13 後編

「ギン! いいこと思いついた!」


 突然シキが叫んだのは、すっかり蒸し暑くなったある夏の日だった。

 街道のファイヤストップで買った新聞からガバッと顔を上げて俺を見た。

 思わず一歩引いてしまうくらいの満面の笑みだった。


「……なに?」

「俺はギンをちゃんと使い魔として登録したいんだけど……でもギン、どうしてもギルドの人には化け狐の姿を見せたくないんだよな?」

「うん」


 ギルドの人だけじゃなく、誰にも見せたくはない。

 テイマーのシキにだってまだ狐の姿を見せていないのだ。

 クロにも、アカネにも、誰にも見られたくなんてない。


「じゃあもうさ、いっそ人間として冒険者登録してみない?」

「……え?」

 思わずぽかんとした。「え? え?」


 意味がわからない。

 そんなの絶対無理に決まっているのに、一体なにを言っているんだろう。

 だがアカネは「なるほど、名案ね」と頷くように言った。


「まだ私たちにも見せないくらいだもの、どうせ化け狐の姿で出歩くつもりはないんでしょ? だったらもう本当に人間になっちゃえばいいのよ。私が見逃しかけるくらい完璧な擬態を、人間ごときが見破れるわけないもの」


「だろ? それに冒険者として登録してパーティ組んじゃえばずっと一緒でも変に思われない。ほら、最近よく『あの子とはどういうご関係なんですか』って訊かれるじゃん。冒険者登録しちゃえば『いや、パーティメンバーです』って胸を張って言える」


「そんなの無理……!」

「大丈夫。俺が冒険者になれたんだ。だったら、お前もなれるって」


 どういう思考回路をしていればそうなるんだと思った。

 人間のシキが冒険者になれるのは当たり前だ。

 俺とは違う。

 俺は魔物で、魔物は冒険者にはなれない。

 常識だ。


 でも、シキはそう思わないらしい。


「紙級冒険者には十三歳を超えてれば誰でもなれる。試験もないし、面接らしい面接もない。ある程度きちんとした受け答えができればそれでもう大丈夫。ほとんどフリーパスだよ。俺の時はそうだった」

「そりゃ、シキは人間じゃん! 俺は魔物だもん! それにギルドでは嘘をつけないってシキ、いつも言ってる……」

「そうだけどさ、でも俺、『あなたは人間ですか?』なんて訊かれなかったよ」

 シキは元気づけるように力強く頷いた。


「そもそも魔物が冒険者登録を受けに来るなんて想定しているわけがないんだ。想定していないことは質問もできないし、質問ができなければ嘘なんてバレやしない。『王国で生まれたと思うが、親に捨てられたので正確な出生はわからない』『物心ついた時からスラムで育ってきた』『だから今まで魔力登録はしていなかった』『シキに出会って、一緒に行動するようになった』『冒険者になることを勧められて来た』どれも本当のことだ。だから怖がらずにありのままを伝えれば、ギルドの人もきっと手続きを進めてくれる。大丈夫、その魔力ならきっと、魔力登録もできるって」


「でも……でも、俺、全然十三歳じゃない」

 なんとかシキ、諦めてくれないかなと思いながらそう告げた。「まだ二歳か三歳くらい」


 もちろん生まれてからの正確な月日なんて覚えてはいない。

 親に捨てられたのはきっと生まれてすぐだ。

 一緒に混ざって寝ていた野犬たちの大きさから判断すると、多分魔力が発現したのは生まれてから半年かそこらのことだと思う。


 ひとりで暮らすようになってから十数年経ったなんて記憶はもちろんない。

 長く見積もって二年くらいだろう。

 アカネに言わせれば、本当に「生まれたばかりの仔狐」みたいなものだ。


「まあさすがにその姿だと断られるとは思うけど……」

 シキは物わかりよく頷いて、俺の頭の先から足の先までを見た。


「でも、ギンはどんな姿にでもなれる。小さな男の子にもなれるし、大人の女性にだってなれる。イメージさえできれば、どんな人にだって化けられる。本当の年齢なんて関係ない。どう見ても十三歳を超えている人が来たら、ギルドも年齢確認なんてしてこないよ。そんな心配そうな顔するなって。俺が保証する」

 保証されても困る。



「とりあえず一回この人に化けてもらっていい?」

 人目につかない森の中にテントを張ると、シキは新聞の一面に写っていたどこぞの太った女貴族の写真を指さした。

 渋々化けると、シキは次々に指示を出していく。


「今までスラムに住んでいたんだから、もっとすごい痩せた感じの方がいいな」

「冒険者になるんだ、髪は一本にまとめちゃった方が似合うんじゃないかな?」

「なんか上品な感じになっちゃうなあ。まあ元が貴族だしなあ」

「首のとこに傷でもつけてみたら?」

「アカネ、それ採用。あ、そうそう。そんな感じ。傷が見えてる方が、ずっと強そうだよ。ちゃんと冒険者って感じがする」

「あとは大剣でも持ってみるとか!」

「クロのそれも採用。ほら、やってみて」


 言われるがままに化けた。

 化けて化けて、化け疲れるくらいに何度も化けた。

 これ以上化けたら狐の姿に戻ってしまうというギリギリまで化けた。


 ひょっとしてみんな、狐姿を見たいからわざと難しい注文をつけているんじゃないかと思った。

 化け慣れていない女の人に化けさせたのも、いつもよりずっと背も高くさせたのも、大剣なんて難しいものを持たせたのも、全部魔力を使い果たさせるためだったような気がする。


「よし、じゃあ最後にもう一回やってみよう!」

 シキがそう言って、ぱん、と手を叩いた瞬間だった。


 気がついたら俺はぱたんと倒れて、全身真っ白な狐の姿に戻っていた。


「あれ……?」

 白い毛が真っ赤になるくらい恥ずかしかった。

 でももう動く元気もなくて、息が荒くて、クロに首根っこを咥えられるといよいよ体の力が全部抜けてぷらぷらと足を揺らすしかなかった。


「ギン、全然銀色じゃなかったね」

 火のそば、柔らかく掘り返した地面に優しく横たわらせたクロがぽつりと言うのが聞こえた。



 そうやって俺が狐姿になるのを見たいがために次々に要素が足されていった女冒険者姿にはひとつ問題があった。


「これ、どう見ても『ギン』って感じじゃなくなったなあ」

 翌日、改めて化け終えた俺の姿を見て、シキはしみじみと言った。


「そもそも女貴族の写真をベースにした段階でギンって感じじゃないよ」

 めずらしくクロが正論を言う。

「うん、まあ、そうなんだけど、名前の問題を忘れてたね……。ギンで通らないかな?」

「通らないよ」


 冒険者登録するにしても、この姿で「ギン」なんて名前だったら怪しまれるに決まっている。

「うん、じゃあまあ——」


 シキはちょっと考えるように言葉を切った。

 昨日の新聞を眺め、焚き火の跡を見る。

 多分、昨日俺が寝てしまった後で飲んだお酒の瓶が転がっている。

 

 鍋には俺のために取っておいたくれたらしい料理が熾火で温められている。

 菜っ葉とナッツの炒め物。

 シキは「決めた」と新聞を火にくべながら頷いて言った。


「ライラ・アーモンドで」


 新聞の一面に載っていた偉い人の名前と、鍋に入っていたナッツ。

 そんな適当な名付け方は、今思えばどこかシキらしいと思う。


 自分の変化が完璧だと思ったことはない。

 いつもの少年姿ならお手のものだけど、背が高くなると重心の移動が難しくなる。

 二足歩行で歩く時にどうやって手を出すのが自然なのかわからない。

 つい尻尾を出してバランスを取りたくなってしまう。


 おまけに大剣が変に重心を後ろに引っ張って、転んでしまいそうになる。

 糸で操られているみたいに動きのすべてが不自然極まりないように思えた。


 それなのに、冒険者登録は拍子抜けするほどスムーズだった。

 シキが冒険者登録をしたというアーガンノの町まで行き、「オリーブさん、この子の冒険者登録をお願いしたいんですけど!」とシキが話すのを横で聞いているだけで良かった。


 もちろんいくつか質問はされたけれど、答えに困るものはなにもなかった。

 生まれは王国か。魔力登録をしていないのはなぜか。今更冒険者になろうと思ったのはなぜか。


 嘘を答える必要はなかったし、「あなたは人間ですか」なんて訊かれることもなかった。

「ライラ・アーモンドというのがあなたの本名ですか?」

 唯一答えに詰まった質問はそれだった。

 途端に受付の女性が眉を顰める。

 でも俺が口を開く前に、「答えに詰まったの、多分、俺のせいですよ」とシキは笑いながら言った。


「この子、スラムにいたって言いましたよね? 多分本当の名前は別にあると思うんですけど、俺がライラってつけちゃったんで……。多分そのせいです」

 嘘ではない。ギルドの魔法にも引っかからない、本当のことだ。

 でも、真実でもない。


「まあシキさんが連れてきたんですから信用してないわけじゃないですけど……あなたはそれでいいんですか? この名前で魔力登録も、冒険者登録もしちゃいますけど」

「……まあ実のところ、シキのネーミングセンスには期待してないし、ギルドにだって無理やり連れてこられたようなものですけど……」


 そう言いながらちらりとシキを見る。

 なんだか少し焦ったように見えて、思わずくすりと笑った。

「でもいいんです。このまま登録しちゃってください」


 今はまだ、全然しっくりこない名前だけど。

 冒険者に向いているなんて、とても思えないけれど。

 この姿も全然慣れないし、大剣だって馴染まないように思えるけれど。

 それでも——。


「私だって、役に立ちたいんで」

 心の底から、そう言った。

 

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