獅子令嬢と小指伯爵のレコンキスタ

熊吉(モノカキグマ)

:第1章 「獅子令嬢の嫁入り」

・1-1 第1話 「リアーヌ・ジルベールとエリアス・リンセ」

 ゴロワ王国のジルベール伯爵家と、ソラーナ王国のリンセ伯爵家の間で婚姻こんいんが行われることが決まったのは、十年以上も昔の話だった。


 聖王マニュスによって諸族が統一され、シアリーズ大陸全土がひとつの国家として栄えていたのは、遥か昔のこと。

 人間や動物の死骸から[火の魔法]を生み出すとして恐れられ、深紅の髪と金色の瞳を持つ忌まわしき[火の民]に対抗するために一度は団結した人々も、聖王マニュスが崩御からほどなく分裂した。


 以来、群雄割拠の時代が続いている。


 誰と手と取り合い、誰と敵対するのか。

 生き残るためには、大切な選択だ。


 頼りになる味方を選んで手を組みたいところだったが、しかし、裏切られる可能性もある。

 安心はできない時代が続いて来た。


 笑顔で手と手を取り合いつつも、裏では互いに警戒し、常に備えていなければならない。

 王侯貴族たちはみな、そうやって生きていた。


 そんな世界において、[政略結婚]というのは多用される手段だ。


 ただ口約束を交わしただけでは、あまりに[軽い]。

 今は良くとも、将来、状況が変われば、簡単に心変わりをされてしまう。


 だが、互いに婚姻関係を結んでいれば、少しは安心できる。

 妻が夫に、あるいは夫が妻に、「家族を助けて欲しい! 」と必死に頼み込めば、断ることのできる者はそうそういない。

 二人の間に子供が生まれ、それが世継ぎともなれば、その効果はさらに高まるというものだ。


 [血]のつながり。

 それは、約束が必ずしも守られない世界においては数少ない、信用できる結びつきであった。


 だからと言って。

 ———家の都合で政略結婚をさせられる側は、たまったものではない。


 時には、顔も知らない相手と、訳も分からないまま結婚させられることだってある。

 住み慣れた故郷を離れ、遠い、見知らぬ場所に、唐突に放りだされるようなものだ。


 途方に暮れてしまう。


 生きるためには仕方がないことであったし、群雄割拠の時代ではありふれたでき事なのだとしても。

 当人たちにとっては、なかなか、受け入れがたいでき事だ。


 自分の[人生]が、周囲の[都合]によって決められてしまうのだから。


 その点、リアーヌ・ジルベールは、幸運であったかもしれない。


 確かに彼女の婚姻は、親同士が、いや、さらにその上の君主たちが、頭ごなしに勝手に決めたものだ。

 物心がつく前にはすでに相手が決まっていて、たとえどんなに嫌だと言ってみたところで、くつがえすことのできない[運命]になっていた。


 それでも、———リアーヌは、この婚姻を「良かった」と思うことができている。


 彼女は、自身の夫となる相手のことを何年も前から知っていた。

 将来結ばれることになるのだから、と、太陽暦(マニュス暦)の千百八十九年に、互いに顔合わせを済ませているからだ。


 リアーヌ・ジルベール、十歳。

 相手となるエリアス・リンセは、九歳。


 初顔合わせの際の印象は、


(なんだか、頼りないお方……)


 というものだった。


 リアーヌは活発で気の強い性格だったが、エリアスはどこか優柔不断なところがある気弱そうな少年で、むしろこちらが「守ってあげなければ」と思ってしまうような相手だった。


 だが、不思議と気が合った。

 顔合わせを済ませた後、二人は度々、文通をするようになったのだが、野山で見つけた花が可憐で美しかったとか、最近生まれた仔馬がかわいらしいとか、容姿がよく似ている妹と入れ替わる悪戯いたずらを仕掛けたら執事のセバスティアンの反応がおもしろかったとか。

 なんだか[少年]らしくはなくて、[少女]らしい話題が多く、共感できる。


 リアーヌはいつも、エリアスからの手紙が楽しみで仕方がなかった。


 すぐに力自慢をして来たり、いかに頼もしいかをアピールしたりしてくるような、よく見かける自信過剰じしんかじょうで粗暴な貴族の子弟とは、どこか雰囲気が異なっている。


(とても、お優しい方)


 優柔不断、と思ったが、その一言では片づけられない性格だと思うようになった。

 エリアスは心が優しく、いつも周囲の人々を気にかけているから、こうだ、と物事を断じることが苦手なだけなのだ。


 さらに交流を続けるうちに、ただ優しいだけではない、ということも知ることができた。


 二人にはもう一度だけ、顔を合わせる機会があった。

 父のジルベール伯爵が外交使節としてソラーナ王国に派遣された時に、せっかくだからと途中まで同行させてもらい、リンセ伯爵家の領地で過ごさせてもらったことがあるからだ。


 事件は、その時に起きた。


 春爛漫はるらんまんのころ。

 美しい花畑がある、ということで誘われ、エリアスと、その妹のカルラと一緒にポニーに乗り、出かけたことがあった。


 そこで、飢えた数頭の狼と鉢合わせしてしまったのだ。


 なかなか獲物にありつくことができず、腹を空かせていた狼たちにとっては、動物だろうと人間だろうと、関係ない。


 食えるものは、食らう。

 そうしなければ死んでしまうからだ。


 まだ幼く未熟で力の弱い少年少女は、絶好の獲物に見えたことだろう。


 エリアスは、勇敢だった。

 怯えて暴れる馬を逃がした後、リアーヌとカルラを木に登らせて避難させ、自身は剣を抜くと、狼たちと対峙した。

 近くにあった木は、三人が避難するには小さ過ぎたせいだ。


 背後を取られないよう、そして、リアーヌたちに絶対に危険が及ばぬよう、木の幹を背にして。

 悲鳴をあげることもなく剣をかまえ、狼たちを睨みつける。


 その姿に、———思わず、ゾクゾクとした。

 頼りない、心優しいだけだと思っていた少年が、いつの間にか、たくましく、精悍せいかんに育っていたのだ。


 エリアスと狼たちとの対峙は、しばらくの間続いた。

 太陽の傾きから、時刻がセルビエンテ(昼前・午前十時ぐらい)から、カバーリョ(昼・正午ごろ)になったと分かるほど、長く。


 狼たちは攻めあぐねていた。

 なんとか首筋などの急所に噛みつこうとしつこく狙っていたが、近寄れば風切り音と共に鋭く研ぎ澄まされたやいばが振るわれる。

 うかつに接近することができない。


 そうしている間に、先に逃がした馬の様子を見て何かが起こったと察したのだろう、近所に住む猟師が猟犬と共に駆けつけてくれ、三人は助かった。

 普段はかわいいとしか思わない犬たちがワン! ワン! と勇ましく吠えたてて狼たちを追い散らす姿を目にした時は、思わずカルラと抱き合って喜んでしまった。


(このお方と、わたくしは……)


 結ばれるのだ。


 その時にリアーヌは、自身のあずかり知らぬところで勝手に決められたこの婚姻を、受け入れるという気持ちになった。


 心優しいだけではなく、勇敢で頼もしい。

 彼だって狼が怖かったはずなのに、リアーヌと妹を守るために、そして自分自身が生きるために、必死に戦ってくれた。


 あの時の心臓の高鳴りは、恐怖のためだけではなかったと、はっきりと断言できる。


 ———リアーヌは、エリアスに[恋]をした。


 そうしてさらに数年が経ち、太陽暦千百九十六年の三月の末。

 エリアス・リンセが十六歳の誕生日を迎えるのを待って、リアーヌ・ジルベールは約束通り、花嫁となる。


 この数年は、ずいぶんと頑張った。

 それまでは伯爵家の令嬢としてかわいがられ、大切に育てられて来たのだが、嫁ぐ、と決めた以上は、今までのような[子供]ではいられない。


 立派な妻となる。

 そのために、リアーヌはあらゆる修業を積んだ。


 貴族の夫人と言っても、ただひたすらに、使用人たちにかしずかれ、気ままに暮らせるわけではない。

 家の内向きのこと、たとえば財務の管理をし、使用人たちを指導・監督して家中が円滑に機能するようにして、夫が王に招集された際には領地の留守を預かり、代わって統治をしなければならない。


 夫がいない間に敵に襲撃されれば、リアーヌが残った兵力を指揮して戦うことだってあり得るのだ。


 これらのためには、様々な技能が求められる。


 リアーヌは、お飾りの夫人になるつもりなどなかった。

 エリアスに「僕の妻は、君以外にはあり得ない」と言ってもらえるような、そして領民たちからは「リアーヌ様が来てくださって本当に良かった」と喜んでもらえるような、公私共に夫を支えられる伯爵夫人になりたい。


 いや、絶対に、なる!


 だから、良い家庭教師をつけてもらい、必死に学んだ。

 「リアーヌ様には並みの貴族ではとても及ばぬ」と、先生たちから感心されるほどに熱心に。


 そうしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになった。

 ———[獅子令嬢]。

 それは、リアーヌの美しい金髪ミルキーブロンドからつけられただけの名ではない。

 [獣の王]を想像させるような勇敢さと、高貴さを感じさせるしとやかさを備えた令嬢として、自然と得た渾名あだなであった。


 もし、許嫁いいなずけが決まっていなかったなら、自分の家に迎えたかった……。

 成長したリアーヌの姿を見て、そう悔しがった諸侯は数多い。


 だが、どんな相手が好意を向けて来ようと、彼女にとっての[その人]は、ただ一人だけだった。


 最後に顔を合わせてから、年単位で会っていない。

 きっとエリアスも、リアーヌの成長ぶりを見て驚くだろう。


(嫌だなんて、言わせませんわ! )


 自身の力では到底、くつがえすことのできない、政略結婚という[運命]。


 その中で、できるだけ大きな幸福をつかもう。

 あの、かわいらしくも、勇敢な少年と共に、歩んで行こう。


 その決意と共に、家族や領民に見送られ、特に信頼を置く幾人かの臣下と共に旅立ったリアーヌは、ゴロワ王国とソラーナ王国の国境を形作っているパルヌー山脈を越えた。

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2024年11月29日 23:00
2024年11月30日 10:00
2024年11月30日 18:00

獅子令嬢と小指伯爵のレコンキスタ 熊吉(モノカキグマ) @whbtcats

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