・1-4 第4話 「婚約破棄!? :2」

 君との婚約を、破棄したい。


(婚約を……、破棄……? )


 呆然自失としてしまう。


 聞き間違いなどではなかった。

 目の前の少年は明らかに真剣な様子でその言葉を口にしたし、そもそも、たわむれにそんなことを言うような性格はしていない。


 少なくともリアーヌが知っているエリアスというのは、誠実で心優しい男性だ。


 それが、こんなことを言う。

 それもわざわざ夜中こんなじかんにやって来て。


 ———本当に婚約を破棄しようとしているのだとしか、思えない。


 自身を形作っていたすべてが粉々に打ち砕かれ、足場のない暗黒の中に放り出されてしまったような、嫌な浮遊感が全身を襲って来た。


 ここで婚約破棄などされたら、自分の人生は、いったい、なんだったというのか?


 勝手に許嫁を決められ、運命を押しつけられて。

 それでも、それを受け入れると、その中でできるだけ幸せになってやると、誓って。

 見事な花嫁になれるよう、誰にでも誇れるほどに頑張って来たというのに。


 その全部が、たったの一言で台無しにされた。


わたくしはいったい、どうしたら……? )


 もう、ジルベール伯爵家に帰ることだってできないというのに。


 故郷を離れた瞬間から、すでにリアーヌは嫁いだのも同然だった。

 その行く先から拒否されたら、いったい、どの面下げて帰れるというのか?


 人々はどうしてリアーヌが拒絶されたのかと勘繰り、そして、悪い噂をささやき合うのに違いない。


 容姿か、性格か。

 なにか、そうなるだけの理由があったのだと人々は勝手に妄想し、でっち上げ、信じ込む。


 きっと、リアーヌの居場所なんて、なくなるのに違いない。

 新たな婚約相手だって、噂が立つせいで見つからないだろう。

 これからの人生は、過酷なものとなる———。


「なぜ? 」


 ようやく絞り出すことができたのは、その、短い問いかけの言葉だけ。


 大声で泣きわめき、取り乱し、「どうして!? 」と問いただしたかった。

 「ここまで来て、今さらなぜ!? 」と、なじり、罵倒ばとうしたかった。


 だが、そんなことはできない。


 自分は、リアーヌ・ジルベール。

 獅子令嬢。


 威風堂々、しとやかな伯爵令嬢。


 その意識が、プライドが、最後の一線を形作っている。


「……ごめん、リアーヌ」


 リアーヌが受けているショックがどれほどのものであるのか、分かってはいるのだろう。

 エリアスは心から申し訳なさそうに、苦しそうに顔をゆがめながら、頭を下げる。


「本当は、もっと前に言わなければならなかったんだ。

 それなのに、こんな時にまでなってしまって……」

「ですから、それは、なぜですの? 」

「実は……、僕は、エリアス、では、ないんだ」

「……。

 はい? 」

「僕は、本当は、[エリシア]なんだ」


 混乱の余り、頭がよく回らない。

 目の前にいる少年がなにを言っているのか、理解できない。


 自分は、[エリアス]ではない。

 ———[エリシア]なのだ。


 よく似た響の、だが、確かに違っている名前。


 ソラーナ王国の言葉では、確か、エリシアというのは……。


 [女性]の名前だ


「は? え?

 あなた……、エリシアって、……え? 」


 そのことをようやく思い出したリアーヌは、戸惑いの余りきょとんとしてしまう。


 そんな彼女に、[エリアス]あらため、[エリシア]は、少し気恥ずかしそうに、心底から申し訳なさそうに、上目遣いで、だがはっきりと告げる。


「だから、その……。

 僕は、男じゃ、ないんだ。

 カルラの、妹の、双子の[兄]じゃない。

 双子の、[姉]、なんだ」


(ははぁ、なるほど、確かに……)


 恐ろしいことに、パズルのピースがぴたっとはまったような納得感があった。


 そりゃ、結婚なんてできるわけがない。

 もちろん、男と男、女と女が愛し合ったって、結婚したっていいのだろうが、二人とも貴族なのだから、どうしたってそれは許されない。


 なにしろ、貴族というのは[血をつなぐ]のも使命の内なのだ。

 たくさん子供を産めばそれだけ自分の家の勢力を強めることができるし、きちんとした後継者を作って円滑に引き継いでいけば、統治もうまくいく。


 領内は安泰。

 領民も心穏やかに、それぞれの生活に専念できる。


 だから、貴族というのは血を上手につながなければならない。

 断絶しても、後継者争いが起こってもいけないのだ。


 だが、女と女では。


 養子をとる、という手段は使えなかった。

 それで爵位を継承する正当性を確保できれば良いのだが、血統を重視する貴族社会においてはなかなか難しい。

 どこかで物言いがつき、大きな混乱を招いてしまう恐れがある。


 また、下手をすれば領民たちがそれを認めず、反旗をひるがえすかもしれない。

 なぜ貴族が人々の上に君臨できているかと言えば、それは、[やんごとなき血筋である]という権威を有しているからだ。

 血の繋がらない者を養子にとったところで、そんな相手に税は納めない、従わない、という者が出て来ることは、十分に想像できることだった。


 爵位を継承するための正当性というのは、とにかく、確保されなければならないものだ。

 嫡子ちゃくしならばよほど性格や能力に難がなければ問題は起きないが、養子となると、全員が納得できる結果を生むのはなかなか難しい。


 だから、婚約は破棄する。

 女同士で、結ばれることは許されないのだから。


 そうする以外にはない。


 エリアス、いや、エリシアの理屈は、そういうものであるのだろう。


(どうりで……)


 話が合うはずだ。


 エリアスからもらう手紙はいつも共感できるもので、他の貴族の子弟から感じる粗野な印象はまったくなかった。

 だが、相手が男ではなく女であったのなら、そんなのは当たり前だ。

 同性同士なのだから興味・関心も似る可能性は高いだろう。


 過去を思い起こすと、思い当たるフシがどんどん出て来る。


「だから……、ごめん! 」


 エリシアは深々と頭を下げていた。


 こんな大事なことを今まで黙っていたのだ。

 彼、いや、彼女の方が悪いのだと、よく理解しているのだろう。


「……本当に、あなた、自分がなにを言っているのか、分かっておいでですの? 」


 その気持ちは真摯しんしなものであることはよく伝わってきていたが、それでもリアーヌは、問わずにはいられない。


「あなたがエリアスではなく、エリシアであるというのなら、わたくしがどんな気持ちでここにいるのか、お判りになるはずですよね?

 それなのに、婚約破棄?

 はっ!

 いったい、どういうおつもりなんですの? 」


 同じ、女性。

 だからこそ、婚姻するというのがどういう意味を持つのか、エリシアには分かるはずだ。


 ビクリ、と肩が震えるのを、リアーヌは見逃さない。


「五、六人くらい。

 ぽこぽん♪ と、産んで差し上げる、そういう覚悟でおりましたのに」


 だが、敢えて言う。

 それがどれほど大変なことか、どれだけの覚悟なのか、相手はよくわかっているだろうが、アテツケだ。


 エリシアは頭を下げたまま、顔をあげない。

 自分の方に非があるのだから、謝り続ける以外にはないと理解しているのだろう。


(———許せませんわね)


 いつの間にか、リアーヌの口元には獰猛どうもうな笑みが浮かんでいた。

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