命の剣

ヴォルフガング・ニポー

命の剣 本編

 冒険者ギルドという組織ができて百年近くになる。


 それまではどこぞのゴロツキと同じ扱いをされていた冒険者たちに社会的地位を与え、結果として彼らは社会貢献のために努力をするようになった。


 冒険者に対する教育の質も向上し、魔物との戦いでの生還率が高まった。


 魔物を討伐してくれることで人々は怯えずにすむようになった。


 魔法が苦手な冒険者は仕事がないときは、道路の拡充や農地の開墾に協力した。


 器用な冒険者は行商の護衛として経済の発展に貢献した。


 人々の生活は豊かになり、冒険者は尊敬される職業になった。


 多くの子供たちが冒険者を目指すようになった。




「どうした、迷子かい?」


 冒険者ギルドの建物の前できょろきょろしている少年に親切な男が声をかけた。


「あ……ぼ、冒険者ギルドに登録しようと思って」


「君は知らないのか? 登録は十五歳以上だぞ」


「あの、僕、十七です」


「え、十七?」


 男は驚きを隠さなかった。十五歳よりも幼く見えたからだ。


「ずいぶんな童顔だな」


「あはははは。背も低いし、村ではいつも子供扱いされてました」


「冒険者になって村を守っていくということかい?」


「どうかな、もっと大きな目標を持ちたいです。伝説の英雄とか」


「じゃあ、私についてきなさい。案内しよう。私も冒険者だ」


「あ、ありがとうございます!」


「ほう、元気がいいな。大変結構だ」


 さっきまでおどおどしていた少年は、いくつか会話を交わしただけではきはきと答えるようになった。


「私の名はファルタ。君の名前は?」


「マルクといいます」


 ファルタはどうやらマルクを気に入ったようだ。


 建物に入ってまっすぐ進むと、三名の女性が待つ受付があった。


「この子を登録してやってくれ」


「え? この子、年齢は大丈夫ですか」


「十七歳だそうだ」


「そうなんですね。かわいい」


 マルクのあどけなさはことのほか女性心理を刺激するようだ。


「じゃあ、あなたの名前と職業をこの紙に書いてください」


「あの、職業って何て書けばいいですか?」


「剣で戦うなら戦士だし、武術で戦うなら武闘家、魔法で主に戦うなら魔法使いとか。まあ、これは魔物と戦うことを目的とした人の職業ね。そういうことを考えてないなら……」


「だったら、剣も魔法もできます」


「そう、だったら魔法剣士ってところかしら」


 その他にいくつか事項を記入して紙を渡す。


「はい、これで仮登録ができました」


「仮ですか?」


「ええ、あなたの冒険者としての適性は不明なので。いくつかの条件を満たしてから本登録となります」


 なるほど。


「まずは、経験のあるパーティに見習いとして一ヶ月間加入していただきます。そこで問題行動が報告されたら評価が下がります。これが三回あると適正なしと見なされて本登録できません」


「え?」


 受付嬢にもはっきりとマルクが困惑しているのがわかった。新人冒険者にとってこれは大きな壁である。選ぶパーティを間違えればきちんとやっても悪く評価されるかもしれないのだ。


 しかし、何人もの新人の面倒を見てきた彼女らはそんな不安をよく理解している。


「ソロで活動される冒険者も多いですから、知られてないことも多いのですが、これはどの町の冒険者ギルドでも義務付けられたことです。ただの乱暴者を登録してしまえば、ギルドや他の冒険者の信用問題にもつながります。ただ、安心していただきたいのは、事実から大きく離れた評価をするパーティのランクは下げられますから、それほど心配はありません。ギルドが信頼するパーティを紹介しても構いません」


「そ、そうですか……」


「もう一つ、仮登録冒険者のための保険に入っていただきます。新人はとにかく怪我をする可能性が高いです。切り傷くらいならパーティの治癒師に任せればいいでしょうが、魔物に肉を食いちぎられたとかになると止血が精一杯で、街に戻って修復師による再生を受けなければ治すことはできません。その治療費は通常、個人でまかなえるものではないでしょう。面倒を見る側のパーティがその分を負担しなければならないというのも筋が違います。そのための保険です。なのでこれは義務です」


「保険料っていくらですか?」


「銀貨二枚です」


「に、二枚……。持ち合わせがほとんどなくなっちゃう……。無傷で本登録になれたら、返ってくるとかあるんですか?」


「いいえ、それでは保険の意味はありません。決して安い金額ではありませんが、保険なしで治療を受けるとなるとその百倍以上の費用になってしまいます」


「なんだ、マルク。そんなことも知らないで冒険者登録するつもりだったのか?」


「ははは、すみません。田舎の村だとそういった情報はなくって」


「まあ、冒険者になると決めたなら、保険料は出せないと言ってる場合じゃないぞ」


「そ、そうですね」


 ファルタに言われるがままにマルクは加入のサインをした。


「では後は面倒を見てくれるパーティを探すだけですね。わからなければこちらで斡旋しますが、ある種人生がかかっているわけですから、自分で探す方がうまく行かなかった場合の後悔がなくていいですよ」


「あはははは……」


「とはいえ、よほど協調性がないとか弱すぎるとかない限り、変な評価する人なんていませんから」


「なんだったら、うちのパーティに加入してみるか? 一応Aランクパーティだし、リーダーはSランク冒険者だ」


「え、Sランクですか?」


「ああ、そういう奴を見ておくのはいい勉強になると思うぞ。ランクの高いパーティに守ってもらえば怪我もしないだろ。お前がよほど鈍くさくない限りな」


「本当ですか? ファルタさん」


「とりあえず、パーティに紹介してみよう。気に入ったなら入ってみるがいい。それなりに頑張ってくれれば晴れて本登録だ」


「わかりました。ひとまずお会いしてみたいです」


 トントン拍子で話が進み、マルクは笑顔になった。


 そんな自分に声をかけようとして躊躇う者がいたことに、彼は気づいていただろうか。



 ◇◇◇◇



「おう、やるじゃねえか」


 マルクは出会った翌日にはファルタの属するパーティで魔物と戦い、一週間後にはかなりの強敵が潜むダンジョンへと乗り込んでいた。


「村で鍛えてたって話だが、動きだけならDランクよりもましかもしれないな」


 そう評価するのはパーティのリーダー・アルベリオだった。年齢は三十で、Sランクの魔法剣士だ。軽々しい物言いに反して厳しいところはしっかりと厳しいという印象の男だ。


「マルくーん、すごいにゃー。かっこかわいい!」


 Bランク盗賊のライナが抱きついてきた。猫人族の彼女は俊敏さに優れ、鑑定眼を持つ。パーティ加入時からマルクのことを気に入り、何かとくっついてくる。


「さて、遊んでいては敵がどんどん襲ってくるわよ」


 トリエルは二十六歳のAランク祈祷師だ。亡霊系の敵は一瞬で天に帰す実力があり、その他に結界術や召喚術に長ける。


「お次はゴブリンの群れか。私の力も見せてやろう」


 小鬼の群れを一瞬で肉塊にしてしまったのはファルタだ。この中では最年長のAランクの戦士で、豪放でありながら落ち着いており、パーティ全体を見渡すまとめ役だ。


「あはは……私の出番なんてないですね」


 後ろで困ったように突っ立っているのはエルフのセシリーだ。Cランクの治癒師だが、マルクが加入して一度としてその能力を発揮できないでいる。目的はマルクの養成であり、パーティからすれば敵はただの雑魚だ。怪我をするはずもない。加えて彼女の控えめな性格のせいもあって、この中では少し浮いた空気感がある。


「よし、魔物の気配は消えたな。もう少し奥までいくぞ」


「じゃあ、マルくん。荷物よろしくにゃー!」


「はい」


 保険料を払ったことで所持金がほとんどなくなったマルクはパーティの荷物持ちをする対価として食事を提供してもらうことになった。


 冒険者たちの習わしとして、通常時において仲間の食費の世話などしない。命がけの仕事だからこそ、貸し借りをつくると妙なところで連携が崩れるからだ。こういったことはギルドが教育しており、実際にそうすることで生還率が高まった。もちろん、大物を倒した祝賀会などはその例に当たらない。


「お前のその短剣って、業物わざものだな」


 アルベリオはマルクの腰の短剣を指して言った。


「これはドワーフがつくった剣だと言われています。村の奥で見つけられたものです」


「切れ味が違うしな。剣のおかげだな」


 年齢や線の細さの割に、マルクは魔物たちをあっさりと切り裂いてしまう。仲間たちがそういう見方をしてしまうのは無理からぬことだった。さらにその柄や鞘の美しさは誰もの目を引く。


「へえ、ちょっと触らせてもらっていいか?」


「いいですけど……この剣は使える人とそうでない人がいて……」


「なんだよ、人を選ぶってことかよ」


「いや、その……」


 口ごもるマルクにイラついたアルベリオは半ば強引に剣を奪い取った。


「う?」


 手にした瞬間に前後不覚になり、膝をついてしまった。


「大丈夫ですか?」


「ち、俺は選ばれなかったってことかよ」


「選ばれるとかそんなんじゃなくて……」


「うるせえんだよ!」


 このことはSランク冒険者の彼の自尊心を大きく傷つけたようだった。奪った短剣を投げ返すと、ぷいと顔をそむけた。


「大人げないにゃー」


 仲間に言われてもアルベリオは一切反応しなかった。


 それ以降、彼のマルクに対する態度は陰険になった。


 十日目にはダンジョン中層部まで潜ることになった。これまでの魔物とは凶暴さのレベルが違い、ともすればAランクでも命を落としかねない。新人を連れて行くにはあまりにも危険だと仲間たちは反対したが、結局次の言葉で押し通された。


「Sランクの俺がいるから大丈夫だ。それに、俺も退屈してるんだよ」


「大丈夫なんですか?」


 ランクの低いセシリーが一番心配していた。


「なに、いざとなれば私がお前たちを守る」


 こういう時のファルタは頼もしかった。


 とはいえ、彼も万能ではない。レッサードラゴンの大群に遭遇するともはや自分のことで精一杯になり、マルクたちは追い詰められた。


「ぐあ!」


 マルクの攻撃はレッサードラゴンなどたやすく切り裂いたが、尋常でない数に防御が間に合わない。ぐっさりと左肩を抉られ、腕がほとんど動かなくなった。


「マルクくん!」


「セシリーさんは動かないで!」


 大群の波にもまれるようにパーティからはぐれてしまった二人。通路の少しくぼんだところに身を預けて、左右と後背からの攻撃を受けない位置取りをし、正面の敵だけを倒せばなんとかなる。マルクの後ろでセシリーは必死に治癒魔法をかけた。それでもこの状況でいつまで持ちこたえることができるか。


「ふん、だっせぇな」


 どこかから声が聞こえたかと思うと、目の前のレッサードラゴンたちが消し飛んだ。


 アルベリオが火炎魔法で敵を焼き消したのだ。


「Sランクはやっぱり違うわね」


「この程度の魔物に苦戦してんじゃねぇよ」


 パーティのリーダーは冷たく言い放った。


「ちょっと! マルくんに対してひどいんじゃない?」


「……どうもあいつは気分の浮き沈みがあっていかんな。しばらくこんな状態が続くかもしれんが、落ち着いたら話せる奴だ。悪いが堪えてくれ」


「はい……」


 憔悴しょうすいしつつもなんとか答えるマルクにセシリーが耳打ちするように言葉をかけた。


「アルベリオさん、ちょっと……変だよね。もしあれだったら、このパーティ抜けてもいいんだからね……」


「……いや、大丈夫です。みんな仲間ですから……」


 そのときのマルクの目に、セシリーは彼の芯の強さを感じた。



 ◇◇◇◇



 ――パーティ加入、二十四日目。


「次はあそこ行くか。海のそばのダンジョン」


「おい、待て。あそこはSランクパーティでも失敗したところだぞ。新人がいるパーティが行っていい場所じゃない」


「あたしもやだ。ヒュドラが出るじゃん。死にたくないにゃー」


「アルベリオ。なんだか最近あなた機嫌悪いけど、そういうとこ私ついて行けないの。本気で言ってるならパーティやめるわよ」


 誰もが反対した。


 だが、マルクはこのような光景を何度も見てきた。


 リーダーの無茶な提案に初めは皆が抵抗するが、結局それが通る。


 セシリーに至っては怯えるだけで意思表示さえできない。


 Sランクのアルベリオに逆らうなんてできるわけない。彼はこのパーティの中で図抜けていた。


 そして、翌日には海辺のダンジョンにくることになった。


 ダンジョンには魔物が生息している。そのほとんどはその中でしか生きられない。ダンジョンの中には魔素が充満しており、それによって魔物は力を得ているからだ。だから普通であれば魔物はそこから出てこないので放っておけばよいはずだ。


 でも人類はダンジョンに潜る。


 そこには莫大な利益を生む資源が高い確率で存在するからだ。


 強力な魔物が次々と襲いかかってくる中、まともに休憩を取ることもできないまま突き進んでゆく。トリエルの結界魔法でわずかな休息と治癒を図ったが、その間は彼女が消耗する。一度入ってしまえば、もはや誰も文句など言わない。命を削る思いをしながらも目の前の敵をとにかく討ち倒すだけだ。


 はなから綱渡りのような状態でリーダー以外の全員が疲弊しきった頃、洞窟の中に巨大な湖が広がった。


「くるぜ、ヒュドラ」


 冒険者は未だこのヒュドラを倒せていない。


 成功したならこの上ない栄誉が彼らに与えられるだろう。そして、このダンジョンの強烈な魔素を生み出しているのもこいつだ。倒せば魔物の力は削がれ、資源を求めて多くの人間が入ることが可能になる。


 こちらの気配に気づいたのか、湖面がにわかに波立つ。そしてごぼごぼと泡だったかと思うと、一気に水面が裂けて激しい水しぶきと共に巨大な影が現れた。


 九つの長い首をもつヒュドラが現れた。その先の頭は見上げても見上げてもどこにあるかわからない。とてつもなく大きな胴体が目の前にある。


 マルクはこの巨大さをどうやって倒せばいいかわからなかった。


 そして、冒険者ギルドの講習ではこう習った。



【直感的に、どう戦うべきかすらわからない魔物に遭遇したらすぐに逃げろ】



 出会ってすぐになら逃げられるかもしれない。少しでも戦ってから逃げれば追ってくる。その場合逃げ切れない可能性が高い。


「皆さん、に……逃げましょう!」


 絞り出すように声にしたのはセシリーだった。


 誰もがその意見に同調できた。


 一人を除いて。


 アルベリオは即座に火炎魔法でヒュドラの首を一つ焼き消した。


「ふん、こんなもんだ」


 しかし、即座に別の頭が氷のブレスを浴びせてくる。


 トリエルは魔法の防御壁を立ててパーティを守る。同時にいくつもの魔法障壁を空中に展開して、ヒュドラの攻撃を妨げる。


 それでも障壁をかわして次々とかみついてくる。


 ファルタが弾き返そうとするが、質量差が大きすぎてふっ飛ばされる。


 即座にセシリーが治癒魔法をかける。


 その隙にライナが弓矢でヒュドラの両目をつぶすことに成功するが、みるみるうちに再生していった。


「うそ!?」


 続けてマルクが短剣で切り裂くと、その首は落ちた。


「マルくん、ナイス!」


 だが、続けざまに左手の鋭い爪が襲い掛かる。


 マルクはそれを切り落とすことで攻撃を避けた。


「マジであの短剣、なんでも切れるのかよ」


 その間にアルベリオは次々と魔法でヒュドラの首を焼き払ってゆく。


「なんだと?」


 だが、なくなった首はみるみると再生してしまっている。


「これは……きりがないな……」


 アルベリオ以外の者はこれまでの行程ですでに消耗しきっている。


 背中で親指を立てたこぶしを握り、何やらサインを送った。


「マルク! 左右からきたぞ! 右側をやれ!」


「はい!」


 短剣で切り裂けば、攻撃はかわせる。


「え?」


 さっきまで握っていたはずの短剣がない。


 疑問はあっても、それについて考える暇などない。


 弓矢のような速さで迫るヒュドラの顎をすんでのところでかわす。


 地面を何度も転がり起き上がって見た光景にマルクは愕然とした。


 なぜか、ライナが短剣をもっていた。


「盗賊は盗むのがうまいのにゃー」


 素手で触れば気分が悪くなるかもしれない。慎重にも鞭でかすめ取られていた。


「これは売ったらかなりのお金になるにゃー」


「なんで?」


 慌てて駆け寄ろうとすると、見えない何かがマルクを遮る。


 トリエルの障壁魔法だ。


 そこへヒュドラの尾が叩きつけられるが、これも何とかかわした。


「ごめんなさいね」


 そう口走るトリエルは笑っていた。


 彼女だけではない。アルベリオもライナも、そして最も信頼できると思っていたファルタでさえも。


 セシリーだけが怯えるように顔を青ざめさていた。




 いよいよ追い詰められたパーティで、誰かが犠牲になって仲間を逃がすということはないわけではない。ただ、絶対に新人にやらせてはいけない。こんなことが冒険者ギルドに知れれば確実にギルドから追放され、悪質ならば収監されて死刑になることもあるだろう。


 だけど彼らはやってしまった。


 いや、過去にも何度かやっているのだ。だから、仲間として必死に戦ってきたというのにあっさりと切り替えて裏切ってしまえるのだ。


 なぜそんなことができるのか。


 それは冒険者があまりに強くなりすぎ、冒険者ギルドが彼らを管理できなくなってしまったからだ。


 ギルドができたばかりの百年前、Sランク冒険者なんていなかった。そのうち飛びぬけた能力を持つ者が特別にSにランク付けされるようになった。極めて稀な存在だったのである。ところが、教育水準が上がってくると高い能力者が次々と現れるようになり、今では二千人ほどの冒険者のうち、百二十名がSランクという状況になってしまっている。もし、彼らが徒党を組んだら冒険者ギルドは抑え込む力をもたない。


 結果として冒険者ギルドはその権威を失わないために、Sランク冒険者の犯罪をこっそりと見逃すようになった。


 仮登録の新人は強制的に保険に入らなければならない。これ自体は妥当なものだ。しかし、冒険者全体のレベルが上がるにつれて怪我をする者は減っていったのだから、本来はその保険料は下げられるべきだった。だがそうはならなかった。


 仮登録のうちに死亡した場合、冒険者の遺族には保険料をもとに多額の見舞金が送られることになっている。しかし、これは公開された情報ではない。遺族に届けるといって盗んでしまう冒険者が圧倒的に多い。わかっていてギルドは見逃している。保険料の値下げを阻んだのもSランク冒険者たちだ。


 誰も知らないが、冒険者ギルドは今や高ランク冒険者の犯罪の擁護者になっていた。




 必死の形相のマルクを見て、四人は嘲笑った。


「悪いな。私たちが逃げるまで頑張って足止めしてくれ」


 ファルタは悪びれることもなく言い放った。


 四人は背を向けて走り出し、セシリーだけが咎める善意によって狼狽していた。


「にゃはははは、がんばれ……にゃ?」


 走りながらライナが卒倒した。


「どうした!?」


 アルベリオが見ると泡を吹いているではないか。


 その横に転がるマルクの短剣が怪しい光を放っていた。


 次の瞬間、ヒュドラが襲ってきて彼女を食ってしまった。


「ライナ!」


 叫んでももう遅い。口の中から残酷な悲鳴が響いてくる。


「なんで? 私の障壁魔法は?」


 いくらヒュドラであってもトリエルの障壁は十秒程度なら破れないはずだ。そしてその時間は細い通路まで逃げるには十分なはずだった。


 別のヒュドラの首が襲い掛かってくる。


「く、障壁魔法!」


 改めて繰り出した魔法だが、一瞬にしてかき消された。


 まさか、ヒュドラは障壁を無効化する能力を持っているのか?


 いや、さっきはそんなことできなかったはずだ。


 その時、怪しく光る短剣がふわりと浮く。


 そのまま本来の持ち主のもとへ飛んで行く。


 手にしたマルクの顔は、さっきまでと打って変わってしたりとした笑みを湛えていた。


 次の瞬間、真っ暗になったと思ったら、巨大な牙に肉体を破壊されていた。


「うわああああ!」


 アルベリオは恐怖に駆られて逃げた。だが、見えない障壁が行く先を阻む。


「なんだと、障壁魔法?」


 トリエルは死んだ。誰がこの魔法を?


 振り返った先のマルクの邪悪な笑みを見て直感した。


「お前か! マ……」


 降りかかってきた氷のブレスによってアルベリオは凍結し、直後に砕け散った。


 犯人探しなどに気を取られてなければ、彼なら容易にかわせていたはずなのに。


「マルク……これはお前がやったのか……?」


 ファルタは戦慄した。


 彼らの混乱などヒュドラには関係ない。目の前にいる残り三人の人間を殺すために襲い掛かってくる。


 だが、次の瞬間にはヒュドラのすべての首が焼き消された。


「これは……アルベリオの魔法?」


 放ったのはマルクだった。


「なぜお前が……」



「とあるドワーフが命を懸けて叩き上げたこの短剣……」



 その短剣が放つ不思議な光を見ていると魂が抜かれてしまうような恐怖があった。


「何百年も前、魔王と戦った勇者がいました。仲間たちは勇者にすべてを託して死んでいきました。なのに勇者はあと一歩というところまで迫りながら、魔王に敗れました。唯一生き残ったドワーフの戦士は、死んだ仲間の遺志を受け継ぐことができればと絶望したそうです」


 ファルタは何を言っているのかわからなかった。


「そのドワーフは鍛冶師でもありました。ひとり山の中にこもって、ひたすら自らの思いを込めた剣を打ったそうです」


「まさか、その剣が……」



「”命の剣”と呼ぶそうです」



 口走るマルクの顔は人のそれとは思えなかった。


「今、この剣の所有者は僕です。死んだ仲間の能力はこの剣と僕の身体に受け継がれてゆきます」


 アルベリオと同じ火炎魔法を残った胴体に放つが、なかなか焼き尽くすことはできない。その間にも首はみるみる再生してゆく。


「この程度の魔法でヒュドラに挑もうとしてたなんて……残念だな」


 マルクはヒュドラを改めて見る。


「なるほど、分厚い肉の中にある心臓をつぶさないと倒せないのか」


「それは……ライナの鑑定眼か……?」


 マルクは短剣を両手で持って構えた。


「うおおおおおおお!!」


 短剣を振り上げると、斬撃がヒュドラを肉深く切り裂いた。


 だが、その傷もみるみる再生してゆく。


「ダメだ。このくらいの力じゃヒュドラは倒せない」


「わかった、だからもう逃げよう!」


「ファルタさんの戦士の力があれば切り裂けるかもしれない」


「何を言って……う!?」


 自分の目の前に魔法障壁ができているではないか。自分とヒュドラがその檻に閉じ込められている。


「な……マルク。お前……」


 目の前の少年に表情はなかった。


「頑張ってください」


「待て、マルク! 助けてくれ!」


 ヒュドラは次々と首を再生させ、ファルタに襲い掛かってきた。


「うわあああああ! さっきは悪かった、アルベリオに逆らえなかったんだ! だから……」


 遮二無二剣を振り回してヒュドラの攻撃を跳ね返してゆく。


 だが、そんな防御がいつまでも続くはずがなかった。


「ぎゃー!!」


 上半身を食いちぎられてファルタは絶命した。


 そして、短剣が怪しく光る。


「ファルタさん、あなたの遺志は僕が受け継ぎます」


 もう一度両手で短剣をもって斬撃を放つ。


 ずばあっ!!


 その斬撃はヒュドラの心臓もろとも胴体を真っ二つに切り裂いた。


 そのまま激しい振動を伴って倒れると、もう二度と再生しなくなった。


「さて、魔物は倒しました。ダンジョンを出ましょう」


 声をかけたセシリーはあまりの凄惨な光景に失禁していた。


「大丈夫ですか?」


「ひいいい……」


 伸ばした手をむしろ拒むかのようだ。


「あなたは……私を殺すの……?」


「なぜですか? 大切な仲間じゃないですか」


 しれっとした笑顔が恐ろしくてたまらない。


「大切な仲間が四人も死んでしまいました。僕はまだ、強くならなければならない……」



 ◇◇◇◇



 町に帰ってギルドへ報告する。


「アルベリオさんたちは僕らを生かすために犠牲になりました」


 それを聞いて多くの者はSランク冒険者の勇気ある捨て身を賞賛した。だが、彼を知る者は絶対にそれはないとわかっている。それにアルベリオが犠牲になったとして、ヒュドラをどうやって倒したというのか。この新人が? いや、そんなことはあり得ない。


 大物を倒したというのにとてもじゃないが祝賀会という雰囲気にはならなかった。


「一ヶ月たつ前に仲間のパーティのほとんどを失ってしまいました。これから僕はどうすればいいでしょうか?」


「そ、そうですね。ヒュドラのダンジョンでも生き残ることができたというのはギルドでも評価できることだと思います。これで本登録にしてもよいという判断になるかもしれませんし、残りの一週間を別のパーティと過ごしてもらうことになるかもしれません。ギルドマスターの判断を仰ぐので少し待ってください」


 受付嬢はひとまず無難な答えを返すことにした。


 それよりも一緒に帰ってきたエルフの治癒師のほうが気になっていた。


 明らかに精神に異常をきたしている。


 いったい何があったというのか。


 対してこの少年はあまりにも普通すぎる。


 言葉にできない恐怖を覚え、受付嬢は足早にその場を離れた。



                           完

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