・3-6 第21話 「ねずみ」
金銭感覚の緩い夫のために、妻である自分がへそくりを作っておく。
そういう狙いで獅子令嬢が手を出した投機だが、いろいろと気をつけなければならないところがあった。
基本的なことだが、買い時と売り時を見誤らないこと。
なるべく安く買って、なるべく高く売らなければ利益が出せない。
とはいえ、「まだ価格があがるのではないか……」とじっと待ち続けたせいで、かえって売り時を逃す、という場合もあるから、本当に
価格変動に季節性があり売り時が分かりやすい小麦という商品だからこの点はまず問題ないだろうが、欲を出して売り渋らないように気をつけたかった。
加えて、———それが、食べ物である、ということ。
こういった穀物は人間にとって欠かすことのできない食糧であるのと同時に、人間社会に紛れて暮らしている動物たち、たとえばねずみといった存在にとっても、絶好のエサだった。
人目を忍んで集まって来ては、麻袋を食い破り、中の小麦を漁る。
一匹や二匹の害などたかが知れたことだったが、厄介なのは、ねずみの爆発的な繁殖力だった。
奴らは、つがいをつくれば、年に何回も出産をする。
しかもその度に何匹もの子供を産む。
小動物故に大人に成長するのも早く、短期間で繁殖可能となり、どんどん増えて行く。
親が子を産み、その子もまた子供を作る。
[鼠算式]という言葉があるが、まさにその通りで、気がついたら爆発的に増えているのだ。
ここには、文字通り山ほどの小麦がある。
一度住みつかれてしまったら、豊富なエサを食べて増える一方になるだろう。
数匹が、気づいたら数十匹、数百匹にもなっているかもしれない。
そうなれば、食害も無視できない規模となる。
単純に食われてしまうのも問題だったが、ねずみたちの排せつ物などで汚された小麦は、廃棄せざるを得なくなってしまうからだ。
だから、きちんと対策をしておく必要がある。
ねずみたちが容易に保管されている小麦に接近できないよう、頑丈で隙間の無い建物を倉庫として利用することや、定期的に見回りを行って異変をなるべく早期に発見すること。
そして、周辺にねこを放つことが、代表的な対策だった。
そういった理由で、リアーヌが借りている港湾地区の倉庫街では、ねこが大切にされていた。
単純にかわいいから、というだけではなく、ねずみを退治してくれるから、という理由だ。
だが、安心はできなかった。
[ねずみ]は、こういった小さな
「リアーヌ様~。ねずみを~、一匹~、捕まえました~」
自分自身の目で倉庫の小麦の管理状況を確かめようと見回りに来ていたある日のこと。
いつもの間延びした独特なしゃべり方で報告しながら、獅子令嬢の忠実な臣下であるミシェルが姿をあらわした。
「あらあら、これは。
ずいぶんと大きな[ねずみ]ですこと」
引っ捕らえられたねずみの姿を目の当たりにして、リアーヌは獲物を値踏みする
本当に巨大な[ねずみ]だ。
手足があり、二足歩行で、人間の姿をしている。
「ちゅ、ちゅぅ……」
そう言って鳴きまねをしたのは、誰であろう。
義妹のカルラ・リンセであった。
「倉庫の~、まわりで~、不審な動きを~、しておりました~」
「そ、そんなっ、
逃げられないようにガッチリと手を後ろにひねりあげられているカルラは、これは誤解なのだと愛想笑いを浮かべながら弁明する。
「ふむ。
では、こちらに積んであるものがなんであるのか、あなたは知らないということですの? 」
「も、もちろんです!
そんな、小麦の袋なんて……、あっ!? 」
義妹の顔にしまった、という焦りの表情が浮かび、義姉の顔には
「[ねずみ]は見つかったようですわねぇ? 」
この場合のねずみとは、すなわち、[スパイ]のことを指している。
「誰の差し金ですの?
やっぱり、エリアスかしら? 」
「ひ~んっ!
最近、頻繁に港にお姉様が行かれるから、なにをなさっているのかを探って欲しいって言われただけなんです~!
前から欲しかったお洋服を買ってくださるって言うから~っ! 断れなかったんです~っ!! 」
言い逃れは難しいと判断したのか、カルラは素直に白状した。
「あの人らしいこと」
リアーヌの唇に、仕方がないわね、という呆れの混じった笑みが浮かぶ。
妻の様子がおかしいとうことに、夫はしっかりと気づいていた。
しかし、直接問い詰めても理由があって隠しているのだから正直に打ち明けてくれるはずはないし、かといって、自分で直接探りを入れると、角が立ってしまうかもしれない。
だから、妹を使う。
カルラから話を聞いた、となれば間接的に事態を知ったということになり、初めからリアーヌを疑っていたわけではないのだという体裁を装うことができる。
さらに言えば、その報告を聞いた後、直接的にはなにもしない、という選択肢を選ぶことができた。
リアーヌが自分やリンセ伯爵家にとって悪いことをするはずなどないのだから、知っておきながら黙認し、なにもなかった風にする。
そういう余地を残しておきたかったのだろう。
優柔不断な、エリアスらしいやり方だと言えた。
ことを荒立てないよう、誰の心も傷つけないようにしたいのだ。
心優しい、お人好し。
だからこそ、———心配でたまらない。
妻である自分がしっかりとして、もしもの時に備えたへそくりを蓄えておかなければ、夫が苦境に陥った時に助けてやることができない。
「で、ですからっ、
お願いですから、見逃してください~っ」
「しかし、知られてしまったものは、仕方ないですわねぇ……」
「はわわわわわ……っ! 」
リアーヌが影のある恐ろしげな笑顔で迫ると、カルラは怯えた様子で顔色を青ざめさせ、カタカタと震え出す。
「うふふ……」
そんな義妹に意味深な笑みを漏らすと、獅子令嬢はささやくように言う。
「かわいいかわいい、妹のことですもの。
なにも、酷いことなんていたしませんわ?
「お、お姉様と、と、取引、ですか? 」
「そうです。
あなたも頼まれた手前、エリアスに黙っていることはできないでしょう?
ですから、良い報告をしてくださるのなら、
「んなっ!? そんなことで
「嫌なら断ってくださってもかまいませんわよ?
けれど、[ねずみ]は[ねこ]に退治されてしまうものですわよね? 」
その時、ずっとカルラを捕らえたままでいるミシェルが、「んな~ご~」と猫の鳴きまねをして見せる。
逃げ出そうとしても一切それを許さず、ひねりあげたままの腕を、痛みを感じる寸前の状態にずっと保っている。
その[慣れた動き]から、義妹にはこの女中がただの使用人などではないことがよく分かっているはずだった。
いったい自分はどんな目に遭わされるのだろう?
不安を覚えたのか、カルラの喉がごくり、と音を鳴らす。
「エリアスは、お洋服をあなたに買ってくださるというお話でしたわよね? 」
「は、はい、そうですお姉様」
「でしたら
あなたがエリアスからプレゼントしてもらえる衣装にピッタリ合うものを、
「こ、香水を……? 」
「そうです。
きっと、とても似合いますわよ? 」
捕まってしまい、逃げ出せない以上、カルラはずいぶん不利な状況に置かれている。
そんな状態でこの取引は、なかなか魅力的に聞こえたことだろう。
「考えてみなさい? 」
迷っている気配を感じ取ったリアーヌは、畳みかける。
「もちろん
エリアスには、なにもなかったとご報告なさい。
そう、港のねこたちとたわむれに来ていた、とでもおっしゃいなさいな。
そうすれば、あなたは兄からの願いも果たしたことになります。
つまりは、エリアスと
ふふふ……。
みんなで幸せになりましょう? 」
少し話を合わせるだけで、カルラはひとつも損をせず、得だけをすることができる。
そう理解した瞬間、義妹も決心したようだった。
「
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