・1-2 第2話 「リンセ伯爵領」

 リアーヌ・ジルベールの嫁入りの行列は、ささやかなものだった。


 嫁ぐこととなる獅子令嬢に、その愛馬のデストリエ(軍用馬の中でも体格の良い種類の呼び名)、美しい白馬のネージュ。

 それにつき従うのは、十数名ほどの人々。

 リアーヌの側近くに仕える女中や、嫁入り道具を運搬するための労務者と駄馬、そして護衛の兵士たち。


 選び抜かれた者たちではあったが、決して贅沢なものではない。


 それも、そのはず。

 ジルベール伯爵家は、伯爵という比較的高位の爵位を持っているのにもかかわらず、あまり裕福な家ではないからだ。


 由緒正しい家柄だ。

 その祖先はなんと、かつてシアリーズ大陸を統一した英雄、[聖王マニュス]にまで行きつく。


 だが、その領地はさほど広くはなく、経済的にはいつも、ギリギリであった。


 長い歴史の間に、段々と貧しくなったわけではない。

 最初から、こうだった。


 というのは、聖王マニュスの子孫、と言っても、それは五十三人もいた子供たちの一人にしか過ぎず、分割相続でジルベール伯爵家として独立したものの、子孫それぞれに与えられた領地は小さかったからだ。


 とはいえ、その血筋の価値は、諸侯の間で高く評価されている。

 聖王マニュスの五十三人の子孫の中には家系を断絶してしまった家も多くあり、千年以上も生き延びてきた由緒正しい家柄となれば、それだけで価値があると見なされる。


 貴族という特権階級にとって、その血筋というのは、その特権の正当性を保証するための重要な要素だった。

 かつてシアリーズ大陸を統一した大英雄の子孫だから領地を持ち、統治者として君臨している、と言えば、多くの者たちが納得して従ってくれる。

 そういう権威主義的な雰囲気が色濃い世界だから、由緒正しいというのは非常に貴重なことだった。


 だから、今回の政略結婚にリアーヌが選ばれた。

 王家と王家同士の結びつきだけでなく、臣下同士の関係も深めよう、となった時に、こうした[良家]を差し出した方が、ありがたがられるし、相手方にもはくがつく。


 といっても、リアーヌは自身の家柄だけを自慢に生きるつもりなど、さらさらない。

 経済的な事情で連れて行くことのできる家臣も少ないし、嫁入り道具として持ち込める財産も限られていたが、すべて選び抜いて来た。

 感心されこそすれ、呆れられることはないと自信を持って言える。


 なによりの自慢は、愛馬のネージュ。

 立派なデストリエで、ゴロワ王国の王家で飼育している血統に属する良血馬だ。


 白亜の毛並みに覆われた美しさだけではない。

 体高は四ヴェステティージャと八デシマエ(約百五十四センチメートル)と、リアーヌの身長の五ヴェステティージャ(約百六十センチメートル)に匹敵するほどに高く、牝馬ひんばであるにも関わらずこの時代の一般的な馬よりもずいぶんと大きい。

 身体つきも立派なもので、四肢は太くたくましく頑強、リアーヌがフル装備の甲冑を身に着けて走り回らせたとしても、まったくものともしない壮健な名馬だ。


 おそらく、仮に売ってくれ、ということになったら、小ぶりな城ひとつとなら交換するほどの値打ちがある。


 もちろん、手放すつもりなど毛頭ない。

 これほどの馬はなかなかいない、というだけではなく、仔馬のころからリアーヌが手塩にかけて育ててきた、大切な家族でもあるからだ。


「リアーヌ様~。間もなく~、リンセ伯爵領に入るころでございます~」


 慣れ親しんだネージュの背に揺られながら、故郷から何日もかけて進んで来た獅子令嬢に、女中の一人、ミシェルが馬首を並べて来て、特徴的な、少し間延びしたおっとりとした声でそう告げる。


「そう。ようやく、ですのね……」


 うなずいたリアーヌは、思わず周囲の景色を見渡していた。


 シアリーズ大陸は平坦な地形の多い場所だったが、リンセ伯爵領は、山がちな土地であった。

 人々の多くは西から東に横断していく河川、クルーセ川に沿って形成された比較的平らな土地に居住しているが、その周囲は大地が盛り上がり、その険しさから手を加えられることなく、一部が牧草地、ほとんどが森林などになっている。


 だが、リアーヌはその、やや[田舎っぽい]景色が好きだった。

 自然は雄大なキャンパスとなり、四季折々、様々な表情を描き出してくれる。

 故郷の景色とは異なるが、リンセ伯爵領の季節の移ろいを眺めるのが、今から楽しみだった。


「マリエル。あなたにも見えたらよかったのに。

 とても、美しい場所ですわよ」


 背後を振り返り、自身にしっかりとしがみつきながらネージュの後ろ側に腰かけているもう一人の女中に、声をかける。

 すると、マリエルという名の十九歳の女性は、焦点をうまく合わせることのできなくなってしまった双眸そうぼうを精一杯に見開き、周囲を観察する。


「やっぱり、よくわかりません……。

 だけど、心地よい香りがします」


 彼女は六年前に流行病にかかり、快癒かいゆしたものの病魔の影響で視力のほとんどを失ってしまった

 だが、マリエルとリアーヌはそれ以前からの親友であり、主君と使用人、という立場を越えた存在であったことから、今回の嫁入りにもなんとかお願いして、ついて来てもらっている。


(ここが、わたくしたちの新しい、故郷)


 口では「美しい場所だ」とは言ったものの、リアーヌの眼差しは不安そうだった。


 夫となるエリアスは素晴らしい相手であるし、何度か滞在したことのある経験から、リンセ伯爵領の人々がみな自分にとって良い人だ、というのも理解している。


 だがそれでも、故郷とはまったく異なる場所での暮らしとなるのだ。

 未知数なことが多く、花嫁となる前に精一杯に学んできたとはいえ、どうしても不安は残る。


 目の不自由なマリエルに無理を言ってついて来てもらったのも、この、内心のどこかで消えない気持ちのためだった。

 親しい、気の置けない友人と一緒でなければ、少し、恐ろしかったのだ。


「リアーヌ様~。見えて参りましたよ~。

 本日の宿泊先~、予定通りに~、つけそうです~」


 少し感傷的になってしまった雰囲気を察したのか、ミシェルが気を利かせて、前方を指し示してくれる。

 するとその先には、灰色の石灰岩と青色の瓦屋根で作られた、この地域独特の建築様式を持った小さな街の姿があった。


 リンセ伯爵領の国境の街だ。

 時刻はまだオヴェハ(昼後。十五時前くらい)。

 暗くなるまでにはずいぶん余裕があるが、かといって、エリアスが待っているリンセ伯爵家の居城、イスラ・エン・エル・リオ城までは少し遠い。


 今日は、あの街で一泊。

 そしてそこで精一杯の準備を整え、目いっぱいにおめかしをして、明日、夫となる少年に会いに行く。


「さぁ、みんな。

 今日はあの街で、ゆっくり休んでくださいませね。

 その代わり、明日は、勝負! ですわよ!? 」


 明日はきっと朝早く、ティグレ(明方)には起き出して、総出で用意をしなければならないだろう。


 そう思って自分自身と他のみなに気合を入れ直すと、リアーヌははやる気持ちを抑えながら、二度と戻ることがないかもしれない道のりを進んで行った。

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