第29話 「普通のプレー」に見えるように……?



 side アンジェ



 五回裏。ノーアウトでランナーは一、二塁。


 今日は乱打戦になっている。もっともアンジェは、その戦いに参加させてもらえていないが、今のところは我慢していた。監督からも、必ず最終回までに出番は来るから、自重するようにと言われている。仕方がない。


 その監督が「普通のプレーで」というサインを送ってきた。


 その意味合いは分かる。

 大統領も観戦に訪れているせいか、球場の雰囲気はかなり高まっている。いや、はっちゃけていると言っても良いかもしれない。ファーボール、それも申告敬遠しか受けていないアンジェにも多くの声援が送られている。

 それに今日は乱打戦だが、無駄な点数がダラダラと追加されているわけではなく、大味なゲームになっていない。両チームともに、投手陣よりも打撃陣の方が上回っている一日、というだけの話だ。



 ――――なるほど



 どうやら監督は普通のプレーに見えるように注意しながら活躍しろと言っているのだろう。


 アンジェは監督に向かって頷いた。なぜか、監督の表情が固くなったように見えたが気のせいだ。きっと。


 ムキムキの体をした三番バッターが、バッターボックスへと向かう。


 彼はメート一の強打者だ。メート内では打撃の数字はナンバー1。

 ナショナルリーグ全体で見ても、間違いなく上位を争える打者といえた。

 特に特徴的だったのが、彼が放つ打球速度だ。

 彼の平均打球速度は、時速97マイル(時速156キロ)。最高は124マイル(時速約200キロ)、これはメジャー記録だ。


 ちなみにアンジェが放つ打球速度は、彼の記録に遠く及ばない。

 もっとも、及ばない理由は「被害を出さないため」で、記録を抜けないということではない。


 アンジェはホームランを打つ時も、緩やかなフライを上げるようにしている。

 そのホームランはファンから「tender」と評される。「柔らかい」という意味合いと「愛情深い」という意味が掛け合わさっている。

 elementary school student(小学生)でも、怪我無くキャッチできると言われているし、実際、にいた車いすの少年が膝の上に載せていたグラブに吸い込まれるようにキャッチされたホームランは「egg catch home run(卵ホームラン)」と呼ばれた。


 もちろんアンジェは、自身が放ったホームランがどのように呼ばれようと気にすることはなかったのだが…………


 アンジェはチラリと、二塁手と三塁手の位置を確認した。三塁手は少しベース寄りだが二塁手は定位置についている。ということは、あそこからあそこまでが、アンジェに任された守備範囲と言ってよいだろう。

 かなり広いと言える範囲だがアンジェには関係なかった。この範囲で「普通のプレー」をするだけだ。


 二塁手と三塁手のちょうど中央あたりの位置で、腰を落として構える。少し二塁ベースより、と言っても良いかもしれない。

 普通のショートが構えるポジションよりは外野寄りで、そしてセカンド寄りの位置と言って良かっただろう。

 おそらく普通の遊撃手ならば、この位置からピッチャー横のボテボテのゴロをアウトには出来ないだろうが、アンジェならできる。守備位置は自由に決めてよいとコーチ陣からもお墨付きをもらっているし、実際、一度もエラーをしていないので監督も何も言わない。アンジェに任せてくれている。


 さて…………


 そろそろプレーが始まる。 

 アンジェは、バッターに集中を始めた。その一挙手一投足を見つめている。


 ピッチャーが第一球を投げた。


「ボール」


 真ん中高めにストーレートが少しすっぽ抜けた感じだ。バッターも反応は見せない。だが、コースが少しでも甘ければ球数に関係なく手を出すつもりであることが、アンジェには伝わってきた。


 間を置かずにピッチャーが次球の投球動作に入る。



 ――――真ん中低めのストライク。それもスイーパー。84マイル…………



 そのピッチングホームから、アンジェはピッチャーの投げる球種とコース、そして球速を正確に読み取った。この球なら恐らくバッターは振ってくる。バッターの筋肉に動きに集中する。

 真ん中低めのボールをあのタイミングでバットに当てたなら、バットの芯より少し内側、下目の部分に当たる。真ん中低め、84マイルのスイーパーをその位置に当てた打球は…………


 バッターが降り始めるのと同時に、アンジェはセカンドベース上に走りだした。



 ガキン!!



 時速121マイル(時速194キロ)の猛スピードの打球がピッチャーの横を抜け、セカンドベースの右横をセンターに抜けると思われたその時――――


 アンジェは、その打球をセカンドベース上に右足を置いて正面で受け止める。バッターが打ってから0.7秒。


 1アウト。


 セカンドランナーはすでにサードに向かって走り出そうとしていたが、打球の速度が速すぎてまだスタートしたばかり。アンジェからの距離は8メートル。

 アンジェはボールをキャッチ後、即座にダッシュした。

 アンジェの走る速度は1秒間で約12メートル。もちろん「縮地」のようなスピードアップのスキルは使っていない。それでもランナーが3塁に到達する前にランナーに追いつきタッチ。


 2アウト。


 バッターが打ってからここまで要した時間は2.8秒。そのまま体を捻ってファーストに向かってボールを投げる。


 ムキムキの3番バッターは俊足ではないが、それでも左バッターなので、打ってから一塁ベースに到達するまでの時間は4秒強。



 そして――――



 バシッ!



 ランナーがファーストベースを駆け抜ける直前、ファーストミットにボールが吸い込まれる小気味よい音が響くと、審判が大きく右手を上げた。


「He is out!!(ヒズアウト!)」


 球場を僅か一瞬の沈黙がよぎり、そして…………大歓声が上がった。


 サードベース付近でアウトを確認したアンジェが右手を上げると、大歓声はアンジェへのコールと変わっていった。



 ▼▽▼▽



 side エバンス(トロリーズの監督)



「「「「「ワアアアアアアアア!!」」」」」

「「「「エンジェル!!!!」」」」


 審判のコールのあと、湧きあがった大歓声をエバンスは信じられない想いで聞いていた。



 ――――トリプルプレー? この場面で? それも……一人でだと!



 トリプルプレーは、MLB全体でも年に4回程度しか見られないプレーだ。

 今のアンジェのプレーは、他の野手の助けを借りない無捕殺三重殺(アンアシスティッド・トリプルプレー)とまではいかない。だが、走り出したセカンドランナーがサードベースに到達する前にタッチしてアウトにしてから、ファーストへの送球で三重殺を完成させるプレーなど見たことも聞いたこともない。


 6-6-3のトリプルプレー?


 しかも最初のアウトがゴロを裁いてのものだ。フライやライナーではない。最後の捕殺はファーストに送球してのものだが、ほぼアンジェ一人でプレーを完成させたと言っても良いだろう。



 ――――「普通のプレーで」といったはずなのに…………



 誰がどう見ても、今のプレーが「普通」とは言わないだろう。


 まず、バッターが打った打球をセカンドベース上でキャッチしたプレーが普通じゃない。今の打球はもの凄い打球だった。おそらく120マイル(時速190キロ)を越えていたのではないだろうか?

 なぜ、を抜けていく猛スピードの打球に、なぜショートが追い付くのか?

 まあ、セカンドベースに足をつけて、即座にファーストランナーをアウトにしたのは、まだそういうことがあるかもしれないとは思える。


 だが…………


 なぜ、そこからサードベースに走り出していたセカンドランナーをアウトにするのか?いや、できるのか?普通ならサードに送球してアウトにすべきじゃないのか?

 まあ、理由は分かる。サードに送球していたらトリプルプレーが成立しないからだ。絶対そうだ。アンジェなら、そう考えても不思議じゃない。


 最後のファーストでの捕殺もほぼサード寄りの位置から、それもセカンドベースで1アウト、サードベース前でタッチでの2アウトを一人で行った後で送球したんだぞ?


 あり得ない。絶対、あり得ない。普通のプレーでは絶対にない。


 あれだけ「何もするな」「普通のプレーで」とサインを送ったのに、何も聞いちゃいない…………


 チームメイトからの祝福をタッチで受けたアンジェがベンチに戻ってくると――――



「頑張った」


 ニコリと笑うアンジェが、今のプレーを褒めろと言っている。おそらくバッティングをさせてもらえていないフラストレーションを解消したに違いない。

 エバンスは、その言葉を聞いて表情は崩さずに、「うむ。よくやった」とアンジェを称えた。しかし、心の中では大きなため息をついていたのだが…………

 今のトリプルプレーで、間違いなく明日の休日は対応に追われるだろう。


 だが――――エバンスは気がついていなかった。このトリプルプレーが、まだ今日のゲームの締めくくりではないことを…………



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