序章2. アカネ
最初に死んだ時って、どんな感じだったっけ。
シキの顔を舐めては、遠吠えを繰り返すクロの横で私は思った。
怖かった? みじめだった? いや、絶対そういう感じじゃなかったはず。
最初に死んだのは、えっと、そう、雪の日だった。
巻き上がる乱気流に深紅の風切り羽が折れ、地に落ち、降りしきる雪に凍え、死神が冬眠し損なった熊の姿を借りて近づいてきた時、「あ、もう無理」と思ったのを覚えている。
灰になって、新しい命を得るまでにどのくらいかかるのかしら。
一ヶ月? 一週間? それとも数分?
せめて蘇るまでにこの雪がやんでいてくれるといいな。そうじゃないと寒くてやっていられない。
やがて最期の一撃ががつん、と体を貫いて心臓が止まった。同時に命の灯火が一気に燃え広がり、襲ってきた熊が炎に包まれ、丸焦げになっていくのを見ているうちに私の命は尽きた。
最期に思ったこと?
「もったいない!」だ。だって肉は生の方が絶対美味しい。
だからもう、最悪。
そうやって、まるで飛び立つ前と同じように天気の心配をして、失敗した料理の出来にがっかりして、ふてくされて寝るように死んですぐ、私は生まれ変わった。
焦げた熊は美味しくいただいた。
断言できるけど、間違いなくシキはそういう適当な最期じゃなかった。
蘇ることのない彼の亡骸がすべてを伝えている。
命の灯火を絶やしたはずの体は、たった一回の生しか持たない生物ならではの力強さをまだ持っているように思えた。しっかりと自分の人生を生きた人間の体。
痛みに耐えて噛んだ唇が切れている。貫かれた腹部に手を添えていたのか、両手には血がべったりついている。痛かっただろう。苦しかっただろう。それなのに崩れた天井から空を仰ぐシキの顔は、冬の日差しに照らされてきらきらと輝いて見えた。
まったく、人間には驚かされる。
すごい奴だよ、シキ。あんたはよく頑張った。
私はシキに近づき、目に力を入れ、何度か瞬きを繰り返す。
そうやってようやく捻り出した涙を、押しつけるようにシキの頬に擦りつけた。
「不死鳥の涙には癒やしの力があるんだろ?」
いつだったかシキはそう尋ねてきた。「アカネが泣くとこなんて、まあ全然、これっぽっちも想像できないけど」
私はシキの頭を穴が開くまで突いてやった。
もちろん迷信だ。私に癒しの力なんてない。不死の力は、私だけのもの。
でも、本当にそんな力があれば良かったのにね。そしたらこんな傷なんて、ぱっと治せたのにね。奇跡を起こせるような神々しい鳥だったら……そうしたら、もうちょっと長く旅を続けられたのにね。
でも、ないものはしょうがない。
そうじゃなくたって、シキの魂はもうとっくに肉体を離れ、彼岸へと旅立ってしまったのだから。
この涙は餞別のようなもの。
ただ生き続けるから生きているだけの私から、太く短い生涯を終えたシキに贈る花束のようなもの。
感謝してよ?
七回目の生で人間の言葉を教えようとしたチビのコータも、十八回目の生で檻に閉じ込められた私をこっそり逃がしたユゼフも、私の涙は見れなかったんだから。
シキ、あなたの旅立ちに、きっといいことがありますように。
クロがまた声を震わせる。
世界中の人たちに知らせるように、クロは吠える。
天井を突き抜けて降り注ぐ光柱が、シキの魂が入っていた肉体を優しく包んでいる。
見上げれば、雲ひとつない澄んだ冬晴れの空。雨のにおいも、雪の気配もない。風は穏やかで、どこまでも昇っていけるくらい大気は輝いている。
羽の付け根がむずむずした。
「あんたたちは、これからどうするの?」
ま、クロはしばらくここから離れそうにないけれど。
ギンは怪訝そうな目で私を見て、それから軽く首を振り、ただ小さく「ワン」とも「コン」ともつかない奇妙な声を上げた。
「そうだった。もう通じないんだよね」
繋がりは断たれた。
シキの魔法は、もう解けた。
今まで当たり前のように話せていたのが奇跡だったのだ。
きっと私たちはシキの魔力を介して、テレパシーのように感情やら想いやらを届けあっていたのだろう。それが魔物と心を通わせるテイム魔法。
テイマーのシキがいなくなると、もう私たちはお互いの言うこともわからない。
毎日一緒にいた仲間のことが、全然理解できない。
ばつんと私たちを繋いでいた鎖がはち切れて、突然、世界にたったひとりで放り出されたみたいだ。今、この世界には私を縛るものなどひとつもなく、体は軽く、だからこそ、どこにでも行けるようにも思えるし、どこまでも流されていってしまいそうにも思えた。
死んで、また生まれ変わる時は、いつもそんな気分になる。
今回死んだのは私じゃないけれど——でも、本当に、そんな気分だ。
だから私は翼を広げる。
大気が動き、土埃が舞う。風を掴むように羽を動かす。シキの髪が動く。私の体から出る熱が、大気を昇る道しるべを作る。
さあ、旅立とう。
私をこの世界に留めおく、なにかを見つけに。
シキに代わる、止まり木を探しに。
そんなもの、この五十七回目の生の間に見つかるかしら。
「じゃ、私は行くから」
どうせクロにもギンにも通じないだろうけれど、それでも私はそう言った。
クロはまだ遠吠えを続けている。
ギンはどこかさみしそうに私をじっと見ていた。
それからぐっと体を丸めたかと思うと、どこか不良然とした銀髪の少年に化けた。何度も見た姿。ギンは眉間に皺を寄せ、それから八重歯の覗く口を開いた。
「……じゃあな」
すっかり覚えてしまった人間の言葉で、ギンははっきりと言った。
なんだ、通じてんじゃん。
それが妙に嬉しくて、私は力強く羽ばたき、大地を蹴った。
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