・3-8 第23話 「大噴火」
リンセ伯爵領に駆け込んで来たのは、騎士身分の壮年の男性だった。
王の身辺を守る近衛の騎士であることを示す、王家の紋章である太陽を模した図案が描かれた黄色いマントを身に着けている。
伯爵家の誰とも面識はなかったが、間違いなく国王の居城、ハルディン・デル・トレイ城から派遣されて来た、公式の使者であるらしい。
それは王家の紋章が刻印された封蝋で閉じられた親書を持っていることと、正式な使者であることを示すために授けられる宝剣を身に着けていることから明らかだ。
この、公式の使者であると示すために証となる宝剣を持たせるという風習は、かつてシアリーズ大陸の諸民族を統一した英雄、聖王・マニュスが、自身の剣を王権の象徴として用いていたことに由来する。
シアリーズ大陸の諸国家では、王権を示すものとして多用されているやり方だった。
エリアスとリアーヌは急いで会見のための身なりを整えた。
相手は臣下の一人、貴族と呼べるかどうかも
つまりその言葉は王であるフェルナンド三世から発せられるものと同じ、と見なさねばならず、必然的に、会うにもしっかりと正装をしていなければ非礼、ということになってしまう。
幸い、この日は夫婦そろって城内にいたから、すぐに準備を完了させることができた。
「国王、フェルナンド三世陛下よりのご命令である! 」
さっそく広間で二人に出迎えられた使者は、かしこまって
徹夜で馬を走らせて来て疲れているはずだったが、そんな様子は見せない。
王に直接仕えている騎士としての
「さる、太陽暦千百九十七年の七月二十七日!
数万の火の民の軍勢が、我が王国の最西端の要塞、ピエド・クラヴィ城に押しよせて来た!
二十年ぶりに、火の民の[大噴火]が始まったのだ!
駐留する将兵は果敢に抵抗するも、月をまたぐこと
このような事態に対し、国王・フェルナンド三世陛下は、王国のすべての諸侯に対し、今こそ忠節を果たす時である、と仰せになられた!
王は、期日を八月の十五日とする、との仰せなり!
詳しくは、すべてこちらの親書に記されたることなり! 」
「拝見いたします」
顔を伏せたまま進み出たエリアスは、主君から何かを
そこでリアーヌから差し出されたナイフで封蝋を外すと、羊皮紙に描かれた国王直筆の手紙に素早く目を通した。
「リンセ伯・エリアス、陛下の仰せ、確かに承りました。
必ずや、陛下の
使者殿におかれましては、このこと何卒、陛下によろしくお伝えください」
「承った!
それでは、それがしはこれより
名高きリンセ伯爵と共に戦えること、光栄なりと存ずる! 」
それで、会見は終わりだった。
なにしろ王国が敵の侵略を受け、すでに前線の城が陥落しているという話なのだ。
悠長に歓待をしている暇などない。
「これは、大変なことになったみたいだ」
マントを
「陛下からの手紙、
「うん、もちろん。
……それにしても、あのピエド・クラヴィ城が、一週間しか保てずに落ちてしまうなんて」
自分にも見せて欲しいとせがんで来たリアーヌに手紙を渡しながら、リンセ伯爵は遥か南の方へ視線を向けていた。
ピエド・クラヴィ城は、王国の南西、シアリーズ大陸の最西端にある、コンセコ海峡を見渡せる地に築かれた要塞だ。
歴史上、何度もソラーナ王国の沿岸部を襲撃して来た火の民が暮らす土地、ティエラ・アルディエンテ大陸にもっとも近い場所にあることから、防衛の最前線として機能して来た。
その来歴は、古い。
建設されたのはなんと、一千年以上も昔。
聖王マニュスの治世に、シアリーズ大陸に火の民が再び戻って来ることがないようにと、抑えの要として築かれた。
防衛のためには大陸中から兵力がかき集められ、高く分厚い城壁と施設の巨大さから、[鉄壁]などとも称されている。
現在はソラーナ王国が単独で守っており、国王の直轄地として数千の守備隊が駐留し、警戒を厳重にしていた。
そのはずなのに。
攻撃を受けてから、たったの六日で陥落してしまう、というのは、明らかな異常事態であった。
こういった国境の城、というのは、国の中枢にある都市を兼ねた拠点とは異なり、純粋に防衛だけを考えたものだった。
まずはそこで敵の侵入を押しとどめ、その間に、後方で友軍が軍勢を結集し、援軍に駆けつけ、決戦を挑んで雌雄を決する。
これが、基本的な防衛構想となっている。
援軍到着までの時間を稼ぐために、ピエド・クラヴィ城は特に堅固な防御が施されていた。
城はいくつもの区画に分けられ、その内の何個かが制圧されても抵抗を継続できるような構造になっていたし、門は何重にもなっていて城の中心まで至るのには多くの犠牲と時間が必要となる。
数か月は十分に守り抜けるはずだったが、今回はこの世界の一週間、六日しか耐えられなかった。
今回はすでに陥落してしまっている、ということだから、援軍として駆けつけ、城外と城内から挟み撃ちにするという王道の作戦は使えない。
敵が国内に深くまで侵略して来る可能性は大きく、国王は急いで軍を集めようとしている様子で、手紙の文面からは焦りの気配が
現在は、千百九十七年の七月三十六日。
この、慌ただしさ。
事態の深刻さは、国王であるフェルナンド三世自身が一番よく把握しているのに違いなかった。
「どうなさいますの? 」
「もちろん、出陣するさ。
陛下の仰せだ」
心配そうな眼差しを向けて来るリアーヌに、エリアスは安心させるような笑みを向ける。
それから彼は、近くにいた家臣たちに大声で命じ、自身も出陣の準備を整えるために、勇んで大股で進み始めた。
「皆、陛下からの使者のお言葉は聞いていたな!?
王国の危機である!
我がリンセ伯爵家の全軍に対し、ただちに参集せよと命じよ!
期日は三日!
遅れることは、許さないぞ! 」
それは、どうしても
リアーヌはこれから始まる戦争のことを不安に思いつつも、頼もしく思ってしまっていた。
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