・3-7 第22話 「国王からの使者」

 リンセ伯爵領では、穏やかな時間が流れ続けている。

 イスラ・エン・エル・リオ城の城下の人々は相変わらずそれぞれの仕事に精を出しているし、港にはたくさんの船舶が出入りし、市場には多くの商品が並んで、活発に取引が行われている。

 昨年養蜂を始めたトレボル村ではさらに養蜂箱を増やして蜜蝋と蜂蜜の増産に取り組んでいるし、山間の村々では蕎麦の栽培が拡大され、うまくいった村のやり方を共有して豊作を目指して力を合わせている。


 火の民が攻めてきた、という騒動はあったものの、あれ以来、何事もなく平穏だった。


 ここ数年、いや、十年以上、こんな様子なのだという。


 ソラーナ王国はシアリーズ大陸でももっとも西方、すなわち中央から離れた辺境に位置しており、火の民が暮らしているティエラ・アルディエンテ大陸に近く、何度もその襲撃を受けて来た。

 だが、二十年ほど前に起こった火の民による本格的な侵攻、[大噴火]を撃退して以来、部族ごとの小規模な攻撃があるだけになっている。


 それもここ数年はめっきり途絶えており、だからこそ、昨年のインスレクト伯爵領が攻撃されたという事件が大騒ぎになったのだ。


 平和な時代が続いている。


(良いことですわね)


 もしかすると、火の民との大規模な戦争があるかもしれない。

 そんな覚悟を持ってリンセ伯爵家に嫁いできたリアーヌだったが、この穏やかな時間の中で、充実した日々を送ることができていた。


 城館の中庭にイスとテーブルを用意し、マリエルと一緒に採取した野草で作った香りのよいハーブティーと、蜂蜜をたっぷりとかけたガレットを楽しみながら、しみじみと幸せを噛みしめる。


 獅子令嬢の発案で始めた新しい事業、養蜂業も、蕎麦の栽培も、どちらもうまく進んでいる。

 カルラも約束を守ってくれたようで、へそくりを作るために買い込んだ小麦のことはまだ、エリアスには知られていない様子だ。


 相場の動きを観察しているのだが、小麦は例年通りの価格の推移を見せている。

 王国が平和なままであるため、季節変動以外を理由とした値動きがないためだ。

 この調子で行けば、今年の冬には売り時が訪れ、無事に資金を回収し、利益を上げて貯蓄を作ることができるだろう。


 このまま穏やかに時が過ぎて行って欲しい。

 そう願わずにはいられない。


 ———ただ、困ったこともあった。


「ご懐妊は、まだなのか? 」


 直接そう言われることこそないものの、期待と焦燥感の入り混じった感情を暗に向けて来る人々が増えている気がするのだ。


 貴族というのは、その血脈を安定して繋いでいく、というのも使命のひとつだった。

 もしも子供ができずに家が断絶すれば、それまで仕えていた家臣たちは路頭に迷ってしまうかもしれず、統治者が不在となれば領内で暮らしていた民衆も政治の混乱に巻き込まれることとなってしまう。


 だからとにかく、子供を作って欲しい。

 できれば、元気な男の子を。

 エリアスの正体が秘密である以上、そのことを知らない家臣や領民たちは、切実にそんな願いを向けて来る。


 まして、子供の生存率があまり高くないのだ。

 大人になって体力がついて来たとしても疫病などで簡単に大勢が命を失ってしまうのに、未熟で身体の弱い子供ならなおさら生き延びづらい。

 そしてそれは、領主の子供だって変わらない。

 病気は、裕福な者にも貧しい者にも等しく降りかかり、命を奪っていく。

 薬が効かないなんてことはよくあることだし、神に祈っても、助からない時は助からない。


 人々が「後継者を」という望みを持つことは、この時代ではありふれたことだった。

 領主の一族が安定して続いて行かなければ、自分たちの生活にダイレクトに響いて来るからだ。


 せめて、世継ぎになる一人。

 できれば、もしもに備えてたくさん。

 表立って口にこそされないものの、人々から向けられてくるそんな感情に、リアーヌは敏感に気がついている。


 否も応も関係ない。

 貴族という、生まれながらに特権を有している家に生まれてしまった以上は、それに伴って重苦しい圧力プレッシャーも受けることになってしまう。


 獅子令嬢も、そのことを承知の上で嫁いできていた。


「難題ですわ……」


 陶器のカップに注いだハーブティーをすすりつつ、途方に暮れるしかない。


 だって、どんなに頑張っても子供が生まれるはずがないからだ。

 女性と、女性。

 いくら表向きには男性、ということになっていても、リンセ伯爵の正体はエリシアだ。

 エリアスとリアーヌがどれほど親密になり、何度身体を重ねたとしても、二人の間に新たな生命が誕生することはない。


 何年も前から、「自分はこの方の妻になるのだ」と心に決めていた。

 だから真実を知らされても、諦められず、強引に結ばれる道を選んだ。


 しかしその時は、この、後継者をどうやって確保するのか、という問題について、深く考えてなどいなかった。

 知った事実が衝撃的過ぎて、じっくりと思考を巡らせている余裕がなかったせいだ。


 今はまだ、それほど強い圧力プレッシャーではない。

 リアーヌは十八歳、エリアスは十七歳と、二人とも若く、普通ならばこれから先にいくらでも機会があるからだ。

 お互いに未熟だから、と、子供を作らない理由にすることもできる。


 しかし、年を重ねるごとに、人々から向けられる感情は強まっていくだろう。


 どこかから養子でも取ればいいのか。

 しかしそれでは、リンセ伯爵家の血統が途絶えてしまうことになる。

 そして血の繋がりに根差した厳格な継承法によって貴族が門地を引き継ぐことの正当性が認められている現在の社会においては、下手なところから後継者を連れて来ても人々がそれを認めず、争いになるばかりだ。


 いっそのこと、義妹のカルラが然るべき相手をめとり、男子を出産してくれれば、すべての問題が解決する。

 彼女は紛れもなくリンセ伯爵家の血統であり、その子供であれば、エリアスに子がない以上はもっとも正当性の高い後継者となるだろう。


 だが、それを求めることは、どうしても気が引けることだった。

 自分が味わっている嫌な気持ちを、義妹に味あわせたくたくはない。


 エリアスもまったく同じように考えているはずだった。

 十七歳と、この時代ではもう結婚を考えていても少しもおかしくない年齢なのにそういった話をせず、本人の自由にさせているのは、やはり[エリアス]が[エリシア]であるからだろう。

 彼もリアーヌと同様、妹に嫌な思いはさせたくないのだ。


「まったく。

 みんな、身勝手なのですわ」


 安定して伯爵家が続いてくれないと困る、という気持ちは分かる。

 だからといって、あまり急かされても困る。

 こちらだって、真剣に、切実に考えているところなのだ。


(いっそのこと、なにか、うやむやにできるような大事でも起きないものかしらね? )


 声にこそ出さなかったものの、そんなことを本気で思ってしまう。


 ———城内がにわかに騒がしくなったのは、リアーヌがストレスを紛らわすためにガレットを大きめに切って頬張った時のことだった。


「あら? いったいなにごとかしら?

 ミシェル? 」

「確かめて参ります~」


 名を呼ぶと、主君の邪魔をしないように距離をあけ、静かに気配を消してひかえていたミシェルが、すっと姿を消す。

 そしてすぐに戻って来た。


「どうやら~、国王陛下から~、お使者様が到着されたようです~」

「国王陛下、というと……。

 ゴロワ王国、ではありませんわよね? 」

「はい~。

 ソラーナ王国の国王~、フェルナンド三世陛下からです~」


 カップに残っていたハーブティーを喉の奥に流し込み、眉をしかめる。


(本当に大事が起こらなくっても、いいでしょうに! )


 なんだか、嫌な予感がしていた。

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