[005] 有るものは使う

狼対策の罠。

 その必要性については数を問わなければ賛否両論存在していると言える。


 資源としての狼の狩猟、人食害を引き起こした個体・集団に対する対応、或いは深刻な家畜被害に対する対策。これらは両論を伴いながらそれを是とする傾向が強い。


 対して、生態系の乱れによる環境への未知数の影響、或いは狩猟そのものへの娯楽性を求めての殺傷を目的とする場合は多くを非とする。


 但し、単純にこうした野生動物に対して愛玩性だけを求めて、是非の議論に介入することは、好ましいとは言えない。


 いずれにしても、この世界、サザウ国ポッコ村で起こっている事例に対して、罠がしかけられる事に対する倫理的同義を問うというのは、酷く前衛的で、時代錯誤な主張とは言えるだろう。

 実際に、家畜被害だけでなく、まだ四歳という幼い命にも被害は出ており、人間側の抵抗手段というのも限られているのだから。




 河内幢子が作り出したものは、一種の毒餌である。


 退治した狼、狼が食い残した羊、鶏の残脂、骨など。それを返り血と肉片を浴びながら、整形していく。

 こぶし大のミンチ肉の塊に、河原で採取してきた黒曜石の切片を混ぜ込み、砕いて粉々にした骨粉を混ぜ込み繋いでいく。


 これは、純動物性肉団子に、極めて殺傷性の強い異物を混入したものだ。


「加工自体は難しくないと思います。ただ作業をする際は素手で行うと黒曜石で手を傷つける事も多いと思いますので。」

 手にぐるぐると巻いた草布は、自分の手に切り傷を作らないようにである。


 幢子は2つの記憶からこの団子が有用性を持った罠であろうことを考察していた。


 一つは、鋭利な刃物を獣脂など包み、それを舐めさせる、噛ませるなどで動物の口腔を傷つけ弱らせる罠が記憶にあったこと。捕獲を前提としない場合はそれが有用だろうこと。


 もう一つは、身近な生活知識に、飼い犬や飼い猫のプラスチックや塩化ビニル製品の誤飲による衰弱や死傷といった知識があったことだ。これは餌への混入などが例に多い。


 イヌ科の動物が、動体視力や嗅覚に優れているのに対し、静止物にはそれほど警戒を働かせない傾向がある、という知識である。

 他に例としてあげるならば、老化した犬、弱った犬など嗅覚が弱った犬は、視覚的に用意されていたとしても餌を認識できなくなっていくことや、逆に飢えた若い犬が、栄養価の不足から未消化物の臭いを頼りに食糞するなどの例も知識にある。


 口に入れさせて、或いは食道や消化の過程で、殺傷性の極めて高い害獣への罠。


 退治、という手法に直接的な「殺傷」を求めた村人や衛士たちに対し、実行難易度は飛躍的に低下する。


 最も、これはその作成に対して十分な資材が存在していたからとも言える。

 生きた家畜を潰してまで作るものではなく、また、その作成に対して忌避感・嫌悪感が強い場合もあるだろう。


 事実、幢子の黙々とした作業に対して、その臭いや工程に口元を抑える村人も見える。

 屋外で行われていることもあり、ウジやハエといった類も多く寄って来たためだ。


「これだけ強い臭いが出るというのも、狼にとって効果的なんですよ。」

 それはそうだろう。

 リオルは知識としてそれを知っていたから、この作業が始まり間もなく、他の衛士に村の周囲を警戒させている。血の匂いは、飢えた野生動物を引きつける。

 そこに「恐怖」を感じることはあったからだ。逆に利点を説く、というこの主張にも一定の理解を示す。


 出来上がった黒曜石が混入した肉玉は、村のあちこちに仕掛けられる。


 勿論、その作成作業で最も強い臭いが残る、広場にも多く仕掛けられた。

 黙っていても、狼は夜この場にやってくる。疑いようがない。


 幢子が思い描く懸念は、あと残っている対策は、戸締まりの不全な家屋の補修だろうか。


 内鍵の耐久性、ドア自体の耐久性に不安がある家屋に対する補修も大急ぎで行われた。

 肉玉作成の手順が引き継がれ次第、幢子と衛士の巡回のもと、村の余材によって行われる。


 幢子は見ていて判ったのだ。


 狼被害に対して、この村の住人は、基本的に「何をしたらいいか」の知識を持っていなかったこと、「有識者の指示を待っているだけ」であったことを。


 家畜の世話や農作業については積極性ある行動が取れる人も多いだろう。

 或いは税や、衛士といった国の持つ法と整備については理解もあるのだろう。


 だが自分たちの生活に対する一歩先の利便性や拡充には「知識の壁」が横たわっている。


 それは木製の農機具が多く見られたことや、家屋の構造にも感じ取れていた。

 問題点を認識しながらも、或いは無意識に感じながらも、その改善方法がわからないと言った類だ。


 また幢子自身、自分の立場を「どこかしらの貴族令嬢」として正確に把握されていることを理解していた。だからこそ「何処の誰」を問われぬよう「記憶喪失」であると語ったのだ。


 おかげで、衛士や村人は、素性の知らぬ「河内幢子」を、そのまま扱った。

 それは「権威」に弱い現代社会での職場環境での人間関係を見て、経験しての、「こうすれば上手くいくだろう」という無形の工作だった。


 こうして日は沈み、夜はやってくる。


 詩魔法師エルカに予備の着衣を借り、汲んだ井戸の水で血肉の臭いを幾らか落とし、河内幢子は教会の片隅で小さくなって眠る。


 狼の吐息、足音に耳を研ぎ澄ませながら。

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