:第2章 「新しい日々」
・2-1 第6話 「新しい日々」
ソラーナ王国の家臣、[王国の五本指]のひとつ、リンセ伯爵家。
その居城であるイスラ・エン・エル・リオ城は、西から東へ流れて行くクルーセ川が大きく北に向かって蛇行しまた東に向かい始めるところに、水面を背にして南岸に建っている。
シアリーズ大陸ではよく見られる、市街地全体を囲ったタイプの城だ。
伯爵家の住居・政庁ともなっている城館のある、見上げるような小高い丘を中心に、練兵場や兵舎、畜舎などが配置された区画がぐるりと囲み、その東側に市街地が広がっている。
東西に横長だ。
そしてそれらはすべて、いくつもの防御塔を備えた、石灰岩を積んで作られた城壁によって囲まれ、出入り口は鉄で補強された分厚い木製の堅固な門によって守られていた。
さらに外側には、ベイリーと呼ばれる放牧地が広がっている。
削り出して先端を尖らせた丸太を地面に突き刺しただけの簡易的な城壁で囲われたそこまでが、[城]として見なされる区域に入る。
その周囲には湿地を干拓して作った農地が広がり、今は、冬小麦などが植えられ、厳しい冬を越えた後にようやく訪れた暖かな日差しを浴びて、ぐんぐんと伸びている最中だった。
特徴的なのは、クルーセ川の上流の石切り場で切り出され、舟を使った水運で運ばれて来た灰色の石灰岩で築かれた街並みと、景観を美しく魅せるために統一された、青い屋根。
そして、巨大な風車があることだ。
イスラ・エン・エル・リオ城はかつて、内陸にできた[島]のような場所だった。
大きく蛇行しながら流れて行く川と、南側に広がる湿地に囲まれ、河川の
時のリンセ伯爵は、これを見て「ここに城を築こう」を決めた。
大前提として、屈曲した川によって西側と北側の陸地が切断され、完全に敵襲を遮ることができる他、陸続きの南側には河川の氾濫によって形成された湿地が広がり外敵の侵入を妨げてくれるという、守りの堅固さがある。
円滑に出入りできるのは唯一、東側だけ。
一か所を重点的に守ればよく、これは、防衛を考えた時に非常に有利なことだった。
さらには、交通の便にも優れていた。
この島の
その途中で北側に向かえば、ゴロワ王国へと至ることもできた。
リアーヌたちも通って来た道だ。
それだけではなかった。
クルーセ川は水量が十分にある、普段は流れの穏やかな川で、舟を使って行き来できる。
つまりこの場所は、陸路でも水路でも、非常に便利な場所だった。
交通の
伯爵領全体を統治する上でも、防衛上の観点からも、絶好の立地だ。
だが、あまりにも[水気]が多過ぎた。
渇く心配はせずに済むが、こんな、川と湿地に囲まれ、時には洪水に襲われて孤立しかねない場所では、疫病も流行りやすく、場合によっては
だから、水を抜くことにした。
特徴的な風車は、そのためにこそ存在している。
風の力を利用して南側の湿地から水を抜き、干拓して乾いた土地を増やし、生活をしやすくするのと同時に、広大で豊かな耕作地としたのだ。
この土地に暮らす人々にとって、城の南西側に築かれた出城に守られた巨大な風車は、豊かさの源であり、遠く旅に出た時に故郷を懐かしく思い出す際の象徴となっている。
湿地を陸地にしてしまっては、せっかくの守りの利点が失われてしまうと思うかもしれない。
だが、過去の人々は賢かった。
いざという時には風車を逆回転させ、低地のままとなっている干拓地に水を流し込むことで、そこを巨大な水堀として使えるように工夫されている。
こうした理由から、イスラ・エン・エル・リオ城は、ソラーナ王国でも屈指の名城として知られていた。
人口は一万人程度と、この時代のシアリーズ大陸では比較的大きい、というだけに過ぎない地方都市ではあったが、守りの堅固さと立地の重要さから名高い。
その城を治める、リンセ伯爵。
エリアス・リンセ。
———少女であることを偽り、少年として生きてきた、十六歳に過ぎない若き伯爵。
[彼]は、盛大な婚礼の祝宴の後の気怠さと共に目を覚ました。
招いた大勢の人々に対応するだけで精一杯であったからだ。
「……きれい」
まだ焦点が合わず、ぼんやりとしていた視界に入って来るのは、美しい金髪。
自身の[妻]となった、リアーヌ・ジルベールの寝姿だった。
自然と、昔のことが思い起こされる。
最初に出会った時のこと。
リアーヌに対する第一印象は、
(
というものだった。
気弱で、ついつい周囲の顔色をうかがってしまう自分とは、全然、違う。
己の意見をはっきりと口に出し、考えを持って、行動できる。
その気の強さが、自分にもあれば……、と、そう思った。
加えて、その、髪の色。
だって、物語に出て来る[お姫様]と言えば、美しい金髪に碧眼だと、そう思っていたから。
その中から出てきた登場人物のようで、あまりにもきれいに見えて、自分の髪もああだったらよかったのに、と、そう感じずにはいられなかった。
まして、自分は、[自分自身]としては生きられない。
[エリシア]ではなく、[エリアス]として生きなければならない。
どうあっても、物語の中のお姫様のようには、なれない。
そのことと合わせて、リアーヌの髪の色に対しては憧れと同時に、それ以上の強さでコンプレックスを抱いて来た。
よく手入れをされて、サラサラとした心地よい手触りで、指の間を清水のように流れて落ちて行く。
欲しい、と夢に見て来たそれは今、ある意味では、[彼]のものになった。
(少し、いや、かなり、驚いたけれど)
無理矢理に結ばれた夜のことを不意に思い出し、どうしようもなく、赤面してしまう。
自分でも、「今さらだ」ということはよくわかっていた。
少なくとも、リアーヌが故郷のジルベール伯爵家を離れる前には、自身の正体を明かし、婚約を取り消していなければならなかったはずだ。
だが、あのタイミングになるまで言い出すことができなかった。
自身の秘密を、彼女以外には知られずに伝える手段など思いつかなかったし、優柔不断な自分には手遅れになるまで打ち明ける決心がつかなかったからだ。
後継者争いとなって深刻な混乱を招かないために、父が吐いた[大きなウソ]。
血を流さないためには、隠し通さなければならない。
その秘密を守るためには手紙に書くなんてことはできなかったし、使者を送って直接伝えようと思っても、今度はその使者から
だがそれは、今なら、できない、とするための、[言い訳]だったと分かる。
リアーヌは、———本気だ。
そのことは何度も手紙をやり取りしている間に、よく知ることができていた。
そんな彼女の気持ちを、突き放す。
そうしなければならないと分かっていたのに、エリアスにはそうすることがどうしてもできなかったのだ。
その思いが、あまりにも強かったから。
それがどれほどの覚悟なのか、同じ[女]である自分には、よく理解できたから。
(こうなって、良かったのかもしれない)
髪をもてあそばれ、まどろみながらくすぐったそうな声を
結局のところ、自身のリアーヌへの気持ちはきっと、
うまく言い表せない。
愛情、とも、恋慕、とも、友情、とも、どこか違うような気がする。
ただひとつ、確かなのは。
ここにこうして一緒にいられることが、嬉しい、ということだ。
———だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
伯爵家の当主として、やることはたくさんある。
そしてそれは、伯爵夫人となったリアーヌも同じだ。
起き出さなければならない。
「リアーヌ。ね、起きて。
リアーヌ? 」
軽く肩をゆすってみたら、小さなうなり声が返って来るが、目は覚まさない。
なんだか、よほど楽しい夢を見ているようだ。
「困ったな」
エリアスは眉を八の字に寄せて悩みこんでしまったが、少し考え込むと
あんな[強引なこと]をされた、仕返しをしてやろうと思ったのだ。
「獅子令嬢ともあろうものが、こんなにだらしなく寝ぼけているなんて……。
うかつ、だね? 」
自身の良心を納得させるためにどこかで聞いたようなセリフを呟くと、エリアスはそっと身体を起こし、静かにリアーヌの耳元に顔を寄せ、
「ふー」
優しく息を吹きかける。
———驚き、慌てふためいて跳ね起きたリアーヌのリアクションは、とても面白いものだった。
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