第6話 「虹の線」が「白い線」と重なり………



 深呼吸のお陰なのか、脳裏がすっきりしたように感じる。



 ――――とりあえず外角だ。外角低めを攻めよう。



 過去のアンジェの打席で、もっともホームランの被打回数が少ないのは外角低めというデータが出ている。それに、サンダーが投げる外角低めの110マイルの速球は、ヒットこそあるが、ホームランは浴びたことがないコースだ。


 今シーズンだけではない。過去一度も。


 サンダーにとって、外角低めのボールはまさしく「勝負球」だった。「得意球」ではない。そんな軽いものではない。もちろん、この勝負球を投げるのは、「ここぞ」という場面に限る。数試合に一度しか投げないボール。サンダーのファンたちも、その「ボール」の価値と意味することは分かっている。


 ただ、これまでのアンジェの打席では、なぜか外角低めのストライクコースに投じられたのは1球しかない。ボール球は何度もある。そしてホームランも1本だから、外角低めのストライクコースなら、被打ホームラン率は100%だった。


 笑える。いや、笑えない。


 それでも、残り92本のスタンドインしたホームランを打たれたコースは避けたい。特に内角はダメだ。

 これまで、少女アンジェをビビらそうと、幾人もの大リーガーの勇敢なバカなピッチャーが内角を攻めた。外角のストライクゾーンよりも内角を狙うのは「戦うピッチャー」が抱える本能なのかもしれない。ピッチャーとバッターの勝負は、いわば舐められたら終わりだ。特に相手が少女となればなおさらだ。マウントを取りたい気持ちはサンダーにもある。いや、あった。


 だが…………


 少しすっぽ抜けて死球になりそうなコースに向かえばホームラン。


 逆に真ん中よりだと、もちろんホームラン。


 無論、狙ったコースにびしっと決まったとしてもホームラン。


 これは絶対ではない。内角を攻めてホームランにならなかったこともある。だが、アウトはない。一つもない。ファインプレーすら引き起こされない。

 どうしてだか、アンジェは内角のコースにやたら強かった。


 実際、サンダーが前回、4月の対戦で最初にサヨナラホームランを打たれたのが、内角低めだった。あれは初球だった。アンジェは、ストライクと判断すれば、カウントに関係なく降ってくる。それこそ、スリーボールになった次の球をとりあえず見逃す、なんてことは一度もしたことがない。


 とにかく、あの最初の対戦のときにホームランを打たれたボールは、ナイスボールのはずだった。失投ではない。球速も110マイル。伸びもしっかりあったし、簡単に打たれる球ではなかったのだが…………


 あっさりと捉えられたボールは、そのままライトスタンドへと消えていった。



 もっとも…………



 外角寄りのコースでアウトに打ち取れたのも、少なくともフェンスまでは全て到達しているから、外角が苦手とは、天と地がひっくり返ろうと言うことはできないのだが。

 それでも、狙うならやはり「アウトの実績がある」外角だ。

 それに、勝負せざるを得ないなら、サンダーの自信のコース、自信の球種で攻めるべきだ。それが「最強のバッター」へと向かうピッチャーが抱くべき敬意とも言えるだろう。


 ここまでくればもうサンダーは覚悟を決めた。


 アンジェに対して「Missy!!」と心の中で蔑んだ呼びかけをすることはもうない。頭の中にあったのは、対峙した強敵に対して抑えの神様ゴッド・リリーフとしての矜持を見せることだけだった。


 キャッチャーからのサインに頷く。打ち合わせ通り、外角低めを指示してくれた。



 ――――よし!あとは…………



 自分に今、何を呼び込まなければならないかをサンダーは分かっていた。

 なので自分に言い聞かせる。



 集中しろ!

 冷静になれ!

 大事なことは何だ?

 エマが見ているんだぞ!

 お前は何をしなければならない?

 必要なのは逃げる事か?

 違うだろ?

 集中しろ! 集中しろ! 集中しろ!



 大歓声がスーッと止んだ球場全体も、息をのんでサンダーとアンジェの対戦を見守っているのが分かる。さっきまでの葛藤が嘘のように、サンダーの頭の中からは、いつしか目の前のアンジェ以外の全てが消えていた。


「グッド・ラック」とハンドサインをした監督の姿はない。三振してほくそ笑んだバッターの姿も消えた。自軍の選手も自軍のファンもいない。もっと言えば、今この瞬間、エマのことも浮かぶことはなかった。


 まるで、上空からピッチャーとバッターを俯瞰しているような光景が脳裏に浮かぶ。球場もない。観衆もない。真っ暗な空間。そこに浮かんでいるように見えるのは、サンダーとアンジェの姿だけだ。


 そして――――サンダーは、ゆっくりと投球動作をスタートさせた。


 投球動作の流れの中で、アンジェと視線が一瞬交差する。そのサンダーをじっと見つめるアンジェの視線には、侮りも驕りも何も見られない。しいて言えば「透明」がもっとも適切かもしれない。


 いつしかサンダーは「ゾーン」の領域に足を踏み入れていた。究極の集中状態が生み出されたのだろう。



 そして――――



「ふん!」


 頬を膨らませ歯を食いしばって、全力でそして繊細にコースを狙ってボールを投げる。


 サンダーの時間は「永遠」へと引き延ばされていく。もちろんその「永遠」は本当の意味ではない。だが「ゾーン」に突入したスポーツ選手が抱く、「特別なことが起きている」感覚がやってきた。

 時速110マイルを越える豪速球が、狙い通り外角低めに伸びていくのが「線」になって見えた。


 どうやら、この選択は間違っていなかったようだ。


 100分の1秒が一コマずつ流れていくのを感じながら、サンダーは今シーズン、いや自分の野球人生の中でもっともベストな投球ができたことを確信していた。そしてキャッチャーのミットにその線が伸びていく中、ゾワッとした感覚を覚えた。



 ――――いける!



 その一瞬、確かにサンダーは、キャッチャーミットに吸い込まれて爆発したように広がる光が見えた――――ように思えた。


 しかし…………アンジェが見逃がした、と思った瞬間――――



 シュンッ



 まるで空気を切ったかのような音と共に、アンジェのバットが「線」になって走る。さっきのサンダーの投球は「白い線」だったが、アンジェのバットは「虹色の線」を描いていた。



 ――――ああ…………



 伸ばされた時間の中、サンダーは気が付いていた。

 どう考えても「白い線」より「虹色の線」の方が強く見える。

 サンダーが野球人生で初めて投げられた「至高の球」は、それを上回る「究極の打撃」によって、今、打ち弾かれられるのか…………


 やがてゆっくりと「白い線」と「虹色の線」が交差した。その映像はコマ送りではない。滑らかなラインが描かれていた。



 カキン!



 ゾーンに入っていたサンダーは、確かに二つの線が重なったのを見ていた。

 小さく乾いた音を立てたボールがふわりと浮く。



 そして――――



 サンダーのゾーンが解除されると、その耳に大歓声が飛び込んできた。


「「「エンジェル!!」」」


 打った瞬間、スタンド全体がスタンディングオベーションのうねりを引き起こしていたようだ。

 110マイルの豪速球を跳ね返したにも関わらず、羽のように、それこそしっかり見つめれば縫い目まで見えそうなボールがレフトスタンドに向けて飛んでいくのを目に捉えたサンダーは、投げ終わると同時に片膝をついた。


『ああ…………やっぱりか』


 ゆっくりとダイヤモンドを一周し始めるアンジェと、全員が飛び出してきたトロリーズのベンチを見てから、サンダーはガクリと頭を垂れた。



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 プロローグの本文はこれで終わりです。

 このプロローグは、アンジェが異世界から地球に転生して約2年後の話です。明日から閑話を数話挟んで、次の章からは、転生した直後からの話を始めます。

 一章につき、10話前後でまとめる予定です。


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異世界から来た少女は、メジャーリーグでホームランをかっ飛ばす!? 雷風船 @pikapurin

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