第9話 【閑話】邂逅
※アンジェがサンダーから、サヨナラホームランを打った直後の話です。
side アンジェ
サンダーが投げたボールは、外角低めにコントロールされた伸びのあるストレートだった。「
いい球だ。
だが…………たかだか
もっとも、そのスキルはアンジェ自身が入手したのではない。その全てはアンジェの祖母である神龍と、そして同じくアンジェの
裏スキルである「ひらがなスキル」を除いて、アンジェは神龍とミナトのスキルを全て自由に扱うことができた。
銃弾ですら、撃たれたのを見てから躱すことも弾くことも、それこそその気になれば掴むこともできるアンジェにとって、野球のボールを思うままに打つことなど息を吸うのと同じぐらい意識しなくてもできる。息を吸うのに失敗があるだろうか?普通はないだろう。だから同じく、アンジェが「打ち間違い」をすることはない。
当然のことだが、そのボールをどこまで飛ばすのかも自由自在だ。
それこそ、もし強めにバットを振ったなら――――バットが耐えられないのは確実だが、間違いなくこの方向だったら数キロ離れたグラッセル・パークにも届いただろう。それこそ全力で振れば、バッドだけではなくボールも飛んでいかずに粉々になる。
入団前のテストの際、大叔母の前で良いところを見せようと思い切りスイングをしてしまい、粉々になったボールの破片が周囲にいた人々に怪我を与えないよう慌てて「無効」のスキルをかけたのは、まあ良い思い出だ。
それにしても…………
スタンドインを確認後、一塁ベースに向かって走り出したアンジェは、先週届いていたサンダーの娘、エマからのファンレターのことを考えていた。
■□■□
アンジェに届くレターは、毎日、大きな箱に入れられてくる。膨大な数だ。ネット環境が進んだ今、これだけペーパーのレターが届けられる個人はアメリカ国内でもアンジェぐらいだっただろう。
もちろん、そのレターはファンレターばかりではない。勧誘や営業、中には異物や危険物が届く場合もある。なので、アンジェに渡される前にそれらのレターは球団職員がチェックしていた。
アンジェは、そのチェックは必要ないといったが――――スキルで調べることができるから――――大叔母が絶対ダメだと言った。監督も球団社長も、オーナーよりも上の立場である大叔母の意向は無視できない。
それでも、そのチェックを受けた後の数は、少ない日で数百通、多い時には――――アンジェが大活躍したあとはレターが増えるので――――数千通となることもある。とはいえ、
その日もアンジェは、エアポートに向かう車――――ミラー財閥の一員であるアンジェに与えられている車は、もちろん防弾仕様のリムジンカーだ――――の後部座席に一人で座り、本日分のレターボックスをチェックしていた。
そして一通の、可愛らしいエメラルドグリーンの封筒に入ったレターが目に止まった。
アンジェが手にしたその淡い緑色のレターは、差出人を見ると「エマ―・サンダー」と書かれている。エマからのファンレターは、今回が初めてではない。これまで何度か届いたことがあるので、来週、トロリースタジアムでゲームを行うモンクースのリリーフエース、サンダーの娘であることは知っていた。
彼女が送ってくれた過去のレターがアンジェにとって心地よいものだったことを思い出しながらアンジェは、スキルを使うことなく手でレターを広げた。
そこに書かれていたのは――――
まず、最近のアンジェの活躍を讃えるメッセージが書かれていた。次のトロリーズとの
そして…………最後に書かれていたのは、今月末に手術を受けるけれど、次のレターをまた出せるように頑張るから、アンジェのホームランをぜひ見せて欲しい、だった。その対戦相手が父ならば感激のあまり、手術まで興奮して寝られないかもしれないとも綴られていた。
そのレターは、エマの、
――――これは、エルと同じ……?
エルは、地球から異世界に転生したアンジェの仲間だ。彼女は地球にいたとき、ミナトが飼っていたペットのハムスターだったけれど、ミナトの死後、ミナトと共にアンジェがいた異世界へと転生してきた。そしてアンジェとエル、もう一人、エテラルゼ王国の第三王女ルーが、ミナトの眷属になった。
アンジェはその異世界で、ミナトに対して揮われた異世界人への特攻武器「パシュパラ・ストラ」の前に身を投げ出し、ミナトを救う代わりにその命を散らした。しかしその魂は、アンジェの祖母と言える神龍の「ひらがなスキル」の力によって、この世界――――地球へと送られた。
アンジェが地球に転生してから2年が過ぎた。
地球で過ごした2年は、アンジェが異世界で誕生してから転生するまでに過ごした時間をすでに超えている。この地球で過ごした2年間は、アンジェにとって大切な時間だ。いろいろな経験ができたし、いろいろなことを知った。いろいろな人にも会った。嬉しいことも悲しいことも、怒りを覚えたこともある。涙を流したことも。
でも…………異世界で過ごしていた時間はアンジェにとって「宝物」だった。愛しいミナトのことはもちろん忘れていない。忘れるはずがない。そして、同じミナトの眷属で仲間、いや「同志」だったエルやルーのことも。
優しい字で書かれたレターに、エルとの邂逅を感じたアンジェはエマのことを調べることにした。
■□■□
アンジェは、ダイヤモンドをゆっくりと一周しながら、ピッチャーマウンドで片膝をついて跪き頭を垂れているサンダーにチラリと視線を送った。
アンジェは知っている。
エマが膵芽腫という重篤な病を患っていることを。そして、アンジェに向けられている透明な真っ直ぐな視線を。その視線は…………アンジェにとってミナトと、そしてエルを彷彿とさせる。それも温かな思い出を。
アンジェは知っている。
サンダーが、この三連戦においてウイニングボールを御守りとして欲していたことを。それは、今月末に予定されているエマの手術の成功を祈ってのものであることを。
サードベースに向かいながら特別席に目を向けると、小さく手を振る女性の姿に微笑みが浮かんだ。
球場内からは、全方向から大歓声がアンジェに向けられている。
その声を聞きながら上空を見ると、一つしかない月が浮かんでいるのが見えた。
――――そういえば…………
前の世界で、今際の際に月を見上げた時のことをアンジェは思い出していた。
大好きだったミナトの腕に抱かれて見上げた空には、真ん丸の大きな月が二つ並んで浮かび、遠ざかる意識の中、キラキラと細かく光る粒が止むことなく降り続いていたのを覚えている。
その異世界で最後に見たキラキラした月の光は、大切なものを守れた時に覚えた安堵の気持ちと、そしてもう一つ、アンジェの想いと同等以上の気持ちをミナトが抱えてくれていたことに心が震えたことを思い出させてくれる。
そして…………目の前で輝く一つの月が放つ光はアンジェの胸にチクリと小さな痛みを与え、同時にその痛みを癒すような温かさが胸いっぱいに広がっていくことが感じられた。
――――ん
三塁ベースを回り、ホームベースで待ち構えている大勢のチームメイトを見ながらアンジェは、エマに渡すサインボールを用意しようと考えていた。
もちろんそのボールに書く文字は――――エメラルドグリーンの色に治癒スキル最強の「完全再生」の力を乗せて書く文字は決めている。
『エマちゃんゑ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます