・3-2 第17話 「手勢」

 [火の民]が攻めて来た。

 その知らせを受けてイスラ・エン・エル・リオ城に集められたリンセ伯爵家の手勢は、その総数で二千ほどにもなっていた。


 リンセ伯爵家の直属の兵士たちに加えて、ソラーナ王国の国王の命令によりその統制下に入るように決められている、四人の男爵が引き連れて来た兵士たち。


 この、二千、という数は、軍役によって定められているものだ。

 もし他国と戦争になって招集されれば、王の下にこれだけの人数を率いて駆けつけなければならない。


 状況に応じて即応可能な主力部隊、ということだ。


 封建制というのは、領地を与え、その地域を支配する権限を認める代わりに、王に対して軍役などの諸々の義務を負う、という仕組みを持っている。

 いつ有事が起こっても必ずこの数は用意できなければならなかったが、今回の事件で、幸いにしてリンセ伯爵家の軍事力は健全に機能することが確認できた。


 ソラーナ王国における軍役の最小単位は、[ランス]と呼ばれている。

 [騎士]と呼ばれる、一代限り、あるいは世襲の身分を与えられた封建家臣の末端にいる者たちに課せられる軍役で、一人当たり、合計で十二名の人員を率いて参陣する義務を背負っていた。


 まず、封建されている当人である騎士が一名に、軍馬が一頭、できれば二頭。

 それを補佐する、剣と盾を装備した従者が一名。

 次いで、盾持ちの槍兵が六名。

 これら近接兵科を支援する、弩もしくは弓を装備した投射兵が二名。

 そしてこういった戦闘人員や軍馬を世話するための雑務や輸送任務を行う労務者二名に、駄馬(馬でも驢馬ろばでも可)が二頭。


 合計で、戦闘人員十名、労務者二名、軍馬一頭(できれば二頭)、駄馬二頭で、軍役の最小単位が構成されている。

 ランス、という呼び名は、この単位の中核である騎士を象徴する武器である騎槍ランスから取られた呼称だ。


 このランスがいくつも集められることで、軍団が構成される。

 多くの場合、この最小単位のまま戦闘に参画するわけではなく、戦闘人員が二百名ほどの部隊(中隊)に再編し、然るべき隊長をつけて統率するのが基本だ。


 こうした中隊を指揮する任務は、ソラーナ王国では[騎士長]と呼ばれる家臣が担う。

 長と名前がつく通り彼らは複数の騎士を配下に持つ臣下であり、騎士として実績をあげた者や、傭兵などとして従軍経験が豊富で、指揮能力があると認められた者を選んで組み込んでいる。


 リンセ伯爵領には、五人の騎士長がいた。

 元傭兵隊長で豊富な軍事経験と調整能力を持つ、ニコラス・エスパダ筆頭騎士長。

 騎士身分出身で、その武勇が認められて騎士長を任命されたディエゴ・ハバリー。

 ニコラスの元同僚で、軽騎兵を率いるのを得意とするガスパル・アルコン。

 同じく元傭兵で、実戦で活躍し実力を認められた、ドロテオ・リノセロンテ。

 そして五人目は、火の民の血筋を色濃く引くという異色の出自の女性騎士長、ベアトリス・アギラ。


 この五人のそれぞれが二百名ずつを率いている。

 エリアスが直卒する二百を合わせて、一千二百名が伯爵家直轄の兵力だった。


 これに、四名の男爵が二百名ずつの手勢を引き連れて参加する。

 鹿を家紋とするシエルボ家のゴンサロ男爵。

 山羊を家紋とするカブラ家のエメリコ男爵。

 鶴を紋章とするグルリャ家のライムンド男爵。

 そして、亀を紋章とするトルトゥガ家のイバン男爵


 これで、総勢二千。

 戦闘に従事しない者も含めると、二千四百余名。

 これが、インスレクト伯爵家からの救援要請を受け、およそ三日でイスラ・エン・エル・リオに参集した兵力だ。


「皆、急な呼び出しにもかかわらず、迅速に参陣していただき、感謝している。

 ただ、幸いにして今回の火の民の襲撃は、インスレクト伯爵家の当主、ラモン殿とその家臣の奮戦で、無事に撃退できたとのこと。

 御足労いただいたのに申し訳ないが、ここは共に、敵が追い払われたことを祝っていただきたい」


 集まった四人の男爵と、五人の騎士長たちに対し、ラモン伯爵からの連絡を受けて引き返して来たエリアスはまず、事態を報告し、そう謝罪をしていた。


 なぜなら、こうした軍事行動というのは、兵士を集めるだけでも相応にコストがかかるものであり、今回の肩透かしによって臣下たちは少なからず[余分な出費]を強いられてしまったからだ。


 兵力を動かすためには、物資が要る。

 人はどこに行っても、食事ができなければ生きてはいけないし、まして、戦うことなどできない。

 必要なのは人間の食い扶持である兵糧だけではなかった。

 軍馬や、物資を運ぶための駄馬に食わせるエサも必要だ。


 また、人を動かすためには給与の支払いもせねばならないから、多額の費用がかかる。

 元々別の生業を持っている者を兵士や労務者として集めるのだから、働けなかった分の収入をきちんと補ってやらなければなければ、後々で大きな不満になって返ってきてしまう。


 ソラーナ王国ではこうした出費は、軍役を課せられた側が自弁する決まりとなっていた。

 だから、こうやって軍勢を集めるだけでも、臣下たちのふところは相応に痛むことになる。


 こういった事情から、主君の側が配慮し、補助することも、よくあることだった。


「今回の出兵は、ラモン伯爵からの救援要請に応えるためのものだった。

 しかしながら、僕の判断が稚拙ちせつだったという部分も、認めざるを得ない。

 だから今回の出費に関しては、伯爵家の蔵から補填をさせていただく」


 そのエリアスの言葉を聞いて、国王の命令で伯爵家の一翼として従っている四人の男爵たちは互いに顔を見合わせた後、一様にほっとしたような表情を作り、深々と一礼をした。


 実際に合戦ともなれば、手柄を立て、褒賞ほうしょうを獲得するチャンスも得られる。

 だが、空振りに終わり、実戦の機会がないとなると、せっかくの出費はすべて浪費したことになってしまう。


 全部ではないのかもしれないが、その点を、伯爵家が負担してくれる。

 所領が小さく、比例して財政の規模も劣る男爵たちからすれば、ありがたい話に違いなかった。


 招集された二千の手勢は、解散されることとなった。

 ただ、そのまま返すのでは申し訳ないということで、男爵や騎士たちを集めて宴席を設けることとなった他、兵士たちに対しても酒食が振る舞われる。


(ずいぶん、気前のいいことですこと)


 当主として家臣をねぎらうエリアスを支えるため、伯爵夫人として宴席の手配を指揮しながら、リアーヌはあらためて、自身が嫁いできた家の底堅さを知っていた。


 ジルベール伯爵家であれば、こんな出費はできなかっただろう。

 だが、リンセ伯爵家ではできてしまう。

 夫やその家臣たちが金策に無関心であったのも、納得というものだ。


(ですが、気になりますわね……)


 インスレクト伯爵家からの救援要請は半ば誤報のようなものであり、みんな「ヤレヤレ」と肩をすくめ、呆れるだけで済んでいるが、リアーヌには別に、引っかかる点があった。


 今回、エリアスの身支度を手伝い、配下の兵士たちの姿を目の当たりにして、気がついたこと。

 それは、———リンセ伯爵家で用いている兜などの頭防具には、欠陥がある、ということだった。

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