・2-3 第8話 「金策」

 慣れないことは多かったが、リアーヌのリンセ伯爵領での生活は順調にスタートした。

 というのは、エリアスを始めとして、彼女を迎え入れてくれた人々はみな、親切だったからだ。


 故郷から連れて来た使用人、ミシェルやマリエルたちも、暖かく受け入れられている。

 ミシェルは少ししゃべり方が独特だったが、ソラーナ王国の言葉をスラスラ話すことができたのでなんの問題もない。

 マリエルはというと、リアーヌが無理を言ってついて来てもらったという事情からまだ言語の習得が十分ではなく、カタコトになってしまっていたが、それでも彼女なりに馴染もうと頑張っている。


 そうして、何日も過ぎて行ったころ。


(そろそろ、分かってきましたわ)


 リアーヌはある程度の自信を持つことができるようになっていた。


 伯爵夫人としての毎日。

 もちろん大変な事ばかりではあったが、事前に良い教師をつけてもらって学んできた成果か、十分に対応できている。


 リンセ伯爵家の執事、セバスティアンがしっかりとした人物だったことも大いに助かった。


 執事というのは、主人の世話を焼いたり、家中の使用人を束ねたりするだけの存在ではない。

 主人が政務に集中できるように諸事を取り仕切り、差配し、貴重な財産を管理するという、重要な立場にいる。


 先代のリンセ伯爵の代から仕え、エリアスの正体も知っている数少ない人物でもあるセバスティアンは、その熟練の経験から多くのことに精通しており、温厚で誠実な性格も役立ってリアーヌに上手に仕事を教えてくれた。


 それだけではなく、彼がつけていた帳簿は、非常に正確なものだった。

 リンセ伯爵家が蓄えている貨幣の量には一枚の狂いもなかったし、倉庫に保管されている食料の備蓄量も記録に寸分の狂いもなく、細々とした備品の数々に至るまで、きっちりと管理されていた。


 今、この城にはなにがどれくらいあるのか。

 これだけ厳格に帳簿がつけられていると、現状の把握もし易いし、リアーヌから見た課題も明らかになって来る。


 リンセ伯爵家は、まずまず、裕福な家と言って良かった。

 領地には相応の広さがあるだけでなく、土地も十分に豊かで、よほど無謀な浪費をしない限りは食うのに困る心配がないし、無理せず蓄えを増やすことができる。


 いくつか特筆するべき産業もあった。

 クルーセ川の上流には石灰岩の石切り場があって、建材として需要があり栄えていたし、林業が盛んで、木材の生産や、それを利用した木工製品が名産となっている。


 陸路、水路の両方が使える水運の良さから、商業も栄えていた。

 イスラ・エン・エル・リオ城の城下町には大きな広場があり、常設の商店がのきを連ねて熱心に商いを行っているほか、毎月六の倍数の日には多くの行商人たちがやって来て市が建つ。

 エリアスの勧めもあってリアーヌも市場を散策してみたが、数えきれないほど豊富に商品が並び、活気があって賑やかだった。


 これらの産業や商業から、リンセ伯爵家には常に相当数の税収が入って来る。


 生まれ故郷の、ジルベール伯爵家とは大違い。

 伯爵という身分の割に狭い領地しか持たず、見栄を張るため、生きるために、眉根を寄せて金策に知恵を絞っていた実家とはまるで似ていない。


 多少の無駄遣い程度なら、まったく問題がないほどに財政が豊かだった。


 だが、———十分ではない。


 これはあくまで、「伯爵家としては十分」という繁栄に過ぎない。


「リアーヌ。君が来てくれて、本当に良かった」


 エリアスに、心の底からそう言ってもらう。

 いろいろ思っていたのとは事情が変わってしまったが、その願いは今も変わっていない。


 円満に何事もなく過ごしたいだけならば、現状維持さえできれば、それで十分だった。

 このまましっかりと管理を怠らずにいれば、領内の経済は健全に回り続け、人々は安心して暮らし、伯爵家の金庫には蓄えができる。

 天災や戦災が起きても、伯爵家と領民たちは安泰だろう。


 だが、それだけではリアーヌは満足できなかった。

 人並の伯爵夫人としてではなく、獅子令嬢として、人々から、特にエリアスから感心され、められたい。


(何か、新しく産業を起こしたいですわね)


 ある日のこと。

 リアーヌはそんなことを考えながら、何か良い発見はできないものかと、城内を観察していた。


 貧乏ながらも、伯爵家としての体裁を保つ。

 そのことに苦心して来たジルベール家の血が、騒ぐ。


 金策だ。

 なにか新しい産業を領内に起こして、もっと、豊かにしたい。


 収入が増えれば単純に伯爵家としてできることが増えるし、ぱっとすぐには使い道を思いつかなくとも、将来に備えて貯めておくこともできる。

 必ず、役に立つ時が来るはずだ。

 それに、領内に新しい仕事が生まれれば、人々の生活はより安定するだけでなく充実し、喜んでくれるだろう。


 だが、この領内でいったい、どんなあきないを始めるか。


 ただなにかを作って、増やして、売ればいいわけではなかった。


 世の中には、需要と供給というものがある。

 人々が欲しがっているものは作ったらその分だけ売れるから、儲けになる。

 しかし、人々が「もう十分だ」と思っているのに、作ってしまったらどうなるか。

 売れなくて大量に在庫を抱えるか、大安売りをして、赤字を抱え込まなければならなくなってしまう。


 闇雲に商売を始めればよい、というわけではない。

 売り物になるものを探し、賢く投資をしなければ。


 なにしろ元手になるのは、領民たちから集めた税金なのだ。

 無駄遣いはできない。


 では、なんであれば売り物になるのか。

 リアーヌは今、それを探していた。


 石工業や、木工業。

 今あるものを強化するという手もあったが、供給過多になってしまえば大損となるだけでなく、その産業に従事している者たちを苦しめてしまうことになる。

 それではマイナスだ。


(おや? あれは……)


 目についたのは、執事のセバスティアンと、出入りの業者が話しているところだった。

 どうやら城で使う蝋燭ろうそくを買いつけているらしい。


「はい、毎度、ありがとうございます。

 蝋燭ろうそくを一ディセンミレ(約三十六キログラム)で、八スウムン(金貨八枚。約四十八万円)でございます」

「はい、いつも通りでございますね。

 では、お支払いはこちらで。ご確認下さいませ」

「はい、確かに」


 商人もセバスティアンも、ニコニコとした笑顔で親しそうに話している。

 顔見知り同士で、いつもの、日常的な風景であるようだ。


「ちょ、ちょ、ちょ!

 待ってくださいまし! 」


 しかし、リアーヌは慌てて話に割って入っていた。


蝋燭ろうそくを一ディセンミレで、八スウムンだなんて!

 高過ぎますわ!

 相場は、せいぜい二スウムンですわよ! 」

「そんな、伯爵夫人様、とんでもない! 」


 市場価格の数倍で購入させられているのではと血相を変えている獅子令嬢に、商人は憤然として反論する。


「これは、上質な蜜蝋みつろう蝋燭ろうそくでございますよ?

 これが適正価格ですよ! 」

「……えっと、あの。

 なるほど? 」


 驚いてしまったが、そう説明されれば納得するしかない。


 シアリーズ大陸で使用されている蝋燭ろうそくは、多くの場合、獣脂を使っている。

 芯となる繊維質を溶かした獣脂につけ、引き出すと、染みこんだあぶらが固まる。

 これをまた浸し、取り出すと固まって、段々と太くなっていく。

 これをくり返すことで、長く明かりを灯してくれる光源となる。


 リアーヌが想像したのは、この、獣脂製の蝋燭ろうそくの値段だった。

 だが、蜜蝋でできているというのなら、高価なのも納得だ。

 獣脂でできた蝋燭ろうそくは燃やすと悪臭がするのだが、蜜蝋にはそれがない。

 さらに、蜜蝋は養蜂をしなければ手に入らないため、食肉を得る副産物として入手できる獣脂よりも材料の確保が大変だ。

 だから高値で取引される。


 それでも、一ディセンミレで八スウムンというのはやや割高(七スウムンが一般的な相場)ではあったが、輸送費などを考慮すれば必要な出費だと納得できる範囲だ。


(そう言えば、お部屋の蝋燭ろうそくからは、嫌な臭いはしませんでしたわね)


 早とちりしてしまったことを商人にびながら、リアーヌは安い蝋燭ろうそくで済ませていた実家ではぎ慣れていた臭いが、ここではしなかったことを思い出していた。


 同時に、


(コレですわ! )


 ピン、と来ていた。


 新しい商売になる予感がしたのだ。

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