行していく矢や予備の武器などの用意もある。


 国王からの使者が到着したのが、七月の三十六日。

 そこから領内に出陣を命じ、イスラ・エン・エル・リオ城に手勢がそろうのにおよそ三日。

 参集の期日は八月十五日だから、そこから十二日の余裕があったが、道中で天候不順などに見舞われ、行軍がうまくいかない可能性があることを考えると、あまり悠長にかまえていることもできない。


 もちろん、エリアスが部隊を引き連れて出発したら、それで残る側の仕事がなくなるわけではない。

 従軍中に消費する物資は諸侯が自弁することが当たり前であったから、戦争が続く限り、前線に次々と補給品を送り出す段取りを整えなければならない。


 リンセ伯爵家は、平和な時代が続いたからと言って油断してはいなかった。

 武器庫には武具、そしてもっとも消耗が激しくなる矢の備蓄が十分にあり、食糧庫にも多くの食物が保管されている。

 当面はこれらの蓄えを消費することでまかなうことができるが、その後は、新たに調達をしなければならない。


 武具は各ギルドに依頼して作ってもらい、食料などの消耗品は市場で買いつける。

 いずれにしろ大金が必要だから、その工面もしなければならない。


 エリアスは自らも出陣しなければならないため、軍の編成やニコラウスを始めとする騎士長たちとの打ち合わせ、そして自分自身の身支度で慌ただしかったが、リアーヌもまた、人を集めて倉庫から物資を運び出し兵士たちに分配し、今後も継続して補給を送り続けるために追加を手配するのに忙しかった。


 そうして、時間は目まぐるしく過ぎ去っていく。

 予定通り三日以内に軍勢が集結し、イスラ・エン・エル・リオ城には二千余の将兵が集結していた。


 いよいよ、エリアスたちが出発する。

 昨年のインスレクト伯爵領で起こった騒動は結局、誤報であると分かって機会を逃してしまったから、これが彼にとっての初陣となるはずだった。


「それじゃぁ、行って来るよ。

 リアーヌ、僕らが留守の間、みんなのことをよろしくね」


 リアーヌに手伝ってもらい、武具を身に着け終えたエリアスが、これから戦場におもむく者とは思えないほど穏やかな笑みを向けて来る。


 全身を武具で固めている。

 長袖のチュニックとズボン、ブーツ姿の上にたっぷりと綿の入ったベストを身につけ、その上から頭から太ももの辺りまでを守ることのできる丈に余裕のある鎖帷子を被り、腰の辺りでベルト止めし、板金でできた胸甲を装着する。

 そこからさらに、厚い革を金属で補強した腕甲、脚甲を加え、長剣ロングソード、短剣を腰のベルトの金具に取りつける。

 最後に、新調されたジルベール式兜を被って、完成。


 エリアスは、ソラーナ王国の女性としては決して小さくはなかったが、その正体はエリシアであるため、やはり他の男性と比較するとどうしても身体つきは華奢きゃしゃなものだった。

 だから彼の装備は特注品で、他の騎士が身につけるものよりも軽量になり、一部には蝶番ちょうつがいを使って可動部分を増やし、動きやすくしてある。

 馬上になれば鎧の重量も馬の側に負担してもらえるので重装備もできるのだが、シアリーズ大陸の中でも起伏の多いリンセ伯爵領で戦うためには下馬する状況もあり得るため、こうした動きやすさを重視した工夫を施している。


「はい。もちろん、お任せくださいませ」


 夫が向けて来る穏やかな笑みは、見送ることになる妻を安心させるためのものであるのに違いない。

 そのことが分かっているリアーヌも、彼が後顧の憂いなく戦えるように約束する。


「必要なものがございましたら、なんでもおっしゃって下さいませ。

 すべてわたくしたちでご用意して、あなたの下へ送り届けましょう」

「はは。それは、頼もしいな」

わたくしは、本気ですのよ? 」


 冗談だと思ったのか笑ったエリアスを、リアーヌは軽く睨みつけた。


 それから、兜の下の頬にそっと手を伸ばし、彼が顔を逸らすことができないように固定しながらじっと見つめ合う。


「どんなことになっても、必ず、お戻りくださいな。

 そうすれば、わたくしと、このお城が、あなたと、あなたの民を守りましょう」

「それは少し、心配のし過ぎだよ」


 もし火の民との戦闘で敗北したとしても、絶対にここに戻ってきて欲しい。

 その妻の言葉に、今から負けた時のことを考えるなんておかしいと、夫が非難するような視線を向けている。


「こんなことを申し上げるのは、気が引けるのですが。

 ———なんだか、不安で」


 それは、明確な根拠のない、ただのかんに過ぎないものだった。


 何年もの間、火の民による襲撃は低調なものとなっていたというのに。

 ここにきて急に、数万の軍勢での侵攻、[大噴火]が起きてしまった。


 しかも今回は、インスレクト伯爵領での騒動とは違って、国王がソラーナ王国のすべての諸侯に対して参集を命じるほどの大事になっている。


 今までとは、なにかが違うのではないか。

 そんなような気がしてならない。


「分かった。……大丈夫、僕たちは必ず、帰って来るよ」


 リアーヌの心配は、ともすれば「これから戦場に向かう者に対して、何事だ」と、怒りを向けられるようなものなのかもしれなかった。

 だが、エリアスはそうしなかった。


 うなずいた彼は、微笑みを浮かべる。

 妻にはなにか悪気があるのではなく、出陣する夫のことが心配で、不安になっているだけだということがよく分かったからだろう。


「はい」


 リアーヌはただ、うなずくことしかできなかった。

 行かないでくれ、と駄々をこねたところで無理なことは分かりきったことだったし、迂闊うかつなことを口にしてしまったのにとがめもせず、ただ向き合ってくれる夫の優しさに応えるためには、そうやって素直に見送るしかないと思ったからだ。


「それじゃぁ、行って来るよ」


 そうして、エリアスは出陣した。


 まだ朝日が顔を見せたばかりの早朝に、愛馬のヴェンダヴァルにまたがり、二千の手勢の先頭に位置して。

 出征する兵士たちの家族に見送られながら、南を目指し、振り返ることなく進んで行った。


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