・2-2 第7話 「伯爵家の一日」

 伯爵家の一日は、けっこう忙しい。

 貴族だからと言って、のほほんと優雅に過ごしていればいいわけではない。


 まず目を覚ましたら、身支度を整える。

 決まった時間になると寝ずの番をしていた衛兵か使用人の誰かが起こしに来るから、それまでには目覚め、ベッドから起きたらてきぱきと着替えを済ませ、必要な所用を済ませてしまう。


 それが終わるころになると、家臣たちが朝の挨拶にやって来る。

 執事のセバスティアンを筆頭とした使用人たちや、伯爵家に仕えている騎士長たち。

 それに、エリアスの双子の妹のカルラ。

 主に城館の内部に住居を与えられ、伯爵一家と同じ場所で寝泊まりをしている、特に関係の近い者たちだ。

 そうした者たちから近況を聞き、相談をして、対応する必要のある事柄があればそれぞれ予定に組み入れる。


「あの、リアーヌ様? 」

「……なんでしょうか? 」

「ずっと耳を抑えておいでですが、いかがなさいましたか?

 少々、お顔もお赤いようですが……?

 長旅のお疲れが出てしまったのでしょうか」

「ご心配ありがとうございます、セバスティアン。

 ですが、その、あまり気になさらないで下さいまし。

 夫の、エリアスが悪いんですの」

「ははぁ、なるほど? 」


 今朝のでき事からずっと片耳を抑えていたリアーヌはセバスティアンに心配されてしまったが、たどたどしく説明すると、ベテランの執事は妙に納得した様子でうなずき、それ以上はなにもたずねずにいてくれた。


 それから、朝食。

 城館の内部の大広間にまで出て、挨拶あいさつにやって来た臣下たちと一緒に済ませる。


 内容は軽々としている。

 昨晩の残り物のスープや、パンと飲み物だけ、ということが多い。


 それが済んだら、それぞれの仕事を始める。

 使用人たちは様々な雑務のために散って行き、騎士長たちも、配下の騎士や兵士たちを鍛え抜くために訓練をしたり、治安維持のために部下を率いて周囲の見回りに出かけたりして行く。


 伯爵家の当主であるエリアスは、政務に臨む。

 昨日の内にあがって来た決裁が必要な事柄を、秘書官の手を借りながら片付けて行く。


 その夫人となったリアーヌはというと、こちらも忙しい。

 執事のセバスティアンの補佐を受けながら家中の人々の働きぶりを監督し、城内の様子を見回り、破損がないか、修繕が必要ないかを調べ、飼育している馬などの状態を把握し必要な指示を出し、貯蓄している財産などの管理も行う。


 今日の所は初日ということもあって、研修のような内容で、これまで内向きのことを取り仕切っていたセバスティアンが先生になってくれ、彼についていって仕事の進め方を学ばせてもらった。


 そうしてセルビエンテ(昼前。午前十時くらい)になると、軽食を取る。

 これも簡単なもので、パンにハムやチーズなどを挟んだ簡単なサンドイッチを食べることが多い。


 それから、仕事の続きだ。

 領内には多くの人々が居住しており、様々な訴えごとがあるから、エリアスが処理しなければならない事柄は多い。

 イスラ・エン・エル・リオ城も広いから、リアーヌが確認しなければならない城内の事柄もたくさんあった。


 カバーリョ(昼、正午)過ぎまで働き、もうしばらくでオヴェハ(昼後。午後三時くらい)というころになると、本格的な昼食を取る。

 一日の内でもっとも豪華な、しっかりとした食事だ。

 パンにスープはもちろん、肉料理がついたり、食後にフルーツや、蜂蜜などを使った甘い菓子が出たりする。

 これは朝食と同様、大広間に集まり、主君と家臣がそろって食べるのが習わしだ。


 昼食が終わると、短い休憩時間が取られ、食後の腹ごなしとして昼寝をしたり、みんなでゆっくりして談笑したりする。


 それが終わると、日が傾き始めるまでまたそれぞれのことをする。

 エリアスは伯爵家の当主として、王から招集されれば参陣する必要がある。

 正体は[少女]ではあっても、対外的には[少年]となっているのだから、他の、鍛錬を積んだ戦士たちに劣るわけにはいかない。

 馬術、弓術、槍術、剣術。

 みな一流の技量が求められるから、騎士長などに指導を受けながら厳しく訓練を積む。

 また、戦術や戦略について、座学をすることもある。


 リアーヌはというと、街に出て行って人々から話を聞き、その様子を後でエリアスに報告したり、自分自身のことに時間を費やしたりする。

 これも初日だから、セバスティアンの案内で街の有力者たちに挨拶をし、顔合わせを済ませるような内容だった。


 夫人、とは言うものの、彼女はただ守られる立場になるつもりはなかった。

 場合によっては夫に代わって兵の指揮をとる必要もあるのだから、最低限、自身の身を守れる程度の武術を身に着けておくと決めている。


 さっさと挨拶を終えて時間を作ると、リアーヌは訓練をしているエリアスの所に向かって、飛び入り参加をした。

 愛馬のネージュにまたがり武芸を鍛える様は、それを目にした人々からはずいぶん驚かれはしたが、「これが当然」という顔をして、集まった好奇の視線を無視する。

 実際、獅子令嬢はこれまでこうやって生きて来たから、彼女にとっては馬に乗って弓や剣を扱うのは普通のことだ。


 とうとう日が傾き始めるパッハロ(夕方。午後六時に相当する)になると、夕食、———ではない。

 また、軽食を取る。


 というのは、ソラーナ王国はシアリーズ大陸の中でも南の方にあって緯度が低く、他の地域よりも日照時間が多いために、一日が[長い]からだ。

 ゆっくりと落ち着くのにはまだ早く、もう少し活動するために、簡単な栄養補給をする。


 おやつのような感覚で、甘いお菓子を軽くつまむ。

 好きな人は、ワインやビールなどのお酒をツマミと一緒にたしなむこともある。

 なかなか楽しい時間だ。


 この後は、自由時間。

 それぞれが好きなことをして過ごす。

 リアーヌはネージュの世話をしてやったり、これから一緒に暮らすこととなる家中の人々と会話をしたりして過ごした。


 夕食は、ペーロ(晩。午後九時くらいに当たる)になってようやく食べる。

 後は休むだけ、という時間なので、これも軽く。

 スープにパン、あるいはチーズといったもので手短に済まるが、朝食と昼食と同様、主君と家臣が集まって食べる決まりだ。

 酒好きな者は、ここでもゆっくりと晩酌を楽しむこともある。


 こうして、一日が終わる。

 家族や親しい者で今日あったこと、明日のことなどを語り合うなどした後、ベッドに向かい、それぞれの場所で休息する。


「うかがってはおりましたが……、慣れませんわね」


 夜。

 蝋燭ろうそくのほのかな明かりに照らされ、ベッドの上で寝そべりながら、リンセ伯爵夫人としての最初の一日を終えたリアーヌが疲れたような声をらした。


 覚悟はしていたことだし、事前にしっかりと情報収集も行っていたからなんの問題も起こらなかったが、やはり、故郷であるゴロワ王国の慣習とはずいぶん異なっている。


 中でも、一日に五回も食事をする機会があるというのには、驚いた。

 多くは軽食で、しっかりと食べるのは昼食だけなのだが、それでも回数が多い。


 もっとも、日が早く登り、遅くに落ちるソラーナ王国の環境には、適した食習慣であるとも言えた。

 人間が活動できる時間が長いのだから、こまめに栄養補給をしないとお腹が空いてどうしようもなくなってしまう。


「驚いたよ」


 リアーヌの隣で横になっているエリアスは、楽しそうに笑っている。


「手紙で読んで、知ってはいたけど……。

 リアーヌは本当に、武芸も得意なんだね。

 ネージュもうまく乗りこなしていて、感心しちゃったよ」

「伊達に[獅子令嬢]などと呼ばれてはおりませんもの」


 会心の笑みが浮かぶ。


(それは、ずいぶんと頑張りましたもの……)


 エリアスにこう言って欲しくて、認めてもらいたくて。

 この数年、研鑽けんさんしてきたのだ。


 その苦労が実ったのだから、嬉しくないはずがない。


(でも……)


 慣れない、というのは、ソラーナ王国の生活習慣のことだけではなかった。


 [エリアス]が、[エリシア]だった。

 その現実もまだ、完全に受け入れることができたわけではない。


 その場の勢いで乗り越えてしまったが、後で冷静になってみると、我ながらずいぶんと大胆なことしたものだと、半ば呆れたような気持ちになる。


「さ、休もう。

 明日も、今日と同じで忙しいんだから」


 エリアスは微笑んでそう言うと、蝋燭ろうそくに息を吹きかけ、部屋を暗くするとそのまま、毛布にくるまってしまう。


 あ、ちょっと……、と、思わず声が出かかった。


(調子が狂いますわね)


 だが、すぐに仕方がないと諦め、リアーヌも大人しく、物足りなさを抱えたまま眠ることにする。


 今は、新婚ほやほやと言った時期のこと。

 普通の[男女]ならそのままなにもなく眠ってしまうことなどないだろうと想像すると、どうにも身体がソワソワとしてしまう。


 いっそ、寝込みを襲ってやろうかと思わないでもなかった。

 だが、すでにエリアスは心地よさそうに寝息を立て始めている。


 ずいぶん、寝つきが良い。

 まだ一緒に暮らし始めて日の浅い相手が隣にいるというのに、すっかり安心して、リラックスしている。


「……うかつなお方」


 その無邪気さに毒気を抜かれた気がしたリアーヌは、伴侶パートナーに対する親愛と、自身の運命に対するほんのわずかな恨みの念を込めてそう呟くと、素直に目を閉じた。

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