詩の空 朱の空(仮称)
うっさこ
[001] 詩魔法
詩魔法。
その研究の歴史は、まだ浅い。
今から350年程ほど前、歴史に名を残す、かの「嘆きの導師」が唄う「遠き異国の詩人の歌」が数々の奇跡を起こした偉業に端を発し、かの御仁の伝記よりその研究は産声を上げている。
中でも研究に偉大な功績を残したと言われるのが「デ・リザ」による御仁との随伴手記、そしてそれを所蔵した「東泉導教」、それを慣わしとする「導都アンジュ都市連合国」による「考察編纂庁」の存在であろう。
同教義の「嘆きの導師」の神格化それ自体を禁じられた故に、「導師の神たる証明」に叡智を惜しみなく費やすかの学術国が、導き解き明かしたる世界の理の一つが「詩魔法」という魔法の体系分野であった。
ある種、執念と言ってもいい。
「嘆きの導師」が本当に神、ないしは神の使いであったかは宗教的論議になるが、
その研究に依って「偉業の逆算から導き出された」様々な恩恵は、宗教の垣根を超えて、世界の文明を大きく加速した。
時に豊穣を願う「論拠ある」祭事として。時に雨を請い、陽を願う祈りとして。
時に心身健やかなる「治験済み」の療事として。痛みを鎮め、傷を塞ぎ、心を癒やす。
そして、時に外敵を打ち払う「壮健屈強たる」破邪の軍事として。
かの国、かの教義が、それを最大限に証明をしてみせた。それは疑いようもない。
かの国がもたらしたそれらは、詩魔法に限らず、多く世界に取り入れられた。
最早細部を見れば、恩恵を受けていないものの方が、圧倒的に少ないとすら言われている。
その中でも詩魔法は今も世界全体で研究が積み上げられている。
新たな発見を生み出し続けている。
「大丈夫か!」
衛士リオルは、槍を構える。その槍先は既に真っ赤な血に染まっている。
「数匹、狼が向かって、そちらには村が!」
詩魔法師エルカは、自分がやってきた村の方向を指差す。リオルが指示を出すと、数機の馬がエルカの村に向かって飛び出していく。
近くに狼の群れがやってきたのはエルカの村の村人たちにとっては不幸な出来事であった。
森に潜んだ狼が夜毎、村を襲っては家畜を喰らい去っていく。
村にとって死活問題であるその災害に抗う手段として、自警団が組織され、同時に村長によって王都への救援要請が出された。
王都で詩魔法を学んで、夢やぶれて派遣先として里帰りを果たしたエルカは、望む望まぬ問われすらせずに、農家の青年たちによって自警団に組み込まれるのを拒むことはできなかった。
昨晩、村を襲った狼がついに村の子供を凶牙にかけたのを皮切りに、王都からの救援が派遣されるのを待たずに、自警団は森へ飛び出すことになった。
しかし、猟師ならいざしらず、牧畜に農作を生業とする、頑丈が取り柄なだけの青年たちは、狼の野生としての知性を見誤り、奮闘虚しく、満身創痍の身となった。
エルカはそれを懸命に支援した。
狼と戦うだけの頑強さを与えたのだ。
棒を振るえば容易く骨を砕くだけの力を、走る狼に走って追いつくだけの脚力を与えたはずなのだ。しかし、野生を生きる狼たちの、外敵との命をかけるやり取りの経験までは、詩魔法では補うことは叶わなかった。
エルカ自身もそれを見誤っていた。
そしてそれは同時に、派遣されもう間もなく村へと辿り着いたであろう衛士たちにとっても想定外であった。
既に警戒を強めている狼を前に、詩魔法の支援を得ずに戦闘を開始せねばならない。
負傷を覚悟しなければならない、そういう事態である。
「支援は出来るか?」
リオルは残りこちらを警戒し唸っている狼を前に唾を飲み込む。
「集中、できなくて、声が。魔素を、集め、られなくて。」
リオルの心臓の鼓動が増す。自分が生死をかける状況に立たされているのだと理解をする。
とっさに王都に残す両親の顔が脳裏に浮かぶ。
青年たちを責めまい。
そうココロに言い聞かせるが、あと半日をなぜ待てなかったという気持ちがそれを覆わずに居られない。
「いいか、落ち着け。息を整えて、集中しろ。少しでいい、支援を。」
「や、やってみます。」
エルカは胸に手を当て、息を吸う。
ドクドクと打ち付ける鼓動が手に伝わってくる。
『さあ、戦が始まるぞ』
詩を紡ぐ。鼓動はさらに加速する。
体の血液をめぐる流動魔素が肺を伝い、喉を伝い、声として出力される。
『腕を振るい、耳を澄ませ、疾く駆けよ』
身体の虚脱感と反比例するように、脈拍があがっていく。
肺が体内の魔素を絞り上げていく。
『さあ、敵を打ち倒せ』
エルカの心臓が悲鳴を上げる。
意識を手放しそうになるほどの息苦しさ。
それとは真逆に、リオルは手足に力が注がれるのを感じる。
エルカの声が耳を伝い、その詩が、身体に染み渡る。
不安と動揺が鳴りを潜め、興奮に口内に唾液がにじみ出る。
恐怖が克服されていく。
『故郷で家族が待っている』
『さあ、勝利を掴み取れ』
徐々に声が細く、弱々しくなっていく唄声が、消える寸瞬を前に詩を紡ぎ終える。
それと同時に、リオルが駆ける。
瞬間に、突き出された槍が二匹の狼の内、一匹を串刺しにする。
虚を突かれた残りの一匹が、慌てて距離を取る。
しかしそこへ、串刺しになった狼が槍先から放り投げられる。
猟師の矢のような速さで打ち出されたそれは、狼の後ろ足を打ち付け、勢いを大きく削ぐ。
その一瞬を、リオルが槍先の刃で薙ぐ。
瞬く間に、二匹の狼は命を絶たれる。
これが詩魔法だ。
魔法を正しく理解し、その支援による「伸び代」を理解している者がいればこそ、効果が発揮される。
村の青年たちは詩魔法を「受けた」戦闘訓練をしたことなど無かった。
どれだけの力が与えられ、どれだけの勢いが生まれ、どれだけの事ができるのか。
衛士たちは王都でそれを「受けて」訓練を重ねる。
詩魔法の乗った状態で槍を振るい、戦場を駆け、それを支配する。
あと半日、待っていれば傷を負うことも、被害が拡大することもなかったのだ。
「私は村の方へ急ぐ。馬には乗れるか?」
リオルはエルカに手を差し伸べる。
先に向かった同僚たちの安否がその胸中を占める。
まさにその時、エルカの来た村の方から、まばゆい光が辺り一面を覆い尽くした。
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