16 後編

「……どういう意味?」


 ギンは答えなかった。

 ぼくの言葉がわからなかったのか、それとも答える気がなかったのか、ギンの目線はシキの死体を向いていた。


 蛆がわき、肉が溶け、骨が見えてしまった死体。

 ギンは静かに手を合わせてシキの横にしゃがみ、銀色にきらりと光るものを置いた。

 銀級冒険者証。


「キャンプでシキの冒険者証を見つけたんだ」

 ギンは言う。

「シキはいつも首から提げてたよな。寝る時も、シャワーを浴びている時も、いつだって肌身離さず失くさないようにしてた。そりゃそうだよな。冒険者の身分を唯一証明するものが冒険者証なんだから、失くすわけにはいかない。でもシキはどういうわけかキャンプに置いていったらしい」


 気づかなかった。

 お腹が裂け、血が溢れ、息をしなくなった体。どんどんと腐っていく肉体。

 そういう大きな変化に気を取られて、冒険者証がないことには気づいてもいなかった。

 ギンはよいしょ、と立ち上がってポケットに手を突っ込みながらぼくを見る。


「シキはなんで冒険者証を置いていったんだろうな。だってシキの言葉を信じるなら、あの手紙は『依頼書』だったんだろ? 『依頼』を受けるためにこの廃墟に来たんだろ? もしあの手紙が本当に『依頼書』だったとして……シキはどうやって自分が銀級冒険者のシキ・カラードだと伝えるつもりだったんだ? 冒険者証もなく、使い魔もいない。武器は中古の安物で、ほとんど身ひとつの軽装でさ」

「それは……」


 ぼくはシキの死体を見る。

 武器らしい武器も持たず、シキのトレードマークであるアカネも、ぼくもおらず、身ひとつで廃墟に乗り込み、そして死んだ。

 今、この廃墟にシキの存在を証明するものがあるだろうか? 


 ……ない。

 シキの顔がどろどろに溶けてしまった今、ここにいる死体がシキだとわかるものはなにもない。

 シキがこの廃墟にひとりで入っていった時、自分がシキだと証明できるものは、なにもなかった。


「もともと肌身離さず身に着けていたんだ。忘れたってことはないだろう。だったらシキはわざと冒険者証を置いていったことになる。……身分でも偽ろうとしたのか? ほら、よく紙級とか鉄級がやるだろ? 『実は俺、銀級冒険者なんだ。今日は冒険者証忘れちまったけど……』って」

「シキがそんなことするわけないじゃん!」


「唸るなって。わかってるよ。そんなわけないよな。相手はシキ宛に手紙を送ってきているんだ。自分のことを知っているかもしれない相手に、偽るもなにもあったもんじゃない」

 ギンは肩をすくめて続ける。


「多分シキは冒険者証なんてなくてもいいと思ったんだ。冒険者証がなくても、アカネがいなくても、別に相手は自分のことを疑わないって知っていたんだ」

 ばさばさとハゲタカが羽ばたく音がした。

 穴の開いた天井から、ひらりひらりと黒い羽根が舞い落ちてくる。


「シキと『犯人』は顔見知りだった。それもただの知り合いじゃない。こんな廃墟に呼び出されても、クロを影の中に忍ばせなくても、不安に思わないくらい親しかったんだ。親友と言っていいかもしれない。親友からの手紙だったから、すぐに宿を立ったし、こんな廃墟でもひとりで乗り込もうと思った。こう考えた方が辻褄が合わないか?」

 すべてを見透かすような青い目が、ぼくの瞳をまっすぐに捉えている。


「そしてシキの親友だったのだとしたら、クロ、お前はその人物に心当たりがないといけない。だってクロはずっとシキと一緒だったんだろ? だとしたら、シキの親友に心当たりがないわけがないんだ」


 ぼくは思わず黙った。

 そんな人知らない。そう思った。

 シキはみんなから好かれてはいたけれど、別に休みの日に誰かと待ち合わせしたり、ばったり出会った知り合いと飲みに行ったりすることはなかった。

 依頼者と仲良くなることもなく、「ライラ」を除いたら冒険者とつるむこともない。アカネに言わせれば「コミュ障テイマー」だった。


 だとしたら、家を追い出される前の友達とか?

 違う。

 だってシキは村中からバカにされたって言っていた。

 誰も味方をしてくれなかったって、ひとり残らず嘲っていたって言っていた。

 だから村を出るしかなかったんだって。

 そんな奴らが久々に手紙を出して、この廃墟を指定してきたら、いくらシキでも絶対に警戒したはずなのだ。

 じゃあ一体——。


「……やっぱ、わかんないよな」

 ぼくの様子を見ながら、ギンが小さくつぶやいた。

「俺にも全然わからなかった。シキは誰にでも優しくて愛想が良かったけれど、特別誰かと親しいわけじゃなかった。ほかの冒険者と話していても、いつも『あいつは魔物だけが友達だからなあ』『人間の友達はライラくらいだよ』って言われるくらいだった」

 ギンが一瞬、なんだか残念なものを見るようにシキの死体を見た。


「シキには親友どころか人間の友達がいたかすら、俺には怪しく思える。それなのにこの場所が、この状況が、シキの死体が、俺たちの知らない誰か親しい人の存在を告げている」


 なんでぼくは知らないんだ?

 あんなに一緒だったのに、ずっとそばにいたのに、なんでぼくは知らないんだ?

 なんでシキは一言もそんな話をしなかったんだ?


「もしずっと一緒にいたクロが、そんな親しい人のことを知らないのだとしたら——」

 ギンは睨むように、シキの死体を見ながら口を開く。


「——シキはずっと、俺たちになにかを隠していたんだ」

 ぱきん、と空気が割れた気がした。

 心臓がぎゅっと縮まった。

 目頭が熱くなり、喉が痛くなった。


 そんなことないって叫びたかった。

 シキは優しかった。ぼくらのことを一番に考えてくれた。

 いろんな話をして、どんな秘密も、一緒に共有してくれた。


 そう思っていた。それは勘違いだった?

 ぼくだけの、思い違いだった?


「シキには俺たちの知らない過去がある」

 死刑宣告のように、ギンは静かに告げた。


「シキは無魔力で生まれたそうだな。十二歳まで故郷で過ごしたが、魔力登録ができずに家を追い出された。行く当てもなく、失意にくれたシキはある日、森の淵でクロに遭遇する。突然現れた魔物に恐怖したシキは魔力を発現させ、テイムに成功。テイマーとして冒険者登録をした。冒険者としての経験を重ねた末、伝説の不死鳥をテイムすることに成功、『不死鳥のシキ』として名を立てた」


 それが、ぼくらの知っているシキの過去。

 ずっと一緒に歩んできた。

 疑問を差しはさむ余地がないくらい、ずっと隣で見てきた。


「シキは誰がどう見ても優れた冒険者だったし、使い魔想いの優しいテイマーだった。そこを疑う気はないよ。でもそれがシキのすべてじゃないかもしれない。俺たちが見ていたのは、シキの一面に過ぎないかもしれない。きっとどこかに、語られなかった過去がある」


 そんなものない。そう言いたかった。

 ぼくは全部知っている。そう断言できればずっと楽だった。

 でも、もう、ぼくには自信が持てなかった。


 太陽は高々と上がり、日差しがぎらぎらと差し込んでいる。

 腐りきった死体から、ガスのようなものが吹き出て、魔力のように空気をゆらゆらと揺らしている。


「……そもそも、シキはなんでクロをテイムしようと思ったんだろうなあ」

 やがてギンはぼそりとそう言った。


「いや、そんな顔で見るなよ。だってそうじゃん。突然現れたクロが怖くて『死ぬ』って思ったから魔力が発現したんだろ? このままじゃ殺されるって思ったから一縷の望みにかけて魔法を使おうって思ったんだろ? そういう時、普通は逃げるか、戦うかを選ぶだろ。発現するのは転移魔法か、攻撃魔法なんじゃないのか? なんで死の恐怖を感じながら、クロをテイムしてみようなんて思ったんだ?」


 ぼくもそれは疑問に思ったことはある。

 でも、それはシキが優れた冒険者であることの証明でしかないと思った。

 傷つけようとしなかったのは、シキが優しいから。

 逃げようと思わなかったのは、シキが勇敢だったから。

 どんな理由であろうと、シキはぼくをテイムした。

 それでいいじゃん。

 そう思っていた。

 だけど——。


「こう考えることもできるよな」

 ギンの目がまっすぐに光る。


使

 ごくりと喉が鳴った。

 その音が、あまりにもうるさく廃墟に木霊したような気がした。

 そんなことはない。そう言えるほど、ぼくはもう自信が持てなかった。


「シキの話を鵜呑みにするならこうなる。シキは森から突然現れた魔物を見て恐怖した。自身が無魔力だと知っていたが、魔法を唱えてみようと思った。すると死への恐怖から偶然にも魔力が発現した。たまたま唱えたのは適正のあるテイム魔法で、その力は記録上はじめて不死鳥のテイムを成功するほどだった。……そんな都合がいい話あるか?」

 ギンは言葉を切り、続ける。


「自然なのはそうじゃない。シキはお前と会った時点で、とっくに魔力を発現し、テイム魔法を覚えていた。いや、覚えていたどころじゃない。使い慣れていたんだと思う。アカネをテイムできるほどにな。シキにとって、テイムは難しい魔法じゃなかった。だから突然現れた魔物に、自然とテイム魔法を放とうと思った」


 はじめてシキと会った時のことを思い出す。

 あの日、シキは体の魔力を自由自在に操っているように見えた。

 まるで当たり前のように、シキは体に魔力を集め、魔力を練って、テイムを使った。

 不慣れな感じはまるでなかった。

 むしろ見惚れるくらい、洗練されているように思えた。


 シキがはじめてテイムしたのは……ぼくではなかった?

 ぼくの前に、シキはいろいろな魔物をテイムしていた?

 それなのにシキは、まるでテイムのがはじめてみたいに振る舞った。

 どうして? 一体なんで、シキはそんなことしたんだ?


「じゃあシキはいつ魔力が発現し、いつテイムなんて覚えたのか。いつテイムを使いこなすほどになったのか」

 もう、ぼくはギンから目が離せない。

 知りたい。そう思った。

 シキのことを知りたい。

 だって、ぼくは、本当に、シキのことをなにもわかっていなかったかもしれない。


「……王国の魔力検診は十二歳。だからシキは十二歳で家を追い出されたはずだ。追い出されたシキは飢えをしのぎながら彷徨い、やがて森のはずれでクロと出会った。そう言っていたよな」


 ぼくはギンを見た。

 ギンもまっすぐぼくを見ている。

 少年姿のギンとは比べものにならないくらい大きなぼくの体を、見上げている。


 こうして見ると、ギンって小さいなと思った。

 出会った頃のシキよりも、ずっと小さい。


「なあクロ」

 ギンの声が、響く。

 静寂が痛いくらい、耳に響く。

「クロは子どもの頃、シキと出会ったんだよな」

 ギンは言う。

 そう、ぼくは子どもの頃に、シキと出会った。


「でもその時、シキはもう大人だったんじゃないか?」

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