16 前編

 久々に心臓がばくばくと脈打っているのが聞こえた。

 イライラが体の奥底から湧き上がって息が荒くなった。


 ムカつく、ムカつく、ムカつく!

 ぼくがシキのことを理解してない?

 そんなわけない。

 だってぼくは小さい頃からずっとシキと一緒だったんだ。

 シキの行くところには全部一緒に行った。

 嬉しいことも悲しいことも、全部一緒に分かち合った。

 ギンよりも、アカネよりも、ずーっと長く一緒にいた。


 シキのことならなんだって知っている。

 わからないのは最期の瞬間だけだ。

 シキの冒険が終わった、その瞬間を知らないだけ。

 だからこんなに苦しくて、悲しんでるのに……。

 やっぱりギンは悪い奴だ。

 ぼくが答えられないって知ってて、そんないじわるを言う。

 ふざけるな。

 誰がシキを殺したかだって?


「そんなの、ギンだって知らないくせに!」

 掠れるように絞り出した声が喉を焼いた。「自分だって、全然わかんないくせに!」

 ギンを睨み、牙をむき、口から泡を飛ばし、地団太を踏むように力強く吠えた。


 周囲に広がっていたハゲタカの羽根ががさりと舞い、ぶんぶんと唸っていた蠅が一瞬にして遠ざかる。

 遥か上空で、ぼくの死を待っていたはずのハゲタカどもが慌て逃げ惑っている。

 ギンは突然の咆哮に耐えるように、耳を塞いだ。

 だが目はきらりと光り、バカにするみたいに口元はにやりと笑っていた。


「やっぱり、クロにはわかんないか」

 ギンは静かに言った。

「俺はわかるよ」

 遠吠えの反響が消え去って、変声期前の少年みたいな高い声が静寂を連れてきたみたいだった。


 ふわりとした風が頬をなでていく。

 一瞬フェードアウトしていた蠅の羽音が、また耳の近くでぶんぶんと鳴った。

「……そんなの嘘だ」

「わかってないのはクロだけだよ。シキのことをよく知らないから、どんな奴に殺されたのかもわかってあげられないんだ。ちょっと考えればわかることなのに」


 静寂が頬を打った。

 強烈に頭が痛んだ。

 眉間の辺りを、血液がすごい勢いで流れてくのを感じた。

 久々に搔き乱された感情に、体温が一気に上がっている。


 嘘だ。ギンなんかにわかりっこない。

 口に入り込んできた蛆を怒りに任せてぷちんと噛み潰す。

 どうせ適当なことばっかり言って、犯人を見つけたわけでも、捕まえたわけでもないに決まってる。


 それに、ぼくだってなんにも考えてなかったわけじゃない。

 誰が殺したかはわからないけれど、犯人がどんな奴だったか、考えがなんにもないわけじゃない。


 ぼくはギンに伝わるように、落ちていた羽根を咥え、崩れた天井を見上げた。

 目に痛いくらい眩しい青空が、ぎらぎらと輝いている。

 この穴から、アカネは飛び立った。


「シキはきっと、アカネ狙いのバカに殺されたんだ」

 シキはいつだってアカネ狙いの冒険者に狙われていた。

「アカネを譲ってくれ」という貴族からの「依頼」という名の「脅し」は後を絶たなかった。

 だからきっと、シキはそういう奴らに——。


「不死鳥狙いのならず者の仕業、か」

 ギンはぼくの意図を汲み取って頷いた。「世界ではじめて不死鳥を——アカネをテイムしたシキは羨望の的だったよな。『譲ってくれ』なんて何人の貴族から言われたかわからない。そのたびシキは断っていたけど……どの町に行っても、アカネがらみのトラブルは絶えなかった」


 ギンはぼくが咥えていたハゲタカの羽根を人差し指でつまみ、くるくると器用に回転させる。

 血に濡れたハゲタカの黒い羽根が、天井から降り注ぐ光できらきらと光った。


「アカネをどうしても手に入れたかった奴らがいよいよ強硬手段に出た。シキを殺して、アカネを手中に収めようとした。いかにもありそうな話だよな。俺だって最初はそう思った」

「……最初は?」

 ぼくの発した声の意味がわからなかったのか、ギンは言葉を切り、一度シキを見た。


 あの時からずっと変わらず、動かずここにある死体。

 ぼくらが慌ててこの廃墟に乗り込んだ時から、ずっとここで崩壊し続けている肉体。


「俺たちがこの廃墟に飛び込んでこの死体を見つけた時、犯人はもう逃げ去った後だった」

 ぼくは小さく頷く。

 誰もいない廃墟。

 転移魔法の痕跡と、腹から血を流したシキの死体。

 足音も衣擦れもない。

 誰の気配もなく、ただ風が吹くだけ。

 静寂に包まれたあの瞬間の廃墟は、目に焼きついて離れない。


「でも、おかしいと思わないか?」

 やがてギンは持っていたハゲタカの羽根から手を放して言った。

 黒い羽根がゆっくりと、宙を滑るように揺れながら地面に落ちていく。

「なんであの時、廃墟には誰もいなかったんだ?」

 羽根が血だまりの上に着地する。「なんで犯人は逃げたんだ?」


 ぼくはぽかんとしてギンを見た。

「なんでって、そりゃシキを殺したから——」

「逃げるなんて、絶対におかしいだろ」

 ギンは遮るように言葉を紡ぐ。「だってもし仮にアカネを狙った奴がシキを殺したとしたらさ——」

 こんな死臭を詰め込めるだけ詰め込んだような空気を、肺いっぱいに満たすように大きく、大きく息を吸う。

 そして腐りきった空気を切り裂くように、一息で言った。

 

「なんで犯人は、?」


 ギンの声が何重にも反響し、それからぴたりと静かになった。

 ハゲタカが鳴くのが聞こえる。

 風が吹き抜けていくのを感じる。

 だが、それ以外、すべての音が止まったような気がした。


「だってアカネを手に入れるためにシキを殺したんだぞ。シキだけ殺して逃げるなんて本末転倒だろ。アカネを捕まえなきゃ意味がない。本当ならここで俺たちを待ち構えているべきだったんじゃないか? 飛び込んできたアカネをテイムしてみるべきだったんじゃないのか? それなのに俺たちは誰にも会わなかった。アカネはなんの障害もなく飛び立った。なんでだ?」

 ギンは上空を見上げる。

 アカネが飛び立っていった天井の穴から陽光が筋になって差し込んでいる。

 足元でゴブリンの血がどす黒く光り、集る蠅の羽がうるさいくらいに飛び交っている。

 シキの死体から、ゴブリンの肉から、ぼくの体から、腐臭が天に昇っていく。


「それは……」

 言われてみればその通りだ。

 あの時のぼくらは本当に油断していた。

 いかに伝説の魔物とはいえ、テイムなんて一発でかかっていたかもしれない。


 あの瞬間は本当に、犯人からすれば空前絶後のチャンスだったのだ。

 見逃す理由なんて、なにもない。

 もちろんテイムに失敗する可能性は大いにあったけど……でもそれは、テイムを試してみない理由にはならない。


「犯人は『転移魔法』を使えたんだから、逃げようと思えばいつでも逃げられた。どうせ逃げるなら、テイム魔法を試してみてからでも遅くはなかっただろ。テイム魔法を使えなかったとしても、魔物の力を弱める薬なんていくらでもあったんだし」

 ギンはぼくの思考を読むように言う。「でも犯人は俺たちが廃墟に飛び込んでくる前に逃げ去った。アカネを捕まえようと試みることすらなかった。だとしたら、犯人はアカネを狙っていたわけじゃない」


 耳元でぶんぶんと蠅が唸っていた。

 耳に入り込んだウジ虫が、ごそごそと音を立てている。


 ギンの言う通りだ。

 アカネを狙ったにしては、辻褄が合わない。


 あの日、ぼくらは誰にも会わなかった。

 この廃墟には誰の気配もなく、それどころかこの森にだって誰もいなかった。

 前日から何度も魔力探知をして確認したんだ。間違いない。

 アカネ狙いなら、どこかでぼくらを待ち伏せする必要があるのに。

 テイム魔法をかけてみる必要があるのに。

 犯人はそれをしなかった。


「……アカネ狙いじゃなくて、ほかの理由なのかも。シキはいろいろ恨まれてたし……」

 捻り出すように、ぼくは言った。「ほら、調査依頼とかで没落した貴族なんていっぱいいたじゃん。あいつらがやったのかも」


 裏帳簿を知られたメイズ商会のドラ息子とか、横領に脱税のオンパレードだったレイクウォーク家のハゲ親父とか。

 シキに殺意を抱いていた奴らなんて腐るほどいた。

 シキ本人に恨みがあったなら、シキを殺してすぐ逃げたのも納得がいくじゃないか。


「もちろんアカネなんて関係なく、単純にシキの口を塞ぎたかった可能性もある」

 ギンもまるで理解しているように先を続けた。「復権するのに不都合な真実を知られてしまったから殺した、なんてレイクウォークのハゲはいかにもやってきそうだし」


 そうだ。きっとあいつだ。

 隠し資産のありかを知られたから、それで——。


「それでもやっぱりおかしい」

 ギンの声は、ぴしゃりと冷たく響く。

「口封じのためだとしても同じだ。やっぱり俺たちは犯人と遭遇してなきゃいけない」


 ギンの声は何重にもなって廃墟に響く。

 すべてが反響し、脳の奥ががんがんと揺れた。


「よく考えてみろ。本当に口封じがしたかったのなら、シキを殺すだけじゃダメなんだ。使い魔まで始末しないと。だってシキのテイムを外れた今なら、誰でも俺たちをテイムできるんだぞ。そしてんだ」


 背後で山と積み上げていたゴブリンの死体が、血で滑ってずるりと落ちた。

 音が反響する。埃が舞い、腐臭が鼻をつく。


「シキが俺たちになにか秘密を話していたら? 誰か別の奴にテイムされたら? そう考えたら、シキを殺すだけじゃだめだ。俺たちを始末するかテイムするかしないと、口封じとは言えないだろ」

 ギンは滑り落ちたゴブリンの死体を見る。

 乾いたゴブリンの血が、青空を受けてぎらぎらと輝いている。


「シキが死んだあの瞬間は、俺たちをまとめて葬り去る唯一の機会だった。それなのに犯人は俺たちを廃墟の外に待たせた。シキだけ殺して満足した。俺たちのことは放置して逃げ去った。俺たちが近くにいることは知っていただろうに」

 銀髪を搔き上げながら、ギンは眉間に皺を寄せた。


「百歩譲ってアカネを放置するのはまだわかるよ。殺せないし、ほかの誰かが簡単にテイムできるとは思えないもんな。俺のことを放っておくのもわかる。そもそもシキが俺をテイムしていたことは誰も知らなかったんだから。だがクロは違うだろ」

 ギンの指先が、ぼくの眉間を貫くように指していた。


「シキがクロとずっと一緒だったことはみんな知っている。クロがいつまでもこの廃墟に留まっていることは調査すればすぐにわかったはずだ。テリア村で噂になってたんだから。それでも犯人はクロを放置した。『転移魔法』でここまでひとっ飛びのはずなのにな」


 ギンの言葉に、ごくりと唾を飲む。

 もし犯人がぼくを始末しに、「転移魔法」でここに戻ってきていたら——。

 死にかけの今、ぼくは誰のテイムにも抵抗できなかっただろう。

 力も入らないんだから、鉄級の冒険者だって容易に殺せただろう。

 口を封じるためにシキを殺したのだとしたら、なぜぼくは誰にもまだ生きている?

 なんでこの廃墟には、この森には、誰も近づかなった?


「まあ人を殺して気が動転してたのかもしれないし、単にそこまで気が回らなかっただけかもしれない」

 ギンはそう続ける。

「つーか、口封じとも限らないしな。単なる嫉妬かもしれないし、逆恨みかもしれない。『ムカつくから殺してやる』って思っただけかもしれない。人を殺す理由なんて、いくらでも考えられるもんな」

 そう言って「まあシキの場合、痴情のもつれはなさそうだけど」と冗談めかして笑った。

 まったく笑えない。


「……だけど、どんな理由であったとしてもおかしいんだ」

 ギンの声変わり前みたいな高い声は廃墟によく響く。

 呟くような声は、この廃墟にあるどんな音よりもまっすぐに耳に届く。


「どんな理由であっても、シキがここで殺されるはずがないんだ」

 ギンが再び天井の穴を見た。

 視線を追って、ぼくも見上げる。

 無数のハゲタカがいまだにぎゃあぎゃあと騒いでいる。


「だって、シキを殺すのに、んだから」


 ギンが視線を下ろして、ぼくの目を見る。

 突き刺すような、奥底まで覗き込むような視線だった。


「当たり前だけどさ、人を殺すんだったら普通、誰にもバレたくないよな。できるだけ隠れて殺そうと思うよな。実際こんな人里離れた廃墟に呼び寄せているわけだし、犯人もできれば誰にもバレずにシキを殺したかったはずなんだ」


 そりゃそうだ、とぼくは頷く。

 誰だって、人を殺している姿を見てほしいとは思わないだろう。

 だからこそ、ぼくらだってこの館の外で待機させられたんだし。

 

「それなのに、ここでシキを殺そうなんて思うか? こんな天井が崩れた部屋で? だって殺す相手は『』だぞ? んだぞ? せっかく使い魔を外に待機させたのに、なんでよりによって空から筒抜けの部屋でシキを殺したんだ?」

「それは……」


……なんでだ?

 ハゲタカが上空からシキの死体を見つけたように、アカネだって飛べばシキが見えたはずなのだ。

 いくらぼくらを外で待機させたって、その気になればアカネは中を監視できたのだ。


 手紙を出しておびき寄せたんだから、計画的に殺したんだろう。

『転移魔法』があるなら下見だってしただろう。

 玄関ホールなんて真っ暗だったんだから、殺すならそっちの方が向いているなんて誰でもわかっただろう。


 それなのに、犯人はこの部屋でシキを殺した。

 シキが不死鳥をテイムしていることは誰でも知っていたのに。

 見上げれば鳥の姿が見えることくらい、すぐにわかっただろうに。


 アカネが犯行を目撃するかもしれないのに。

「不死鳥の涙」が、致命傷を治してしまうかもしれないのに。

「殺すことのできない目撃者」が、いつ犯行を語りだすかわからないのに。

 それでも犯人はこの場でシキを殺した。

 やっていることがあまりにちぐはぐだ。


「どんな理由であれ、シキがこの部屋で殺されるのは理屈に合わない。それなのにシキはこの部屋で殺されていた。なんでだ? シキは一体、どんな奴に殺されたんだ?」


 最初の質問を、ギンは繰り返す。

 だが今では、まったく違う意味を持っているように思えた。

 ギンの話を聞いていると、シキがここで殺される理由なんてなかったように思える。

 一体どうして、シキは死んだ?

 ぼくらの主人は、なぜここで倒れている?


「理屈に合わないのにここで殺されたのだとしたら——」

 ギンの目がぎらりと光った。

 天井から注ぐ光の束で、ギンの銀髪が、小さな体が、清潔そうな服が、場違いなまでに輝いて見えた。


「ここにシキを呼びつけた『犯人』は、シキを殺すつもりなんてなかった」

 

 ぐらりと体が揺れた気がした。


「少なくともシキをここに呼んだ時には、殺意なんて持っていなかった。手紙はシキを殺すために送ったものじゃない。おびき寄せようとしたわけでもない。本当に依頼したかったからかもしれないし、ただ会って話したかったというだけかもしれない。こんな廃墟に呼んだのは、人目につかない場所で内緒話をしたかったからかもしれない。きっとシキ以外の誰にも聞かれたくない話だったんだろう。使い魔である俺たちにも。だから俺たちを外で待たせるようシキに頼んだ。玄関ホールは暗いから、明るい部屋で話そうと思った。そうしてなにか決定的なことが起きて、シキは殺された。カッとなってしまったのか、事故のような偶然が積み重なった産物だったのか。とにかく、シキをここに呼んだ人物は、シキを殺そうと思っていたわけではなかった」


 ギンは目をつぶる。きっと、あの日見たシキの死体を思い出している。

 一突きされ、ぱっくりと開いたお腹。どくどくあふれ出る血。

 少し顔をしかめ、それからギンは目を開ける。


「そしてもし、本当に俺の推測が正しいのなら——。クロ、お前はどんな奴がシキを殺したか、答えられなきゃいけないんだ」

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