第六章 余震Aftermath
裏路地の狭く暗い峡間で袋叩きになって、反吐と生ゴミの腐汁が浸み込んだアスファルトに頬ずりさせられた翌日、vvwのブログは大炎上した。
〆裂でさえ登校が憂鬱だった。顔が絆創膏だらけでもあるし。
「おい、イタルを見たか?」
昼休み。腕を吊った普蕭は廊下で会った叭羅蜜斗に訊いた。叭羅蜜斗は喧嘩慣れしているので怪我が少ない。
「いや。
あのヤローのことなんざ、考えたくねー」
「そうか。
スマホに電話しても留守電になってしまうんだ・・・」
放課後、〆裂が普蕭に言う、
「いなかったな。とうとう来なかったんだ。
まさかあいつが・・・ちょっと考えられないんだが。俺も彝之家、親戚だからな、家族に後で訊いてみるぜ」
数日、いや数週間、イタルは姿を見せなかった。その無責任で卑怯な逃避行動に非難が集中しまくった。むろんネット上のことだが。
「こんなことになってるなんて知りもしねーんだろな、あいつ」
久々に駅で会った叭羅蜜斗がそう言った。バンドは事実上の解散状態だ。
普蕭は考えた。
「いや、イタルもネットは見ているはずだよ。しかし気にしてないか、むしろ望むところってことなんだろう」
「そうだな。ありそうな話だ。だいたい、家にいればネットぐらい見るよな」
「いや、自宅にはいないようだが」
「行方不明か?
家族には訊いてみたのか!?」
「むろんだよ。
いや、〆裂が訊いてくれたんだが。
イタルの家族に尋ねても、またぶらりとどこかへ消えてしまったよって言うばかりのようだ。
でも、BSの件はイタル本人から聞いているらしい。弁償費用のことを八木沼さんに電話しましたとイタルの母親が言っていたよ。八木沼さんは刑事事件にする気はそもそもなかったらしい。
ほんと、いい人過ぎて申し訳ないよ。警察へも連絡してないみたいだ。
事件のことを親に言ったときのイタルの言い方がいかにも彼らしくて。『吃驚させちゃ悪いから教えておく。ふ。俺にもまだ人間的感情があるらしい。ち、ざまあ見やがれ。ぐだぐだ言わずに三千万貸しな。ふ。弁償せず踏み斃し逃げるか。諸行は無常だしな。あゝ、海賊船に身売りして稼ぐでもいい。死ぬほど辛いだろうさ。クールだぜ』って感じだったらしい」
「ちっ。生きる資格もない穀潰(こくつぶ)しだぜ」
「彼には孝行とか社会道徳なんて数字の羅列ほどの意味もないんだろうな」
「親が甘やかし過ぎなんだ」
「そうでもないだろう。
あの家はかなり厳しいはずだ。何てったって彝之家だからね。
イタルみたいな、よく言えば超越的な、ああいう人間が出るのも、そのせいなんだろうなって思う。
〆裂だって幕末の脱藩浪士みたいな雰囲気じゃないか。きっと、彝之家の血がそうさせているんじゃないかって、僕はよく思うんだよ」
幾日かが過ぎ、ある土曜の夕、古いハイラックスに乗った若い男が普蕭を訪ねて彼の家に来た。南方系のくっきりした眼に、髪も髯もカールしていて日に焼けて痩せ過ぎで、Tシャツにビンテージ物のリーヴァイスの若い男だ。
「白舟寛太嘉(しらふねかんたか)って者です。楽器を車に積んで全国を回っていたんです。
ユーチューブ見て来ました」
「ユーチューブ?」
「ツイッターで紹介されてたんで、見たんです。
ブラウン・シュガーでのライブです」
どうやら誰かが動画を撮っていて、ユーチューブにアップしたらしい。ネット上は叩きの嵐だが、肯定的な人もいるのか? それとも晒し者にしてるってことか?
ちなみに寛太嘉はを見る限りにおいては肯定派らしい。
「あなたが来た意味がよくわからないんだけど・・・・・」
「いや。自分もよくわからないんです。
ただ凄いな、どんな人なのかな、って思って。
八木沼さんのところへ行ったら、天平家の君の名を教えてくれて」
聞けば彼、寛太嘉は十九歳で二つ年上だ。白舟という姓は眞神の古い姓の一つで、畝邨村の出身ということだった。
「せっかく来てくれたのはうれしいんだけど、あの一件以来解散状態なんだ。
イタルも行方不明だし」
「他の音源や動画なんかありますか?」
「練習中の録音や録画はあるけど。そんなものでいいのなら。
じゃ、スタジオに」
寛太嘉は二時間ばかり色々観たり聴いたりし、
「実は自分はインターネットとか詳しくないんで、今度、妹を連れてきます」
「何のために?」
「この音や映像をアップしたいんです。
いや、もしあなた方がよければ」
白舟まあやは十四歳、普蕭らの三コ下で、畝邨中学校の二年生だった。兄とともに翌土曜日にやって来た。
「ネット環境は整っているから。どうぞ。好きに使っていいよ。データは全部このPCに入ってる」
普蕭は簡単にそう説明した。少女は黙って頷き、持参したノートパソコンと普蕭のノートパソコンを立ち上げ、作業にかかった。痩せ過ぎの浅黒い幼い体、垂直の長い黒髪、切り揃えて眉を隠す前髪の下、眼が細く切れ長で、七月も近いというのに少女は長袖と長いスカートを穿いていた。
「愛想のない奴なんです」
寛太嘉がおどけた苦笑でフォローした。
作業の間、〆裂がギターを弾き、寛太嘉はコンガを叩いてセッションした。合間に普蕭がまあやに説明する。
「この曲はほぼ完成しているけど、まだタイトルがないんだ」等々。
今日vvwの画像や動画や録音が数多く残っているのは、彼女の功績であると言っても過言ではないだろう。
寛太嘉が〆裂に訊いた。
「もうやらないんですか」
〆裂は窓の外の青い空を見上げた。
「いや。
イタルが帰って来たらまたやるさ。
どういうかたちであれ」
「そのときは協力しますよ。どんなことであっても」
七月の初旬、久々に登校してきたイタルは顔を包帯でくるんでいた。
誰もが怪我が長引いているのだと思った。
イタルは教室で包帯を解いた。
驚愕の声が上がる。
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