詩の空 朱の空(仮称)/ 第三部 開始 [2025/10/05]

うっさこ

[000] 炉に火が入る

 白い空に、真っ白な太陽の光は満ちて、地面へと降り注いでいる。


 遅くまで炭窯の前に座っていた彼女は、顔にすすの後を残したまま、窓から差し込む光を顔に受け、尚、眠り続けている。


「トウコ様。」

 誰かがそんな彼女を、揺すり起こす。


「トウコ様。起きてください。」

 何度揺すられても、彼女は起きる素振りを見せない。


「今日は大事な日なのですよね?トウコ様。」

 三度の声掛けに、何の反応を示さないその様子に、揺すり起こすのを諦め、誰かが部屋を出ていく。


 窓の向こうから幾人かの子供たちの声が響き伝わってくる。

 少し遠くから、何かが割れる甲高い音が響く。


 誰かが遠くで叫んでいる。


「トウコ様、ジエ様がおこっ」

「起きました。」


 扉の向こうから聞こえる声に被せるように、彼女は勢いよく身を起こして、言葉を発する。


「おはよう、エルカ。」



 身支度を整え、井戸水で顔を洗いだ彼女は、炊場へと足を向ける。


「おはようございます、トウコ様。」

 朝の炊事当番が、椀に汁を注ぎ、木匙を差し入れて、彼女へ差し出す。


「おはよう。ねぇ、さっき陶器が割れる音が聞こえたんだけど。」

 彼女の問いに、当番は苦笑いを浮かべる。


「ジエ様が飛んでいきましたよ。大事にならなきゃいいけど。」

「やっぱり。気持ちはわからなくないけれど。」

 椀の中に浮かぶ豆をすくい取り、口に放り込む。炊かれた汁が彼女の舌の上を這い、喉に豆が流れていく事で、熱さで眠気が払われていく。


「直前まで、トウコ様が起きてこない事に気を揉んで、そこらを落ち着かない様子で歩いていたんですけどね。」

「だと思ったよ。」

 ざらざらと椀に沈んだ豆を木匙で口へと流し込み、それを残った汁で押し込んで、彼女は椀を返す。


「ごちそうさまでした。」

 彼女の礼に当番は満面の微笑みを返した。



「ねえ、エルカ。」

 静かに自分の後ろをついてくるその足音に、彼女は声を掛ける。


「どうかしましたか、トウコ様。」

 声が返ってくる事に、彼女は思わず微笑む。


「ジエさんが戻ってこない内に、始めちゃおうと思うから、頃合いを見て声をかけて、来るように言って。」

「駄目ですよ。そんな事したら、余計に怒られます。」

 同意ではなく、たしなめる声が返ってきて、彼女は苦笑いを浮かべる。


「でもさ、ジエさんが戻ってくるのを待つのも、時間が惜しいと思うんだ。」

「トウコ様が、早く起きれば良かっただけです。空が白み始めてようやく床に入ったからですよ。」



 彼女がその場に訪れると、既に数人が、煤で顔を汚しながら、籠で木炭を運び込んでいた。


「おはようございます、トウコ様!」

「おはよう、皆。今日から大変だけど、よく寝てきた?」

 彼女の問いに対して、その場の一同が口を開けて笑い声を上げる。


「ええ。おかげでぐっすり寝てきましたよ。妻に叩き起こされたくらいで。」

 一人の返答に、再び笑い声が上がる。


「早速だけど、火起こしをして、送風と燃焼の最終確認をしたいんだ。通風と、炭塵、火の粉には気をつけてね。温度が上がってきて気分が悪くなったら、無理をしないように。」


 炉の中へガラガラと木炭が注ぎ込まれていく。


 彼女は焚き口に座り込み、手早に木屑から火を起こすと、藁草へと火を継いで、炉の中へと放り込む。


「始めるよ。」


 彼女は手に握ったクランク式のハンドルを回し始める。

 大きい歯車が回り始め、小さい歯車へそれが伝達されると、炉の上部から黒い炭粉がワッと吹き上がる。


 慌てて、彼女はハンドルの回転を弱める。


 やがて炉から吹き上げる風に火の粉が混じり、周囲の熱量が増していく。



 事の始まりは、この出来事のおおよそ、一年前にさかのぼる。

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