・2-4 第9話 「事業計画」

「セバスティアン。

 その、少々おうかがいしたいのですが」

「はい。なんでございましょう、奥様」


 リアーヌが問いかけると、執事のセバスティアンは人の好い笑みで丁重に答えてくれる。

 年季を感じさせる白髪を持つ彼は、リンセ伯爵家にとっては欠かせない人物だ。

 先代の領主から深く信頼されて帳簿を預けられ、エリアスの正体も知っている、数少ない存在。


 彼はリアーヌにも良くしてくれている。

 根っから善良で誠実な性格であるというだけではない。

 リンセ伯爵が実は[エリシア]であると知りつつもなお、嫁いできた覚悟の強さを、尊重してくれているようだった。


「先ほどの蝋燭ろうそく業者、先日ご紹介いただいた中にはいらっしゃいませんでしたが……。

 城下の商人ではなく、外部の? 」

「はい、左様でございます。

 西隣の、インスレクト伯爵領からいつもおいでいただいております」

「なるほど。

 ということはつまり、こちらでは、蜜蝋の蝋燭ろうそくはあまり作られてはいないのでしょうか? 」

「え?

 はい、まぁ、そのようでございますが……」


 なんでそんなことを聞かれるのだろう。

 怪訝けげんそうな顔でうなずくセバスティアンに「教えていただき、感謝いたしますわ」と丁寧に一礼しながら、リアーヌは確信していた。


(これは……、いけますわ! )


 リンセ伯爵領をより豊かにするために起こす、新しい産業。

 蜜蝋の蝋燭ろうそくは、うってつけだと思えた。


 まず、前提として、リンセ伯爵領では現状で、まったく生産されていない品物であるということ。


 インスレクト伯爵領というのは隣接しているとはいえここよりさらに山深い土地であり、交通の便が良くないのだが、そこからわざわざ運んできているということは、ずいぶんと手間がかかっているということだ。

 一般的な価格と比較して、一ディセンミレ当たり一スウムン分、割高になっているのは、この、行き来の不便な場所からわざわざ運んでくる、輸送費だろう。


 高い割り増し料金を支払ってまで、買いつける。

 つまりは、需要があるということだ。


 リンセ伯爵家だけが買っていて、そのために業者を呼んでいるのかとも思ったが、市場をあらためて調べてみると、同様に割高な価格で蜜蝋の蝋燭ろうそくが売られていた。

 宿屋やレストラン、裕福な民家などによく売れるらしい。

 それだけではなく、エリアスとリアーヌが結婚式をあげた聖堂でもまとまった数を買い入れており、リンセ伯爵家だけの限られた需要ではなく、地域全体に安定した消費量がある様子だった。


 地元で作れば輸送費はかからないから、この地域の人々には今までよりも安価で提供できる。

 生産できるようになれば、必ず売れるのに違いない。


 そして、販路の拡大も容易であるはずだった。


 リンセ伯爵領は、交通の便が良い。

 ソラーナ王国とゴロワ王国の二国間を結ぶ交通量の多い街道が通っているだけではなく、クルーセ川の水運も利用できる。

 安価で、遠くにまで商品を運んで、いろいろな場所で販売することができるのだ。


 蜜蝋の蝋燭ろうそくというのは、重量の割には高価な代物だった。

 少ない量でも売れれば十分な金額になる、ということは、持ち運びが容易でより遠くまで売りに行くことができるだけでなく、その輸送費を考慮しても単価が大きいので収益が上がり易い、ということだ。


 長期保存ができる、というのも利点だった。


 すぐに腐ってしまったり、品質が悪くなってしまったりするものでは、安定して利益を出すのは難しい。

 遠くまで売りに行けないというのもあるが、たまたま市場にその商品が供給過多となって値崩れが起こってしまっていても、赤字を覚悟で売りさばかないと品物がダメになってしまう、といった問題が起こるからだ。


 だが、保存ができる蜜蝋の蝋燭ろうそくならば、そんな心配をせずに済む。

 売り時が悪ければ倉庫にしまっておいて、価格の相場が戻ったらまた売りに出せばいいし、遠くの高値が付く場所に運んで行って販売する、という選択肢もあるからだ。


 生産するために必要な蜜蝋を得るためには養蜂をしなければならなかったが、この点も、リンセ伯爵領には適していると思われた。


 あまり人の手の入っていない山野が多くあるのだが、養蜂ならばそういった土地に大きく手を加えずとも、花さえ咲いていれば生産量を増やすことができる。


 未開拓の山肌を利用する案としては、羊などの家畜を飼い、羊毛などを得て、それを売ったり、織物や被服などに加工したりして販売することも考えた。

 しかしこの場合は、牧草地にするために森などを切り開かなければならない。

 これはなかなかに手間がかかることで、大勢の労働者を集めなければならないから、初期投資が大きくなってしまう。


 大規模な開拓をせずとも着手できる養蜂は、それはそれで難しいことがあるのに違いなかったが、他の案よりも成功させやすいと思えた。


 しかも副産物として、蜂蜜を得ることだってできる。

 シアリーズ大陸の人々にとってこういった甘味というのは非常に貴重なものであり、どこに行っても欲しがられる商品だ。

 都合のいいことに、こうした蜂蜜も腐敗がしにくく、長距離輸送に耐えられる。

 うまく生産することができれば、着実に利益をあげられるはずだった。


 そうと決まれば、まずは———。


「ミシェル! 手伝ってくださいまし!

 少々、計算したいことがございますの」

「はい~、かしこまりました~」


 計算だ。


 呼ぶとどこからともなくすっとあらわれたミシェルに、アバカス([そろばん]のこと)と、諸経費を計算するのに必要になりそうな資料を集めてもらい、さっそく数字と向き合う。


 感覚的にはうまくいく、と判っていても、それだけではなかなか、物事は進められない。

 なにしろ、養蜂と、蜜蝋の蝋燭ろうそくの生産、そして流通という、ひとつの産業を興そうとしているのだ。


 自分だけですべてを進められるわけではない。

 エリアスはもちろん、他の家臣たちにも同意を得るべきだったし、実際に養蜂を行い、蜜蝋を生産するため、人々に協力してもらわなければならない。


 そのためには、「なんか行けそうだから」という曖昧な理屈づけではダメだ。

 もっとしっかりとした、誰もがはっきりと理解できるような根拠、すなわち[事業計画]が要る。


 商売を立ち上げるのにどれくらいの費用がかかるのか。

 実際に蜜蝋の蝋燭ろうそくを売り始めて、どれほどの収益が上がるのか。

 かかった費用を回収し、事業の経営が黒字になるのはどれくらい先になるのか。


 そういったものにすべて見通しを立て、提示し、納得してもらう。


 リアーヌは、そういったことも得意だった。

 というのは、彼女の実家、ジルベール伯爵家では、こうした金策をするのは日常的な事であったからだ。


 爵位に見合わない[狭い領地]で、[家格に見合った振る舞い]をするためには、そうしなければならなかった。

 そして、同じ聖王マニュスの血を引く一族でも、それができたジルベール伯爵家は現在まで存続し、できなかった家は滅びて行った。


 時には、他から資金を借り受けることもあった。

 そういう場合には、相手も損はしたくないから、こうした[事業として成立するという証拠]が必要になる。


 大金がかかっている。

 これだけ資料を整えなければ、動かすことはできない。


「ふむ。

 ミシェル、どうかしら? 」

「はい~。

 計算ミスはなさそうですし~、これなら~、みなさん納得してくださるはずです~」


 一通りの計算を終え、しっかりと利益の出る事業になるだろうという確信を得たリアーヌは、念のため計算の分かるミシェルにもチェックしてもらったが、同意の言葉をもらうことができた。


 事業計画としては、問題ないと思って良い。


「ふふふっ! 」


 思わず、勝ち誇ったような笑みがこぼれる。


 後はエリアスたちに説明し、計画を現実のものとするだけだった。

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