・2-6 第11話 「獅子令嬢の野望・貯蓄編」

 トレボル村で開始された養蜂は、順調な滑り出しを見せた。

 技術と経験を持った養蜂ギルドからの全面的な支援を受けられている、というのもあったが、村を豊かにしたいという、村人たちの強い思いが後押ししている。


 村の周辺にはいくつもの養蜂箱が作られ、蜜蜂みつばちたちがそこに巣を作ってくれるように、誘引するための蜜蝋みつろうなどが塗られた。

 これのおかげで、すべてではないものの、多くの箱に蜜蜂みつばちがやってきて移り住み、せっせと働いている。


 このまま行けば、今年の八月末か九月の始め(この世界の一年は十か月・三百六十日であるので、現実世界の十月から十一月に相当する時期)には、最初の収穫が見込めるらしい。

 実際にどの程度の蜂蜜はちみつ蜜蝋みつろうが獲れるかは未知数だったが、今からその日が訪れるのが待ち遠しかった。


 立ち上げの時期こそ、リアーヌも何度も視察に訪れ、村人たちからなにが必要か、様々な要望を聞いて手配をするなど、忙しかった。

 だがしばらくすると軌道に乗り、頻繁ひんぱんに村と城を往復する必要もなくなった。


 後は、待つだけ。

 ———とは言うものの、ただ時間を過ごすだけ、というのは、獅子令嬢の性分には合っていなかった。


 さらなる金策を。

 もっと、領内を豊かに。

 彼女はすでに次のことを考え始めていて、夫となったエリアスにそのことを提案していた。


 かつて、とある軍略家は、「兵は、多ければ多いほどうまく使えます」と言ったという。

 これを聞いたリアーヌにも、信念のような物がある。


「お金は、多ければ多いほど、うまく使うことができますの」


 さらなる金策を進めたい、と言った時、きょとんとした顔をしたエリアスの前で、彼女は自信たっぷりにそう言い放った。


 果たして、人類が[貯蓄]という行為を好むようになったのは、いつのころからなのか。

 おそらくは狩猟・採集という原始的で素朴な生活から脱却し、農耕や牧畜を始めた段階だろう。


 収穫した作物や、家畜は、長期間、たとえば来年のために貯めておくことができる。

 つまりは、[財産]になるのだ。


 狩猟・採集の時代には、個人の財産、などという概念は存在しなかった。

 なぜならそれらは[天からのたまわりもの]であり、誰かのもの、とは考えられなかったからだ。


 しかし、作物や家畜は違う。

 それを育てた者の技量、努力が、天候と同様に収量に大きく関わって来る。


 自分が苦労して水を引き、耕し、育てた作物。

 あるいは、毎日丁寧に世話をしてやり、大切に育てた家畜。

 かけた手間暇がある分、自然と、[自身の所有物だ]という意識が生まれて行った。


 そしてそれがあれば、不意に飢饉ききんや天災が発生しても、生き延びることができる。

 だから、多くの場合人々は自身の財産を増やすことが好きだった。

 そうすることで、自分や家族の幸福な生活を守り、保証し、安心して日々を暮らすことができるからだ。


 そして人は、貨幣というものが誕生してからは、作物や家畜だけでなく、この一ミニマム(約三.六グラム)の金属の塊を好んで貯めるようになった。

 作物はいつか腐るし、動物は世話をしてやる必要がある。

 その点、こういった無機物の貨幣は、小さくて劣化をほとんどしないから、保管がしやすく、社会全体が崩壊でもしない限りはその時々で必要とするものに自由に交換することができる。


 エリアスたちは、なぜ、そこまでリアーヌが収入や貯蓄を増やすことにこだわるのか、イマイチよくわからない、という様子だった。


 以前にも述べたが、リアーヌは別に、取り立てて欲深いわけではない。


 危機感が違うだけだ。

 実家であるジルベール伯爵家は裕福ではなく、常にこうした金策をし、蓄えを持っておかなければ、必要となった時に自身や領民たちを守ることができなかった。


 ただひたすらに、自分や、大切な人々、この場合はエリアスやリンセ伯爵家の人々、そして領内に暮らす領民たちを、どのような困難からも守るために。

 その時が実際に来るのか、来ないのかは分からなかったが、しっかりとした備えを持っておきたい、というのがリアーヌの本心だった。


 どうしてこんなにも熱心なのか、エリアスには理解しかねている様子だったが、それでも彼は「リアーヌがそこまで言うのなら」と、さらなる蓄財のために手を打つことを認めてくれた。

 彼女の目的が単にお金を増やすことではなく、緊急事態に備えた蓄えを持っておきたいのだ、ということが伝わったのだろう。


「けれど、リアーヌ。

 今度はいったい、なにを始めるつもりなんだい? 」

「もちろん、考えはありますわ」


 一日の終わりに、互いにベッドで横になりながら話し合っていた最中。

 そう聞かれた獅子令嬢は、ニヤリ、と自信ありげな笑みを浮かべて見せた。


「トレボル村を見ていて気付いたのですが、この辺りの山村に貧しい村が多いのは、どうやら、自力で穀物を育てられないから、というのが大きいみたいですの。

 ですから、今度は、そういった、せた山肌でも育つ作物を育てたらどうか、と思いまして。

 こうしたところに手を加えてやれば、リンセ伯爵領はさらに豊かになり、いざという時のための貯蓄も増やせると思いますの」

「それは、確かにいい考えかもしれないね。

 だけど、そんな場所で育つ麦なんて、あるのかい? 」

「麦ではありませんわ。

 蕎麦を育てるんですの! 」

「……ソバ?

 ソバ、って、あの、お粥にして食べるもの? 」

「あら。蕎麦はお粥にするだけではありませんわよ?

 粉にして、水で溶いて、薄く焼いてガレットにしても美味しいんですわよ?

 卵があれば、なお良いですわね。

 わたくし、好きで、故郷ではよくマリエルに作ってもらっておりました。

 蜂蜜をかけて食べると、それはもう、幸せな心地になりますの! 」

「あははっ。

 それは確かに、美味しそうだね? 」


 その味わいを思い出したリアーヌの口元に思わずにへらとした緩んだ笑顔が浮かぶのを目にして、エリアスも楽しそうに笑う。


「実は、もう手を打ってあるんですの」


 夫であるリンセ伯爵も、どうやら乗り気な様子だ。

 そのことを確かめた伯爵夫人は、(まぁ、まずダメとは言われないでしょう)と見切り発車的に動き出していたことを打ち明ける。


「もう、手を打ってあるって? 」

わたくしのお父様にお願いして、蕎麦の実の種を用意いたしました。

 もちろん、相場よりもすっとお安いですし、費用は、後払いでかまわない、ということにしていただいております。

 もう数日以内に、船で届く手筈てはずになっておりますの。

 そうしたら、協力して下さる村を見つけて、栽培していただくつもりですわ」

「そこまで話を進めちゃっているのかい? 」


 その言葉には、驚きと同時に、自分に黙って事を進めてしまったことへのわずかな非難が含まれていた。


「領民の皆さんの暮らしを豊かにするためですもの。

 あなたが、ダメだ、なんとおっしゃるはずがないと思いまして」

「まぁ、そうだけど」


 悪びれずにそう言うと、エリアスは苦笑しながら許してくれた。

 元々あまり怒ってはいなかったのだろう。


「だけど、港を使うのなら、港湾ギルドにはくれぐれもよろしくね? 」

「ええ。もちろんですわ」


 リアーヌはうなずいていたが、しかし、半ば聞き流してしまっていた。

 夫から許可を得るという重要な事柄を達成して、すっかり安心してしまっていたからだ。


 そしてこの小さな聞き逃しが、とある騒動を引き起こすこととなる……。

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