・2-11 第15話 「蜜の味」

 リアーヌ・ジルベールがリンセ伯爵家に嫁いでから、早いもので数か月が経っていた。

 なにかと忙しい日々だった。

 伯爵家の人々と早く馴染まなければならなかったし、領内の人々とも交流を深めなければならない。

 リンセ伯爵家独自の慣習やルールというのもあり、それらを把握し、慣れるのも大変だった。


 そうして、すべてがひと段落ついたころ。


 リアーヌは手料理を振る舞うという約束を果たすため、イスラ・エン・エル・リオ城の炊事場に立っていた。


「うふふっ!

 楽しみにしておりますわね? お姉様! 」


 調理台の対面に様子を見に来たカルラは、実に楽しそうにしている。

 良い見世物だ、とでも思っているのだろう。


火傷やけどしないように、気をつけてね? 」


 その隣では、エリアスが心配そうな視線を向けて来ている。

 火を扱うからと、不安に思っているらしい。


「ふんっ!

 あまり、わたくしあなどらないでいただきたいですわね? 」


 そう見栄をきってみたものの、———リアーヌの表情は引きつり気味だ。


 なにしろ、彼女は生まれてこの方、ほとんど料理などというものをしたことがなかった。

 家格に比べれば裕福ではないとはいえ、伯爵家の令嬢として生まれ、育てられたのだ。

 毎日の食事は使用人たちが用意してくれていたし、自分で調理する必要などなかった。


 エリアスに嫁ぐのに当たって、少しは学んだ方がいいかな? とも思いはした。

 だが結局、こういうことは慣れている者に任せた方が良いだろうという結論になり、ついにきちんと練習せずに来てしまった。


「もう、リアーヌ様?

 そんなに緊張するくらいなら、ご自身で作るなどとおっしゃらなければよろしかったのに」


 ガチガチになっているリアーヌの隣で、ジルベール伯爵家で暮らしていた頃からのつき合いであり、幼馴染であり、親友でもある少女、マリアエルが、おかしそうな笑みを浮かべながらそうからかって来る。


「だって……、他にいいものが思い浮かばなかったのですわ! 」


 リアーヌは頬を赤らめながら、我ながらどうしてこんなことを? と、あらためて考え込んでいた。


 手料理なんて、他愛のないものだ。

 二週間ほど料理を得意としているマリエルから手ほどきを受けて来たが、この程度の期間ではまだ、難しい料理は作れない。

 簡単なものだけだ。


 助けてもらったことへのお礼としては、素っ気ないかもしれない。


 だが、かつて自分がそうしてもらった時に、———嬉しかったのだ。


 作ってもらったのは、好物のガレット。

 馬にちゃんと乗れるようになった時に、そのご褒美ほうびが欲しいとねだったら、家の者が焼いてくれた。


 粉を水で溶き卵を混ぜて焼くという、手軽な料理。

 それでも、蜂蜜をたっぷりとかけて食べたそれは、これ以上ないほどのごちそうに思えたものだ。


 だからきっと、カルラにも喜んでもらえるのに違いない。

 そう思って、咄嗟とっさに「手料理を作る」などと言ってしまった。


 もちろん、口に出した以上は、有言実行する。

 [獅子令嬢]などという大層な貴名をいただいている者としてのプライドがあるから、今さら「無理だ」なんて言い出せない。


「で、では……。

 始めますわ! 」


 まるで、これから自身の命を賭けた闇の儀式でも始めそうな深刻な雰囲気でそう宣言すると、リア―ヌは調理を開始する。


 まずは、水。

 城内の深井戸からくみ上げた清水を、マリエルから教わった分量を正確に測って木のボウルに注ぎ入れる。


 次いで、そこにそば粉を加えて行く。

 山間でも育つ穀物として周囲の村々に配った後の残りを、城内の風車で粉にしてもらったものだ。

 これを少量ずつかき混ぜながら入れていく。


 概ね混ざった状態のところに卵を加える。

 市場で買いつけて来た、今朝近隣の村で取れたばかりの新鮮なもの。


 それを、いったん別の皿に割ってから入れる。

 というのは、卵の殻は薄くもろく、料理に不慣れなリアーヌが割ると殻の破片が混ざってしまうことがあるため、事前にそれを取り除くためだ。


 そうしてすべてをかき混ぜ終えたら、鉄のフライパンで焼いて行く。

 薄くバターを引き、生地を必要なだけすくって、薄くのばす。


 この焼く工程で一番難しいのは、火加減だった。

 強すぎれば焦げついてしまうし、弱ければ香ばしい風味が出ないので、美味しくならない。

 まきを使ったコンロは調整が難しく、練習では失敗続きだった。


 仕方がないので、ここはマリエルに手伝ってもらう。

 彼女は幼い頃にかかった病が原因で視力をほとんど失ってしまっていたが、限界まで目を細めるとなんとか手の届く周辺くらいは見えるらしく、それと肌で感じる温度を頼りに火加減を調節するのが上手だった。


 まず片面を焼き、タイミングを見計らってひっくり返して、もう片面を焼く。

 途中うまく返しベラを扱えず生地が破れてしまったりもしたが、なんとか焼き上げることができた。


 そうして完成したガレットを皿の上に盛りつけたら、そこに、たっぷりと蜂蜜をかける。

 ガレットは軽食でもあり、目玉焼きやチーズを乗せて食べたりするのが一般的であったが、リアーヌはこうやって甘くして食べるのが好きだった。


 そしてここで使う蜂蜜は、———特別だ。

 トレボル村で始めた養蜂の収穫物で、巣の状態を確かめるために試験的に採取したものを、村長のペドロが好意で分けてくれたものなのだ。


「わ~っ!

 美味しそう! 」


 とろりとガレットの上に広がる黄金色の蜂蜜を見つめながら、カルラが双眸そうぼうを輝かせている。


 今の自分にできる、精一杯を込めて。

 エリアスとカルラ、そして自分とマリエル、加えてもう一人分のガレットを調理したリアーヌは、盛りつけた器を手に城館の中庭へと向かう。

 今日は、天気が良い。

 青空の下で食事をしたら、さぞ気分がいいだろうと思ったのだ。


 そこでは、ミシェルがテーブルと五人分の椅子を用意して待っていた。

 白地に赤でチェック模様が描かれたテーブルクロスを敷かれた上に、料理を並べ、ナイフとフォークを整える。


「さ、どうぞ。

 お召し上がりくださいませ? 」

「それじゃぁ、いただきます」

「いただきま~す! 」


 多少見てくれは悪いが、味の方は問題なくできたはずだ。

 そう思ってややほっとしつつリアーヌがすすめると、エリアスとカルラはさっそく、ナイフでガレットを切り分け、溢れ出た蜂蜜をよく塗って、フォークで丁寧に口へと運ぶ。


「おいし~っ! あま~い! 」

「うん。美味しいよ」


 カルラは幸せそうなほくほくとした笑顔を浮かべ、エリアスも満足そうに表情をほころばせる。


(良かった……)


 かつて自身がそうしてもらえたように。

 自分も、大切に思っている人を笑顔にすることができた。


 そのことが嬉しくて、思わず手助けしてくれたマリエルの方を見つめると、彼女も微笑んでうなずき返してくれる。


 それから口に運んだガレットは、———しっとりと甘く、[幸せの味]がした。

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