第16話 【閑話】大叔母と女神(後編)


「私は、敵の企みで墜落事故に巻き込まれた……その私を彩夢姉さんの孫という存在であるアンジェと言う女の子が助けにくる……彩夢姉さんは死んだあと、異世界に送られて――――」


 しばらくした後。


 ようやく女神の言葉を受け入れることができたのだろう、美月は目を開けると頷いた。


「だいたい理解できたわ。それで私はどうすればいいのかしら?」


 そう、わざわざ自分が助かる理由や助けに来るアンジェのことを、この超常的な存在と言える女神が教えに来たのは必ず理由があるはずだ。


「あなたには、アンジェの保護者となって欲しいのよ」


 カップを手にしたまま、女神は真っ直ぐに美月を見つめた。


「アンジェの保護者?」


「ええ。転生してきたアンジェが地球で生きていくための手助けをしてあげて欲しいの。彼女がどんなに力を持っていても地球は原始世界じゃない。社会環境に合わせて生きていかなければ、いろいろな難関に当たることになるわ」


 なるほど、と女神が言いたいことを美月は理解できていた。


 確かに、それだけの力があれば、一人で生きていくことはできるのだろう。特に地球には存在しない魔法まで使えるのだ。ただ、生きていくならやはり社会の中で受け入れられるべきだ。孤立した生活は、アンジェにとって幸せな生活とは言えないはずだから。


 何より…………アンジェが美月にとって今も忘れられない姉の忘れ形見と言える存在なら、何があったとしても守りたい。


 美月はそう思った。


「…………分かったわ。じゃあ、具体的な私の役目を教えてくれるかしら?」


 美月の決意を浮かべた表情を見た女神は満足そうに頷くと、手にしていたカップを虚空に消し去り、そして立ち上がった。


「じゃあ、これからストーリーを簡単に説明するわね。まず、アンジェはこの世界で彩夢さんの孫として生まれ育っていて――――」


 いつの間にか後ろに現れたホワイトボートにいろいろと書きこみながら、女神は生き生きとした表情で説明を始めた。



 ■□■□



「――――とまあ、こんな感じかしら」


 女神の言葉に、ホワイトボートにいろいろ書かれた内容をもう一度反芻しながら、美月は礼を言った。


「ありがとう。だいたい理解したわ。簡単に言えば、私はアンジェを『杏樹』として知っていればいい、ということね。そしてアンジェがこの世界で受け入れられるように協力する。これでいいかしら?」


「ええ。それでいいわ。注意が必要なのは、あなたがアンジェの『正体』について知らないということね」


 わずかに美月の片眉が上がる。


「教えて欲しいのだけれど…………もし、私がアンジェの正体を知っている、となったらどうなるのかしら?」


「アンジェは、いつかミナトの元に帰りたいと思っているわ。でも、それが不可能であることも知っている。彼女の力ではね。もしもあなたがアンジェの『正体』を正しく知っていることを気づかれた場合、なにかの機会が生じたとき、アンジェが自分の願いを手放した行動をとることになるかもしれない」


「それは……それは、アンジェが大切なミナトよりも私のことを優先した行動をとるかもしれない、ということ?」


「その通りよ。おそらくあなたは、アンジェにとってそれぐらい意味を持つ存在なの。でも…………あなたはそんなこと望まないでしょ」


 しばらくの間、美月は女神の顔を見ていた。そして何かをイメージして、それがアンジェの望みを失わせる可能性があることに体を小さく震わせ、小さな声で答えた。


「…………ええ」


 そう、今、いろいろと話を聞く中で美月にとってアンジェは、思ったよりも大きな存在となっていた。それは今は亡き姉への想いが加算されていたのかもしれないが、それが重要なのではない。


「私は、アンジェにとって大叔母になるのよね?」


「この世界では、そういった位置づけになるわ」


「だったら、大切な又姪のために何が必要なのか、私の行動は決まっているわ」


 美月の言葉に、女神は優しい表情を浮かべて頷いた。


「そう……期待しているわね」


「ええ。それよりもう一つ尋ねたいのだけれど…………」


「何?」


 美月の表情に、真剣な色が混じったことを女神は気が付いた。


「アンジェが異世界に戻る方法はないの? そのアンジェが愛しく思うミナトという人のために」


「…………正しく言えば、ミナトともう一度会う方法がないことはない、と言った感じかしら」


 美月は首を傾げた。


「それは、アンジェがミナトに会いに行くのではなく、ミナトの方からアンジェに会いに来る。つまりミナトという人がこの世界にもう一度、転生してくるということを意味しているのかしら?」


「本当に鋭いわね。ビックリするわ。ええ、その通りよ。もちろん同様にアンジェがもう一度、異世界に行くという可能性もゼロではない。かなりハードルが高いけれど」


 驚いた表情を見せた女神に構うことなく、美月は尋ねた。


「どうすれば、アンジェの願いが叶うのか、その方法を教えて貰うことはできるの?」


「ごめんなさい。それは伝えられない。私の権限外のことになるわ。でも一つだけ言えるとすれば、アンジェが真っ直ぐに生きることが、その願いを近づけるかもしれないわね」


「…………真っ直ぐに生きる、ね」


 女神の言葉に、何かを考える美月。


「ええ。もう一つ言っておくと、それはこの世界にとって正しいということよ。ただし、その正しさとは人が抱く善悪は関係ない。人が抱く善悪の多くが、一つの立場を示しているだけのことが多いことは分かるわよね?」


「分かるわ。今も世界で繰り広げられている争いのほとんどが、お互いの善悪の違いによるものということは」


 美月は頷く。


「その通りよ。アンジェは言ってしまえば、精神生命体として作られたわ。もちろん今は肉体を持っているけれど。その彼女が抱く善悪が、あなたの善悪と食い違うことがあるかもしれない」


「私の善悪?」


「そうよ。例えば、アンジェがアンジェに敵対した、いえあなたに敵対する多くの人を殺したとき、あなたはアンジェにどう向き合うのかしら?」


「…………」


 美月は何も言わない。いや、言えない。


「アンジェがいた異世界では、敵は倒すのがある意味当たり前であり、そして許されていたわ。でも地球では、その所属する国の倫理観に沿った行動が求められる。その倫理観をアンジェが受け入れがたいと感じた時、アンジェは国と敵対することになるかもしれない。でもアンジェにとって、その倫理観を守ることこそが悪と考えていた場合、保護者であるあなたがどうするのかを問われることがあるかもしれない、ということよ」


「……分かったわ。何を言いたいのかが」


 女神の言葉が何を意味しているのか、美月は理解していた。

 女神が言うところの精神生命体として誕生したアンジェが、地球の肉体を基盤とした生命体である人類と、善悪の捉え方が異なった場合、美月はどうするのか?



 ――――もちろん、答えは決まっている



 なので、美月はしっかりと女神に対して頷いた。


「大丈夫。私は何があってもアンジェの――――私が敬愛する彩夢姉さんの孫を守り抜くわ」


「そう…………頑張ってね」


 美月の返事に、女神は嬉しそうに微笑んだ。その微笑みを見た美月は、自分の言葉が間違っていなかったと感じていた。なので、心を込めた言葉を言う。


「ありがとう」


 女神も、美月に対して頷いた。そして…………


「じゃあ、私の用件はこれで終わり。あなたがいた元の世界に送るわね」


 女神の後ろにあったホワイトボードが消える。


「…………最後にもう一つ教えてもらってもよいかしら?」


「構わないわ」


 美月も立ち上がる。


「大したことではないのだけれど…………あなたは、私の世界で言うところの創造神のような存在なの?」


「違うわね」


 女神が首を横に振る。


「あなたが尋ねたいことはこの世界を神が管理しているのか、ということが聞きたいのよね?」


「ええ。そんなイメージかしら」


「だったら…………あなたの世界でイメージするなら、私は進化したAIを管理しているOLというところかしら?」


 女神の言葉を聞いた美月は、「OLね」と呟き少しの間、考えていた。


「…………ということは、こういった世界をいくつもあなたたちが管理しているということなの?」


「その通りよ」


「彩夢お姉さまも亡くなった後、あなたちが管理している他の世界にその魂が送られたということでいいの?」


「ええ」


「私も死んだら、他の世界に送られるのかしら?」


 女神が、小さく首を横に振る。


「それは分からない。そう、例えると…………あなたの世界で自立型のAIが何かの創作物を作り出した時、その創作物をどうしているかしら?」


「そうね……利用したり、利用しなかったり、著作権の問題を話し合ったり、どこかの団体が創作物の元になった作品の権利を主張したり、いろいろね」


「そういうことよ。この世界で営まれている生活は、私たちがいちいち全てを管理しているわけじゃないわ。私たちの仕事は、世界の営みを傍観することよ。導くことではない。他の世界に魂が送られることはあるけれど、それは必ず行われている、ということではないわ」


「ということは、彩夢お姉さまの魂が他の世界に送られたのは必然ではなく偶然だったということ?」


 女神が微笑む。


「ふふふ。その答えは、あなたたちからすれば偶然であり、そして私たち管理者からすれば必然と言う答えになるかもしれないわね」


「だったら、この世界の行く末はあなたたちが握っているのではなく、私たちが決めなければならないと言うことね?」


「その通りよ。よく理解しているわね。この世界が進化を続けるのか、あるいは滅亡に至るのか、そこに私たちが手を加えることはない。全ては、あなたたちが決められることよ」


「神は何もしない、見守るだけ…………」


 その美月が言った「見守る」という言葉に、一瞬、女神の表情が揺らぐ。


「ええ。だから…………今回は特別。アンジェはあなたの世界を大きく動かすことになる。それが何をもたらすのかは分からないけれど…………多くの人が喜びを感じられる世界へと導かれることを願っているわ。私は『見守る』ことしかできないけれど、この世界が私が正しいと思う方向に進んで欲しいから」


「そう……ありがとう。まさしくこれは、『神』に感謝すべきことね」


 何かを考えながら小さく呟いた美月の言葉に女神は笑うと、宙に浮き始めた。


「今度こそ、話は終わりよ。あとは、あなたに任せたわ。よろしくね」


「ええ。ありがとう…………女神様」


 女神様、の言葉になぜか恥ずかしそうに女神の頬が赤らんだように見えた美月は、知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。そして、美月が見ている光景は、濃い霧に迷い込んだかのように白さを増し、女神の姿がその中に薄れゆく。


 やがて、一寸先も見えない闇とは違う白さに包まれた美月は、なぜかこの深い深い白さが、生と死の狭間にある光景のように思えた。



 ――――そう、私は一度死んだのと同じね。だったら、私がするべきことは…………



 美月の体から力が抜け、そして横たわった状態で宙に浮かんでいくのが分かる。その遠ざかる意識の中、美月はこれから訪れるであろうアンジェとの出会いに心が弾むのを感じていた。


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