マサキ

 嘘だろ?


 マサキが女の子だった。


 僕は、全く見当はずれな嫉妬からシシメル行を決めたって事か? 何だよそれ? まるでコメディだ。


「おーい。どったのあやた? 戻ってこーい」

「あ、ああ」


 息を感じるくらい、顔を近づけて来るみらいに我に返る。


 こいつ無防備すぎだろ? そんなビクーニャみたいな可愛い顔して油断してたら、キスされても文句言えないぞ。


 たぶんだけど、僕以外の男子にこんな事しないはずだ。おそらくみらいにとって僕はまだあの頃の“あやた”なのだろう。


 僕が高校生の女の子を変わらずちゃん付けで呼んでしまったように、僕と彼女の間には5年前の感覚が、時差ボケのように残っているのだ。


「ごめん、思い出したんだよ。5年前の夏にこの町に来た時、みらいと一緒に男の子がいたなって」

「お。なこの事に気が付いた?」


 僕は頷く。


「実はあの時、僕はマサキが女の子だったなんて全然思ってなかったんだ。それで驚いてしまって」

「あ、やっぱり? そうだと思ってたんだ! お風呂でラッキースケベイベントをやろうと思って、あの時あえて教えなかったんだよね。でも、あの後すぐあやた帰っちゃったからさー」


 なんだと?


 けらけらと笑っているみらいは、マサキに対する勘違いが、僕の人生を180度変えるような事態になったとは露とも思ってないのだろう。彼女は昔からしょうもない悪戯が大好きで、僕がお辞儀をする瞬間を狙ってランドセルのふたを開けたり、先生の頭に黒板けしを落としたりしては喜んでいた。


 知らぬ間にとはいえ、計画が阻止できてよかったよ。


「あの時、真崎さんが男の子のふりをしてたのも、みらいの仕業?」


 そうだと答えたら、容赦なく頭をぐりぐりしてやる。


 マサキの存在は僕の人生を大きく変えた。シシメルに行った事に後悔はない。結果的に良かったと思っている。


 だからぐりぐりで許してやるのだ。僕はみらいに見えるように両手の拳を握ってみせる。


「ああ、それは違うよ。あれは私が自分でやってたの。それでみーちゃん? お風呂でなに企んでたって?」

「そんなの未遂だし、時効だし!? ふにゃあ!」


 答えたのは真崎さんだった。みらいの両方のほっぺをつねって引っ張る。その顔が面白かったから。僕は拳を下すことにした。


「あの頃の私は、自分の名前と見た目が嫌いだったの。みんな私の事を大和撫子って呼んで、勝手におしとやかなお嬢様ってイメージを持って接してくるのが鬱陶しくてさ」

「ごめん。僕もそんな印象だった」

「いいよ。今は気にしてないから」

「ふぅん。あたしは初めてなこを見た時、お人形が歩いてるのかと思って、思わずお経を唱えたわ」

「私を見てお化けだと思った人は、今のところみーちゃんだけだね」


 そういえば、みらいはお化けが大の苦手だった。でも妖怪やUMAは好きなんだよな。よく河童やツチノコ探しに付き合わされた。


「クラスメイトからは大和撫子とか、お嬢様扱いされてね。あんまり上手くいってなかったから、そんな目で見ないみーちゃんとはすぐに仲良くなったんだ」

「や。なこはお嬢様だから。名家のご令嬢だから」


 やっぱりね。


 真崎さんが良いところのお嬢様なのは何となく感じてた。育ちが良さそうというのもあるが、確か昔この辺りを治めていた殿様の名が真崎氏だったから、関係があるのではないかと思っていたのだ。もし、直系の子孫とかなら、彼女はお嬢様ではなくお姫様だ。


「名家のご令嬢がなんで男の子の格好を?」

「学校での私は本当にお嬢様扱いだったんだ。そのくせ、好きな食べ物を聞かれて、ハンバーグって答えたら、『印象が違うー』とか、『全然大和撫子じゃなーい』とか言われるし、どんなテレビ見てるのか聞かれて、相撲中継って答えたら『ださっ』って言われて笑われたり。そんな事ばっかりでうんざりしてたんだよね。本当の私は外で駆けまわったり、横になって漫画を読んだりする、普通の女の子だよ? それを誰も分かってくれなくてさ。挙句に、誕生日が5月5日だって言ったら大笑いされて、とうとう私も我慢の限界が来て大喧嘩になったの。笑った子達全員ボッコボコにしてやったら、親にも先生にも凄く怒られた。その時に、『女の子なんだから暴力は駄目』とか、『せっかくの美人が台無し』とか、『嫁の貰い手がいなくなる』みたいな事を言われてまた腹が立って、だったら男の子になってやろうって。私だって好きで暴力を振るったわけじゃないよ。それなのに、女の子である事を理由に、怒る権利や戦う権利を奪われてたまるかって思ったんだ」


 割と重い内容をあっけらかんと話す真崎さん。


 確かに、僕も勝手に真崎さんに大和撫子の印象を持っていた。そして、勝手に清楚な印象と、相撲をとるギャップに驚いた。そうやって、周囲が勝手に自分の個性をイメージして、それを当てはめようとして来ればそりゃ、真崎さんが反発したがるの当然だ。名誉と尊厳の為に、戦う事も厭わない彼女の気質は、誇り高い侍のようで、みらいが彼女を日本男児と言ったのもわかる。


 でも、それは僕が物事の分別を理解し、人の心の機微を気に出来るようになった今だからこそだ。


 子供は思った事をストレートに口にしてしまう。僕も当時なら、ハンバーグが好きと言った彼女に、「肉じゃがじゃないの?」とか言っていたかもしれないし、お雛様のような女の子が、男児の誕生を祝う端午の節句に生まれたという、神様の悪戯を笑っていたかもしれない。


 でも、相撲中継を馬鹿にした奴は許さん。僕も祖母やみらいとよく見てたからな。


「あの頃、この町には学校の知り合いがいないからって、よくうちに来て男の子ごっこを満喫していたんだよね」

「違うよ。みーちゃんといると楽しかったからだよ」

「おー! そう言ってくれるか親友!」

「当たり前だよみーちゃん!」


 ひしと抱き合うふたり。お転婆同士気が合ったんだろうな。なんて、空気が読める大人な僕は口にしない。


「今はもう大丈夫なの?」

「うん。高学年になったら、なんか急に恥ずかしくなって、それからは他人にどう見られても気にならなくなったかな」


 彼女は黒歴史を抱えて成長したんだろう。普通の子供が中学2年生くらいで通るところを、小学生のうちに乗り超えたんだから凄い事だ。


「でもちょっともったいなかったな。男の子モードのなこはめっちゃ格好良くってさ。教室でもモテモテだったんだよね」

「教室ってうちの?」

「うん。なこはおばーちゃん先生のお弟子さんだよ。入ったのは3年生の終わり頃だったから、あやたとは夏まで会えなかったんだよね」

「ああ、なるほどね」


 帰省中は僕も祖母の教室に参加していたから、僕は祖母のお弟子さん達と一応面識がある。ただ、その年の春休みとゴールデンウィークは東京の祖父母が亡くなった事で帰省を見送っていたのだ。


「なんか急に男の子みたいな格好してきてね。ボクのことは“マサキ”と呼んでくれとか言い出して驚いたよ。あれって、うちにあった漫画に出てきた、クールでミステリアスな美少年キャラの真似だよね?」

「やっぱり気づいてた? 今思うとほんと恥ずかしいよね」


 5年目に明かされた衝撃の真実。初恋を諦める程のトラウマを植え付けたイケメンマサキは、ただの漫画のパクリだった件。


「それが大ウケでさ。バレンタインには教室のお姉さま達からチョコをいっぱい貰ってたよね。罪作りな奴だよ」

「もう! 昔のことなんだからやめてよ」

「そのくらい、なこのイケメンっぷりは凄かったんだって。ほら、あんたが急に海外に行っちゃって、あの頃あたしも結構落ち込んでたんだけどさ。そしたらこの子なんて言ったと思う? 『ボクが代わりの君のことをみらいちゃんって呼んであげるよ』だよ? その時は流石のあたしもうっかり惚れそうになったわ。なんかだんだん面倒くさくなったみたいで、今の呼び方になったんだけどさ」

「うわぁ!? そんな事まで言わなくても!?」


 あの夏の出来事があって、僕は碌に挨拶もしないまま海外へ旅立った。


 残された人の気持ちを全く考えないまま、自分が楽になりたいと、ただそれだけの為に。


 祖母や転校の準備を進めていた大人達にも本当に迷惑をかけた。


 大切な幼馴染を悲しませてしまった。


「ごめんね。今まで連絡もしないで、本当にごめん」

「ちょっとやめてよ。あやたが家の事情に振り回されてたのは知ってたからさ」


 ランドセルどばーな勢いで頭を下げる僕に、みらいは優しい言葉をかけてくれる。


 でもあの時は違うんだ。僕は勝手にひとりで嫉妬して、失恋した気になって絶望して、日本を離れる決断をした。そんな僕のひとり相撲で、みらいを悲しませた。


「みらいちゃん……」

「みらいちゃん言うな!」

「僕は……」

「いいって。格好良くなって帰ってきたから全部許してやる!」


 そういって、みらいは白い歯を見せて笑う。


 なんだよ……ここにはイケメン女子しかいないのか?


「まあ、あの頃のイケメンマサキ君には負けるけど」

「まだ言うか!」

「ふがっ!?」


 ぎゅむっと、みらいの頭を抱き寄せる真崎さん。どうやらみらいにも負けない立派なものをお持ちのようで、みらいの顔が胸に埋もれている。


「ぷはっ! でもなこ、本気で男の子になりきろうとしてたよね? 挙句の果てに町の相撲大会で男子に混じって裸で……」

「みーちゃん」

「ハイ」


 みらいの肩にかかる真崎さんの手、なんか指がやたら深く食い込んでるんですけど?


 みらいがイヌワシに捕まった野うさぎみたいな顔をしてるんですけど?


「少し黙ろうか」

「ハイ」


 真崎さんの気迫に押されておとなしくなるみらい。


 その時、真崎さんの背後に『天』の文字が見えた気がした。

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