・2-9 第14話 「獅子令嬢のつまずき」

 港湾ギルドとの間で起こってしまった揉め事は、リンセ伯爵夫人となったリアーヌにとって、最初のつまずきだった。


 養蜂を広め、蜜蝋みつろう蝋燭ろうそくを生産することで、山間の貧しい村々を豊かにする。

 さらに、そういった場所でも育てることができる蕎麦を栽培させ、食料の確保も安定させる。


 すべてうまくいけば、リンセ伯爵領にとって大きな恩恵があるはずだった。

 そこに暮らす領民たちは以前よりも良い暮らしができるようになるし、税収も増えて、伯爵家の懐事情もうるおうことになる。


 だが、危うく失敗してしまう所だった。


 リンセ伯爵家の領内には、養蜂ギルドや港湾ギルドだけでなく、数多くのギルドが存在している。

 規模の大きなところで言えば、材木ギルドや、石材ギルド。

 市場を一手に管理している商業ギルドに、金融に関わる両替ギルド。

 こういったものの他にも、職業ごとにいくつものギルドがあり、運営されている。

 パン焼きギルドや、食肉ギルド、織物ギルド、皮なめしギルド、葡萄酒ギルドに、装飾ギルド、陶工ギルド、その他、たくさん。


 それぞれの職人たちが自分たちの生業を守るために団結し、専売権を持っているだけでなく、必要に応じて招集される議会において、発言権と議決権を持っている。

 そして彼らにこうした特権を認め、保証する代わりに、伯爵家は税を取り立てる。

 同時に、寡占産業となって不当な価格のつり上げなどが起きないよう、監督する役割も果たしていた。


 こうした仕組みは、ジルベール伯爵家にも存在した。

 というよりは、シアリーズ大陸のたいていの場所では、そうだ。


 だが、ここではリアーヌが知っているよりもずいぶん、ギルドの権力が強い様子だった。


(トレボル村で養蜂を始める時にも、養蜂ギルドに話を通しておりましたが……。

 ただ、ノウハウを教えてもらうため、というわけでもなかったのですね)


 エリアスの手配のおかげで、トレボル村での養蜂は順調な滑り出しを見せている。

 これは、それだけリアーヌが立てた事業計画のできが良かった、ということもあったが、それだけではなく、夫がきちんとギルドに根回しをして、その協力を受けられるようにしてくれたおかげに違いなかった。


 もし話を通さずに仕事を始めてしまっていたら、きっと、今回のようなトラブルに見舞われていたのに違いない。


(同じ失敗は、いたしませんわ)


 伯爵家の当主としてしっかりと統治を行っている夫の腕の中の感触を堪能たんのうしつつ、獅子令嬢はそう心に誓っていた。


「相変わらず仲がよろしくて、羨ましいです」


 そんなリアーヌをからかうような声がする。

 エリアスの妹、カルラだ。


 彼女は先に、そそくさと、まるで逃げ出すように姿を消していたのだが、港湾ギルドに話を通さずに荷揚げ作業を始めてしまったと知って、トラブルが起こると察知したからに違いない。


「カルラ。

 貴女が、エリアスを? 」

「はい、お姉様。

 様子を見て来てくれ、というお話でしたから」


 顔をあげてたずねると、どこか得意げな様子のうなずきが返って来る。

 自分の機転のおかげで助かったでしょう? とでも言いたそうな様子だ。


「確かに、おかげで助かりましたわ。

 けれど、それならそうと、あの場でおっしゃっていただければよかったのに」

「えへへ。ごめんなさい」


 恨みを込めて三白眼にねめつけると、カルラは悪びれた様子もなく笑い、ぺろりと舌を出して見せる。

 割と自由に育てられたのか、態度が自然体で、物怖じしないところがある少女だ。


「でも、ロドリゴさんたちに納得していただくには、お兄様をお呼びするしかありませんでしたもの。

 私の言うことなんて聞いていただけなかったでしょうし、リアーヌお姉様だって」

「それは……、認めざるを得ませんわね」


 実際のところ、港湾ギルドとの騒動を収めることができたのは、伯爵家の当主であるエリアスだけだっただろう。


 カルラは妹ではあるものの統治の責任者ではなく、その場で物事を決定する権限を有していないから、発言を軽く見られてしまう。

 リアーヌに至っては、ギルドの人々がなぜ怒っているのか理解できていなかったのだから、事態の解決などできなかっただろう。


「んっふっふ~」


 何が起こっているのかを知らせただけではあったが、「私の判断は正しかったでしょう? 」と言いたそうな、むふーっとした笑顔で、カルラは義姉のことを見つめて来る。


「な、なんですの? 」

「それは~、もちろん!

 ご褒美が欲しいな~、って」


 嫌な予感がしつつもたずねると、義妹はかわいらしく頬の横で手を合わせ、上目遣いにそうねだって来る。


「な、なら、頭をなでて差し上げましょう」


 このままでは引き下がる気配がないため、リアーヌはとりあえず手を伸ばして、エリアスのものと同じ亜麻色をしたカルラの髪をなでてやる。


「えへへ~」


 められて嬉しいのか、少女は上機嫌。

 ———だが、これだけでは満足できなかったようだ。


「それで~、お姉様?

 なでて下さるだけなんですか~? 」

「くっ……。

 ちゃっかりしていますわね」


 カルラが機転を利かせてくれたおかげで助かったのは、まぎれもない事実だ。

 義妹のことでもあるし、あまり邪険にもできない。


 ご褒美として、なにがふさわしいのか。

 考えてみたのだが、おそらく、即物的なものは求められてはいない感じがする。


 新しく家族に加わった義姉に、甘やかしてもらいたいだけ。

 そんな雰囲気だ。


 そこに、たとえば指輪とかネックレスとか、金品を渡してしまったら、返ってがっかりされるというか、そういう人なんだ、と幻滅されてしまうだろう。


「わかりましたわ」


 少し悩んだ後、エリアスから身体を離したリアーヌは、とんっ、と自身の胸を叩いてみせていた。


わたくしが、手ずからお料理をして、ごちそうして差し上げますわ! 」

「本当ですかお姉様!?

 わ~いっ! 」


 どうやら、正解だったようだ。

 義姉の手料理を食べさせてもらえると知ったカルラは、ニコニコとした満面の笑みを浮かべる。


 だが、———そんな彼女の姿を見つめるリアーヌの頬には、小さくだが冷や汗が伝っていた。


「ただし! 」

「……ただし?

 えっ? なんですかお姉様? 」

「もう一週間、いえ、二週間(この世界の一週間は六日なので、十二日)だけ、待ってくださいまし! 」


 そうつけ加えると、カルラはきょとんとした表情を向けて来る。


「えっと、どういう? 」


 すると、ことの成り行きを見守っていたエリアスが、吹き出して笑い出す。


「ふふふっ!

 リアーヌ、練習、頑張ってね? 」

「……ああ!

 なるほど? 」


 彼の言葉で、すべてを察したのだろう。

 カルラは応援するような、暖かな眼差しを向けて来る。


 自然と、リアーヌの頬の血色がよくなっていった。

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