17
おかしいとは思ったのだ。
どれだけ手がかりを探しても、シキを殺した犯人は浮かんでこなかった。
どんな奴に話を聞いても、シキを狙っていそうな奴なんて見えてこなかった。
それどころか考えれば考えるほど、不自然なことばかりが増えていった。
シキの死は、俺たちの知らない「なにか」に起因している。
そう思いはじめるのに、時間はかからなかった。
シキには、俺たちの知らない過去がある。
クロですら知らない過去が。
でも、あんなにべったり一緒だったクロが知らない過去ってなんだ?
子どもの頃から一緒だって言っているのに?
シキの影にいつも入って、聞き耳を立てているのに?
もし……もし、本当にクロが知らない過去があるのなら——。
クロは俺が思っていたほどには、シキと一緒にいなかったんじゃないか。
「クロは森の中で生まれたって言ってたな」
昔そうやって話してくれたことがある。兄弟にいじめられ、親に捨てられて、森の中を必死で彷徨っていたのだと言っていた。
「一年近くひとりで生き抜いて、そして出会ったのがシキだった」
つまりシキは、クロがはじめて見た人間。
だとしたら——。
「なあ、クロ。はじめて見た人間はどうだった? 小さいって思わなかったか? 子どもかなって思ったんじゃないか?」
俺はそう言いながらクロを見上げる。
俺の身長よりずっと高い位置にある頭。
一噛みでハゲワシを貫けるだろうという巨大な牙。
死にかけていても、ゴブリンやオークには負けない皮膚。
ちょっと押さえただけで動けなくなるくらい、俺の背中を覆えるほどの大きな足。
力強く振るうだけで冒険者ふたりを吹き飛ばせるほどの力。
アカネが背中で巣を作れるくらい大きな背中。
少年姿の俺が、いくら蹴り飛ばしたってびくともしないほど体。
馬車の荷台を壊せるくらい、簡単にテントを壊せるくらい、洗うのに一日かかるくらい、大きな大きな体。
俺だって、狐姿に戻ったらそんなに小さいわけじゃない。
短時間ならシキを背中に乗せて走るくらいのことはできる。
そんな俺の首根っこを軽々咥えて走れるクロ。
こいつに比べれば、どんな人間だって小さいだろう。
どんな人間も、子どもサイズに見えるだろう。
クロ自身は生まれてから間もない仔犬だと思っていたかもしれないが、人間と魔物では成長の仕方がまるで違うのだ。
人間の一年と、犬の一年はまるで違うだろう。
今ほどは大きくなかったかもしれない。
もう少し控え目な大きさだったかもしれない。
それでも、シキは「怖い」と思った。
「殺される」と思ったのだと言っていた。
だったら、ただの仔犬サイズではなかっただろう。
「……まあ全部俺の推測だ。間違っていることだってあるかもしれない。それでも、シキはお前と出会った時点である程度の大人だったことは確信が持てる。だって——」
一呼吸置いて、クロを見る。
大きなクロの目は、もう閉じることはない。
ただ俺の言葉を待っている。
「だって、シキはお前と出会った直後に『冒険者登録』をしているから」
——どう見ても十三歳を超えている人が来たら、ギルドも年齢確認なんてしてこないんじゃないかな。
頭の中で、かつて聞いたシキの言葉が蘇った。
——俺が保証する。
「紙級冒険者には十三歳を超えてれば誰でもなれる。シキはそう言っていた。十三歳を超えていればフリーパスなんだって、どこか舐めた態度でな。まあ俺が登録できている以上、本当にそうなんだと思うけど……なあクロ、教えてくれ。シキが魔力登録をしていなかったということ以外に、ギルドが問題視した点はあったか?」
なかっただろ?
シキは明らかに十三を超えていたんじゃないか?
クロの声はなにもわからない。でも大きい体なのにくりくりとした丸い目を見れば、全部わかった。
「ギルド内で嘘をつくことはできない。怪しいと思うならギルド側も『おいくつですか』って訊けばいいだけだ。特に魔力登録をしていなかったシキは怪しまれていたんだ。疑わしい点は全部訊かれたはずで、それなのに年齢についてはなにも言われなかった。それなら、シキは明らかに十三歳を超えていたんじゃないか?」
俺は目をつぶってシキの姿を思い出す。
栗色の髪の毛に優しいたれ目と丸っこい輪郭は、きっと年相応よりずいぶん若く見えた。
童顔のシキが「明らかに十三歳以上である」と判断されるとしたら、それは何歳ぐらいなのだろう。
十五歳? いや、十五歳ではきっとまだ若すぎる。
十六歳くらいだろうか?
ひょっとして十八歳?
ともかく純真無垢な子どもというわけではなかっただろう。
「家を追い出されてからクロと出会うまでに、シキには数年の空白があった。その間にシキは魔力を発現させテイム魔法を覚えるに至った。ずっとひとりだったわけでもないだろう。テイム魔法を覚えていた以上使い魔もいたはずだし、それこそ親友と呼べる人もできたんだろう。だがクロと出会った時には、誰もいなかった。一体なにがあったのか、シキは語らずにいなくなってしまった」
目を開いて、クロに守られるように眠る屍を見る。
落ちくぼんだ眼孔、へばりついた髪、乾き、ただれ、膨らんだ皮膚。
もうそこに、かつての面影はない。
シキはどんな人生を送っていたのだろう。
どんな日々を過ごして、俺たちと出会ったのだろう。
シキはそんなこと、なにも話してくれなかった。
いや、俺たちが訊かなかっただけなのか?
俺たちが知ろうとしなかったからなのか?
訊けば、教えてくれたのだろうか。
なにがあったのかと尋ねさえすれば、笑いながら話してくれたのだろうか。
「シキは空白の数年のことを誰にも語らなかった。だから俺たちは親友のことも知らない。家を追い出されてから、クロと出会うまでになにがあったのか。どんな人と出会い、なにを感じたのか。きっとそれがシキという人間を形作ったのに、俺たちはなにも知らない。冒険者になる前のシキが一体どんな奴だったのかなにひとつ知らないんだ」
これがここ数か月、記憶を漁り、「ライラ」としていろんな人に話を聞き、たどり着いた結論。
俺はシキのことをなにも知らない。
俺たちは、シキのことを全然知らなかった。
シキが死んでしまった今になって、ようやく俺は気がついた。
シキの死の理由も、その過去も、俺たちはなんにも知らないんだ。
「なあクロ、お前もそう思わないか」
頷け。
そう思った。
知らないって言え。ぼくもなにも知らないって思え。
シキのこと、もっと知りたいだろ?
シキの過去になにがあったのか、知りたいって思うだろ?
俺の考えが気に食わないなら、否定したいって思うだろ?
俺の考えが合っていても、間違っていても、別にそれはいい。
推測に推測を重ねただけだ。
間違っている可能性の方がずっと高い。
でもそんなこと、どうでもいいんだ。
ただ今は、クロの興味を惹けさえすればいい。
クロが少しでも生きる力を取り戻してくれれば。
クロが生きる理由を見つけてくれれば。
また俺の影の中で冒険を続けてくれれば、それでいい。
だから動け。
立ち上がれ。
また歩きだせ。
ここにいるだけじゃ、答えは得られないぞ。
焦点を定めるように、クロの濁った瞳孔がぎゅっと小さくなった。
それからちらりとシキの死体を見て、なにか考えるようにまたぎゅっとまぶたを閉じた。
ふうと鼻から吐き出した息からは死臭がする。
足に力を入れる様子はない。
起き上がろうと、体を動かそうとする様子もない。
まだ足りないのだろうか。
これだけ言っても、クロには届かないのだろうか。
「なあ、クロ」
だから俺は言葉を紡ぐ。
クロがまた死のうとしないように。
クロが再び命の灯火を絶やそうとしないように。
「お前はもう死にたいと思っているかもしれない。シキのいない世界ではもう生きたくないと思っているのかもしれない。天国に行けば、シキにまた会えるかもって思っているかもしれない」
願いを込めて、声を発する。
クロが生き続けられる力が得られるように。
この大地に上を再び踏みしめて歩く力が得られるように。
この廃墟から出られるだけの力を取り戻せるように。
「天国はいいところだろうな。欲しいものはなんでも手に入って、美味しいご飯もあって、綺麗な水が流れていて、飢えも乾きもなくてさ、きっとそこにシキもいるんだろう。クロがそこに行ったら、シキは喜んで迎えてくれると思う。『よく来たな』って。『先に死んじゃってごめんな』って。『また一緒に冒険しような』って、一緒に旅ができるかもしれない。そうなったら本当に嬉しいよな」
そんな夢のような世界より、シキのいない地獄で生きていたいと思えるように。
天国でシキと冒険するよりも、俺と一緒にいたいと思えるように。
「でもさ、お前はもう、そんな優しそうなシキの顔を見るたびにこう思うんだ」
だから俺は今から、お前に呪いをかけるよ。
お前が二度と死のうなんて思えないように。
真実が明らかになるまで、絶対に死ねないように。
「シキはぼくになにを隠してるの? って」
がぁ、とハゲタカの声が甲高く耳に響いた。
天井から降り注ぐ光が、雲に隠れるように少しだけ暗くなる。
「天国でシキが体をなでてくれるたび、シキがクロの名前を呼ぶたび、お前は『ぼくはシキのなにを知っているんだろう』って思い続けるんだ。『なんでなにも話してくれないんだろう』って毎晩毎晩悩み続けるんだ」
俺は再び干し肉を取り出し、埃を払いながら言う。
「『ギンの話なんて、どうせ嘘ばっかりだ』って自分に言い聞かせて、でも言い聞かせれば言い聞かせるほど、自信が持てなくなっていって、シキと一緒にいても俺の話ばっかり考えるようになっていくんだ」
嫌だろ?
お前は絶対嫌だって思うだろ?
大好きだったシキに、自分が知らない一面があるなんて、クロは耐えられないだろ?
「俺はこれからシキの過去を見つけに行く。なにがあったのか。一体どういう人生を送ったのか、天国のシキが『恥ずかしいからやめて』と思ったとしても、全部明らかにしてやる。どんなに時間がかかっても、絶対に見つけてやる」
シキのことならなんでも知っているってクロは思っていたよな。
でもどうだ?
お前が死んで、俺が生き続けたら、俺がシキの過去を探り続けたら、俺の方がシキのことを知っていることになる。
そんなのクロ、耐えられる?
だから、なあ、クロ。
「死ぬのは後回しにしろよ」
クロも一緒に来てくれよ。
また影の中に潜んでいてくれよ。
俺が危ない時は、また影から飛び出して来てくれよ。
「天国でシキに会うのは、全部わかってからでいいだろ。シキがどうして死んだのかとか、なんで俺たちに過去を話さなかったのかとか、そういうのがわかってからでも遅くないだろ」
また一緒に旅に出よう。
まだ一緒に冒険してたいんだよ。
お願いだよ。
俺、ひとりじゃなんにもできないんだよ。
ひとりじゃ、ずっと心細いままなんだよ。
クロならわかるよね。
冒険者なんて俺、向いてないんだよ。
魔物を倒す力なんてない。
そんな度胸もない。
いつか正体がバレるんじゃないかって、いつも怖くて、不安でたまらない。
ひとりじゃ、だめなんだ。
「だからクロ」
こんな孤独、ひとりじゃ耐えられないんだ。
クロがいるからやってこれたんだ。
影の中にお前がいてくれたから。
さみしくてもひとりじゃなかったから。
——ぼくがずっと一緒にいるから。
そう言ってくれたから。
——いつでも一緒だから。
そう慰めてくれたから。
だから俺は、ここまで来れたんだ。
今までやってこれたんだ。
「約束したじゃん」
ずっと一緒なんでしょ?
絶対守ってくれるんでしょ?
そう言ってくれたから、俺は不安でも冒険者を続けたんだよ。
あの約束があったから、俺はここまで来たんだよ。
お願いだから。
「一緒に行こうよ」
そう言いながら、クロの前に干し肉を差し出す。
全然重くもないのに、手が震えた。
ただ祈るように、俺はぎゅっと目をつぶる。
つぶると、ぽたりと涙が落ちた。
「一緒に行こう」
クロには聞こえただろうか。
蠅の羽音も、ハゲタカの声も、全部が全部うるさいくらいに廃墟の中で何重にも跳ね返っていて、耳元でもぶんぶんと唸って、泣きそうな俺の声は多分ほとんどかき消されていた。
ぎゅっとつぶったまぶたの裏で、クロの姿を思い浮かべる。
迷う瞳が、きょろきょろと廃墟を見渡している。
少年姿の俺を見て、シキの死体に目をやって、アカネが飛び立った空を見上げる。
目をつぶって、シキとの思い出をひとつ、ふたつとなぞり、また目を開けてシキを見る。
飲まず食わずで守り続けたシキから目をそらし、俺に焦点を合わせるように瞳孔をぐっと引き絞る。
そして——。
「がう」と声がした。
シキの魔力がない今、クロがなにを言ったのか、俺にはわからない。
ただ、目の前でクロが動く気配がした。
そして次の瞬間、俺の手から干し肉の重みが消えた。
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