・3-5 第20話 「獅子令嬢の野望・投機編」

 時節は移り変わり、太陽暦千百九十七年の、四月。

 早いもので、リアーヌ・ジルベールがエリアス・リンセに嫁いでから、一年以上が過ぎ去っていた。


 その間に、リンセ伯爵領では様々な変化が起こった。

 トレボル村で養蜂が始まり、蜂蜜と同時に蜜蝋が生産され、それを使って高級な蝋燭ろうそくが作られるようになったり、蕎麦の栽培が始まり、これまでまともに穀物を栽培できなかった村々で収穫が行われたり。


 手勢の強化も行われた。

 火の民が襲撃して来たという報に接し、危機感を強めた兵士たちは、ジルベール式兜を得て熱心に訓練に打ち込み、その威力を高めている。


 確実に、良い方向に進んでいる。

 そう思うのだが、———リアーヌは、ある懸念を強めていた。


 それは、この伯爵家の人々は、金銭に対してあまりにも無頓着むとんちゃくである、ということがはっきりとして来たからだ。


 エリアスも家中の人々も、金策をしなければという意識がなかった。


 領民をより豊かにしたい、という気持ちを持って施政を行っているが、それは昔ながらの暮らし方を少しずつ改善していくという保守的なゆっくりとしたやり方でしかない。

 計画を立て、新しいことを大胆に導入するという考えを持たない人々だった。


 加えて、やけに気前も良い。

 城館内では一般的な獣脂の蝋燭ろうそくではなく高価な蜜蝋製のものを当たり前のように使用していた。

 さらには、招集した兵の費用をまかなうために、男爵たちに対して金庫を開きもしている。


 一部を補助するくらいだろうと思っていたら、驚いた。

 エリアスは出兵にかかった費用の全額を負担したのだ。


 そもそも軍役は、封建されるのに当たって、領地の統治を認められる代わりに課せられる義務だ。

 つまり、すでに自身の門地を持ち、そこから税を徴収しているというだけで、必要な対価は十分に支払われているということになる。


 それなのに、いくら徒労に終わらせるわけにはいかなかったとはいえ、全額を伯爵家が負担してしまうなど。

 あまりにも気前が良すぎるというものだ。


 頻繁ひんぱんに出兵を求めていてそれに応じた男爵たちが困窮こんきゅうしていた、という事情でもあればまだこうした行いも理解できるのだが、この数年大きな戦争はなく、行き過ぎた派兵要請などは行われていない。

 十分に費用をまかなう余力はあったはずで、伯爵家が全額を負担したのは、行き過ぎた[親切]だと思われた。


 当主であるエリアスの金銭に対する執着のなさは、それだけ、リンセ伯爵家が経済的に裕福であるという証拠でもある。


 払えるから、払っている。

 彼からすると、これが当たり前なのだろう。


 だが、リアーヌは不安だった。

 エリアスの性格は、どうにもお人好しなところがあり、強く「ノー! 」と言えないところがある。


 今までのようなやり方では、何かが起こって伯爵家の財政が傾けば、大変なことになりかねない。

 夫には他を厳しく切り捨てるということができず、困っている者がいるのなら無理をしてでも出費をしてしまいそうだからだ。


 家格の割に領地が小さく、常に金策をしていなければ生き延びられないというのを幼いころから目にして来たリアーヌにとってこれは、現実的で、しかも深刻な危惧だった。


わたくしが!

 わたくしが、しっかりしなければ! )


 危機感を強めた獅子令嬢は、———暗躍することにした。


 伯爵家の表向きの財政とは別に、自分自身で金策をし、いざという時のために貯め込んでおく。

 要は[へそくり]だ。


 なぜ、夫にも、他の者にも黙っておくのか。

 それはエリアスの性格から考えて、それが「ある」と知っていると、また気前よく散在してしまうかもしれないからだ。


 本当の緊急事態に備え、妻である獅子令嬢が厳格に貯蓄しておく。


 そう決心したリアーヌが目をつけた新たな金策は、[投機]だった。

 相場が安い時に買い、高くなったら売る。

 その差額が、いざという時に備えた蓄えとなる。


 これまで行って来たのは、領内を豊かにし、領民の暮らしをより良いものにするという統治者としての責務を果たすための施策であり、税収を増やし、伯爵家のふところを暖かくするものだった。

 だが、今回は違う。

 誰にも内緒で、ひっそりと行うことだ。


 投機の対象として選んだのは、穀物だった。

 日々の生活に欠かせないパンの材料となる、小麦。

 どんな場所でも需要があり、まず価値が失われず、年単位で保存できる。


 そして、ほぼ確実に儲かるという見込みがあった。

 市場の相場に季節性がある商品だからだ

 シアリーズ大陸では晩夏に播種はしゅし、春に収穫するいわゆる[冬小麦]が盛んに栽培されていたが、一般的に収穫時期には安くなり、食料調達手段が限られ市場に流通している穀物の在庫が乏しくなる冬場には高くなる。


 諸侯は税を主に現金で徴収しているから、農民たちは小麦を収穫すると、納税のための金銭を確保するために作物を一斉に売りに出す。

 自然と市場にはその時の需要以上の穀物があふれ、価格は下落する。


 対して、冬を目前とすると、前回の収穫で小麦の作柄が良くなかった地域では局所的に食料が不足するため、それを補うために周辺から買い集めるようになる。

 加えてそれまでの消費で各地に保管されている食料も減っている。

 需要が大きくなるのに品物が希少になるから、必然的に価格が高騰する、というわけだ。


 それを、狙う。

 春の安い時期に買って、価格の高い冬季に売る。


「おーっほっほっほっ!

 エリアスもリンセ伯爵家も、これで安泰ですわね! 」


 倉庫に山積みにされた小麦の詰まった麻袋の重厚さを前に、リアーヌは得意そうに高笑いをしていた。


 表向きには、村々に種として配るために蕎麦の実を保管するために借りている倉庫だ。

 実際に人目につきやすい正面側には蕎麦が積まれており、そうと知らなければ奥の方に小麦が大量にあることは分からないだろう。


 リアーヌはこれを、三ケントゥム(約千八十グラム)当たり四コムーネ(約千二百円)で小麦を生産している村々から仕入れた。

 これを市場で販売すると、一般的には六コムーネ(約千八百円)になる。

 だが、冬になると七コムーネ(約二千百円)になり、うまくすれば八コムーネ(約二千四百円)で売れることさえあった。


 売却価格は、最大で購入資金の倍近くにもなる。

 大きな利潤だ。


 一ディセンミレ(約三十六キログラム)を一袋とした小麦が、二千四百袋以上。

 仮にエリアスが二千の手勢を率いて出陣したとしても、七十二日間、すなわちこの世界のふた月以上、すべての将兵にパンを供給し続けられるだけの量がある。


 これを無事に売却できれば、千六百スウムン(約九千六百万円)以上の利益があがり、リアーヌの「有事に備えたへそくり」に変貌する。


 元手の確保が大変だった。

 夫であるエリアス、すなわちリンセ伯爵家には内緒でやっていることなのだから、家の金は使えない。


 自身の結婚持参金を元手として城下の両替ギルドから購入資金を借り受け、なんとかお金を作り出して買いつけた。


 少々、危ない橋を渡っている。

 もしこの小麦が売れなければ、借金と利息を返済できなくなってしまうからだ。


 エリアスに泣きつけば助けてくれるかもしれない。

 だが、ずいぶんと怒られるだろうし、以後のリンセ伯爵家での生活は、肩身が狭いことになるだろう。


「ほほほっ!

 わたくしは、やってやりますわーぁっ!!! 」


 自分の計画には自信がある。

 しかし、もし失敗すれば、その時は……。


 獅子令嬢はそんなスリルを覚えつつ、半ばやけ気味に令嬢的な高笑いをするのだった。

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