[004] 工作令嬢

サザウ国。

 南に海を構え、東西には国境、北には連峰が連なる。沿岸海運を主とする中小国の一つ。


 しかして、内陸部は難点も多い。洋沿いの街道は整備されているが、主要河川を遡っていくと未開拓の土地も多い。

 国政は王家、それと貴族院による合議制で、これは建国時に各漁業都市の豪商が出資者、貴族の基礎となったことから始まる。


 王家は建国の祖となった都市の豪商貴族が成ったが、そもそもが武力統一ではなく合議によって成った国であるため、その権力は決して多くはない。


 また国家として成立したのも150年ほどの歴史しか持たず、陸運・海運貿易で、他国にも少なくない依存をしている。

 首都は王都トウド。洋沿い都市郡の丁度中間に存在する。国民人口は五十万前後とされている。




 河内幢子は特に記憶を失っているわけではない。


 今朝食べた朝ごはんもまだ覚えているし、スーツの継ぎ目の糸のほつれ一つも記憶に鮮明だ。

 ただ、この状況が、そろそろ白昼夢でないことは受け入れつつある。


 自分の記憶をもとに作られた夢の世界というには、その細部の表現と、世界の法則の一貫性が鮮明であったからだ。

 自分に迫る狼が、投擲された槍によって吹き飛ばされた時、その風圧やその後の狼の生々しさを肌身で感じていた。

 飛びかかられていれば、自分がそれなりに大きな負傷をしていただろう事も想像さえできる。


 ハンカチで拭った衛士の血も、抱えた時のその体の重さも、リアリティにあふれていた。


「こいつは困ったな。」

 リオルは存在するだろう身分差もひとまず置いて、素直に述べた。


 衛士は貴族よりも身分が低い。功績を見初められ衛士隊長、そして衛士長、その上に貴族叙勲を得る、そのまた上に貴族の御歴々や血族により身分を重ね連ねている。

 そこの令嬢、夫人であるとするならば、たとえ幼い女児であったとしても、リオルよりは高位にはなる。勿論人生経験の差が埋まるわけではないが。


「今は任務中故に、申し訳ないが、王都へ送り届ける人員を割ける余裕もない。それに状況の雲行きは悪い。」

 村の存亡、それに自分たちの生死すらも危うい場面である事は、その場にいる誰もが理解できている。しいてその危機感が薄い人物がいるとすれば、目の前の幢子だろう。


「私の方はいいので、問題の解決を優先してくださって構いませんよ。王都へ行ってどうなるものでもありませんし。」

 幢子は「王都」という言葉から、この国が何らかの王国であると情報を更新する。

 つまり、ある程度の法整備や国家維持の体制が存在しているだろうと考察する。


「そう言って頂けるのは幸いですが、事態は難しいのですよ。」


「今この村は、狼の群れに目をつけられ、危険な状態なのです。」

 詩魔法師のエルカがそう付け加える。

 王都への修学経験のあるエルカもまた、幢子の身なりから何処かしらの御貴族様であるという考えで接していた。


「では、お手伝いしますよ。」

 幢子は、ためらう間もなく、そう付け加えた。



 おおかみという存在がどれほど危険かは、幢子も資料や知識として知っている。


 同時にそれのもつ資源としての役割も知っているが、まずは生命の危機が解決されねば意味がない。

 農機具、建築物の建造様式、住民の身なり。

 それらの情報は幢子の目によって観測され、状況の考察材料として並べられている。


 それらの様式から、そのおおかみは「保護されるべき対象」等という生易しいものではなく、害獣、それも複数頭の熊と何ら変わらない脅威と考えるべきだと考察していた。


 幢子の住んでいた日本でも、ほんの五十年、百年前であれば、大型で、集団生活をする害獣は、生命を脅かす危機であり、その対策や対応の失敗は、生活圏の崩壊を意味していた。

 幸いにもそれに対抗するための知識というのも、相応に手の届きやすい場所に存在もしていた。


「この辺りに火山があるのなら、黒曜石、黒くて、割ると鋭い刃物になる石はありませんか?」


 北部連峰の一つがそうであり、近隣に流れるサト川の中にそういった岩があると聞かされると、幢子は目を輝かせる。

 その足で飛び出していこうとし、慌ててリオルが一人の衛士を護衛に付ける。


「よろしいのですか?狼に襲われたりは。」


「来るとしたら夜だ。今は群れの仲間を殺されて少しは警戒しているはずだ。」

 狼が、人を狩りの対象としてみているのなら、弱い者を狙ったり、優位性を活かせる行動を取るはずだと、リオルは考えを述べる。

 エルカもまた、幢子の無警戒に納得はしないながらも、リオルの考えに理解を示す。


 日も傾かない内に、足首を濡らしスーツを包みにして石を抱えて戻った幢子は早速と工作に取り掛かる。


 まずは石を割って、その断面を確かめる。幢子はそれに満足行くような笑みを浮かべる。

 手に村人から借りた草布をぐるぐると巻き、指の関節一つ分ほどまで石を細かく割り始める。

 周りにはそれはとても貴族の令嬢とは思えぬ仕草であった。


「毒を作る環境もないですし、臭いで警戒されるかも知れませんしね。」

 狼に食い殺され、無残な臓物に成り果てた羊の亡骸を、幢子は衛士や村人に集めさせていた。


 作業の行われている庭先に、生臭い悪臭が漂う。

 それでも幢子は物怖じせず、没頭している。


 臓物を切り裂き、手頃な大きさに切り分けながら、幢子の衣類は返り血と肉片で汚れていった。

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