14 前編


 ギンが紙級から鉄級まで上がるのはあっという間だった。


 毎日真面目にギルドに足を運び、薬草採取やゴブリン退治には脇目も振らず、ギルド講習会の手伝いとか近隣の清掃依頼とか、スラムへの炊き出しとか、大剣の見た目に反して「いかにも紙級」という依頼も真面目にこなす姿は、ギルドにとって大いに好印象だったらしい。


 本当は弱虫だから、戦う必要がまったくない依頼を選んでいただけだ。

 薬草採取くらいはしたっていいのに、ギンは町の外に出るのだって嫌がった。

 だから郵便依頼みたいな町から町を移動しないといけない時には必ずぼくらと一緒に出かけた。

 

 だがギルドは、シキが頻繁に「ライラ」と行動を共にするのを良しとしなかった。


 なにしろシキは銀級で、情報収集能力の高さを売りにしているめずらしい冒険者で、しかも世界ではじめて不死鳥をテイムした凄腕テイマーだ。


 どこへ行ってもシキ個人への依頼は絶えなかったし、そうじゃなくてもシキに紙切れや鉄くずの仕事をさせるわけにはいかなかったらしい。


「あのねシキさん、ライラさんが心配なのはわかります。でも銀級のあなたが一緒に行動することで、新人のライラさんが本来経験するはずだった依頼達成時の喜びとか、失敗した時の後悔や反省とか、ほかの冒険者との交流とか、そういう冒険者としての糧になる機会を奪っている自覚はありますか?」


「あなたが紙級鉄級の仕事を受けることで、ほかの銀級の方々が低級の依頼を断った時にどう思われるか、少しでも考えたことはあります?」


「いいですか、くれぐれも低級の依頼を受けて、紙級鉄級の冒険者たちの仕事を奪わないでくださいね?」


 半分詰められるように繰り返し言われ、そのたびにシキは「すみません」とどんどん背中が丸く、小さくなっていった。


「まあ、それだけギルドが『冒険者ライラ』に期待して本気で育てようとしてるってことだから」

 長いお説教から解放されたシキはほんの少しだけ嬉しそうにそう言って、ギンはものすごく不安そうな顔をしていた。



「ライラ・アーモンド」として冒険者登録をしてから、ギンはますます頑なに人間姿でいるようになった。

 鉄級になる頃には「ライラ」はひとりで行動することが増え、そうなると人間らしい振る舞いに拍車がかかった。


 ひとりでギルドに行き、受付嬢に相談しながら依頼を仮受注し、依頼人と会って話を聞き、契約して依頼を達成する。町の外に出ることももちろんあったし、時にはシキ以外の冒険者と一緒に行動することもあった。

 より冒険者らしく、少しずつ言葉遣いは荒くなっていき、冒険者としての常識を身につけるようになった。

 ギルドでは嘘をつかないこと、冒険者証は肌身離さず携帯すること、マッチが切れても冒険者証で火を熾せること。


 火を熾せるのは、シキも知らないことだった。

「冒険者証もらう時にギルドで説明されただろ?」

 自分の冒険者証を使って実践してみせたギンはちょっと自慢げにそう言って、シキはシキで誤魔化すように首をひねっていた。


「ずっと前のことだから覚えてないけどさ、そんな機能言われたら真っ先に試してみたくなるのに知らないってことは、やっぱ言われてないんじゃないかな。うん、ギルドのミスな気がしてきた」

「あのね、ぼくはシキがギルドに登録する時も一緒だったけど、シキ、細かい説明なんて全然聞いてなかったよ。なんか受付の人がいろいろ言っている間も、子どもみたいに目をきらきらさせて、冒険者証眺めてただけだもん」

「ほら、そんなことだろうと思った」

「いやだって、冒険者証なんてさ、普通身分証明にしか使わないじゃん。それにアカネが仲間になってから火に困ることなんてなかったし」

「なに? 私はマッチ代わりなわけ?」

「いやそうじゃないけどさ」

「あんたコミュ障テイマーだから、ほかの冒険者との交流もないもんね。誰も教えてくれなかったんだね」

「うっさいよ」

 シキが拗ねたようにそう言うと、ギンは嬉しそうに笑った。


 本当はギンだって最近まで知らなかったくせに。

 尻尾を丸めながら、ぼくはそう思った。


 この前、一緒になった冒険者に教わったの、ぼくはちゃんと見てたよ。



 さすがにギンをひとりで活動させようとは思うほど、シキは脳天気じゃなかった。

 だってギンは弱虫だし、人間と同じくらいの魔力しかないし、大剣も飾りなだけで本当に使えるわけじゃない。

 人間にすごくうまく化けられる狐ってだけ。


「なあ、クロ。ギンがひとりでいる間、ギンのこと守ってやってくれない?」

 シキにそう言われたのは、ギンが鉄級に上がる少し前くらいのことだ。

 だからぼくはギンがギルドに出かけるたびにこっそりと影に忍び込んでいた。

 それだけじゃない。

 先回りして魔物を追い払っておいたり、それとなく薬草が生えている方向に誘導してみたりした。


 よく考えるとギンがこんなに早く鉄級に上がれたのは、半分はぼくのおかげな気がする。

 まったく、ちょっとは感謝してほしい。


 でもギンはまるで気づかず、「ライラ」はますます冒険者らしくなっていった。

 紅葉が終わると雪がちらつき、積もった雪を踏みしめるうちに春一番が吹いた。


 

「なあ、ライラちゃんってなんで寝てる時も大剣背負ったままなわけ?」

 そんな声が聞こえてきたのはある春の日暮れだった。

 顔を上げて影の外を見ると、金髪の男が焚き火にあたりながらギンが背負った大剣を指さしていた。


 その日、ギンが受注していたのは、街道沿いのファイヤストップの点検保守依頼だった。

 三日かけて町から町へ移動しながら、雪で荒れたファイヤストップの清掃と点検を行う簡単なもの。

 薬草採取やゴブリン駆除の依頼と組み合わせやすく、鉄級に人気の依頼だった。

 ほかの冒険者と一緒に行うことが多い依頼で、今回もやっぱり「ライラ」は鉄級ふたり組と一緒だった。


 筋骨隆々とした金髪剣士と、ひょろりとした黒髪のそばかす魔法使い。

 どこかちぐはぐとした男やもめのパーティで、ふたりとも時々、まるで値踏みするように頭からつま先まで、一瞬胸に目を留めながらライラをじっと見ていた。


「大剣なんて寝る時くらい、外しゃあ良くね?」

 すっかり芽吹きだしたとはいえ、まだ夜はどこかに冬の残り香がある。

 あっという間に暗くなった周囲は、キャンプの焚き火だけが明るい。


「……ずっと背負ってないと落ち着かないから」

「でも重いんでしょ?」

 黒髪の魔法使いが舌で唇を濡らしながら言う。「甲冑もさ、つけっぱなしだと疲れちゃうよ。明日の仕事にも響く」

「私は大丈夫。慣れてるから。剣なんて身につけてない方が不安で——」


「あっれぇ? ひょっとして俺たち警戒されてる?」

 ギンの言葉を遮った金髪剣士が大げさに目を見開いて驚くような仕草をした。「なーんで! 俺たち今パーティ組んでるんだぜ? 仲間仲間。仲間のことは信頼して背中を預けて眠るってのが冒険者だろ?」


 ひどく耳に障る声だった。

 街道にはほかに誰もいない。ギンと、金髪と黒髪の三人だけ。

 焚き火の光が届く範囲を超えると、あとはもう暗闇しかない。

 それなのに、金髪剣士の声は過剰なほど大きかった。


「……別にふたりを警戒してるわけじゃないよ」

 ギンがちょっと動揺したように言う。「ただ、えっと、ほら、この近くにゴブリンの巣があるかもって報告が上がってたでしょ? なにかあってもすぐに行動できるようにしておかないと」


「出た! 真面目ちゃんだねぇ! 平気平気。俺たちの実力を見くびんなよ。ゴブリンなんか寝てたって倒せるね」

「ふふ、安心してよライラちゃん。こいつの言動見てると嘘っぽいけど、腕っぷしは本当に鉄級以上さ。僕だって魔法の覚えは相応にある。この辺の魔物なら、ライラちゃんがぐっすり寝てても倒せるから」

 黒髪の唇がてらてらと光る。


「いや、でも……その、仕事は仕事だから……。万が一のことがあるし」

 ちっ、と金髪の舌打ちが聞こえた。

「なんだよ。まったく信用されてねえなあ、俺ら。悲しいよなあ。あーあ、悲しいわ」

「信用してないわけじゃ……」


「いいんだ、気持ちはわかるよ。ギルドで聞いたんだよ、ライラちゃんってあんまり駆除討伐依頼、受けてないんだって? そんな大剣持ってるのにさあ、ひょっとして戦いは苦手だったりする?」

 まるで探るような言葉だった。

 だからギンは黙る。


「そうだよね。この前、紙から上がったばっかりだもんね。わかるよ。ゴブリンだって最初は僕たちも怖かったもん。でも安心して! 僕たちは鉄になって長いし、銅も目前。ライラちゃんがそんなに必死に大剣を握りしめて寝なくても、僕たちがぜーんぶ対処してあげる。絶対にライラちゃんを守ってあげるから、だから安心して横になって大丈夫なんだよ」


 ギンは困ったように黙ったまま、きょろきょろとせわしなく目を動かし、後ろで結んでいる髪をなでつけた。

 ギンが化けた「ライラ」の大きな胸が動く。

 金髪剣士と魔法使いの喉仏が、ごきゅっと動いた。

 ふたりが視線を見合わせ、小さく頷いたのが見えた。


「しょうがないなあ。じゃあ、魔物が怖いライラちゃんでも安心できるように、とっておきを使ってあげる」

 黒髪はそう言って、「じゃーん!」と鞄から手のひらに収まるくらいの小型のフラスコを取り出した。

 中には透明な液体が入っていて、男が魔力を込めるとじんわりと光り、沸騰するようにぶくぶくと泡立ちはじめたのが見えた。


「すごいでしょ?」

 魔法使いの自慢げな声がする。


 なんだか、嫌な感じがした。

 今までも嫌な感じだったけれど、もっと強烈に嫌な感じがした。


「ライラちゃんは見たことあるかな? こいつはね——」

 魔法使いが緑色のスライム材で封された口をひねる。


 ぷしゅっと音がする。


 同時に、男が自慢げににやりと口を開いた。


「——最高級の魔物避けさ」

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