第18話 懐かしさと優しさが奏でる旋律



 side アンジェ



「美味しい?」


「ええ。とっても。杏樹ちゃんは料理が上手ね」


 大叔母は、受け取った皿の料理を一口食べて微笑んだ。もちろんお世辞ではない。


「ん」


 褒められたアンジェはまんざらでもない表情を浮かべた。

 もっとも、アンジェは「料理」スキルを持っている。そのスキルレベルはカンストレベル99しているのだから、この世界でもっとも有名な料理人でも相手にならないぐらいの料理が作れる。


 客室の窓から見える空は、夕闇が降りている。



 ■□■□



 前方の荷物室を確認したアンジェは、食材を入手したのでそれを持って帰ることにした。

 荷物室も不時着の衝撃でコックピット同様、大きく破損されていたが、冷凍食材を入れた冷凍ショーケースの中に破損を免れているものを見つけていた。

 そのショーケースは民族会議のイベントにおいて屋外で使用するために、ミラー財閥が用意していた携帯型のケースだったが、もちろんアンジェは、それがプライベートジェットに積み込まれている理由は知らない。


 ただ中に入っていた食材の量は二人で食べるなら、10日分はゆうにあっただろう。救出がくるであろう時まで十分に持つ。

 本当ならショーケースごと持ち出してしまえば話は簡単だが、さすがに大叔母の前にショーケースを担いで戻るわけにはいかない。軽く持ち上げてみたが、おそらく百キロ以上はある。それを持ち運ぶ姿を見せたら、どう思われるかわからない。

 まあ、客室からここまでは、いったん外に出る必要はあるが大した距離でもない。鑑定したところ、ショーケースの冷凍する機能は残り12時間程度しか維持されないが、アンジェは「冷凍」するためのスキルも使えるから関係ない。いざとなれば、細かいことを気にせずショーケースの中身をアイテムボックスの中に入れてしまっても良い。

 とりあえず、今夜の食材分だけを確保したアンジェは、満足していた。

 そして、大叔母の元へ戻ってから、客室の奥を片付けて作った居住ができるスペースで食事の準備を始めた。携帯コンロも荷物室で見つけたので、それを使って簡単に料理をする。


 今夜の夜食は、スパゲッティだ。


 食材はいずれも冷凍だが、カンストした「料理」スキルは、一流レストランで出されたとしてもおかしくないスパゲッティを作り上げてくれた。もちろん、ビジュアルも抜群だ。



 ■□■□



 食事を終え、寝るために用意した毛布にそれぞれくるまってから、アンジェは大叔母に尋ねた。アフリカの夜は、日中の暑さが嘘のように冷え込む。雨期直後でまだ植生が残っているから一桁台の気温を保っていたが、季節が進んで乾ききれば夜の気温は氷点下まで下がることになる。


 そして、二人は虫の音も聞こえない静かな夜の中、いろいろなことを話していた。


「――――ところで杏樹ちゃん、寒くないかしら? 大丈夫?」


「ん。平気」


「よかったら、一緒に温まらない?」


「一緒に?」


 すると大叔母がにっこり笑って、毛布を開けた。


「ほら…………いらっしゃい」


 一瞬、戸惑ったアンジェだったが、近づいて大叔母の毛布に潜り込む。


「ほら。さっきより暖かいでしょ?」


「ん」


 確かに、肌を合わせることでより暖かさが増した。おそらくそれは体温だけのせいではない。大叔母が持つ雰囲気が、その暖かさを増してくれている。

 肩を預けたままアンジェは、大叔母に話しかけた。


「彩夢おばあ様のこと、覚えている?」


「ええ。もちろんよ」


「随分、前? 亡くなったのは?」


「そうね。私がまだ中学生の頃だったかしら」


「どんな人だった?」


「彩夢お姉さま?」


「ん」


 すると、大叔母がどこか遠くに意識を向けながら話し始めた。


「彩夢お姉さまはね――――」


 そして、ゆっくり生前の様子を話してくれる大叔母の言葉を、アンジェは静かに聞いていた。


 アンジェの中にある、神龍が持つ記憶が大叔母の言葉に重なり、そして地球で過ごしたその時間が蘇ってくる。もちろん、それはアンジェが経験した記憶ではない。だが、まるで今、その時間を過ごしているかのような感覚をアンジェは覚えていた。


 懐かしく、そして優しい記憶。


 その記憶は、アンジェの感情を穏やかにする旋律を奏でてくれる。

 夜がしんしんと更けていく中、いつまでもアンジェは大叔母の声に耳を傾けていた。


 こうして、転生した地球での最初の夜は、アンジェにとって大事な記憶の一つとなった。同時に、アンジェは大叔母と二人で過ごすこの時間に、大きな大きな幸せも、確かに感じていた。




 ▼▽▼▽



 side スーダン中央解放軍



 おそらく一年以上、車の往来がなかった道路は周囲が砂漠にも関わらずなぜか雑草が生え、さらにところどころ陥没している。


「どうだ! 問題ないか?」


 無線で確認するとOKの返事が返ってきた。どうやら50キロ先まで問題はないようだ。


「今のところ順調だな」


 急ぎ、51名を集めてすぐに出発した解放軍のメンバーたちは、斥候で1チーム8名を先行させて道路状況の確認を行いながら砂漠を進んでいた。

 道路は、ところどころに陥没はあったものの車を走らせるのに支障があるほどではなかったのが幸いだった。

 このペースでいくなら、予定通り1日で目的地まで進むことができる。


「何か新しい情報は?」


「さっきの無線で報告があったが、プライベートジェットに搭乗していたのはミツキ・ミラーだそうだ」


「ミツキ、というとミラー財閥当主のか?」


 尋ねた男性が驚いた表情を見せた。


 男性が率いるこの解放軍は、反政府組織を名乗っているはいるが、政治的思想に縛られた軍ではなかった。単なるガラの悪い者たちの集まりに過ぎない。従うのは己の欲望のみ。もちろん、殺人や強奪に違和感など抱くはずもなく、今回も脳裏に浮かぶのは、単なる「収穫」に向かっているということだけだ。


 ミツキ・ミラーとは、その単なる街のチンピラ程度の男性ですら名前を聞いたことがあるぐらいの著名人だ。それにミラー財閥は新興財閥だがアメリカ七大財閥の一つに名を連ねている以上、その力は膨大だ。

 そして、その財閥の当主はもちろんVIPだ。それも頭に「超」がつく。


「ああ」


「ならば、もしも生存していたなら身代金が取れるな」


「いや、別に生存している必要はないだろう?」


「…………そうだな」


 確かに遺体でも金はとれる。なんなら遺体すらなくても交渉を開始することは難しくない。


「護衛は?」


「いるはずがないだろう? それにいても殺せばいいだけだ」


「それもそうだ」


 国連の外郭団体が催した会議に参加するため、プライベートジェットで向かったなら護衛を集団で乗せていることはないだろう。プライベートジェットに乗れる人数などたかが知れている。もし数名の護衛がいても、この人数が向かうのだ。銃弾を少しばらまくだけで完全制圧など簡単にできる。


「いずれにしろ、金に生まれ変わる者は、その時がくるまで丁寧に扱えばいいし、金を生まない者は生かしておく必要などないからな」


 アフリカのサバンナで生きる者たちの生活は過酷だ。特に長い内戦によって荒れた国ならなおさらだ。「文明」など名ばかりの中で生きている。道徳や倫理など、建前ですら言う者もいない。

 もちろん、内戦が始まる前、男性たちもアフリカのどこにでもいる原住民の一人であり、そして無害な「人」だった。

 誰がその人間性を変えるきっかけになったのかは、問われる必要があったかもしれない。だが…………繰り返される非日常の中で、それを定着させたのが男性たち自身であることだけは確かなことと言えただろう。そして、今、男性を非難する者は誰もいない。


 ニヤリと笑った二人は、荒れた路面に車が跳ねる中、おそらくこれから得られるであろう「収益」に思いを馳せていた。


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