獅子令嬢と小指伯爵のレコンキスタ
熊吉(モノカキグマ)
:第1章 「獅子令嬢の嫁入り」
・1-1 第1話 「リアーヌ・ジルベールとエリアス・リンセ」
ゴロワ王国のジルベール伯爵家と、ソラーナ王国のリンセ伯爵家の間で
聖王マニュスによって諸族が統一され、シアリーズ大陸全土がひとつの国家として栄えていたのは、遥か昔のこと。
人間や動物の死骸から[火の魔法]を生み出すとして恐れられ、深紅の髪と金色の瞳を持つ忌まわしき[火の民]に対抗するために一度は団結した人々も、聖王マニュスが崩御からほどなく分裂した。
以来、群雄割拠の時代が続いている。
誰と手と取り合い、誰と敵対するのか。
生き残るためには、大切な選択だ。
頼りになる味方を選んで手を組みたいところだったが、しかし、裏切られる可能性もある。
安心はできない時代が続いて来た。
笑顔で手と手を取り合いつつも、裏では互いに警戒し、常に備えていなければならない。
王侯貴族たちはみな、そうやって生きていた。
そんな世界において、[政略結婚]というのは多用される手段だ。
ただ口約束を交わしただけでは、あまりに[軽い]。
今は良くとも、将来、状況が変われば、簡単に心変わりをされてしまう。
だが、互いに婚姻関係を結んでいれば、少しは安心できる。
妻が夫に、あるいは夫が妻に、「家族を助けて欲しい! 」と必死に頼み込めば、断ることのできる者はそうそういない。
二人の間に子供が生まれ、それが世継ぎともなれば、その効果はさらに高まるというものだ。
[血]のつながり。
それは、約束が必ずしも守られない世界においては数少ない、信用できる結びつきであった。
だからと言って。
———家の都合で政略結婚をさせられる側は、たまったものではない。
時には、顔も知らない相手と、訳も分からないまま結婚させられることだってある。
住み慣れた故郷を離れ、遠い、見知らぬ場所に、唐突に放りだされるようなものだ。
途方に暮れてしまう。
生きるためには仕方がないことであったし、群雄割拠の時代ではありふれたでき事なのだとしても。
当人たちにとっては、なかなか、受け入れがたいでき事だ。
自分の[人生]が、周囲の[都合]によって決められてしまうのだから。
その点、リアーヌ・ジルベールは、幸運であったかもしれない。
確かに彼女の婚姻は、親同士が、いや、さらにその上の君主たちが、頭ごなしに勝手に決めたものだ。
物心がつく前にはすでに相手が決まっていて、たとえどんなに嫌だと言ってみたところで、くつがえすことのできない[運命]になっていた。
それでも、———リアーヌは、この婚姻を「良かった」と思うことができている。
彼女は、自身の夫となる相手のことを何年も前から知っていた。
将来結ばれることになるのだから、と、太陽暦(マニュス暦)の千百八十九年に、互いに顔合わせを済ませているからだ。
リアーヌ・ジルベール、十歳。
相手となるエリアス・リンセは、九歳。
初顔合わせの際の印象は、
(なんだか、頼りないお方……)
というものだった。
リアーヌは活発で気の強い性格だったが、エリアスはどこか優柔不断なところがある気弱そうな少年で、むしろこちらが「守ってあげなければ」と思ってしまうような相手だった。
だが、不思議と気が合った。
顔合わせを済ませた後、二人は度々、文通をするようになったのだが、野山で見つけた花が可憐で美しかったとか、最近生まれた仔馬がかわいらしいとか、容姿がよく似ている妹と入れ替わる
なんだか[少年]らしくはなくて、[少女]らしい話題が多く、共感できる。
リアーヌはいつも、エリアスからの手紙が楽しみで仕方がなかった。
すぐに力自慢をして来たり、いかに頼もしいかをアピールしたりしてくるような、よく見かける
(とても、お優しい方)
優柔不断、と思ったが、その一言では片づけられない性格だと思うようになった。
エリアスは心が優しく、いつも周囲の人々を気にかけているから、こうだ、と物事を断じることが苦手なだけなのだ。
さらに交流を続けるうちに、ただ優しいだけではない、ということも知ることができた。
二人にはもう一度だけ、顔を合わせる機会があった。
父のジルベール伯爵が外交使節としてソラーナ王国に派遣された時に、せっかくだからと途中まで同行させてもらい、リンセ伯爵家の領地で過ごさせてもらったことがあるからだ。
事件は、その時に起きた。
美しい花畑がある、ということで誘われ、エリアスと、その妹のカルラと一緒に
そこで、飢えた数頭の狼と鉢合わせしてしまったのだ。
なかなか獲物にありつくことができず、腹を空かせていた狼たちにとっては、動物だろうと人間だろうと、関係ない。
食えるものは、食らう。
そうしなければ死んでしまうからだ。
まだ幼く未熟で力の弱い少年少女は、絶好の獲物に見えたことだろう。
エリアスは、勇敢だった。
怯えて暴れる馬を逃がした後、リアーヌとカルラを木に登らせて避難させ、自身は剣を抜くと、狼たちと対峙した。
近くにあった木は、三人が避難するには小さ過ぎたせいだ。
背後を取られないよう、そして、リアーヌたちに絶対に危険が及ばぬよう、木の幹を背にして。
悲鳴をあげることもなく剣をかまえ、狼たちを睨みつける。
その姿に、———思わず、ゾクゾクとした。
頼りない、心優しいだけだと思っていた少年が、いつの間にか、たくましく、
エリアスと狼たちとの対峙は、しばらくの間続いた。
太陽の傾きから、時刻がセルビエンテ(昼前・午前十時ぐらい)から、カバーリョ(昼・正午ごろ)になったと分かるほど、長く。
狼たちは攻めあぐねていた。
なんとか首筋などの急所に噛みつこうとしつこく狙っていたが、近寄れば風切り音と共に鋭く研ぎ澄まされた
うかつに接近することができない。
そうしている間に、先に逃がした馬の様子を見て何かが起こったと察したのだろう、近所に住む猟師が猟犬と共に駆けつけてくれ、三人は助かった。
普段はかわいいとしか思わない犬たちがワン! ワン! と勇ましく吠えたてて狼たちを追い散らす姿を目にした時は、思わずカルラと抱き合って喜んでしまった。
(このお方と、
結ばれるのだ。
その時にリアーヌは、自身のあずかり知らぬところで勝手に決められたこの婚姻を、受け入れるという気持ちになった。
心優しいだけではなく、勇敢で頼もしい。
彼だって狼が怖かったはずなのに、リアーヌと妹を守るために、そして自分自身が生きるために、必死に戦ってくれた。
あの時の心臓の高鳴りは、恐怖のためだけではなかったと、はっきりと断言できる。
———リアーヌは、エリアスに[恋]をした。
そうしてさらに数年が経ち、太陽暦千百九十六年の三月の末。
エリアス・リンセが十六歳の誕生日を迎えるのを待って、リアーヌ・ジルベールは約束通り、花嫁となる。
この数年は、ずいぶんと頑張った。
それまでは伯爵家の令嬢としてかわいがられ、大切に育てられて来たのだが、嫁ぐ、と決めた以上は、今までのような[子供]ではいられない。
立派な妻となる。
そのために、リアーヌはあらゆる修業を積んだ。
貴族の夫人と言っても、ただひたすらに、使用人たちに
家の内向きのこと、たとえば財務の管理をし、使用人たちを指導・監督して家中が円滑に機能するようにして、夫が王に招集された際には領地の留守を預かり、代わって統治をしなければならない。
夫がいない間に敵に襲撃されれば、リアーヌが残った兵力を指揮して戦うことだってあり得るのだ。
これらのためには、様々な技能が求められる。
リアーヌは、お飾りの夫人になるつもりなどなかった。
エリアスに「僕の妻は、君以外にはあり得ない」と言ってもらえるような、そして領民たちからは「リアーヌ様が来てくださって本当に良かった」と喜んでもらえるような、公私共に夫を支えられる伯爵夫人になりたい。
いや、絶対に、なる!
だから、良い家庭教師をつけてもらい、必死に学んだ。
「リアーヌ様には並みの貴族ではとても及ばぬ」と、先生たちから感心されるほどに熱心に。
そうしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになった。
———[獅子令嬢]。
それは、リアーヌの美しい
[獣の王]を想像させるような勇敢さと、高貴さを感じさせるしとやかさを備えた令嬢として、自然と得た
もし、
成長したリアーヌの姿を見て、そう悔しがった諸侯は数多い。
だが、どんな相手が好意を向けて来ようと、彼女にとっての[その人]は、ただ一人だけだった。
最後に顔を合わせてから、年単位で会っていない。
きっとエリアスも、リアーヌの成長ぶりを見て驚くだろう。
(嫌だなんて、言わせませんわ! )
自身の力では到底、くつがえすことのできない、政略結婚という[運命]。
その中で、できるだけ大きな幸福をつかもう。
あの、かわいらしくも、勇敢な少年と共に、歩んで行こう。
その決意と共に、家族や領民に見送られ、特に信頼を置く幾人かの臣下と共に旅立ったリアーヌは、ゴロワ王国とソラーナ王国の国境を形作っているパルヌー山脈を越えた。
次の更新予定
獅子令嬢と小指伯爵のレコンキスタ 熊吉(モノカキグマ) @whbtcats
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