:第3章 「戦雲」

・3-1 第16話 「火の民の影」

 つまずきこそあったものの、リアーヌのリンセ伯爵家での新しい日々は、素晴らしいものになりつつあった。


 彼女を迎え入れてくれた人々がみな、暖かく接してくれているというだけではない。

 自発的に考えて実行した計画が、実を結びつつあるからだ。


 太陽暦(マニュス暦)千百九十六年の九月。

 一年に十か月が設けられているこの世界における、秋の暮れ、冬の入り口。


 蜜蝋の蝋燭ろうそくを売り出そうと養蜂業に参画したトレボル村からは、最初の製品が伯爵家に対して見本として納品されていた。

 出来栄えはなかなかのものだ。

 色が美しく、長さも太さも整っている。

 木箱の中に深紅の布を敷いた上に並んだ薄黄色をした蝋燭ろうそくたちは、市場で販売されている最高級品とまったく引けを取らない品質を誇っていた。


 トレボル村の住民たちがよく働いてくれた。

 自分たちの生活が上向くなら、と、熱心に、細部まで手を抜かずに仕上げてくれたのだろう。


「今年始めたばかりですから、まだまだ、数は十分ではありません。

 ですが、この調子で行けばきっと、領外に売りにける、立派な産業に成長しますよ」


 養蜂を始めるのに当たって協力してくれた養蜂ギルドの長、ルイス・アベハも、そう太鼓判を押してくれたほどだ。


 さらに、蕎麦そばの栽培もうまく行っていた。

 山間の、痩せていて、しかも土地の傾斜が強い場所でも育ってくれるだろうと始めたことだったが、無事に育って、収穫までこぎつけることができている。


 これも今年始めたばかりの挑戦であり、うまく行かなかった部分もあった。

 たとえば、栽培方法が適切ではなかったことや、天候に恵まれなかったことなど、様々な要因でほとんど実らなかった場所が出てしまっている。


 だが、一部の地域では豊作となっており、来年以降、そこでのやり方を真似すれば必ずモノになるはずだと希望が持てる。


 順風満帆。

 そう思われていたのだが、———イスラ・エン・エル・リオ城は、にわかに緊迫した、殺気立った雰囲気に包まれていた。


 夜中だというのに城内のあちこちに煌々こうこうとかがり火がかれ、異変を知らせる伝令の兵士が走り回り、寝床から起き出した人々が着替えもそこそこに慌ただしく動き回っている。


「火の民がインスレクト伯爵領に攻めて来たというのは、本当でしょうか!? 」


 大急ぎで隣接する伯爵家を救援するための援軍の準備に入り、騒然となった城内の気配に気づいたのか、すでに就寝しようとしていたはずのカルラがエリアスの私室へと駆けこんで来た。


「大丈夫だよ、カルラ。

 今晩はもう遅いから、キミは休んでいた方がいい」


 すでに時刻は深夜ラータ

 リアーヌに手伝ってもらいながら鎧を着こんでいたエリアスは、パジャマ姿の妹に優しくそう言う。


「ですが、お兄様っ、あの……っ!

 あの、火の民ですよ!?

 人や動物の死体から、[火の魔法]を作り出すという、あのっ! 」


 カルラは、ずいぶんと取り乱した様子だ。


(当たり前、ですわね……)


 エリアスのための兜をじっくりと観察していたリアーヌは、横目で兄にすがりついている義妹の姿を見て、気が動転するのも無理からぬことだと思う。


 [火の民]。

 燃えるような赤い髪と、金色に輝く瞳を持つという、シアリーズ大陸に暮らす諸民族とは外見も習俗もまったく異なる人々のことだ。


 といっても、根は同じであるらしい。

 狩猟と採集を主な生業とした火の民はかつて、同じシアリーズ大陸で、他の民族に入り混じって暮らしていた。

 同じ人間だ。


 しかし、その特異な外観、独特な文化。

 加えて、人や動物の遺体から[火の魔法]を生み出すという、おぞましい技。

 それらのために恐れ、忌み嫌われた。


 このため、一千年以上前に聖王マニュスによって彼らはシアリーズ大陸上から駆逐された、という歴史を持つ。


 と言っても、彼らは完全に姿を消したわけではなかった。

 ソラーナ王国の西側、コンセコ海峡を隔てた向こう側に存在する、活火山の影響を色濃く受ける大地、ティエラ・アルディエンテ大陸に移動し、そこで命脈を保っている。


 ソラーナ王国では距離が近いという事情から、度々、火の民との衝突が起こっていた。

 彼らが生きる場所は火山活動のために過酷な環境であり、より良い暮らしを求めて王国の沿岸を襲っていたからだ。


 そのほとんどは、部族単位による小規模な略奪だった。

 だが、過去には、[大噴火]と呼ばれる、規模の大きな侵略も起こっている。


 最後の大噴火は二十年も前のことで、それ以来、沿岸部に対する襲撃もなりを潜め、珍しいものとなっていた。

 それでもソラーナ王国の人々はそのことを忘れず、常に火の民を脅威とみなして来た。


 平穏な暮らしが続いていても、火の民はソラーナ王国の人々にとって身近な恐怖であり続けている。


 それが、現実のものとしてやってきた。

 しかも援軍を求めてインスレクト伯爵領から駆けこんで来た伝令は、酷く動揺しており、敵の数がずいぶん多いと報告して来てもいる。


 その数は、一万とも、二万とも。

 対してインスレクト伯爵が動員できる兵力は三千程度であり、リンセ伯爵領から駆けつけることができる兵力も、二千程度でしかない。


 多勢に無勢。

 報告が事実であれば、あまりにも危険な状況だった。


 これがもしも、かつて起こったような[大噴火]であれば……。

 ソラーナ王国全体が、戦火に直面することとなる。


 一刻も早く援軍に出撃しなければならなかったし、二十年ぶりに大噴火が起こったかもしれないという危機感で人々の不安も大きく膨らんでしまっていた。

 カルラが取り乱しているのは当然のことだ。


「エリアス。

 準備を手伝っていただいたらいかがでしょうか? 」


 なんとかなだめようとしているものの、義妹はなかなか落ち着かない。

 その様子を見たリアーヌが兜を手渡しながらそう提案すると、エリアスも「そうだね」とうなずいていた。


「援軍は、早ければ早いほどいい。

 だから僕は、明日の早朝には、騎士だけを選んだ先発隊を率いて出撃する予定なんだ。

 残りの主力は、準備を整えてから、後を追いかけてきてもらう。

 カルラ、キミにもその準備を手伝って欲しい。

 セバスティアンに、なにをすればいいのかたずねるんだ。

 いいね? 」

「……はっ、はい! お兄様っ! 」


 こういう時は、頭であれこれ空想を膨らませ、不安で右往左往とするよりも、目の前の[やるべきこと]に忙殺されていた方が、かえって落ち着くことができる。

 そいう狙いでエリアスが指示を出すと、カルラは急いで立ち去って行った。

 いてもたっても居られないのだろう。


「エリアス。

 先行せずとも、あなたも主力の準備が整ってからの方が、よろしいのではなくて? 」

「大丈夫。無茶なことはしないよ」


 腰に身につける剣のベルトの具合を確かめながら、やはり心配なリアーヌが提案すると、エリアスは安心させるように笑ってみせた。


「先行すると言っても、即座に戦闘に参加するわけではないよ。

 まずは、状況確認。

 それと、僕らが援軍に駆けつけていると、ラモン殿にお知らせすることが大事だと思うんだ。

 その方が兵の士気もあがって、ラモン殿も戦いやすいだろうからね。

 主力が追いついて来る前に僕たちが戦うとしてもそれは、相手が小勢だった時だけにする」


 リンセ伯爵に同行するのは、城内に常駐していて、翌朝の出陣に準備が間に合う八十騎程度の騎士。

 精鋭とはいえ、兵力としてはあまりにも少ない。


「……くれぐれも、ご無理はなさらないでくださいまし。

 領内のことは、セバスティアンによく聞いて、わたくしがなんとかいたしますから」


 それでもリアーヌは、そう言って、夫を見送ることを決めていた。


 声が落ち着いていたからだ。


 確かに、緊張している。

 エリアスは、聞いたところによるとまだ戦場に立ったことはなく、実際の交戦が起これば、今回が初陣ということになる。

 思うところはあるだろう。


 だが、理性を失ってはいない様子だった。

 これなら、状況を冷静に見極め、よほど不利な状況だったら一度退いて、追いかけて来る味方と合流する、という判断もできるだろう。


(きっと、帰っていらっしゃるわ)


 リアーヌは、そう信じることにした。


 そうして、翌日の早朝コネホ

 エリアスは旗持の従騎士のアルフォンソ・カバリオと、およそ八十騎の騎士を引き連れて、西方に向かって出陣した。


 だが、———肩透かしだった。


 領内の各地に伝令が走り、散在していた兵力をかき集め、インスレクト伯爵領に向けた本格的な援軍の編成を終えたころ。

 先発したエリアスとその配下たちが、戻って来たのだ。


「インスレクト伯爵から、新しく使者が来てね。

 霧で視界が悪くて、現地の兵士が見間違えて、大げさな報告をして来たんだってさ。

 実際には、火の民の襲撃は小規模なもので、すぐに自力で撃退できてしまったんだそうだ。

 余計な手間を取らせてしまって申し訳ないと、使者の方には丁寧に頭を下げられたよ。

 後でラモン伯爵からも、正式なおわびをしてくださるそうだ」

「なぁんだ。

 慌てて、損をいたしましたわ! 」


 肩をすくめながら何があったのかを教えてくれるエリアスに、一気に緊張が抜けた様子でカルラが、連日出撃準備を手伝った疲れがにじんだ顔で天を仰ぎ見る。

 周囲にいた人々も気の緩んだ様子で表情を和らげ、集められた兵士たちも「ヤレヤレ」と呆れた様子で顔を見合わせていた。


(これが、[ソラーナ王国]なんですわね)


 自分が嫁いできた国は、シアリーズ大陸の中でももっとも[辺境]にある。

 今回は事なきを得たが、また、いつ日の民との衝突があるのか分からない———。

 リアーヌにとって今回の騒動は、そう実感させられる出来事であった。

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