・1-5 第5話 「婚約破棄なんて、許しませんわ! 」

 動揺は過ぎ去り、代わりに、烈火のような怒りが浮かび上がって来る。


 エリシアだってずいぶん悩んだのには違いない。

 それは、わかっている。


 だが、秘密を打ち明けるのが、あまりにも遅い。

 なにしろリアーヌはもう、結婚するために故郷を立ってしまったのだ。

 リンセ伯爵領に入った今さら婚約を破棄されて送り返されるのでは、あまりにも立場が悪くなってしまう。


 言い方は不適切かもしれないが、[返品]されてしまうようなものだからだ。


 第一に、この婚姻は、政略結婚。

 伯爵家同士の話ではなく、ゴロワ王国とソラーナ王国の間で決まったこと。

 王命だ。

 どうやったら婚約破棄を認めさせられるというのか。


 もっと以前に、この秘密を打ち明けてくれていれば良かった。

 そうすれば、なにか手段を考えることだけはできたというのに。


(いろいろと、遅すぎますわよ……)


 エリシアは優しい性格だ。

 だからこそこうして秘密を打ち明けるためにたった一人で姿をあらわし、頭を下げている。

 そして、そういう性格であるからこそ、こんな、手遅れになるまで秘密を明かす決心ができなかったのだろう。


(やっぱり、頼りない方)


 精悍せいかんな、頼もしい少年に育ったと思っていたのに。

 根っこは、第一印象の時のまま。


 なんて、優柔不断で、頼りない!


 そう思うのと同時に、———自身の想いを再確認することもできていた。


(ああ、どうしても、わたくしは……)


 男ではなく、女。

 その事実は、リアーヌが描いていた将来像を打ち壊してしまった。


 だが、やはり自分は、この人のことが[好き]だ。

 側にいて、支えたいという気持ちが強くある。


 こんなに優柔不断な性格では、これからきっと、大変だろう。

 理由があって性別を偽っていたのだろうが、それを隠し続けられるかどうかだって、怪しい。


わたくしが、守って差し上げなければ……)


 エリアス、いや、エリシアのためであれば、自分はどんな苦境でも頑張ることができる。

 きっと、他の誰かではダメなのだろう。


 そう思ったリアーヌは、顔をあげると、「ミシェル! 」と声をあげていた。


「……はい~。お呼びございましょうか~? 」


 少ししてから、返事がある。

 内緒ないしょ話はもちろん、普通に話す声も聞こえないが、こうやって大声で呼びかければ届く、という距離でひかえていたのだろう。


「エリアス様は、お一人でお見えになったのでしょうか? 」

「その通りでございます~。他に~、どなた様もつき従ってはおりません~。

 きっと~、お忍びで~、いらしたのだと思います~」

「ありがとう。よくわかりましたわ。

 それでは、ミシェル。

 しばらくの間、離れていてくれませんこと?

 少々、込み入ったお話をさせていただきたいのです」

「……。

 はい~。おおせのままに~」


 リアーヌがなにを考えているのか。

 おそらくはそのことを察したのだろう。

 ミシェルは再び離れて行き、気配が完全に消える。


 それを待ってから、リアーヌは部屋の扉の方まですたすたと歩いて行くと、ガチャリ、と、後ろ手で鍵を閉めていた。


「……リアーヌ? 」


 その様子で、その場の雰囲気が変わったことに気づいたのだろう。

 ずっと頭を下げ続けていたエリシアが恐る恐る顔をあげる。


「さて」


 そんな彼、いや、彼女のことを、リアーヌは嘲笑あざわらうような表情で見つめていた。


「このわたくし、[獅子令嬢]の部屋に、お一人で乗り込んでいらすなんて。

 うかつ、でしたわね? 」


 その視線から、殺気にも似た、ただならぬ気配を感じ取ったのだろう。

 エリシアはゴクリ、と固唾をのみ込み、引きつった愛想笑いを浮かべる。


「えっと……、どういう……:? 」


 リアーヌは答えなかった。


 その代わり、一歩、一歩、ゆっくりと距離を詰めながら。


「えっと、リアーヌ? 」


 戸惑ったような呼びかけは、無視する。

 するすると、身に着けていた衣服をひも解き、素肌をさらしていく。


 まだ誰にも自由にさせることを許したことの無い、磨き抜かれ、輝くような肢体。


 大切にして来たものだ。

 たった一人の、自身の夫となる者のために、ずっと、ずっと———。


 それを目の当たりにした瞬間、リアーヌがなにを考えているのかを悟ったのだろう。

 一瞬その美しさに息を飲んで見とれたものの、我に返ったエリシアはさっと頬を朱に染めながら、「リアーヌ、服を着て……っ! 」と言って距離を取ろうとする。


「逃がしませんわっ! 」


 だが、すでに自身がなにを成すのかを決めていたリアーヌの方が、早い。

 逃れようとしたものの、エリシアはあっという間に組み伏せられ、そのままベッドに押し倒されていた。


「は、離して……、リアーヌ」


 獅子ライオンに捕獲された哀れな獲物のように。

 フルフルと小刻みに震えながら、エリシアはうてくる。


 その、小動物を思わせるうるんだ瞳は、逆に、リアーヌの心の内で燃え上がった炎を扇情せんじょうした。


「嫌です」


 腕を強くつかみ押さえつけたまま、きっぱりと断る。


「あなたが、女であろうと、関係ありません」


 そしてそうそう告げながら、じわじわと顔を寄せて行く。


わたくしは、あなたの妻となるために、はるばるやって来たのです。

 故郷を出たその時から、もう、わたくしは、あなたのモノ。

 ———今さら、婚約破棄だなんて。

 絶対に、許しませんわ! 」


 長くのばした金髪ミルキーブロンドがサラサラと落ち、カーテンとなって、真っ赤に上気し、半ば泣き出しそうなエリシアの顔を覆い隠した。


「だから……、わたくしを、受け入れて下さいませ。

 ———いらないなんて、おっしゃらないで下さいませ」


 最後の言葉は、ささやくように。


 ———拒絶しようと思えば、エリシアにはできたはずだった。

 体格は、ほぼ同じ。

 性別も一緒。


 だが、力に関しては、エリシアの方が若干、上だっただろう。

 幼いころから、少女としてではなく、少年として生きるために、必死に鍛錬を積み重ねてきたのだから。

 鍛え抜いた分だけ、膂力りょりょくは大きい。


 だが、拒絶はできなかった。


 彼女は、どうしようもなく優しかったから。

 そして。

 相手が、———リアーヌであったから。


 二人の夜は、人知れずにけて行った。


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 かくして、[獅子令嬢]、リア―ヌ・ジルベールは、[小指伯爵]、エリアス・リンセの花嫁となった。


 二人の結婚式は、リンセ伯爵家の居城である[イスラ・エン・エル・リオ城]の城下町にある聖堂で、大勢の人々をまねいて盛大に執り行われた。

 二人はおごそかな雰囲気の中で誓いの言葉を交わし、その命がある限り、誠実に、共に思いやりながら歩み続けることを約束し、口づけを交わした。


 ドレスで着飾った[花嫁]は、威風堂々と。

 その隣に寄り添う[花婿]は初々しく、赤らめたままの顔をうつむかせがちに。

 式の間中、ずっと、そんな様子だった。


 その光景を目にした人々は精一杯の喜びの言葉で祝福しながらも、こっそりと噂し合ったものだ。


「あれでは、どちらがめとられたのか分からぬな……」、と———。


 太陽暦千百九十六年、三月三十二日。

 穏やかな春。


 秘密を共有した二人の、新たな物語が幕を開けた。


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※作者注

 この異世界の一年は、三百六十日で、十か月。

 つまり一か月は三十六日で構成されている、という設定です。

 三月三十二日、リアーヌとエリアスが結婚式を行った日は、現実の地球で言えば四月の中旬ごろ、ということになります。

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