第14話 目を覚ました大叔母



「……う、うっ」


 女神の姿が消えるとすぐに、アンジェの前で倒れていた大叔母、華星美月が小さく呻いた。どうやら意識を取り戻しつつあるようだ。



 ――――そういえば……



 異世界に転生したということは、言語体系が異なるということだ。確か、スキルでそれを補助してくれるスキルがあったはず。


 ――――あった


 アンジェは自分のスキルを確認、「言語理解」があるのを見つけた。これがあれば大叔母との会話も大丈夫だろう。いや、この世界の国の全てで会話に困ることはないはずだ。


 一安心したアンジェは、屈んで大叔母の体をそっと抱き上げる。

 軽いけれどどこか重く感じるのは、アンジェが大叔母に抱く大切な感情の重さだろうか? その感情がどういったものなのかを上手く説明することはできない。だが、異世界の想い人、ミナトに対して抱える淡く切ない想いとはまた違う、しかし似たような大切さが感じられる感情であることは確かだった。


 真正面から見たその顔は、やはりさっき感じた「母」の雰囲気を纏っている。髪色は違うが。

 顔に付着している血をそっと手で拭い、そして頬に触れてみると、柔らかく温かかった。


 目を閉じて、その手から伝わる感触に思いを馳せる。


 祖母である神龍は、確かこの世界で「彩夢あやめ」と名乗っていたはず。この美月という女性は、姉である彩夢に対してどのような想いを抱えていたのだろうか…………彩夢のことを覚えているだろうか…………美月は自分を受け入れてくれるだろうか…………


 少し不安な想いがいろいろとアンジェの心の中に現れたが、手から伝わってくる不思議な優しさがその想いを溶かしてくれる。まあそれに、アンジェは美月にとってこの世界では「杏樹」として認識されていた存在みたいなので、受け入れてくれるかどうかの心配はいらないのかもしれない。



 そして――――



 ふと、自分の頬に手が触れたのを感じたアンジェが目を開けると…………


 大きな目に大粒の涙を溜めた大叔母の顔があった。


「杏樹ちゃん…………無事だったのね」


 大叔母は身を起こすと、アンジェをしっかりと抱きしめた。



 ■□■□



「じゃあ、杏樹ちゃん。飛行機が墜落して脱出してから、ずっと草原を彷徨っていたのね?」


「ん」


「それで怪我とかはしていないのね?」


「ん」


「本当に良かった」


 そして、再びアンジェを強く抱きしめ涙ぐむ大叔母。


 女神から聞いた通りの設定を元に、どうやってここまで来たのかを一通り説明したのだが………



『飛行機が墜落したけれど、私だけ助かった』


『大きな怪我とかなかったけれど、頭を打ったのか記憶が曖昧の状態で草原をしばらく彷徨っていた』


『食べ物は木の実を見つけた。寝るのは木の上で寝た』


『近くに飛行機が不時着するのを見かけたので近づくと、大叔母さんが乗っていた』


『大叔母さんは怪我していたけれど、私が今回の墜落事故で得られた不思議な力を使って治すことができた』



 アンジェは話しながら思った。


 いくら何でも、こんな雑な、いやざるな説明で納得できるのはおかしいのではないか、と。穴だらけだ。

 女神はこれで本当に大丈夫と思ったのだろうか?

 飛行機が墜落して、乗員が全員亡くなったのに一人だけ怪我もせずに助かった、というのがまずおかしい。衣服も破れたりしていないし。それに、こう言っては何だが、一週間草原を彷徨った設定なのにアンジェは臭くない。

 どこで着替えたのか、お風呂に入れたのか、そんな設定が素っ飛ばされている。

 食べ物は木の実だけ? まあ、これはなんとか許せる。でも、寝るのは木の上で寝た、で良いのか?


 スーダンには野生動物が豊富だ。祖母神龍の記憶では、この一帯には象やライオン、カバもいる。キリンもいる。祖母がこんなことを知っていたのは驚きだけれど、まあそれはいい。

 一人の未成年の少女が、自然環境豊かなアフリカの草原を一週間も一人で彷徨えると誰が思えるのか?

 何度も言うが、それもキレイな体、キレイな服のままでだ。

 それに、何よりライオンは木の上で寝るぐらい、木登りが得意な動物だ。ライオンだけじゃない。他にも木登りできる肉食獣はアフリカにはいる。ヒョウもいる。チーターもいる。もっともチーターは得意ではないようだが…………


 それと怪我が治せる力?


 アンジェがいた前の世界なら分かる。スキルや魔法もあったし、ポーションもあった。アンジェが治したと言えば、感謝されることはあっても、不思議に思われることはない。

 でも、この世界では「怪我を治せる力」など示そうなら、変な噂が立つことになる、と祖母の記憶にはあった。「怪しい」「インチキ」という言葉が、そうした治癒ができるという人の冠にはつけられるそうだ。

 当然、大叔母の知識の中に「怪我が治せる」という力が存在するとは書かれていないはずだ。

 でも、なぜか大叔母はアンジェが、事故で得られたと思う不思議な力で大叔母を治したと言ったとき、「そう。ありがとう」と素直に受け入れてくれた。


 なんで?


 女神の話にはそういった「調整」をしたということはなかった。まあ、何を言っても大叔母は受け入れてくれるようなことは言っていたけれど…………


 さらに大叔母はこう言った。


「その力、他の人に見せないようにした方がいいわ。怪しむ人も多いし、信じる人はもっと危険だし。分かるでしょ?」


 言いたいことは分かる。見知らぬ力を怪しむのは当たり前のことだ。それに、信じた場合はもっと危険だ。信じた者の中には、その力を得ようとする人も現れるだろう。それは、その力を持つ者を危険に晒すことになる。


 もう一度、思う。


 女神は、これで本当に大丈夫と思ったのだろうか?

 不思議でならない。


 もちろんその対象は、素直に受け入れている目の前の大叔母も、だ。



 ■□■□



「私が乗っていたこのジェット機はエンジントラブルだったから、機長がメーデー緊急信号の発信はしていたわ。だから…………そうね、一週間ぐらいで救助がくると思うわ」


 どうやら女神が言ったいた通りのスケジュールが組まれることになるようだ。


「ごめんなさいね。本当ならすぐに救助が来て欲しいところだけれど、ここはスーダンだから。国連からの要請を受けて、救助隊の入国が許可されるまでにそれぐらいはかかると思うの」


「ううん、平気」


 大叔母が安心してくれるように、小さく微笑んでみたら、また涙ぐみ始めた。


「杏樹ちゃん、本当にいい子に育ってくれたわね。彩夢姉さんもこの姿を見れば、きっと喜んだはずよ」


「ん」


 頭を撫でられてたので、アンジェは小さく返事を返した。


「とりあえず…………食べ物を探してくる。待っていて?」


「…………」


 アンジェの言葉に、じっとその顔を見つめる大叔母。

 何を考えているのだろうか? 危ないからダメ、とか言うのかもしれない。

 アンジェは静かに見つめ返し、そして大叔母の返事を待った。



 しかし――――



 しばらくの間、アンジェを見つめていた大叔母だったが、やがて小さく頷いた。その表情は、何かを迷い、そして何かを問おうとしていたように思えたのだが…………


「杏樹ちゃん、気をつけてね。それと…………あまり遠くへはいかないで。本当なら私が一緒に行きたいのだけれど…………」


「それはダメ。何かあったとき、私一人の方が動ける」


「…………そうね。分かったわ。私はここで待っているから。ああ、そうそう。この飛行機の荷物室は前方と後方の二か所にあるわ。食糧があるかもしれない」


「ん。分かった」


 自分の言葉に大人しく従う大叔母の姿に、ここにも、もしかすると女神の力が関わっているのかもしれないと思ったアンジェだったが、それ以上は何も言わず、大叔母に小さく手を振ってから、ここに入ってきた壊れた扉をくぐり、外へと向かった。


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